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ふくざわさん

作者: 髭付きだるま

某年某月某日


ここは日本の中心、造幣局。

今ここに1枚の男が生まれ落ちた。


「む?ここは何処だ?いやそれよりも俺は誰だ?」

「ハハッ!目が冷めたかよ新入り」

「む?隣から声が聞こえる。何者だ?」

「バーカ!隣どころじゃねぇだろう!周りからの声が聞こえねぇのかよ?」



言われてみれば周囲から多くの声が聞こえてくる。

しかし姿は見えない。というか自由に体の向きが変えられないのだ。


「くっ!これはどういう事だ?」

「教えてやるぜ、俺たちはな『紙幣』なんだよ!」

「紙幣だと?」

「それも只の紙幣じゃねぇ!この国の最高額である万札さ!」

「万札?最高額なのにこれだけの量があるというのか」


この声の主の言うことが本当なら、この周囲には無数の万札が居ることになる。

男はその価値に驚いた。そして気づいた、上から何かが降ってくると。


「あれは何だ?」

「あれも俺たちと同じ新たに生まれた紙幣どもさ!」

「何?本当なのか?」

「見てみろよ、全員同じ後ろ姿をしているだろう?」



声の主の言う通り、降ってきた1枚の大きな紙には無数の同じ柄が描かれている。

つまりあれ一枚分が自分と同じ紙幣という事になるのか。


「ちっ!やっぱあの気色悪い鳥しか見ることが出来ねぇか」

「俺達はあの鳥ではないのか?」

「馬鹿かテメェ!鳥が言葉を喋るか!表に印刷された人物像があるんだよ!」

「成程、確かにな」


言われてみればその通りだ。鳥は言葉を喋らない。言葉を喋るのは人間だけだ。


「そう言えば俺達に名前はあるのか?」

「は?だから万札だっつってんだろ!」

「そうではない。この紙幣に印刷されている人物の名前だ」

「『ふくざわさん』だよ」

「ふくざわさん?」

「この間通った奴が言ってやがった。『ふくざわさんが沢山居る』ってな」

「そうか、俺達は『ふくざわさん』というのか」


男はその名前が妙にしっくりきた。

覚えてはいないが、本能が本名を欲しているのだろう。


そうこうしている内に無数の鳥の絵が描かれた大きな紙幣の塊が降ってきた。

それは男達の上に重なり、同時に言葉が喋れなくなる。


〈成程な、紙幣の前にスペースが無ければ喋ることも出来ないという訳か〉


男は心の中で呟いた。例え言葉を奪われても思考の自由は奪われないのだ。

それから幾らも経たない内に男は周囲の音が何も聞こえないことに気が付いた。

どうやら重なっている間は聞くことすら出来なくなるらしい。




それから暫くして唐突に側面の感覚が無くなり、視界が開けた。

聞こえてくるのは周囲にいる多くの『ふくざわさん』の声だ。

どうやら開放されたらしい。


「やれやれ、思索に耽るのも良いが、やはり会話をするべきだな」


男はそう呟いて、近くの誰かに声を掛けようとした。

しかし男の視界は急激に移動を始め、周囲は叫び声で満たされていく。


〈これは・・・何かに載せられて高速で移動しているのか?〉


何が起きているのかも、何故移動しているのかも分からないまま男は移動する。

そしてまた突然男の視界は奪われた。


〈積み重ねられた?側面には細い感覚。恐らく上下に挟まれ、縛られたのか〉


考えた所で意味は無いのかもしれないが、考えずにはいられない。

