20
レオンに対して頬を赤らめたその顔で、私のことを睨みつけるご令嬢。
これは、明らかにレオンに好意を寄せている証拠だ。
ただ、一つだけ言いたい。
せめてレオンに気づかれないようにしてくださいませ!?
レオンはご令嬢の態度に気がついているはすだ。
口元に笑みこそ浮かんでいるけれど、目が笑っていない。
レオンにかつて助けられたというご家族は子爵家で、子爵夫妻がにこにこと笑顔を浮かべながらレオンへお礼を口にしている。
夫妻はレオンの表情に気づいていないのだろう、チラリと私を見やると、フッ、と鼻で笑った。
いや、たしかに、鼻で笑われるのもわからなくはない。
レオンほどの美丈夫の隣にいるのが私ですからね……。
対する子爵のご令嬢は、プラチナブロンドの髪に翡翠の目と、たいそう整ったお顔立ち。
なるほど子爵夫妻は、どうにかしてレオンの婚約者を私からご令嬢へと変更させたいのだろう。
レオンの婚約者ともなれば、必然、王家とも繋がりができるし、出世欲が強いのかもしれない。
普通に考えたら、レオンほどの容姿の持ち主が私を選ぶとは思えない。
けど、まぁ、その……レオンは普通ではないので。色々と。
「ところで、そちらのお嬢さんは?」
「……私の婚約者ですが、何か」
「まぁまぁ、そうでしたの!まるで野に咲く花のようで、素敵な方ねぇ。ドレスもお顔立ちを引き立てさせるわぁ」
貴族特有の、遠回しの嫌味口撃だろうか?
ようするに、その辺にいるような容姿で地味だし、ドレスに顔が負けている、と。
ピクリとレオンの指先が動いたのが分かる。
すっと細められた目は、まるで、獲物を見つけた捕食者のようで──。
「レオン、少し気分が悪いの。外の風を吸いたいのだけれど……」
慌ててレオンの体にしなだれかかり、小さな声で話しかける。
レオンははっとした様子で私を見やり、胸元に添えていた私の手を握りしめた。
「リリィ!気分が悪いんだね、気が付かなくてすまない……!」
心配そうに眉を寄せたレオン。
どうやら子爵家から意識をそらすことに成功したようだ。
これでレオンの優先順位は私になったし、子爵家がこのまま引き下がってくれれば……。
「まぁ、それではテラスへ行かれては?その間、レオンハルト様はわたくしとお話しましょう!」
や め て く れ 。
今すぐにでも離れようとするレオンの腕に、子爵家のご令嬢が抱きついた。
途端にレオンから嫌な気配がぶわりと溢れだし、レオンが溜めていた息を吐き出した。
ご令嬢はひっ、と息を飲み、レオンから腕を離す。
気づけば周囲はしん、と静まり返っており、誰もがレオンに目を向けていた。
「リリィは、気分が悪いと言っているだろう。一刻も早く新鮮な空気を吸わせてあげたいのに。邪魔をするなら───殺すぞ」
静まり返った空間に、レオンの声はよく響く。
先程までの人の良さそうな笑顔は消えており、近くで見ていた誰もが、悲鳴を漏らした。
「レオン、行きましょう?」
「……そうだね。アレに構うよりも、リリィが外に出る方が先だ」
レオンの服の袖を引っ張り、声をかける。
するとレオンは表情を和らげ、私の頬に手を添えた。
本当は気分が悪いわけではないけれど、このままここにいるわけにも行かないだろう。
ほとぼりが冷めるまで、外の空気を吸って、レオンの心を落ち着けなければ。
レオンは私の腰に手を添え、ぴったり寄り添いながらテラスに出る。
背中にぶすぶすと視線が突き刺さるのがわかるが、まずはレオンを宥めるのが先だ。
このままだと、会場に戻った時にあのご令嬢に何をしでかすかわかったものじゃない。
「リリィ、頭が痛いのかい……?」
思わず頭に手をやり、溜息をついてしまう。
せっかく上手くあの場を離れられると思ったのに、あのご令嬢のせいで無駄になってしまった。
むしろ状況が悪化したような。
