27
あれからすぐに王宮をあとにした私たちは、レオンの転移魔法によりハインヒューズ家本邸にいた。
王宮内が騒がしくなっていたのは、突如天候がかつてないほどに荒れ、すぐに凪いだことにより混乱しているのだろう。
あのまま陛下たちと同じ部屋にいれば巻き込まれる可能性もあったので、レオンは早々にあの場を離れたかったらしい。
「ねぇリリアちゃん。実はハインヒューズ家の周り以外で天気が大荒れになったのだけれど、もしかしてレオンハルトが?」
帰宅後すぐに、お義母様に引き止められた。
レオンはあからさまに機嫌が悪いし、ハインヒューズ家の周り以外で──おそらくレイズ領も無事だけれど──急に荒れた天気になれば、お義母様が怪しむのも不思議ではない。
頬に手を添えるお義母様には不思議そうな表情が浮かんでいて、決して怒っているわけではないのがわかる。
「ええ、まあ……」
「あらあら。レオンハルトがあそこまで荒れるなんて、なにか余程のことがあったのねぇ。けれど、今日は王宮でのお話ではなかった?」
「そのあと、王宮と学園の結界を張り直すことになりまして……。それ自体はすぐに終わりましたが、そのあと、陛下がレオンとのお話をと」
なんと説明すれば良いのだろうか。
お義母様にとって、陛下は実の兄君だ。
それも、陛下はお義母様のことをたいそう目出られていたそうで、お義父様との結婚前までとても仲の良い兄妹だったらしい。
お義母様とお義父様との結婚を最後まで反対なさっていたそうだし……。
「まあ、そうなの?……レオンハルト、お兄様に何を言われたのかしら。あなたがあそこまで怒るのだから、どうせリリアちゃんとのことでしょうけど」
今度はお義母様は、レオンに対して説明を求める。
さすがにこれ以上の説明は陛下への不敬となるし……正直ほっとした。
どこに誰の目と耳があるかわからないのだ。
私の口より、甥でもあるレオンが説明した方がいい。
「リリィは私に相応しくないので婚約を破棄しろと言われました。私はあの男を許しません」
お義母様の笑顔が固まった。
陛下のことはついに“あの男”呼ばわりだが、大丈夫なのだろうか……?
小さく「婚約……破棄……?」と呟いているあたり、レオンの話を噛み砕こうとしているのだろう。
そして。
「…………あらあら、まあまあ。そうなの」
すっと目を開いたお義母様の口元には、笑みが浮かべられている。
けれどその目が笑っているようには見えなくて、背筋がぞくりとした。
目が笑っていない口元だけ笑顔のお義母様は、まるでレオンが嫌な気配を発している時のような雰囲気に近い。
「ねぇレオンハルト。ちょっとわたくしを王宮まで連れて行ってくれないかしら」
「……ええ、構いませんよ」
「まったくお兄様ったら。…………わたくしの可愛いリリアちゃんになんてことを言うのかしら許さないわ」
うふふふ、と笑い声はあげているものの、むしろそれが恐ろしいくらいだ。
お義母様がお怒りになられている姿は、そういえば初めて見るかもしれない。
いつも聖母様のようにお優しく、笑顔で、凛とされているお義母様が。
私のために怒ってくださるのだと、無性に嬉しくなった。
もちろんハインヒューズ家の皆様によくしていただいていることは理解している。
それでも、何か、こう、胸に来るというか。
「では母上を王宮に送り届けて……どれほどでお迎えにあがりましょう?」
「そうねぇ、とりあえずは一時間といったところかしら。長引くようならその時はまた後でお願いするわ」
「わかりました。……リリィ、本当はすごく嫌だし離れたくはないけれど、ほんの少しだけ待っていてくれるかい?」
レオンはお義母様に頷いてから、申し訳なさそうに私の頬を撫でてくる。
そんなことをいって、王宮までの距離ならば数秒しかかからないというのに。
待つ、というほどの時間もかからないだろう。
「ええ、もちろんよ」
「ありがとう。すぐに戻るよ」
「お義母様がお仕置きしてくるからね、あんな人に傷つけられて、可哀想なリリアちゃん。わたくしの大切な娘。少し待っていてちょうだいな」
いや、お義母様私は傷ついてはおりませんわ。
どちらかというとレオンを引き止めるのに疲れたくらいで……。
ニコリと今度こそ笑顔を浮かべたお義母様は、レオンとともに、手を振ってくる。
レオンとお義母様の足元に魔法陣が浮かび、すぐに姿が消える。
なるほど、いつだったかレオンが言っていたレオンに触れずとも転移出来るというのは、まともに見るのは初めてかもしれない。
レオンは基本的に、私以外とどこかに出かけることをしないから。
「ただいまリリィ!」
そして数度瞬きをして待っている間に、またレオンが姿を現した。
そのまま流れるように、ぎゅうと私を抱きしめてくる。
なるほど転移先に先触れのようなものはないので、本当に突然現れるようだ。
確かにこれは、何も知らなければかなり驚く。
基本的にレオンが目の前に転移してくることは無いので──我が家に迎えに来る時も、律儀に玄関前に転移している──これもまた初めての経験だ。
「さあ、あの男のせいで疲れただろう?すぐにお茶と、甘いものを用意しよう。出かける前に用意しておいたお菓子があるから、それを食べようか」
用意させよう、ではなく、用意しよう、というのがレオンらしい。
出かける前なんて、いつの間に用意していたのかしら。
レオンが私のそばを離れたのなんて、ドレスを着替えていた時間くらいだけど、その時?
