プロローグ:いきなりの災難
……どうしてこうなった。
目の前の状況に全くついていけずに、我が脳みそは現実逃避まっしぐらである。明日のお昼は何を食べようかなぁ。ってそうじゃないんだ、うん、今はもっと考えないといけないことがある。
この首もとに突き付けられた短剣をどうしたもんか。
とりあえず冷静になろう。ビークールって奴だ。幸い短剣はギリギリのところで止まっている。ちょっとチクっとしてるけども。うん、やばいなこれ。マジで危なかった。あと半歩でも立ち位置がずれていたらグッサリだよグッサリ。
「……何をした」
ええい、こっちは今必死に状況把握しようとしてんだ。少し黙ってろってんだこの野郎。
いや、野郎って言い方は変だな。何せ目の前で短剣を構えているのは女だし。いや、女の子ぐらいか? パッと見は15~16歳ぐらい。おう、同い年ぐらいだな。チョコレート色の肌が目に毒なくらい艶っぽくて正直堪りません。とはいえ本当に少女かは分からんな。なにせ耳尖ってるしな。
「貴様は魔導師ブランの弟子なのか? 何故そこに転がっている奴本人ですら束縛できなかった私を止められた?」
ってそうだよ、このまま師匠を放っておいたら死んじまう。この女にザックリ斬られた脇腹からは結構な量の血が流れてしまっている。まずは床に倒れている師匠を手当てしないと取り返しがつかなくなってしまうので冷静に回復魔法を発動させる。
「光と命の神よ、我に彼の者を癒す奇跡を与え賜え。『ハイヒール』」
中級の癒しの奇跡、ハイヒールは腕や足を丸々再生するほどの回復力は無いものの、剣で袈裟切りにズバっとやられたぐらいまでなら傷をふさいで失った生命力を急速に回復させることが出来る。今回の傷の深さならなんとでもなるはずだ。土気色だった顔色にも血の気が戻ってきたので、これでとりあえず師匠の方は大丈夫だろう。あーあー、師匠の一張羅のローブが血塗れだよ……後で洗濯してくれてる女中さんに差し入れでもしておこう。
「……今ハイヒールと詠唱したか? その若さで中級法術が使えるとは、とんだ伏兵が居たものだな……」
捕縛結界によって身動きが取れなくなっているくせによく喋る奴だ。というか、普通は喋れない程度には強力な結界のはずなんだが……。どんだけ魔法抵抗高いんだこいつ。あ、情報を聞き出すためにわざと手加減してんのかこれ。
(残念ながら違いますぞ。こやつの魔法抵抗が強過ぎて、拙者の術では完全に拘束しきれませなんだ)
ややくぐもった声が俺の足元から投げかけられる。これにはさすがに目の前のダークエルフの少女も驚いたのか目を見開いていた。
「馬鹿な、影潜りだと……!? 襲撃を予め知っていたのか!?」
「ご主人、長時間は拘束できませぬ。仕留めるなり呪紋を掛けるなり、お早目に」
そう、この俺の首に短剣突きつけてる暗殺者――多分暗殺者だろう、うん。うちの師匠あちこちに恨みを買ってるし――に捕縛結界を発動させて動きを封じたのは俺じゃない。俺の影に潜っていた頼れる相棒様の仕業である。
「ってかマジか、カゲロウでも完全に拘束しきれないとかどんだけだこの女」
「拙者もこれほどに魔法抵抗力の高い者はご主人以外で初めて見たでござる」
目もとだけを出した黒頭巾、一部網シャツ状(俺の趣味だ)の黒装束、護符を仕込んだ赤マフラー。どこからみてもザ・忍者、いや、THE・NINJA、という感じにコーディネイトされた小柄な少女が足元の影から浮き出てくる。暗殺者の奴が狼狽えてるのは、この世界で『忍者』という職業についているのは相当な腕利きしか居ないので、自分の襲撃を察知して護衛を潜ませていたと勘違いしているからだろう。
「くっ……まさかこれほどの腕利きを雇っていたとはな。完敗だ、殺せ」
「くっ殺頂きましたー! ってかダークエルフのくせにくっ殺系だと!? 要素詰め込み過ぎじゃね?」
「ご主人は時々良く分からない言葉を使われますな……っと、さすがにそろそろ限界ですぞ」
いかんいかん、悪ふざけしている程の余裕は無いようだ。とはいえこんなオイシイ展開、あっさり終わらせるわけがないよな? これほど高い魔法抵抗値だとレジストを突破するには相当魔力を消耗するだろうが……
「カゲロウ、強制契約を使う、失敗したら構わず始末しろ」
「承知」
魔力を練り込むと俺と暗殺者の足元に淡く光る魔方陣が展開する。師匠が方々から命を狙われる最大の理由にして、俺が弟子入りして一番感動した魔術。単なる詠唱によって発動する魔法と違い、より複雑な効果を発揮できる高位の魔法術。
「貴様! この私を縛るつもりか!」
「殺しに来た奴が捕まって、殺されないだけでも破格だろうに」
「ブラン以外にこの契約魔法陣を使えるというのか!?」
「下調べが足りなかったんじゃないか? 師匠の一番弟子と言えばこの街じゃもうちょっとした有名人だぞ?」
「ふざけるなっ!! 奴がこれを習得したのは四十を超えてからのはずだ! 二十歳にも満たない人族が何故『上級』の魔法を発動できる!?」
口論の間にも魔方陣が完成し、2人の間に魔力的な繋がりが形成されていく。魔法陣が複雑過ぎることに加え、行使に必要な魔力量が多過ぎて俺が弟子入りするまで師匠以外この国では誰も単独では使えなかった上級契約呪紋。中級までのそれと比して非常にファジーな制限で対象を従えることが出来るため、奴隷契約の際に非常に重宝する魔法。
「何故と言われて答えるのは 敵役と馬鹿だけだ」
ビシッと決めたつもりだったが、予想以上に魔力を持って行かれたらしい。目の前のダークエルフとの間に魔力的な絆が繋がったのを感じるとともに、俺の視界は暗転した。