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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白鴉

作者: 松笠あざみ

ねえ、僕は口下手だったね。

沢山紡いだ言葉を吐きだすことをできない僕の不器用な舌は決して。

閻魔なんかにはあげられない、嘘吐いたけどあげやしない。

君に送った数少ない言葉に上乗せするものがまだあるんだ。

ギターを奏でるこのなまっちろい腕は僕の瞳より正直だから。

こいつで一曲歌ったら、そうだな、君に会いに行くとしよう。

階段の踊り場で待っててね、先に行ったりしないでね。

もう、すぐだから。



白い病室は嘘だらけ。

毎日誰かが優しい言葉を信じ切ったまま、眠りについて息を辞める。

私の番はいつだろう、病める体と契りを交わしたのは間違いなくて。

着実に私を蝕むそれを愛しいとすら感じていた。

弱々しく脈打つ心臓のノイズがその声をかき消してしまうのが不満だった。

今更。そう、全てが今更過ぎた。

点滴の合間に船を漕ぐ真っ白な日々が、私だったから。

でもこんなことを言ったら、さて、彼は?

無口な彼はきっと黙り込んで私を見つめて俯いて、また返事の代わりにギターを弾くのだ。

弱音を吐いても、諦め言を零しても、彼はギターを弾くだろう。

鴉みたいな髪に鴉みたいな目を隠して、囁きのような旋律を愛でる。

喋らない彼はそれでも何故か私を見舞う。

黒いギターゲースと何も入ってない鞄を背負って、やる気のない制服で。

控えめなノックと返事する前にドアを開ける癖。

会釈の代わりに目を細めるその仕草。

ガタつく椅子を引き寄せて私の傍らに座り込んでギターを取りだす。

いつも通り、いつもの通り。

私の夢の中の彼も、そうして私を見舞う。

ただ一つ違うのは。

夢と違って、現実の彼は歌わない。

ギターを弾くだけ。

ギターの音色が、彼の声で、ギターがあれば、彼の声はいらなかった。

まるで声帯をギターに移したみたいに。

彼は言葉を発しなかった。

カラスの声がする頃に帰る彼は、次いつ来るかも告げずに荷物を持って出て行く。

鴉みたいな彼のことだから、カラスに呼ばれて帰るのかもしれない。


でも、あぁ、そうだ。

すっかり忘れていた、あの夕暮れの。

色の薄い少しかさついた唇の温度はもう覚えていない。

一面の雪景色の足元に数滴の血を滴らせたような私を。

実に簡潔。低く掠れたたった三文字で彼は表現した。


カーテンは締め切ったまんま。

日光はナイフ。

私を皮膚から削ってやがて心臓を林檎のようにしゃぶり尽くす悪魔。

腹立たしいことに、その悪魔は一日の半分以上はあの空にふんぞり返ってる。

白い病室と同化する私。

いつかこうして消えてゆくの、とまぶたを閉じてみる。

手に入らない物が欲しくなるのは何故かしら。

それが手に入れば更に欲しくなるのは何故かしら。

長くなった髪を結いながらそう歌うと彼は久しく口を利いた。

「手に入ることを知ったから」、と。

此処は二階。

ギターを弾く手を止めた彼に話しかけてみる。

「ねえ、欲しいと言えばくれるかしら」

そっとギターを撫でるその手を握った。

俯いたまま彼は間を置いて応える。

「あげないって言ったとしたら」

ぶつ切りの言葉に疑問が含まれていた。

私の耳がまだ正常ならそう聞こえた。

「・・・ちょうだいよ」

彼は私の手を解いてギターをケースに押し込む。

カラスが泣いていた。

荷物を背負って振り返り、彼は目を細める。

「月が出たら、階段の踊り場に居て」

聴き取りにくい掠れた声を紡ぐその唇の温度を。

私は確かに知っていた。

饒舌だった彼はまた口を閉ざして出て行く。

カラスが泣いて呼んだから。

鴉の一人占め、今日はお終い。

月が出る頃には、カラスは泣き止む。

きっとカラスを宥めて鴉は来てくれる。

初めてそうしてくれる。

理由はなんだろうか。

鴉は私にくれるのだろう。


青白い夜ばかりは私も浮いてしまう。

地に足つかないのは色が違うから。

踊り場の窓を開け放つと鴉がギターを背負って立っていた。

ここは二階と一階の間。

鴉はギターを弾かず、自らの声で私の望みを叶えた。

今そこへ行くから伸びたこの髪を窓から垂らせ、と言わんばかり。

足りないに決まってるじゃない。

私はそっと微笑んで窓枠に足をかける。

見開かれる鴉の瞳に映りこむ、鴉に向かって飛び下りた私。

私をしっかと抱きとめて尻もちをつく鴉。

鴉のくせに、私を迎える羽もないの。

くすくすとからかう私に拗ねる鴉。

鴉は私を病室に送り届けてはまた帰ろうとする。

カラスはまだ鳴いてない。

その細い腕を抱いて引き止め欲しがるその先を。

黙って私に与えた鴉、その瞳に。

朝露のような粒が光ったのは何故かしら。


カラスが泣いたから彼は帰った。

欲しい物は手に入った。

悪魔が隠れて行く。

月が顔を出せばきっと最後。

伸ばした手が虚しく宙を掻いて。



ギターの一弦が切れた。

今度こそ枯れない涙が頬を伝った。

君が欲しがった結果だけど。

僕はこんな月夜なんか欲しくなかった。

嘘を吐いたこの舌で誓う。

細く鋭利な君の形見を首に巻いた。

涙は枯れない。

カラスはまだ僕を呼ばないから。

逃げるなら今さ。

踊り場で待っていて。

きっと迎えに行くから。

あぁ、そうだ。

その時にはきっと、羽が生えているよ。


ねえ。

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