22
レオンがお皿に盛ってくれたお料理を食べていると、周囲にいたご令嬢方がにわかに色めき立っていることに気がついた。
ほんのりと頬は赤らんでおり、ひそひそと小声で言葉を交わしている。
「──やぁレオ。リリア嬢も、久しぶりだね」
「久しぶり、レオ!リリア嬢」
壁際に用意されていた椅子に座っていた私たちに声をかけてきたのは、案の定というか、ジークベルト殿下とアランディア殿下であった。
にこにこと笑顔を浮かべているアランディア殿下など、手を振ってくるくらいの気さくさだ。
チッ、と小さく舌を打つレオンには気づかない振りをし、椅子から立ち上がって頭を下げた。
レオンも同じく椅子から立ち上がり、腰を折る。
臣下としての正しい礼の仕方もあるのだが、ここは他家で行われている夜会。
殿下方は主催者ではないので、最上礼をすることもないのだ。
「楽にしていい」
ジークベルト殿下の言葉に、ゆっくりと頭をあげる。
同じくレオンも姿勢を直していたが、その表情はどこか面倒くさそうなものだった。
……実際に面倒くさいのかもしれないが。
「二人に紹介したい女性がいてね。俺の婚約者になった、マリアンナ・トンプソンだ」
ジークベルト殿下のすぐ後ろに立っていたご令嬢は、マリアンナ様と仰るらしい。
トンプソン家といえば、侯爵家であり、王家の覚えもめでたいと有名なお家である。
そういえば、殿下方には婚約者ができたと、以前送られてきた手紙に書かれていた。
ということはアランディア殿下の婚約者様もいらっしやるのだろうか?
「マリー、彼は俺の友人で、レオンハルト・ハインヒューズ」
「はじめまして。彼女は私の婚約者のリリア・レイズです」
レオンに紹介され、頭を下げる。
レオンからすれぱマリアンナ様は下位の家柄にあたるが、殿下の婚約者ということは次期王族にあたる。
そのため丁寧な言葉を使っているのだろう。
それを理解しているのか、マリアンナ様が何かを言うことはなかった。
「本当は俺の婚約者も紹介したかったんだけど、実は最近体調が優れないらしくて。今日は欠席しているんだ」
アランディア殿下のそばに婚約者様がいらっしゃらなかったのは、席を外していたわけではなく、そもそも欠席だったようだ。
たしかに、最近王都では流行病に倒れる方もおられるようだし、婚約者様も体調を崩されたのだろう。
お名前は書かれていなかったけれど、手紙には確か、伯爵家のご令嬢だと書かれていた気がする。
マリアンナ様は明るいブラウンの髪に、琥珀のような美しい金の瞳をしたご令嬢だ。
殿下の後ろで笑顔を浮かべられており、とても愛らしい。
なるほど殿下と並ぶと、背景にキラキラとお花が舞うようで、大変お似合いだ。
まだ正式に発表されているわけではないが、恐らく第一子であるジークベルト殿下が王太子様になられ、マリアンナ様は王太子妃殿下、そしていずれは王妃殿下になられるのだろう。
堂々とした立ち振る舞いは、それでもとても所作が美しい。
「彼女はレオたちと同い年なんだ。もし良ければ、二人と交流をと思ってね」
「……お気遣いありがとうございます」
「まったく、レオは本当に昔のように気さくな関係になってはくれないな」
殿下は困ったように息を吐きながらも、それでももう諦めているのだろう。
しかし殿下はいずれ王太子様になられるお方。
いくらレオンと兄弟のように育ったからといって、レオンが臣下になるのだから、これは正しい対応なのだ。
ただ、その時期が随分と早まっただけで。
「まぁ、レオンハルト様と殿下はとても仲がよろしいのですね。レオンハルト様、リリア様、これも何かのご縁ですわ。どうぞ、わたくしとも仲良くしてくださいませ」
マリアンナ様の言葉に、レオンはにこりと笑顔を浮かべ、頭を下げるだけだった。
肯定も否定もしない態度に、マリアンナ様は僅かに困ったような表情を浮かべられる。
レオンから私に視線を向けたマリアンナ様は、ふわりと柔らかい笑顔を浮かべた。
……ご令嬢方から敵意の視線はよく向けられていたが、好意的な視線を向けられたのは初めてな気がする。
「リリア様、よろしくお願いいたしますわ」
「わたくしでよろしければ、ぜひ」
私が先に頷いてしまえば、きっとレオンも納得せざるを得ないだろう。
別にマリアンナ様の派閥に入りたいとか、第一王子派につくとか、そういうわけではないけれど。
私がマリアンナ様と仲良くなりたいのだ。