男は再び思索に耽っていったのだった。




男の視界が開けたのは大分時間が経ってからだった。

それまでは移動に次ぐ移動をしていた位しか分からない。

ある時以降急に移動が終わり、暫くして側面の束縛が外れた。

そして外から聞こえるのは紙を数える声。

どうやら彼らは何処かの場所で落ち着いたらしい


〈そろそろ誰かと喋りたい所だが、さてどうなるかな?〉


そんな事を考えていた最中に途端に体が持ち上がる感覚があった。

そして一瞬だけだが視界が開けた。

喋れはしない、目の部分まで重なりをズラされ、そして上下左右に揺さぶられる。

扱っていた人物を見ることは出来ない。視界の裏側から操作されているようだ。


〈なっ何だ?何が起きている?〉


男には現状を判断する手段はない。

暫くすると高速移動は終わり、静寂が戻ってきたのだった。




それから幾日も経たぬ内に男に転機が訪れた。

そろそろではないかという感覚はあったのだ。重なりが薄くなる感覚。

どうやら男の重なっている紙幣がバラバラにされ、配られているらしい。


そして遂にその時は来た。

男の視界が開き、カッチリとした格好をしたおばさんが視界に映る。

そしてそのおばさんの手によって何かの台の上に載せられたのだ。


「ではこちらが引き出し額になります。お確かめ下さい」

「間違いありませんね。ありがとう」


男は生まれてから初めて紙幣としての役割を果たした。

おばさんの手から老紳士の元へと移動したのだ。

そして老紳士は丁寧に男を持ち上げ、皺にならぬように袋へと収める。

その一瞬で男は理解した。恐らくここは銀行であり、老紳士は客。

それも皺一つ無いピン札を望んだ客だったのだろうと。


〈分かっているじゃないか〉


男の心に喜びが浮かび上がる。

金を大事に扱うこの老紳士の事を男は好ましく思った。



それからすぐに男は新たな持ち主の手へと渡された。

譲渡先は子供だ。小学生位にしか見えないその子は男を見て驚いた顔をしている。


「おじいちゃん、これ1万円札だよ!」

「大輔ももう10歳だ、そろそろふくざわさんを手に取っても良いだろう」

「ありがとうおじいちゃん!」


大輔と呼ばれた子供は嬉しそうだ。勿論男も嬉しかった。

自分を見てこれ程喜んでくれるとは。高額紙幣は伊達ではないと言う事か。


子供は大事そうに男を紙袋に戻し、どこかに走っていってすぐに取り出した。

周囲は本で埋め尽くされている。どうやらここは本屋のようだ。


「おや小林の坊主、こいつはお年玉かい?」

「うん!おじいちゃんが始めてふくざわさんをくれたんだ!」

「そいつで始めて買う本が参考書と図鑑って、流石は小林教授のお孫さんだな」


子供は貰ったお年玉で近所の本屋に欲しい本を買いに行ったようだ。

〈この子は将来絶対に大成するな〉と考えたのは、男も店主も一緒だった。


店主の手に渡された男はレジの一番奥に入れられた。

ずっと上向きだったので見えなかったが下面には別の紙幣の感触がある。

どうやら先客がいるらしい。


それから暫くすると再びレジが開き、別の一万円札が入室してきた。

彼は下を向いていた。その時初めて男はふくざわさんの姿をこの目に映した。


和服を着た壮年の男だ。全体的に茶色いがこれは紙幣そのものの色なのだろう。

そして頭頂部がやけに広い。まさか禿げているのか?

