03
レオン様……もとい、レオンがお義父様より一本取った日。
あのあと打ち合いになった時もレオンはまたお義父様より一本取り、結局、私をリリィと呼ぶのはレオンだけとなった。
せっかくなら、もっと親しくなりたいので互いに言葉を崩しませんか、と言われ、今では互いに崩れた口調で会話するようになった。
最初はつい今まで通りの口調になってしまったのだが、そのたびに「リリィ?」と名前を呼ばれ、すっかり慣れてしまった。
……いや、その、目の笑っていないレオンの顔が怖かったとか、そういうわけでは、ない。断じてない。
今日は、お義父様に用事があるらしく、お義父様によるレオンの剣の訓練はない。
とはいえ毎日しないと落ち着かないからと、少し前まで素振りと護衛騎士の方と打ち合いをしてはいたけれど。
今、レオンの手には剣の代わりに紅茶の入ったティーカップが握られている。
久しぶりにレオンとお茶を飲むことになったのだ。
テーブルには「レオンハルト様とリリア様のお茶会ですか!?お任せを!」と張り切ってくれたハインヒューズ家お抱えの料理人が作ってくれたお菓子が並んでいる。
「そういえば、そろそろ魔法の授業を増やそうと思ってね」
フルーツたっぷりのタルトを堪能していると、レオンがふと思い出したように口を開いた。
時々レオンに誘われ食事をいただくこともあるけれど、さすが公爵家と言うべきか、どの料理もとても美味しい。
もちろん、テーブルに並んでいるお菓子はどれも絶品だった。
「魔法の授業?」
「ああ。もともと私には魔力があるから授業自体は受けていたんだが、しばらく剣に集中したくてね。少し授業を抑えていたから、回数が少なかったんだ」
レオンと出会って数ヶ月ほど。
お義父様による剣術の訓練はよく見てきた。
……同時に、血まみれになる手のひらも、何度も何度も地に伏せられた姿も。
今ではお義父様と互角に戦えるようになり、手もマメやタコはあるけれど、血に染まることはなくなったし、逆にお義父様を地に伏せさせたことだってあるくらいだ。
でも、確かに、魔法の授業は見たことがなかった。
「実は、魔法制御が完璧に出来なかったんだ。少しの魔法で暴走してしまう可能性もあったから、授業はリリィが来ない日に受けていたんだよ。父上には教えることはもうないと言われてしまったし、魔法制御も効くようになったからね。回数を増やすから、念の為、しばらくは来ないで欲しいんだ……」
……レオンの言葉は理解出来る。
制御が出来ず暴走した魔法は危険だし、レオンが私に怪我をさせたくないのも、わかる。
でも、来ないで欲しいという言葉が、まるで見捨てられたような気持ちにさせ、動揺してしまった。
ティーカップを持ち上げる前で良かった。
ティーカップを持った手は、僅かに震えていたから。
「すまないリリィ。けれど、会わないわけではないよ?必ず私が会いに行くから」
震える手を見られたのか、レオンがそっと私の手からティーカップを奪う。
そして、マメとタコで、初めて手を繋いだ時よりゴツゴツした、かたく、大きな手で、私の手を包んでくれた。
「……本当?」
「ああ、もちろんだとも。私はリリィに嘘をつかない」
私の手の甲を、レオンの指の腹がつぅ、と撫でる。
手の指は遊んでいるくせに、私を見つめるアイスブルーの瞳は、真剣そのものだった。
そういえば、レオンが嘘をついたところを、みたことがない。
いつだったか、知り合いのご令嬢の誠実な婚約者について話していた時にも、レオンは「私はあなたには決して嘘をつきませんよ」と言ってきたし。
「わかった。……でも、時々は、私から会いに来ても、いいでしょう?」
私の問いかけに、レオンは嬉しそうに笑って頷いた。
その翌日から、早速レオンは魔法の授業時間を増やしたらしい。
