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私の言葉を疑っているのか、彼女たちは不快そうな表情を隠さない。
確かに、突然“この婚約は王家に認められている”と言われたところで、易々と信じられるものではないだろう。
でも冷静に考えれば、私の婚約者は公爵家のご子息なのだから、決して有り得ないことではないのだが。
「あなたね、いくらなんでも王家の名を出すなんて不敬ではなくて?」
突拍子もない話だと判断したのか、いくらか落ち着いてきたらしい。
馬鹿にするように鼻で笑われたが、別に嘘というわけじゃないのだけれど……。
そもそも、さすがに嘘で王家の名を口にするなんて不敬を働く貴族は、いないと思うのだが。
ぎゃんぎゃんと一方的にまくし立てられ、ほとほと困り果ててしまう。
どうしよう、この人たち全く話を聞いてくれない。
どれだけ私が説明したところで納得しないだろうし、ああ、もう、どうすればいいの!
「わかったら、さっさとレオンハルト様を譲りなさいよ!」
そう大きな声を出したかと思うと、どん、と突き飛ばすように体を押された。
淑女らしくかかとの高い靴を履いていたせいか体勢を崩してしまい、体が後ろに傾いた。
このままでは、マリアンナ様自慢のお庭のお花に倒れ込んでしまう!
衝撃に備え、ぎゅっと目を瞑る。
しかし構えた体に触れたのは、生垣の痛みでも地面の衝撃でもなく、包み込むような暖かく優しい衝突だった。
「──私のリリィに、随分な挨拶だね」
そして聞き慣れた、心地の良い声。
慌てて目を開けば、私の背後には、いつの間にかレオンの姿があった。
……いやいやいや。
私の後ろには、地面と生垣しかなかったはずだ。
突然現れたレオンにポカンとしていたのは私だけではなく、私を囲んでいた令嬢たちもだった。
「っれ、レオンハルト様!?」
「いつの間に……!?」
目を見開き、ある者は驚き、ある者は怯え。
ただ、皆に共通していることといえば、顔色が悪いことだろう。
いくら彼女たちがレオンの私に対するソレを知らないとはいえ、多勢に無勢のこの状態を見られたのはまずいと思ったらしい。
「レオン!皆様とは、お庭のお散歩をしていただけなのよ」
彼女たちがレオンの琴線に触れる前に、私を抱きとめてくれたレオンを見上げる。
レオンは「数時間ぶりの、私リリィ……!なんて可愛いんだ」と口元を緩め、ぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
さすがに人前では恥ずかしいが、今は拒否をしてレオンの機嫌を損ねるわけにはいかない。
もし今の機嫌の良さのままでいてくれたら、このままこの場を離れられるかもしれないのだ。
「急に現れたから、驚いたわ」
レオンの腕の中で体を反転させ、レオンの胸元に頬を寄せる。
するとレオンはうっとりと目を細め、そんな私の頬をするりと撫でた。
「すまない。リリィを驚かせるつもりはなかったんだが……これ以上、醜い声を聞く気にならなくてね」
頬に唇を寄せたかと思うと、先程までの甘い表情はどこへやら、冷ややかに彼女たちを見やった。
途端にレオンから嫌な気配があふれ出し、背筋がぞくりと震える。
これ以上聞く気にならなかった、ということは、やはり今日の会話は、すべてレオンに聞かれていたらしい。
「レオン!」
「今すぐ、この女たちを片付けよう。二度と、リリィに反抗しないように」
それ絶対穏便に済まないやつよね!?