よく見ようとしたが、下向きという事は、紙幣の構造上上下逆さまだと言う事だ。

別のふくざわさんの姿が見えたのは一瞬の事。

すぐに2人は積み重なり、視界も聴覚も閉ざされてしまった。


そして夜、男はレジの外へと連れ出された。どうやら本日は閉店らしい。

一枚一枚丁寧に数を数え、店主は今日の売り上げを計算していく。

その際、紙幣の向きを整えることも忘れない。

彼もまた『分かっている』人間であった。




それから数日、男は再び光を浴びる。場所はどうやら応接室らしい。

店主はそこで支払いをしているようだ。今時珍しい現金払いである。


「ひーふーみー、確かに。何時もありがとうございます」

「こちらこそ、また面白い本が在りましたらご紹介下さい」

「勿論ですとも。木村さんは支払いは確実、しかも現金払いなので助かります」

「やはり経営は厳しいのですか?」

「最近は出版不況ですからなぁ。支払いが滞ることも多いのですよ」

「お互い大変ですなぁ」


そんな会話を頭上で聞きながら、男は怒っていた。


「とんでもないな。金の支払いはキチンとすべきだ」


男の言葉は2人には届かない。しかし言わずにはいられなかったのだ。




そして木村と呼ばれた店主が去った後、男は金庫に入れられ数日が過ぎる。

再び入った視界には数人の男女が映っていた。


「皆さん今月もお疲れ様でした。これからそれぞれに給料を渡します」

「社長、今時現金払いとか、しかも全員の前で渡すとか時代錯誤っすよ」

「これは我が社の伝統です。理解して下さい」


そう言って社長と呼ばれた男は一枚一枚丁寧に金額を数えて従業員に給料を渡す。

従業員達をそれを受け取って嬉しそうだ。

男が話を聞くことが出来るのは、給料の一番上に乗せられているからだ。

そして男は従業員の中でも一番若い男の元へと預けられた。


その若い男は貰ってすぐに紙幣を『へし折って』ポケットに無造作にねじ込んだ。


〈この若造が!ぶち殺してやろうか!〉


わざわざピン札を給料として渡してくれた社長の心意気を分かっていない。

この若者の第一印象は最悪だった。




それから暫く若い男が移動する感覚があった後、男の視界に子供達が現れた。

皆小さい、小学生位だろうか?先日の小林少年と同じ位の年齢だ。


「兄ちゃん、どうしたのこれ?」

「あたし知ってるよ!この人『ふくざわさん』だよ!」

「今日は給料日だからな、久し振りに美味いもんでも喰おうぜ!」


子供達は無邪気に喜び男は携帯で何処かに電話をかける。

レストランでも予約するのかと思ったが、どうやら宅配寿司の出前のようだ。


男は若い男の住んでいる部屋を見回した。狭い、しかし片付けられている。

違うな、これは単に物が無いのだ。どうやら若い男は貧しいらしい。


それから暫くして女性が帰宅。話を聞く限りでは若い男の母親だろう。

彼女も久し振りの寿司に喜んでいるようだ。貧しいながらも暖かい家庭らしい。


「真面目な勤労青年といった所か。先程は失礼をした」


聞こえるはずのない声で男は若い男に謝ったのであった。



その後頼んでいた出前が届き、会計の際に男は中年の男へと手渡される。

彼は挨拶もせずに男を掴み取る。

そして皺を作りながら無造作に現金カバンの中へとねじ込んだ。


〈こいつ!……いや短慮はいかん。若い男のように中々の男の可能性もある〉


男は自制心を働かせて怒りを抑える。

それから暫く現金カバンの中で移動する気配を感じる。

その間、男は次の持ち主の顔を想像していた。


そして移動が終わり、男は現金カバンの中から顔を出した。

やはり行き先は寿司屋だったらしい。一瞬だが魚と寿司ネタが見えた。


「金子さんさぁ、ホントいい加減にして貰えませんか!」

「簡単な配達を間違うし、時間通りに到着しないし!」

「オマケにネタが崩れていたって!そう簡単に崩れない筈ですよこれ!」


中年の男は金子と言うらしい。彼は寿司屋の他の店員に怒られているようだ。

金子は謝っているが、本気ではない。

男の角度からは下げた頭に張り付いている腐りきった嫌な顔が見えていた。



そして男は他の現金と共に数えられ、店の金庫に入れられる。

次に外に出る時は店の支払いの時だろうなと考え男は眠りに付いた。

しかしそう時間も経たない内に男の視界が晴れた。そこには金子がいたのだった。


「くそうくそう馬鹿にしやがって、しやがって!俺だってなぁ!俺だって!」


そう呟きながら金子は男を金庫の中から運び出し、袋の中へと詰めていく。

偶々上向きに落ちた男の視界には多くの紙幣や硬貨が降ってくる様が見えていた。


「おい止めろ貴様!よりにもよって泥棒だと!恥を知れ!聞こえているのか!」


聞こえている訳がない。男の声は金子には聞こえないのだ。

耳をすませば他の紙幣達も同じ様に怒っているようだ。

やはり現金たるもの泥棒行為は許せないのだろう。


しかし紙幣がいくら叫ぼうとも、泥棒の耳には届かない。

その内に男の上に別の紙幣が積み重なり、男の視界も聴覚も途絶えた。




