13
氷の先端は確実にマリエール様の喉元に添えられており、尖ったソレは、少しでも動けばマリエール様の喉に触れてしまいそうだ。
腰を抜かしているであろうマリエール様に、殿下たちも頬をひきつらせている。
殿下やご子息がたにも、同じように氷の刃物が添えられているからだろう。
「私はね、ジーク。あなたやアランのことは大切なイトコだと思っているよ。幼い頃は兄や弟のように思っていたし、今でも仲良くしたいと思う。……けれど、リリィを傷つけるのなら、許さない」
少し前までの殿下への丁寧な対応はどうしたのか、レオンは冷ややかな目付きで殿下たちを見つめている。
身長はそれほど変わらないのに、レオンからあふれる嫌な気配が、彼を、威圧感で大きく思わせた。
「それに、リリィのことはきちんと話していたよ。5歳の時、リリィを初めて見つけた日に、きちんと可愛い子を見つけたと伝えたはずだ」
もちろん、詳細は話さなかったけれどね。
そう続けるレオンに、しかし殿下たちは心当たりがなさそうだ。
6年前の会話を覚えていろというのが無理な話なのかもしれないが。
「父上や母上にも伝えていた。だから実際にリリィと婚約出来て、想いが通じあった時は、長年の片想いが報われた気分だった。……それに、私は昔からマリエール嬢を好いてなどいない。侯爵家にあるまじき常識のなさも、甘やかされてまったく捗らない教育も、それを許す侯爵家自体も」
……なるほど、マリエール様はご両親にさぞ可愛がられて育ったのだろう。
桃色の髪も桃色のぱっちりした瞳も、まるで天使のように可愛らしい。
「まだ社交界に出るまでは期間があるとはいえ、王宮で、殿下に対し、許されてもいないのに声をかける。──随分と素晴らしい教育成果じゃないか」
マリエール様は、侯爵家のご令嬢だ。
この場でマリエール様から声をかけてもいいのは、伯爵令嬢の私と、伯爵家でもある黒騎士団団長のご子息と、子爵家でもある白騎士団団長のご子息、そして同じ爵位を持つ侯爵家のご子息、侯爵家でもある宰相様のご子息。
少なくとも公爵家の三男であるレオンと、この国の王子殿下がたには、彼らから声をかけられない限りは話しかけるのはマナー違反だ。
確かに私たちはまだ社交デビューしていないから、今は規則を守れと言われることはないけれど、それでもやっぱり眉はひそめられるはずだ。
はくはくと口を開くマリエール様は、大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼされている。
レオンは腰が抜けているであろうマリエール様を見下ろし、嘲るように鼻で笑った。
「ジークやアランの……王子殿下がたの幼なじみとして、今は許されているのだろう。が、社交界はそう甘いところではないと思うが?自分が一番なのだと思っているのなら、随分と愚かで傲慢なめでたい頭をしているようだ」
レオンも社交デビューはしていない。
それでもお義母様やお義父様からお話は伺っているはずだ。
でもレオン、ちょっとさっきから言い過ぎなんじゃないかな……?
