壱番奴隷、鼠人族のカゲロウ その2
ここは王国最西端。王国を東から西へ巡業していたキャラバンにとって最後の大商いになる街。特に奴隷商にとってはこの国境城塞都市で買い手がつかなければ、後は鉱山にでも安く払い下げるしかなくなってしまう。そのため売れ残っている奴隷は比較的安く買える街でもある。もちろん、この街まで売れ残ってしまった訳アリの奴隷も多くなるので、玉石混交という言葉は正にこの街にくる奴隷キャラバンにこそ相応しいだろう。
そして丁度3年前、奴隷商率いるキャラバンから俺はこのカゲロウという宝石を買い取ることができた。最初の1年は家事やら文字の読み書きやらを教え込み、迷宮に共に潜り経験を積ませることに費やした。俺の師匠は昔色々やらかしているらしく、時折命を狙われる騒ぎになる。自分だけでなく彼女の身を守らせるためにもレベリングは必須だった。
2年前、カゲロウが成人してからは文字通り寝食を共にする仲となった。同じ床に就き、同じ飯を食い、同じパーティとして迷宮に潜る。正に運命共同体。あるいは家族。いや、奴隷と主人という関係に家族という表現はちょっとあれか。ましてや護衛兼性奴隷という扱いが扱いである。
自分の好みにかなりマッチする美少女と同じ部屋で寝起き。屋敷に住む他の住人に対してプライバシーも十分確保されていて(消音の魔法陣が壁に仕込まれているのだ)、奴隷とその主人という好きに手を出して許される上下関係。自惚れでなければ相手からの好感度も良好。そして10代後半のお互いに若々しい肉体。
その上で都合よく習得済みの避妊魔法に性病すら退ける高位の浄化魔法(どちらも中級法術で、この屋敷に来てから覚えた)。師である魔法使いからも、若い内に肉欲は満たしておけよとGOサイン。
これだけの条件が揃っていて色事に興味が無い、相手の女に手を出さない、なんていうやつが居るだろうか? いや居ない(反語)。居るわけがないのだ。もし居たとしたら男じゃないか、男色家か、余程の鈍感主人公かのいずれかであろう。ああ、男じゃないってのはこの場合もう枯れちゃってるとか男性機能に問題があるって意味な。百合の花が咲く世界の話は今していない、また今度にしようじゃないか。
そんなわけで俺が性欲全開で色に溺れているのは至極当然の帰結なのである。いや、普段は昼間の間はちゃんと仕事してるから言うほど沼ってないんだよ? ただほら、昨日は死に掛けたからね? 自分にご褒美って大事だと思うわけよ。だから暗殺者を返り討ちにした翌日に、朝っぱらから盛っててもセーフ! セーフです!
「アウトでござるよご主人」
馬鹿な!? 一緒に布団に入ってる娘さんから駄目出しされた!? おかしい、こんなはずでは。
「いえその、拙者なんかで良ければいくらでも使って頂いて構わないのでござるが、肝心のその原因を放置なのはいかがなものかと……」
「あー、それなぁ……なんというか、まだ会いたくないんだよなぁ……」
「契約呪紋はちゃんと成功していたでござるよね?」
「おう。そこは問題無い。ちゃんとパスが繋がってる感覚もある。」
もうパス繋いじゃってるので、魔法的な契約によって支配下に置いてることは頭では理解しているんだが……ぶっちゃけ普通に怖い。首にナイフ刺さりかけてたとか思い出すだけで怖いって。8年前に村を襲った魔物の氾濫の時も軽く死にかけたが、ヤバさ加減は今回の方がほんと危機一髪だった。
「なんか、鉄格子越しでも目が合ったら普通にビビって、相手に舐められそうな気がするんだよな」
「ご主人ほどの方が何を弱気な……。まあ奴隷契約は最初が肝心にござりますからな」
「だろ? この際だし、2、3日くらい放置して腹空かせてからゆっくり面を拝む方がいいかなーって」
「そんなに悠長なことでよろしいのでござるか?」
「どうせ急ぎの仕事は無いし、あんな高レベルの暗殺者がほいほい送り込まれてくるとも思えん」
いやほんと次の暗殺者がすぐに送り込まれてきたら割と困るっていうかそんなことはないよねっていう現実逃避といえば現実逃避なのだけれども。
