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レオンに言われたとおり、背中に隠れるように一歩下がる。
といっても基本的には騎士達が対応するため、ここまで被害が及ぶことはないだろう。
さすがに初心者である生徒たちにいきなり二十体ほどのゴブリンの群れを倒せとはいえないので、数体ほどに減らすらしい。
黒騎士団の剣や白騎士団の魔術により、ゴブリンたちは、耳を塞ぎたくなるほどの断末魔の叫びを上げながら数を減らしていった。
騎士達の討伐方法は、決して綺麗なものではない。
一撃食らわすたびに当たりに液体が飛び散り、肉が飛び散り、吐き気を催す光景だ。
数えるほどしか見たことのないが、レオンが魔物討伐を行う時は、血肉が飛び散らないほどに綺麗な倒し方である。
それはまるで魔物が眠っているかのような姿で、遺体とわかっていても、遺体を遺体として見ることはなかった。
けれど、これは、あまりにも。
「リリィ、大丈夫か?顔色が悪い……」
一瞬意識が遠のきそうになり、レオンが心配そうに顔を覗き込んでくる。
余程顔色が悪いのか、眉を寄せたレオンが「すまない、リリィにこんな光景を見せるなんて……!」と抱きしめてくる。
レオンに包まれるように抱きしめられ、残虐な光景が視界から消えたことに思わず胸を撫で下ろした。
この光景に耐えられないのは、何も私だけではない。
既に何人もご令嬢やら気の弱いご令息がたは倒れられており、時々、黒の団員たちが舌打ちをもらしている。
むしろ、平気そうな生徒の方が少ない。
殿下は対して気にした様子もなく、黙ってその光景を見ていたことが、少しだけ驚きだった。
「さて、あらかた倒しましたが……やれますか?」
今回現場を指揮するのは、黒の団員の一人だ。
ゴブリンはあと五体ほどに減っており、どこか怯えたように、けれどしっかり木の棒を構えている。
「ああ、当然だ」
黒の団員の言葉に、殿下が頷き、何か呪文を唱え始める。
腰に帯剣こそしているものの、殿下は魔術の方が得意なのだろうか。
……あるいは、ゴブリンを斬る時の感触を味わいたくないのかもしれない。
いくら魔物とはいえ、ゴブリンは人型。
殿下方は魔物を倒さねば生きていけないほど追い詰められているわけではないので、慣れる必要すらないのだ。
呪文により炎の弾が数個、ふよふよと殿下の周りを漂う。
一瞬だけ息を呑むと、殿下はふっと息を吐き出した。
瞬間、炎弾は一体のゴブリンに集中的に飛んでいく。
命中率はそこそこで、炎弾のうちの二、三個は外れてゴブリンの背後に飛んでいったが、それ以外のものはきちんとゴブリンにあたっている。
満遍なく体にあたったらしく、ゴブリンは即座に炎に包まれた。
そうして響く、断末魔の叫び。
しかし炎の火力が弱かったのか、ゴブリンはすぐに絶命することはなかった。
一歩、また一歩と、叫びながらも、着実に殿下に近づく。
ひぃ、と悲鳴を漏らしたのは、殿下のそばにいた男子生徒であった。
どこかで見たことがある気がするのだが、生憎、レオンに散々言い聞かされてまじまじと殿方の顔を見ることはない為、実は殿方の顔はあまり記憶に残っていない。
まぁ世の中には三人ほど顔の似た別人がいるという話だし、あまり見慣れぬ殿方の顔立ちが過去に見たことのある誰かと似ているなんて、珍しくはないだろう。
さすがに社交界で必要なので、貴族図鑑に載るような方々のお顔は把握している。
しかし近しい年頃の殿方のお顔は、おそらくまともに見ているのはレオンや弟くらいだろう。
次に拝見しているのはお義兄様がた。
その次くらいに殿下がただと思うのだが、たぶん、同じ服を着て一言も口を聞かなければ、どちらがどちらか分からなくなるかもしれない。
それほど、レオンは私が殿方のお顔を間近で見るという行為自体を嫌っている。
曰く、「リリィのそばに私以外の男の顔があると腹が立つ」らしい。
あまりレオンの怒りに触れると後々恐ろしいことになるので、素直に聞いておいた方が無難だ。