「まぁ、そんな評価は私やリリィに関係ないのでどうでもいいが。その傲慢さでリリィを貶すことは、許さない」
「レオン!」
マリエール様が、ひっ、と悲鳴を漏らしたのがわかった。
慌ててマリエール様との間に割り込めば、レオンは途端に困ったように表情を和らげた。
嫌な気配が瞬時になくなり、殿下たちが、はっ、と息を吐く。
「私はいいから、もう行こう?」
「リリィは優しいね。でもこれ以上は私の我慢の限界だ」
先程まで殿下にチクチク言われていたからか、私よりもレオンの方が先に我慢の限界がきたようだ。
……このままだとレオンは重罪人になりそうだ。
さすがにやめて欲しい。
「……そう。じゃあ、レオンは、私よりも他の人を優先するのね?…………もういいわ」
ふん、と鼻を鳴らし、レオンに背を向ける。
それだけでは効果がないだろうと、レオンから離れて歩き出した。
「えっ、リリィ!?」
私が言葉で止めても、たぶんレオンは納得しない。
止めてくれるかもしれないけれど、止めてくれないかもしれない。
だから行動に移すのが一番確実だ。
レオンはよく何よりも私が一番だとか、そういう内容のことを口にする。
だからこそ、私が「もういい」といえば、何かしらの反応はしてくれるだろう。……たぶん。
「ちが、リリィ!ごめんよ、愛しいリリィよりも優先するものなんてない!」
慌てた様子で、この場から離れようとする──フリだけど──私の前に、体を割り込ませるレオン。
その顔には若干の焦りが見え、どうやら賭けには勝ったのだと理解出来る。
「じゃあ今すぐ魔法を解いて」
「もちろん!」
足を止め、レオンを見つめて言えば、コクコクと大きく頷く。
次の瞬間にはマリエール様や殿下たちの喉元にあった氷は、ぱりん、と割れるように粉々に砕けて消えた。
脅威から解放されたからか、殿下たちが膝をつく。
本来ならここで殿下の心配をするのが正しい貴族の役割なのだろうけれど、今はきっと、レオンを止めることの方が重要だ。
それが結果的に、殿下がたを救う形になるから。きっと。
「せっかく、レオンがお庭を案内してくれるって言うから楽しみにしてたのに……」
「ああ。……すまない、リリィ」
「じゃあ、今から案内してくれる?」
「もちろんだよ!さぁ行こう」
私の手を取り、エスコートを始めるレオン。
どうやら殿下がたから完全に意識を逸らすことが出来たようで、ほっとした。
でも、このままだと、レオンは殿下と仲違いしてしまう。
レオンの婚約者として認められないのは残念だけど、私はハインヒューズ家の方々のように万人に受け入れられるとは最初から思っていない。
というかハインヒューズ家の方々に認められていることすら未だに不思議だし。
ただ、そのせいで、兄弟のように仲が良かったというレオンと殿下がたが仲違いするのは、まったく良くない。
きっとジークベルト殿下は、殿下なりにレオンを心配していたのだろう。
殿下は婚約者候補であったマリエール様のことはご存知だけど、私のことは知らなかっただろうから。
殿下が、名前も聞いたことのない女が、兄弟を誑かしていると心配しても、なんらおかしな事ではない。
「ねぇレオン、ちゃんと殿下がたと仲直りしてね?」
エスコートされ、到着したのは、目的でもあった薬草栽培のエリア。
殿下がたからかなりの距離があるし、レオンはあの場に残してきた殿下がたを気にした様子もない。
私の言葉に、案の定眉をひそめたレオンは、不満そうな表情を隠しもしなかった。
「だが……」
「レオンだってわかっているでしょう?殿下はレオンのことを心配しているんだから」
「……それでも、リリィを貶されたのは、許せない」
どこか拗ねたような口調のレオン。
レオンが私のことを大事にしてくれていることなんて、十分すぎるくらいに理解している。
だから。だからこそ。
マリエール様の言葉に、たいしてショックを受けなかった。
むしろ、この人何言ってるんだろうって、思ったくらいだ。
「本当に、私は何も思わなかったのよ?」
「……」
「殿下の言葉にも、マリエール様の言葉にも。だって、他の人に何を言われても、レオンが私のそばにいてくれるって信じられるから」
もしレオンがこんなにも私を大事にしてくれていなかったら。
きっと、マリエール様の「結婚出来ると思ってた」という言葉に不安になった。
殿下にレオンとの婚約を認めてもらえなくて、悲しくなった。
でも。
そんな言葉も気にならないくらい。
レオンが私のことを愛してくれていると、知っているから。
だからレオンは本気で怒ってくれたし、心配してくれたのだろう。
「リリィ……」
「レオンの気持ち、ちゃんとわかってるつもりよ。だから、他の人に何を言われても平気なの。……レオンが私を手放すなんて、ありえないものね?」
はたから聞けば、随分と傲慢で自信満々の言葉なのだろう。
でも自惚れなんかじゃない。
これは、純然たる事実。
「もちろん。リリィが望む限り、私はリリィを手放さないよ。……絶対に」
私の頬をゆるりと撫で、レオンが言う。
その表情はどこか恍惚としたようで──どこまでも本気の言葉なのだろう。
私が本気で嫌がれば、たぶんレオンは悩んで悩んで苦しんで泣いて、それでも私の為にと手を放してくれる。
でも私はレオンのそばにいたいのだ。
その気持ちが変わることは、きっとない。
だから──レオンは、これから先も、ずっと私のそばにいてくれるだろう。
レオンに手を放して欲しくないくらいには、私も、レオンに執着してるのだ。