実はこの屋敷、ご領主様の持ち物で守りは万全だ。通常の衛兵による街中の巡回だけでなく、師匠と俺とで屋敷の敷地中に設置した結界魔法陣によって最上位の冒険者ですら跳ね返す万全の体制……の筈だったんだ。あっさり侵入されちゃってまぁ、『万全の体制』とは一体何だったのか。
「ところで、あのダークエルフはどうやってご主人達の張った結界を突破したのでござろう?」
いやほんとそれな。あのダークエルフの異常な魔法抵抗力の高さを考えると、実は結界はゴリ押しというか、素で突破されていた可能性が高いのが悩ましい所だ。
これは師匠に魔法理論を習った時に知ったことだが、滅茶苦茶に魔法抵抗力が高い生き物や物体が結界の魔法に触れると、結界の効力が短絡してしまい、まるでそこに何も無いかのように結界の魔力が素通りしてしまうことがあるのだ。結果的に、傍から見ると結界なんてそこに存在しないかの如く自然に通り抜けてしまうという現象が発生し得る。
あくまで理論上というか、封魔石のような極めて特殊な素材以外ではそんな現象はまず発生しないと教わったんだが……。あの黒エルフが魔法による結界を突破できる人材だから送り込まれてきた、という可能性が出てきたわけだ。つまり屋敷が防犯のために結界だらけだということを知られているとなるわけで、この屋敷の情報を漏らした馬鹿が居るかもしれないということだ。屋敷の使用人を疑わねばならない。
大事なことだからもう一度。屋敷の使用人を疑わねばならない。ご領主様が雇っている使用人を、だ。……やだもー、不貞寝していいかな? いいよね?
とはいえよくよく考えてみると、こちらの結界を素通り出来る魔法抵抗力の高い暗殺者が複数居るのであれば、まとめて送り込んだ方が確実だ。わざわざ単身で忍び込ませる理由は薄い。また、依頼料金の都合で1人だけだとか、まずは様子見だとか、そういう可能性もゼロとは言えないだろうが、現実的に考えてあまり極端な可能性、特に様子見などという理由が事実であるならもう俺達の手には負えないから、考えるだけ無駄だ。あんな魔法抵抗値の化物が何人も居るとか普通にお手上げだからな、魔術師的に考えて。
つまり今回の襲撃はカゲロウのおかげでなんとか防げたし、すぐさま次の刺客が現れるという可能性も低かろうというわけだ。うむ、冷静に考えてそういう結論を出してしまって大丈夫なはず。とりあえずは、だが。
そういうわけで現実逃避も兼ねて朝から3回戦もしてしまったがセーフなのだ。普段から丹田で魔力を練ってると精力が有り余ってるからね、仕方ないね。カゲロウも楽しんでくれてたからセーフ、セーフですよ。一方的な性搾取はストレスだからね。奴隷のモチベーション管理は主人の仕事なのですよ、はい。
で、そうなると捕えたあの黒エルフの扱いをどうするかなのだが……。なにせ貴族の屋敷の防犯用レベルの結界をすんなり突破できる実力者だ、向こうも本気で師匠を殺りに来ている=若く見えるがあれでも凄腕、と見て間違いないだろう。となれば本心からの恭順は時間が掛かるに違いない。強制契約による奴隷契約の呪紋は上級とは言え、あくまで行動の制限を掛けるだけのものでしかなく、命令違反時に苦痛を与えるだけ、主人を害そうとしたら動けなくなるだけ、とかそういう類の効果しかないのだ。奴隷に何かやらせる際にやる気を出させるのはぶっちゃけ主人の手腕というか、奴隷の待遇とかに左右されると言ってしまって良い。
いっそのこと催眠みたいな魔法があれば便利だったのに……ダメだわ、あんな魔法抵抗値の高いやつにそもそも催眠暗示みたいな魔法が上手く効くわけねぇんだわ。畜生、ほんと面倒くさいなあの黒エルフ。まあいい、考えてもどうにもならないことをうだうだ悩むのは時間の無駄というものだろう。思考を切り替えていこう。
しかし、改めて考えてみると我が相棒こと壱番奴隷のカゲロウがどれだけ貴重な存在か分かろうというものである。思えばこの娘、昼夜を問わず俺の護衛をしながら夜は性奴隷みたいな扱いしてんのに、これまで文句の1つもなく仕えてくれている。なんなのこの娘? なんで三国志の武将の忠誠度MAXみたいな状態なのこいつ? 護衛兼性奴隷なのに? 暇があればベッドに連れ込んでるような関係だよ? こんな良い子が俺の奴隷でいいの? どうしてこんなご主人様に仕えて働くモチベーション維持できてるの君?