片付ける、という言葉に含まれた意味がとても恐ろしいものである気がして、もう今すぐにでも逃げていただきたい。
確かにレオンとの婚約を破棄しろだの、婚約者の立場を譲れだの。
言われたことは決して聞き逃せることでも、あっさり許せるようなものでもない。
でも、さすがに、レオンに物理的に攻撃されるほどでは、ないと思う。
……そもそもレオンの攻撃性の高さは、危険指定魔獣であるヒドリをあっさり討伐してしまうほどに高いのだ。
普通のご令嬢が無事でいられるはずがない。
というかこの世にレオンの攻撃を受けて無事でいられる人がいる想像すら出来ない。
いや、探せばどこかにはいるのかもしれないけれど。
「──いた!レオ、そこまでだ!」
レオンが指先を動かし、ふわりと髪が浮き上がった。
それはレオンが魔法を発動する直前に見られる、もうすっかり見慣れてしまった光景だ。
そのまま攻撃魔法にはいろうとした、瞬間。
張り詰めた空気を切り裂くように、殿下の声が響いた。
ちっ、とレオンが舌を打ったのは気のせいではないだろう。
殿下に“そこまでだ”と言われて諦めたのか、レオンは不満そうに殿下を見やった。
ジークベルト殿下とアランディア殿下、その後ろには数人の護衛たちが続いている。
慌てた様子で駆け寄る殿下たちに、私を取り囲んでいたご令嬢がたはすっかり腰を抜かしてしまったようだ。
護衛を引き連れ、険しい顔で駆け寄る殿下の姿を見ていると、まるでレオンの方が加害者のようにも思えてしまう。
「い、いきなりいなくなるんじゃない!振り向いたらレオがいなくて、どこへ消えたのかと思ったぞ!」
「……もともと私はリリィを迎えに来ただけですよ。それを無理に着いてきたのは殿下たちでしょう」
どうやら、もともとレオンは私を迎えに来るつもりだったらしい。
どうして殿下がたがここにいらっしゃるのか疑問だったが、レオンに着いてきただけのようだ。
もしかしてマリアンナ様とヴィオラ様にお会いするつもりだったのだろうか?
それならば、マリアンナ様とヴィオラ様がお席を外された理由も納得がいく。
いくらお茶会の主催者とはいえ、婚約者であり王族である殿下たちを優先させるのは仕方の無いことだ。
「……ねぇレオン、まだお茶会がお開きになるまで随分あるのだけれど」
絶対に、と決まっている訳では無いが、お茶会はだいたい夕方頃にお開きとなることが多い。
まだまだ時間に余裕はあるので、いくらレオンが迎えに来たところで、帰るのには随分早い時間だ。
というかなぜ婚約者が迎えに来るのかも謎である。
「リリィ。私に、十何時間もリリィから離れろというのかい?それはあまりにも酷じゃないか……!この二時間、私がどれだけ寂しく不安な思いをしたことか!」
「いや、たった二時間よね?」
お茶会が始まる前にレオンと別れて、およそ二時間程度しか経過していない。
だというのに、レオンはまるで何十日も離れていたかのように、大げさに首を横に振る。
つい溜息を漏らしてしまえば、それを聞いていたらしいレオンが、「リリィ!?」と悲鳴にも近い声で名前を呼んできた。
「ま、まさか、リリィは私と二時間も離れて、平気だと言うのかい!?私は一分一秒でだって愛するリリィと離れたくないのに!」
レオンが私から離れたくないのなんて、とっくに理解している。
あんまりだ!と言わんばかりのレオンは、表情を青ざめさせたままぎゅうぎゅうと再び私を抱きしめてきた。
先程の抱擁と少し違うことと言えば、今はレオンが縋るように私に擦り寄っているところだろうか。
一分一秒でも離れたら心臓が止まってしまうというのならまだしも、レオンはかなり意見を誇張している気がする。
もし心臓が止まったとしても、レオンなら難なく蘇生してしまいそうだが。
「だって、レオンがくれたドレスやアクセサリーがあるもの。離れていてもレオンに愛されていることが伝わるから、寂しくはないわ」
「……リリィ。寂しくないと言われるのは非常につらいが、それ以上に、今すぐ、今すぐにでも閉じ込めて、二度と部屋から出したくないくらいに可愛いよ!」
どうやら、レオンの機嫌は浮上したらしい。
ご機嫌で私の髪を撫で、頬を撫で、唇を寄せるレオン。
時々ふふ、と笑い声が漏れるくらいには機嫌がいいようなので、どうか今のうちにご令嬢たちには逃げていただきたいものである。
しかしチラりとご令嬢たちを見やるも、彼女たちは完全に腰を抜かしており、その場から動く気配がない。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫のように私に擦り寄ったあと。
「さて。この無礼者たちを、いったいどうやって処分しようか?」
まるで歌うように、レオンが声を弾ませた。
いやいやいやいや本当にそれはダメだってば!