02
カッ!カッ!と勢いよく木刀同士のぶつかり合う音が響く。
時々、ガッ!という力強い音の直後にカラン、と乾いた音が響き、手に持っていた木刀が弾かれたのだとわかる。
「この程度で刀を離してどうする!死んでも刀を手離すな!」
直後に野太い怒鳴り声が響き、思わず、身をすくめそうになる。
今はお義父様による、レオンハルト様の剣術の時間だ。
最初は訓練の見学なんて……と断られたが、何度かお願いしているうちに、渋々といった様子だったが承諾された。
お義父様は「あなたに情けない姿を見せたくないのでしょう」と、笑いながらおそらくレオンハルト様が断った理由であろうと教えてくれたのだが、なるほど、確かにお義父様からすれば情けない姿になるのかもしれない。
でも、何度か訓練を見学するうちに、剣など握ったこともない私でも理解出来た。
……お義父様によるレオンハルト様への剣術の教えは、とてつもなく厳しいのだ。
元々、お義父様は剣豪として名を轟かせており、過去に英雄と呼ばれたこともあるお方。
以前よりレオンハルト様はお義父様の師事を仰いでいたらしいが、あの一件以来、さらに厳しさを増したというのは護衛騎士の方のお話だ。
俺ならあそこまで食らいつけません……と彼は続け、それほどまでにレオンハルト様とお義父様の“訓練”というのは異常らしい。
「くっ……!」
地面に放り投げられた木刀を、レオンハルト様が握る。
勢いよく振り下ろされた木刀を何度も受けとめ、打ち返していたせいか、レオンハルト様の手は、血に濡れていた。
マメが潰れたのだろう、赤くなった血を一瞥したレオンハルト様が、ちっ、と舌を打ったのが聞こえた。
「……大丈夫ですか?」
「ええ、これくらいは」
持参していた薬草をすり潰した傷薬で、手当をしていく。
治癒魔法で癒せれば早いのだが、あいにく、私は治癒魔法が使えない。
使える魔法といえば、水を生成する水魔法くらいで、別に攻撃に特化しているわけでも防御に使えるわけでもなく、畑に水をやるのが便利という程度だ。
魔法を使いこなすには魔力と、相性がある。
魔力さえあれば相性に関係なく満遍なく魔法を使えるが、魔力があまり多くない場合は相性の良い魔法しか使えない。
私は魔力が多いわけではなく、どちらかといえば少ない方だ。
水魔法と相性が良く、逆に言うと、水魔法しか使えない。
「また、情けない所を見せてしまいましたね。いつか、勝てるといいのですが」
手当の終わった、包帯が巻かれた手のひらを握りしめ、レオンハルト様が苦笑を浮かべる。
どうやらレオンハルト様は、あの英雄に勝てるまで挑み続けるつもりらしい。
護衛騎士の方たちは、口を揃えて「あの人に勝つなんて無理ですよ」ととっくに諦めた姿勢を見せているのに。
「きっと、大丈夫ですよ。だってレオンハルト様は、こんなにも努力していらっしゃるもの」
初めて会った時からレオンハルト様は剣術を守っていたけれど、その手が血で染まっていたことなんてなかった。
もちろん仮にも婚約者に会うのだから治癒したのだろうが、これほどまでに打ち合っていた、というわけではないのだろう。
手だけでなく、上質であろう訓練時に着ている服も汚れてボロボロで、きれいな顔にも、いくつも傷がある。
「……ありがとうございます」
「きっと、すぐにでも一本取れるようになりますわ。お義父様も、剣筋を褒めていらっしゃったし」
「そうだといいのですが……」
剣術に対し、お義父様はとても厳しい。
しかし、とても誠実だ。
打ち合いのあとに良かった所、悪かった所を、必ず伝えている。
いつだったかお義父様は、レオンハルト様は筋が良いから、つい指導に力が入るのだと笑っていた。
お義父様が褒めるのだ、きっとレオンハルト様はかなり鍛えられているに違いない。
「……その、リリア嬢」
「なんでしょう?」
「お願いが、あるのですが」
「お願いですか?私に出来ることであれば、何でも」
レオンハルト様ははくはくと口を開くと、視線を泳がせる。
ほんのりと赤い頬は、運動した後だからなのか、それとも、照れているのか。
「もし、父上より、一本取ることが出来たら。……リリィと、呼んでもいいですか?」
「え?」
「そして、あなたにレオンと呼んで欲しいのです。……いけませんか?」
一応、私とレオンハルト様は婚約者である。
婚約者を愛称で呼ぶのは、仲の良い方同士なら珍しくはない。
私とレオンハルト様は仲が良いのか判断は付きづらいが、悪くはないはずだ。
「一本と言わず、いつでも構いませんのに……」
「いえ、父上に勝らねば、あなたの婚約者として相応しくないので」
レオンハルト様、たぶんその理屈はおかしいと思いますわ。
婚約者として相応しくないのは、レオンハルト様ではなく私だ。
お義父様もお義母様も……お義兄様たちも、私のことを身内として扱ってくださる。
しかし、それをよく思わないものも、少なくはない。
現に大して親しくもないご令嬢からイヤミ満載の手紙が届いたこともあるし、レオンハルト様の婚約者候補だったらしいご令嬢に泣きつかれたこともある。
私だって、レオンハルト様の婚約者として相応しくありたい。
レオンハルト様の訓練を見学する傍ら、お義母様による淑女教育を受けているのだって、そういう理由だ。
ご令嬢たちの手紙についても、泣きつかれたことに関しても、家族以外には話していない。
ただでさえ公爵家の方々はお忙しいのだ。
私程度に時間を無駄にするわけにも行かないだろう。
結局、レオンハルト様は一ヶ月も経たないうちにお義父様より一本取り、彼は私をリリィ、私は彼をレオン様と呼ぶようになった。
初めてレオン様と呼んだ時。
蕩けそうに甘い顔で微笑まれ、顔に熱が集まったことは、レオン様にバレていないといいのだけれど。
「なるほど、最近レオンハルトの覇気が違うと思っていたが……リリア嬢との約束のためだったか。リリィか、いい呼び名だ。私もそう呼ばせてもらおうか」
「父上。まだお元気そうですね、先程の感覚を忘れないうちにもう一度お願いします。また一本取れた時は、リリィのことは今まで通りリリア嬢と呼んでくださいね」
「なんだ、男の嫉妬は見苦しいぞ」
「ほう。母上と談笑していた青年に大人気なく脅しをかけた父上が仰いますか」
お義父様の言葉に「ぜひ」と答える前に、お義父様とレオン様は再び木刀を構え対峙した。
ええと、私の名前の呼び方ひとつで、どうしてこうなったのだろうか……?
「リリィと!呼んでいいのは!私だけだ!」
「面白い!私より一本取れねば!私も呼ぶからな!」
「させるか!」
……普段、お義父様とレオン様はとても仲が良い。
レオン様はお義父様のことを尊敬しているし、剣術を学んでいる時も、丁寧な言葉遣いをされていた、のだが。
いつか見た時よりも激しい打ち合いに、時々、木刀同士にしては有り得ないような音が響く。
もはや右へ左へ分身したり瞬間移動しているようにしか見えないのだが、護衛騎士の方も目を白黒しているので私だけが感じたことではないのだろう。
ええっと、レオン様、お義父様、だいぶ怖いです。