次に視界が戻った時、男の目には外国人女性の姿が飛び込んできた。

彼女は男の体を隅々まで凝視している。

いや違う、彼女が見ているのは男が印刷された紙幣だ。

瞬間的にだが『両替』やら『exchange』の文字が見えた。

ここは銀行か両替場だ。つまり彼女は男が偽札かどうか調べているのだろう。


そして男は彼女の手に弄ばれながらも周囲の風景を確認する。

周囲には多くの人間が大きな荷物を持ちながら移動している。

しかも彼らの殆どが外国人だ。日本人もチラホラ見かける。

どうやらここは空港らしい。しかも外国の空港だ。

そして目の前にはアロハな服を着ている金子がいた。


「貴様!泥棒の挙句海外に高飛びだと!しかもハワイとか!考え無しなのか!」


海外に高飛びなど良く聞く話だ。

だがあれは大金を掴んだ泥棒が追手の来ない海外で悠々自適な生活を送るものだ。

一軒の寿司屋を泥棒した金でハワイに行った所ですぐに捕まるだろう。


「何が『馬鹿にしやがって』だ!実際に馬鹿ではないか!」


男の声は金子には届かない。奴はニヤニヤしながら両替が終わるのを待っていた。



それから男は女性の手に寄って両替され、金子は目の前から去って行った。

そして男はカウンターの奥の金庫に収納される。男の考えている事は唯一つ。


〈あの泥棒中年!早く警察に掴まれ!〉だった。




しばらくして、男は再び日の目を見た。

予想はしていたが場所は銀行。しかも外国の銀行であった。


長髪のイケメン銀行員が紙幣を数えている。

その手つきは最初の日本のおばちゃん銀行員とは比べ物にならない程に拙い。

これは経験の無さから来るものなのか、国の違いから来るものなのか。

所詮紙幣に過ぎない男には分からなかった。



そんな折、若い男の元へとスーツ姿の日本人が現れた。

ハワイでスーツとか、場違いに思えるかもしれない。

しかし彼は観光ではなくビジネスで来ているのだろう。

慣れない英語で必死に両替をしている。

ちなみに男は英語は苦手だ。

苦手だが、目の前に居れば何となく言いたいことは分かるのである。



そしてアメリカドルと交換された男はスーツ姿のビジネスマンの懐に入れられた。

車で移動する感覚があった後、男は一見のオフィスに入室した。

何故分かるのかと言えば、ビジネスマンの彼が部屋に入ってすぐに、両替した紙幣を全て出して並べていたからだ。


それを同じ部屋にいた複数の男たちが確認していく。

彼らの目は真剣だ。しかし何故真剣なのだろう?男は不思議に思った。


「ふーむ、良し!問題無いな!」

「間違いなく本物の紙幣だ。良くやったな新入り」

「全く、マネーロンダリングも楽じゃないぜ」

「最近は銀行も厳しいからな、日本を離れて換金して正解だったな」

「米ドルも良いけど、やっぱ日本円だな。ふくざわの顔を見ると落ち着くよ」

「確かにな」



何という事だろう、彼らはいわゆる違法組織。

この国に換金をしに来たのだ。わざわざ国外まで来るとかスケールが違う。


男を含めた紙幣達が絶句している時、ニュースが流れた。

それは海外でも放送している日本のニュース番組だ。

日本で寿司屋に泥棒に入った男がハワイで捕まったというニュースが流れている。


「はっ!馬鹿な野郎だ。高々数十万円で高飛びとはなぁ」

「遊び歩いていたって、何で足が付くようなことをするんですかねぇ」

「馬鹿だからだよ。そもそも罪を犯すなら億単位でなけりゃ意味がねぇ」

「まぁそうっすね。数十万なら働いて稼ぐべきでしょう」

「そういうこった。普通に働いて届かねぇ額だから一か八かになるのさ」

「リスクを考えれば少額ならバイトでもしてろってことっすね」

「そういうこった」


そう言って犯罪者達は笑い合う。

男は金子と呼ばれていたあの中年男が捕まったので嬉しかった。

しかし現在、それとは比べ物にならない悪が目の前に居る。

何も出来ない紙幣の自分がもどかしかった。


そうして男は整えられて、今度はアタッシュケースに詰められる。

それから長い時間が過ぎて行き、何年経ったか分からない頃に男は目覚めた。




男が久し振りに目覚めると、目の前には作業着の様な服を着た男達が居た。

彼らは男を含めた紙幣を一つ一つ丁寧に並べる。

そして薬品やら電子機器やらを使って調べ始めた。


〈久し振りに目が覚めたと思ったら…… こいつら一体何者だ?〉


男が疑問に思っていると、部屋にガッシリとした体型の中年男性が入室して来た。

彼は部屋の中をグルリと見渡し、その内の一人に向かって話しかける。


「やぁ佐野さん、どんな具合だね」

「まぁボチボチですかね。指紋がベタベタ付いているので楽といえば楽です」

「そうか、ハワイの銀行での両替記録も見つかったからな。これで逮捕可能だ」

「ご苦労様です。しかしまぁ良く貯めたものですよ」

「これだけ『ふくざわさん』が並ぶとやはり壮観だな」

「調べている我々の作業は大変ですがね」

「感謝しているよ。今度一緒に飲みに行こう」

「一杯奢って下さい。じゃあ作業に戻ります」