まるで物語に出てくる王子様のように、レオンは私を抱き上げて、その場でくるりとまわる。
レオンが鍛えていることは知っているけれど、私ひとりを軽く抱えあげるなんて、その細腕では信じられないくらいだ。
「リリィ、前々から言っているが、やはり私のリリィは軽すぎる。もっと体重を増やさなければ、風に攫われてしまいそうだ……!」
心底心配しそうに眉を寄せるレオン。
その言葉は以前から何度も言われているけれど、だから私は別に軽いわけではないのだと何度言えばわかってくれるのだろうか。
単純にレオンの力が強いだけだ。
細腕のくせに。
「私を攫うのはレオンくらいだから問題ないわ」
「…………確かにリリィは攫って閉じ込めてしまいたいくらいに可愛くて愛おしいが、だからこそ怖いんだよ。もし私のリリィを誰かが攫ってしまったら……きっと私は自分を抑えきれないだろうね」
閉じ込められたくはないし、レオンが言うほど私は可愛らしい容姿をしていない。
それは完全なる身内贔屓というやつなのだが、確かにもしもレオン以外が私を攫おうものなら、レオンを止める人がいなくなって簡単に国ごと滅ぼしてしまいそうだ。
先程は私の言葉をレオンが聞き入れてくれたからこそ落ち着いただけであり、もしも私があの時そばにいなかったら──。
考えただけでも、恐ろしい。
でも、きっと私を攫おうと考えるのは、全くいないわけではないだろう。
誰の目から見ても、レオンの弱点は、私だ。
レオンの弱みを握りたいもの……ハインヒューズ家を陥れたいもの……それらが私を狙う可能性だって、充分に考えられる。
リリア・レイズとしての価値は、せいぜいレイズ領の薬草に関することくらいだ。
けれどレオンの婚約者としてなら、きっと私の価値は計り知れないものになる。
だってレオンの弱点だ。
基本的に弱点なんて無いに等しいレオンと敵対しようとするなら、それくらいは考える。
そしてレオンなら例えそれが罠だとわかっていても簡単に乗るだろう。
……私を助けるためにという建前で、国ごと滅ぼしかねないが。
レオンならニコリと笑って「全部なくしてから探した方が早い」とでも言いそうだ。
穏便に済ませて欲しいが。
「もし私が攫われたら、レオンはどうするの?」
「そうだな……私がそばにいない時は、護れるように幾重にも保護魔法はかけているけれど」
ちょっと待っていきなり前提がおかしいと思うわ。
「リリィを傷つけようとすれば、同じ攻撃が跳ね返るようにした結界と防御結界、物理攻撃無効化の魔石と魔術攻撃霧散の魔石と異物除去の魔石である程度は守れる。ただ、それらをかいくぐってリリィを攫ったとして、リリィの位置情報確認魔法と集音魔法である程度の状況を理解出来るから……行ける場所なら転移して襲撃、ダメなら近場に転移してから襲撃。リリィに攻撃が絶対当たらないよう遠距離から結界を追加、それから周囲まるごと焼き尽くすか氷漬けにするかは立地条件にもよるが……」
さらりと答えるレオンだが、私にそんな結界張ってるなんて知りませんけど!?
というか、魔石って、なにそれ!?
「私は異物除去の魔石しか受け取っていないわ!」
レオンが転移魔法を習得した日、確かに不意打ちとはいえ魔法付与された魔石のネックレスを受け取った。
基本は肌身離さず身につけているし、もし手放すとしても夜会のドレスに似合うアクセサリーに変える時くらいだ。
けれど、それ以外の、物理攻撃無効化とか、魔術攻撃霧散なんていう魔石を受け取った覚えはない。
というかそんなのそれこそ国に差し出すべきものなのではないの!?
少なくとも、婚約者に対する贈り物レベルの内容でわないわ!
「ああ……そうだったね。直接言うと、リリィが気にするから、黙っていたんだ。リリィに隠し事をするのは気が引けたが、愛するリリィを守るためだし仕方がない」
「仕方がないのレベルでは、ないのではないかしら……?」
あと色々と、結界についても物申したいことがあるのだけれど。
とりあえずレオンに色々と護っていただいているようだし、私が攫われる前にすべて終わってしまいそうね……。