そもそも、私もレオン以外の殿方のお顔をまじまじと見たいとも思わないので、全く問題がないのだ。
一歩ずつ殿下に近づくゴブリンは、しかしさらに一歩踏み出す前に、そばに控えていた黒騎士が叩き斬った。
「殿下、いくら魔物といえど、あれらには命があり、痛みも感じるのです。ただ痛みだけを与え、すぐに殺さないというのは、実に残酷なことなのですよ」
だから、魔物討伐は確実に、一撃か、あるいは数度の攻撃で済ませる方が良い。
余程相手が強敵であればもちろん話は別だが、ゴブリンは所詮、そこらにいる雑魚である。
それであれば、出来れば一撃で討伐するのが望ましいだろう。
黒騎士の言葉に、殿下は僅かに表情を歪め、それでもしっかりと頷かれた。
「さて、残りのゴブリンをさっさと片付けましょう。あとはどなたが?」
残りは四体。
すっかり戦意は失っているのだろう、ゴブリンたちは互いに身を寄せ合い、ぶるぶると震えている。
こんな光景を見ているとまるで弱者を虐殺しているような気分になるが、それはゴブリンたちの策略らしい。
相手に適わないと判断すると、か弱くみせ、同情を誘い、油断したところで反撃する。
実に子ども騙しだが、これが初心者には案外効果的なのだとか。
確かに、この光景を見て、ゴブリンを倒そうとする生徒は一人もいない。
「……では、我々で討伐させていただきます」
しかしもちろん、しっかりと訓練を受けている騎士たちが騙されるはずもない。
生徒たちが僅かに表情を歪めるのを尻目に、あっさりと残りのゴブリンたちを討伐していった。
さて、遠征とは文字通り遠くへ征くことである。
当然学園からは距離があり、この遠征は一泊二日で行われる。
その一泊をどこでするかといえば、当然魔物がいつ出るやもわからない森の中で、野営である。
レオンが私をどうしても連れて来たかったらしいのは、この一泊というのが原因らしい。
基本的に、レオンは長時間の間私から離れたがらない。
もちろんまだ婚約者の身であるため、例えどちらかの家に泊まることになっても、同衾したことはない。
だからこそレオンにとって睡眠時間だけは仕方がないとしているものの、逆に言うと、夜間以外は数時間でだって離れる気がないのだ。
実際、以前マリアンナ様主催のお茶会では、二時間ほどで我慢出来ずにトンプソン家に迎えに来るという暴挙に出るほどだ。
もしもレオンが公爵家の子息でなければ、色々と問題のある行為である。
パチパチと、薪が爆ぜる音がする。
木々を組み合わせて作った焚き火だ。
周りを石で囲い、井形に組まれた焚き火はそこそこの大きさがあり、すっかり日の落ちた周囲を赤く揺らしている。
慣れない旅路に疲れているのだろう、既に大半の生徒は、簡易的に作られた布の仕切りの中で男女別に別れ眠りについていた。
私は、レオンが定期的に治癒魔法をかけて疲れを癒してくれていたため、それほど疲れてはいない。
そもそも私は何もしていないのだから、疲れるはずもないのだけれど。
生徒たちと同じく、白騎士たちは既に床についている。
全般的に、魔術に頼っている白騎士たちは、体力面が弱点なのだ。
その代わりに、体力勝負である黒騎士たちは野営において不寝番を置くことを当たり前としており、誰一人として眠たそうな顔すらしていない。
それもそうだろう、この森の中では、魔物は隣人と言われるほどに出現率が圧倒的に高い。
しかし低ランク冒険者向きの、いわゆる雑魚である魔物ばかりが出現する為、危険性は低いのだ。
だからこそ、大切な貴族の子息令嬢である生徒たちが、遠征などというものに来ているのだが。
「しかし、妙だな……」
「ええ。なんだか、遭遇率が異様に高い気がします……」
少し離れた位置で、黒騎士たちがひそひそと言葉を交わす。
既に大半の生徒が床についたとはいえ、慣れぬ環境に、眠れぬものもいるだろう。
不信感を煽らぬための小声だとは思うが、風下にいる私やレオンの耳にはしっかりと届いていた。