そう言って中年男性は部屋を出ていった。

どうやら彼らは警察のようだ。

あの犯罪者どもは捕まり、今我々は鑑識に掛けられているらしい。


〈ドラマ等ではサラッと流していたが、大変な作業なのだな〉


男は地道な仕事に黙々と取り組む男達の姿に尊敬の念を抱いた。




それからしばらくして鑑識の仕事は全て終了した。

話を聞く限り、あの犯罪者達は一網打尽にされたらしい。

胸をすく思いであった。


鑑識の調査が終わり再び眠りにつくかと思っていた男であったが続きがあった。

彼はハワイで換金され、日本に持ち込まれた紙幣としてマスコミに晒されたのだ。


ブルーシートの上に丁寧に並べられた中に男は居た。

その彼の視界には多数のマスコミが群がって居るのが見て取れる。

担当の警察官が今回の事件のあらましを説明し、証拠品の一つとして男を紹介。

男には激しいフラッシュの嵐が叩きつけられた。


「眩しい!眩しい!ちょ、待て待て!何も見えん!止めろ!止めてくれ!」


男の叫びはマスコミには届かない。

そもそもマスコミは叫びが届いた所で取材を止めたりはしないのだ。

芸能人や政治家に襲いかかるマスコミの群れとはこれ程に恐ろしい物だったのか。

男は戦慄しながら嵐が過ぎ去るのを待っていた。




その後、男は再び眠りについた。

しかし今回はそれ程長い期間は過ぎず、男は再び目覚めた。



そもそも警察が押収した金品はどのような末路を辿るのか?

被害者がいれば、被害額分が支払われる。

被害者が居なければ(若しくは分からなければ)、国庫に入る。


彼は被害者数も被害額も大きかったので、被害者の一人の元に戻ることになった。

彼は再び人の手の中へと戻って来たのだ。



「一郎さん、どうしたんだいその金は?」

「こいつか?以前被害にあった詐欺の還付金だそうだぜ、満額じゃねぇけどな」

「そうかい。でも少しでも戻ってきたなら御の字だよ」

「らしいな。俺もすっかり諦めていたからなぁ」

「で?そいつをどうするんだい?」

「決まってらぁ。元々は無くした金だ、ぱーっと使おうや!」

「良いねぇ!ご馳走様!」

「図々しいなコンチクショウ!」


突然の収入があった男性は嬉しそうに一万円札をヒラヒラさせている。

しかし紙幣はその使い方に腹を立てていた。


「そんな使い方をしているから、詐欺にあったりするんだよ!」


彼の声は届かない。しかし彼は今日も叫び続けている。




それから数年後、彼の姿は造幣局にあった。

彼はビリビリに破れている。

勿論彼の責任ではない、前の持ち主が隙間に挟んで破いてしまったのだ。



「やれやれ、最後はここに戻ることになるのか」


あれから彼は様々な人の手に渡ってきた。

子供、老人、若者、中年、外国人も居ればATMの中で眠りについた事もある。

しかし長い眠りについたのはあのアタッシュケースに詰められた時だけだ。

彼は様々な人の人生の1ページを見ることが出来て幸せであった。


そんな彼の前にスーツを着た若者達がゾロゾロとやって来た。

見たところ新入社員だろうか?

まぁ造幣局にだって新人は居るのだろう。

教育係を努めている男性が、彼らの前で説明を開始する。


ここにあるのは昨日届いた日本各地から送られてきた破損紙幣だという事。

日本全国の銀行では破損した紙幣の交換を行っている事。

そしてその全ては日銀本店に集められ、最終的にここに集まってくる事。

この場の紙幣は一度廃棄され、新たに生まれ変わる事。


以上の説明がなされた。新入社員達も、紙幣達もそれを黙って聞いている。

新入社員達からすれば知らなかった知識だ。

紙幣達からすれば覚悟していたことだ。

そうして新入社員たちは敗れた紙幣を手に取り眺め始めた。

男は黙ってそれを眺めている。事此処に至ってはもはや語ることはないのだ。


だが新入社員の一人が発した言葉が彼の心に届いた。


「あれ?この番号……思い出した!あの時のふくざわさんだ!」



新入社員の一人が突然叫び声を上げる。

教育係がどうしたのか聞くと、彼はこう答えた。


「申し訳ありません。この紙幣、子供の頃に初めて手にした万札だったので」

「何?本当か?」

「はい、初めてお年玉で貰ったふくざわさんですからよく覚えているのです」

「そうか、でもそれをお前に渡す訳には行かないぞ」

「分かっています。でも嬉しいですよ、ふくざわさんに祝福されている様で」


「そんなつもりは無いのだがな、『小林少年』」


男の声は成長した小林少年には届かない。

ちなみに成長した少年の正体に気づいたのは、名札に名前が買いてあったからだ。


あの時出会った少年がまさか造幣局に務めることになるとはな……

男は感慨深げに過去を振り返る。あの老紳士は元気にしているのだろうか?


それからしばらくして立派な青年となった小林少年は男の前から去って行った。

そして男は眠りにつき、新たな紙幣へと生まれ変わったのであった。



おしまい

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