レオンは小さな声で問いかけ、そっと私の額に手を添える。
途端にレオンの手のひらからキラキラとした光が溢れ、レオンの手が触れている額が、温かくなった。
どうやら治癒魔法をかけたらしい。
本当に頭痛がしていたわけではないから、魔力の無駄遣いになるというのに。
「……大丈夫。ありがとう、レオン」
「よかった……」
レオンは私の額から手を離すと、ほっと胸を撫で下ろした。
どうやらレオンにはかなり心配をかけてしまったようだ。
……まぁ、レオンはたぶん私がどんな些細な怪我をしたところで、ひどく狼狽するのだろうけれど。
以前、読んでいた本で指先を切ってしまった時にも、レオンはひどく慌てて治癒魔法をかけていたし。
そのあとしばらくまともに本も読ませてもらえなかったのは、過保護すぎると思うけれど。
このままだと、もう夜会にも出席させてもらえなさそうだな。
それは、ちょっと嫌だ。
「リリィ、やはり夜会なんてものには出なくていいだろう?情報なら私が集めるし、交友関係も私が広げる。リリィが嫌な思いをするくらいなら、家の外に出なくたって……」
困ったように眉を寄せ、複雑そうに自身の胸元を握りしめるレオン。
そんなレオンの手を取り、私より大きな手を、両手で握りしめる。
「ねぇレオン。私、レオンのパートナーとして社交デビュー出来て、本当に嬉しいのよ?それに、レオンが私を愛してくれていると知っているから。嫌な気分になんてならないわ」
にこりと笑いかけながらそう言えば、レオンは小さく「リリィ……」と名前を呼んだ。
でも、これは本当のことだ。
レオンは私よりも美人で、家柄も良くて、立派な淑女であっても、必ず私を選んでくれる。
だから子爵家のご令嬢がどれだけ整った容姿をしていても、私がレオンの婚約者として相応しくないと誰かに言われても。
レオンが、私をパートナーとしてくれるから。
レオンが私だけを愛していると、言葉と態度で教えてくれるから。
自信を持って、レオンの隣に立てるのだ。
「だってレオンは、何があっても、私と、私の愛するレオンを守ってくれるんでしょう?」
レオンはいつも、私を守りたいと口にする。
けれど、私は私以上にレオン自身のことを、大切にして欲しい。
だからレオンはいつだって、私だけでなく、自分の身も守らねばならないのだ。
それが私の望みなのだから。
「ああ……。もちろんだとも……!」
「じゃあ、私がこれからも夜会に出席しても、問題ないわよね?」
「……悔しいことに、問題ないな」
途端にレオンは苦々しい表情になり、はぁ、と息を吐いた。
これで少しはレオンも落ち着いただろうし、もう少ししてから会場に戻ろうかしら。
そういえば、あの場にはお義母様もいらっしゃるはずだけど……!
「リリィ?」
「……せっかくの夜会なのに、楽しい空気に水をさしてしまったわ。候爵夫妻に、なんてお詫びすれば……!」
侯爵夫人は、お義母様のご友人だ。
当然社交界では顔が広いお方で、そんな方の夜会で問題を起こしたとなれば、今後私たち──少なくとも私は──社交界で爪弾きにされてしまうかもしれない。
顔が青くなっているであろう私に、レオンはにっこりと笑う。
「それなら、いっそ目撃者を消してしまおうか」
「恐ろしいことを笑顔で言わないで!?」
「じゃあ、記憶の削除か改ざんを……」
「それもダメ!」
本当、この人は何でも力技で解決しようとするんだから……!
ああ神様。
あなたはきっとレオンのことを愛しているのでしょうけれど、少々レオンに力を与えすぎてしまった気がします……。
リリィが言うなら……と僅かに唇をとがらせるレオンは、たぶん──というか絶対、私が止めなければやらかしていたはずだ。
ずっと楽しみにしていたデビューは、どうやらいろんな意味で忘れられない日になりそうだ。