「いや、カゲロウが居てくれて本当に良かったわ……これからもどうぞよろしくお願いします」
思わず敬語になってるが本心である。カゲロウさんほんと頼りにしてます。大した褒美も出せない駄目な主人なのでせめてお礼の言葉は小まめに伝えておかねばなるまい。コミュニケーションはまずは「回数」が大事だと前世で読んだ心理学者の本に書かれていたしな。
「ご主人の居られる所が拙者の居場所にござる。どうかこれからもお傍に置いてくだされ」
なんだこの娘。天使か。いや獣人だったわ。ほんとこの娘どうしてここまで俺に尽くしてくれるんだろうな……? いや、前の奴隷商の所に居た時より生活面での待遇はクッソ良くしてるというか、ほぼ俺と一緒に生活しているから、食事や寝床は一般的な奴隷と比べたら異常とも言える好待遇だ。身に着けているものにしても、俺自身の身を守るという意味でも護衛である彼女の装備はそれなりのものを用意している。なので彼女本人の美貌もあって見てくれもかなり整っている。パッと見で彼女が奴隷だと分かる者は居ないぐらいには優遇しているのが確かだ。
ただ、実情を考えたら要するに情婦というか半分以上愛人みたいな扱いなわけで、それも金で買われて下の世話をさせられている、と考えると普通にヤバイ橋渡ったなとしか言えない案件だと思うのだが……。
「よし、とりあえず何か食べに行くか」
「さすがにもう中天に近いでござるか、では準備を致しまする」
とりあえずカゲロウには良い物食わしておこう。やはり生活の基本は食事だよ食事。美味い物食えて、ぐっすり眠れる住環境が揃ってればそれなりに良い主人だと思ってくれんだろ、うん。まあその夜の性事情のことは横に置いておくがな。今更カゲロウとの営みが無い生活とか俺の方が嫌だし。他の奴隷にも手を出してる奴が何言っても説得力怪しいけども!
―カゲロウ視点―
我が主であるベスタル様は変わり者だ。いや、物凄い変わり者だ。買い入れた奴隷に料理や洗濯といった一通りの家事を教育し、自らの口に入るものを作らせる。そればかりか自らも頻繁に厨房に立ち奴隷である私達に混ざって料理を作り、それを共に食される。
常識知らずなどという言葉では済ませられない奇行っぷりと言えるだろう。一度、「奴隷に食事を作らせるなんて、毒を盛られたらどうするのですか?」と聞いてみたことがある。ベスタル様はの答えはこうだ。
「一緒に食べる食事に毒を盛るやつが居るのか? 心中を選びたいほど酷い待遇にしてない自信ぐらいはあるぞ」
奴隷に対して疑うことよりも信用することを先に考える主人が存在するのだと、私はその時初めて知った。生まれつきの奴隷であった私にとってそれは青天の霹靂とも言うべき出来事であった。ベスタル様に対して尊敬と思慕の念が膨らみ始めたのはその頃からだろう。
その後、体調を崩し床に伏した私に毎日法術を掛けて下さったあの数日間の事は今でも鮮明に覚えている。きっとベスタル様の下でなければ自分達はあの時に死んでいた。日常的に法術を行使して奴隷達を治療しているから、恐らくその時のことなどベスタル様はもう忘れておられるかもしれない。だがそんなことは関係ないのだ。受けた恩には報いるべきだ。命の恩人、なんて大それた相手に報いるだけのことが私に出来るかは分からないけれど。
ここは王国最西端。王国を東から西へ巡業していたキャラバンにとって最後の大商いになる街。この国境城塞都市で買い手がつかなければ、私達は鉱山にでも払い下げられてとっくに死んでいただろう。仮に買い手が付いても、身体の弱い火ぶくれだらけの獣人に、半端者のハーフドワーフ。果ては少女と見間違えるような華奢で小柄な少年奴隷。こんな売れ残り奴隷達なんかにさせる仕事なぞ果たしてどのようなものがあっただろうか。
私達は運が良かった。頭の悪い私にだって分かる。ベスタル様はきっと、いや間違いなく良いご主人様なのだ。
この小説はトールキン大先生方式です。例えば「青天の霹靂」は筆者が現代日本語の語彙に当て嵌めた翻訳という体です。原文ママなら「真龍のくしゃみ」となりますが意味が伝わらないので置き換えております、という体です。