レオンがどう思うかはわからないけれど、私のお願いを頭ごなしに反対することはないだろう。
「そうか、そうか!よかったなマリー」
「え、ええ」
ジークベルト殿下の言葉に、マリアンナ様は戸惑ったように頷かれる。
殿下としては、私がマリアンナ様につけば、自動的にレオンハルトが味方になると思っているのだろう。
実際、たぶん間違いではない。
殿下がマリアンナ様を“マリー”と愛称で呼んでいるあたり、殿下なりにマリアンナ様を大切にされているのだろう。
私たちと同い年と言う話だし、あわよくば、とでも考えているのかもしれない。
「俺たちは今年から学園に通うんだけど、レオとリリア嬢はどうなの?」
アーデルハイド王国では、貴族は15歳から学園に通うことが出来る。
殿下も昨年から学園に通っているはずだ。
学ぶのは魔法であったりマナーであったり歴史であったりと様々だが、通うのは任意。
使用人を数人連れて寮での生活も出来るため、王都だけではなく、地方の子息令嬢も通っている。
しかし彼らは学園で“学ぶ”ことよりも、“出会う”ことそのものを目的としているのだ。
地方の子息令嬢は、少しでも良い出会いをもとめ、婚約者を探しに。
婚約者がいるものは、今後社交界で有利になるように、交流関係を築きに。
必須ではないものの、大半の貴族は学園に通っている。
お義母様とお義父様も、学園で出会い、結婚したらしい。
「私たちには必要がないので、通いません」
15歳になる前から、レオンには学園で学ぶことがないから通う必要がないと言われていた。
いや、恐らく私は学園に通うべきなのだろうけれど、少なくともレオンには一切必要ない。
必要が無いのに通うのは時間の無駄だと切り捨てていたし、レオンが、私一人を学園に通わせるとは思えない。
必然的に、レオンが通わない以上、私も通うことはないのだ。
殿下方は予想していたのか、「やっぱりな」と頷いているが、マリアンナ様は驚いたらしく、大きな瞳をさらに大きく見開いている。
恐らくマリアンナ様のお知り合いの方は、ほぼ全員が学園に通うからだろう。
「レオとリリア嬢が学園に通ってくれたら、護衛とかが楽なんだけどなー」
「私の仕事ではありませんので」
遠回しに学園に通ってくれ、と殿下は仰るが、真意に気づいているであろうレオンは淡々と答える。
学園には防衛用の結界が張られているそうだが、王族が二人にその婚約者が二人通うとなると、やはり心もとないのだろう。
もしレオンが通うことになれば結界の強化をするだろうし──それを目的にしているのかもしれない。
実際、レオンが魔法を使いこなせるようになってから、レオンはハインヒューズ家とレイズ家の結界をより強固なものにしていたし。
たぶんレオンの張った結界を壊せるのは、レオンだけではないだろうか。
家庭教師の先生は感動のあまり無言でボロボロと泣いていた。
「ただ助言するとすれば、王宮の結界も学園の結界も穴があるので、もう少し護衛を強化するべきだと」
「……レオ、その話を詳しく聞かせてくれ」
すっと目を細めたジークベルト殿下の眼差しは真剣そのもの。
学園だけではなく、この国で一番重要な王宮の結界も脆いといわれ、気が気ではないのだろう。
きっとこの国で一番強い結界は、レオンが張ったレイズ家とハインヒューズ家だと思うけれど。
「……構いませんが、食事中の歓談には相応しくないテーマですね」
レオンが食べかけの食事を置いたテーブルを一瞥する。
ジークベルト殿下は困ったように眉を寄せ、ひとつ頷いた。
結界の脆い箇所についてなど、このように人の目と耳のある場所でする話ではない。
「……では、夜会のあとにでも」
「あまり遅くなると、リリィの肌の調子が崩れます」
殿下の言葉を、レオンはさらりと断った。
いや、私の肌の調子よりも、結界についての方が大事だと思うな!?
「リリア嬢を先に帰すというのは……」
「ほう。殿下は、私と、リリィを、引き離すと?」
「い、いや、そうだな。全くその通りだ。では、日を改めて話し合いをお願いしてもいいだろうか?」
レオンが目を細めたのがわかったのだろう、ジークベルト殿下はぶんぶんと両手を振り、にっこりと笑った。
今日でなければいいと思ったのか、レオンは「承知しました」と頭を下げた。
アランディア殿下は一連の流れに慣れているのか苦笑を浮かべているが、初めて見るであろうマリアンナ様は、目を真ん丸にしていた。
驚く姿も可愛らしいとは、神様は理不尽ですね?