元々、家庭教師には魔法の実力があるのだから時間を伸ばすべきだと言われていたらしく、家庭教師も二つ返事で了承したそうだ。
会える時間が減るからと、代わりにレオンからの手紙は毎日届くようになった。
以前より手紙のやり取りはしていたけれど、回数は一気に増えたと思う。
会いに行くにはそれなりの時間をかけなくてはならないけれど、手紙は転送魔法で一瞬だから、やり取りしやすいのだ。
魔法石ひとつに対し、転送先ひとつが登録出来る。
私とレオンは、自室に登録した魔法石を互いに設置しているため、自室にさえいればすぐにやり取り出来る。
気がつけば日に数度やり取りをしていたこともあり、さすがに回数が多いのではと少し恥ずかしくもなったのだが。
「──はい、今日はここまでにしましょうね」
「はい、ありがとうございます。お義母様」
魔法の授業時間が増えるから家に来ないようにとレオンに言われ、その時は了承した。
しかし家に帰ってからよくよく考えると、私はお義母様より淑女教育を受けているのだ。
例えレオンに会わなくても、ハインヒューズ家を訪問し続けることに変わりはないと気がついた。
でも、せっかくレオンが私に会いに行くと約束してくれたのだ。
それまでは、レオンに会わないようにしようと、淑女教育を受けるとすぐに帰宅するようにしていた。
……庭から聞こえる爆発音だとか、執事や侍女の悲鳴だとか、護衛騎士の方の悲鳴とかは聞こえないフリをしている。
時々屋敷全体が揺れて天井からパラパラと埃が舞うことがあるのも、気のせいだ。
「リリアちゃん、本当にレオンハルトに会わないの?」
「はい。レオンが会いに来てくれるまでは、会わないようにしようと思いまして」
「そうなの……。あの子もあなたに会いたがっているのよ?でも、授業でよく倒れてしまって、なかなか会いに行けないらしいの」
お義母様は困った様に頬に手を添え、溜息をつかれる。
ちょっと待ってくださいお義母様、今聞き捨てならないこと仰いませんでした?
「た、倒れる!?レオンは大丈夫なんですか!?」
「ええ、魔力の使いすぎが原因だから、体自体には問題がないの。……もしかして、聞いてなかったのかしら」
レオンとは手紙のやり取りをしょっちゅうしている。
今日はこんな魔法を使った、この魔法を使いこなせるようになった、思ったよりも習得時間が短い。
そういう話はよく読んだけれど。
倒れたことがあるなんて、聞いたことはない。
「授業は順調だと聞いていました」
「あらあら。ごめんなさいね、リリアちゃん。あの子も、リリアちゃんに心配をかけさせたくないだけなのよ……」
「でも……教えて欲しかったです」
お義母様は「そうよねぇ、心配はするけれど、隠し事はして欲しくないわよねぇ」と頷き、同意して下さった。
元は王女殿下であることが信じられないくらい、お義母様は私に親しく接してくださる。
なんでも、一人くらい女の子が欲しかったのに、結局出来なかったからだそうだ。
私のことを実の娘のように可愛がってくださって、感謝してもしきれない。
……レオンの婚約者として私を気に入らないご令嬢たちが多くても、大事になっていないのは、この方のおかげだ。
「あの子も限度を覚えればいいのに、夫は限界は越えるものだー、なんて言う脳筋でしょう?ずっとそれで教えられてきたから、いつも魔力を使いすぎて倒れちゃうのよ。倒れたあとはリリィ、リリィ、ってあなたのことをうわ言みたいに呼んでるの。時々嬉しそうに笑ってね、どんな夢を見ているのかしらねぇ」
三人も子どもがいるとは思えないほど若々しく美しいお義母様は、にっこりと微笑みながら教えてくださる。
なかなか会いに来てくれないから、やっぱりあれは社交辞令だったんじゃないかって、少しでも疑ったことのある自分が恥ずかしい。
顔に集まった熱を少しでも落ち着けようと頬に手を当ててみるけれど、火照った顔が冷めるのはまだ先のようだ。