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エル・カダルシアの魔法手帖  作者: ゆうひかんな


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幕間 若きロイトの悩み


魔道具で室内の様子を伺っていた男三人が揃って深いため息をつく。

扉一枚隔てた先では話題が切り替わり女性同士の愉しそうな雑談が繰り広げられている。

それを確認してディノルゾは魔道具に供給する魔力を切った。



「完敗だねー。」

「珍しくお前も凹んでいるようだな、ディノ。それからルイス、お前は顔を洗うなりして出直してこい。その表情をエマが見たら怯える。」

「…すみませんゲイルさん。少し外します。」

ゲイルは遠ざかっていく男の背中を見つめる。

この男(ルイス)が表情を取り繕うのを忘れるとは。

普段温厚なものほど怒ると恐いとは言うけれども、エマが男に囲まれて攻撃を受けた、それの言葉を聞いたとたんに表情が一変した。

現在進行形で滅多に見せない怒りの表情を浮かべている。

普段が温厚なだけにその変化は恐らく少女をたじろがせるのに十分なほど。

ゲイルの言葉を受けて水場へと向かったその背中を眩しそうに見ながらディノルゾは呟いた。


「若いね~。想いがダダ漏れだ。」

「茶化すな。未熟なのは俺達もだろう。」

見抜けなかったのだ。

エマが見えない傷を負っていることに。

「本当だよね。そこそこの人生経験積んだ大人が少女の域を脱したばかりの女性に気配りで負けるなんて、恥ずかしくて言い訳も出てこないよ。…というか裏を読み過ぎた。本当にサナ…ルクサナ嬢が政治的な思惑からはずれてエマを気遣うだけの行動をとるなんて。」

「エマには言えないがルクサナ嬢には幾つもの黒い噂がついて回る。曰く、自分の評価のために身分の低い有能な人物を使い捨てにする。自分より人望のある令嬢を排除するために毒を使ったとの噂もあったな。それを聞いたときは"毒姫"と呼ばれるにふさわしいと本気で思ったよ。」

「彼女はまだこの国にきて一週間程度。うまく猫を被っているのかもと色々と仕事を任せてみたが、驚くほど有能だ。頭もいいし勘もいいから教えればいくらでも吸収するし、柔軟性も持ち合わせていて新しいことにも臆さずに挑戦する。研究者として優秀だし、正直、帝国がよく彼女を手放したと思うよ。それにはっきり物を言い過ぎる傾向はあるが、人を傷付けるかどうかの配慮は出来ているようだ。わざと身分の低い者の多い部署に配属してみたが全く問題を起こさないとは逆に想定外だよ。」

人間いくら誤魔化しても無意識の行動というものは正直だ。

それを考えると、上手く悪い方へにばかり情報操作されていたものだ。

その水準の高さに感心してしまう。

だけどその一方で…。

「これだけ貶められては、さぞかし帝国では生きにくかったろう。」

可哀想に。

ゲイルの率直な言葉にディノルゾも同意する。


「最初は、そう思わせて我々に上手く取り入る手段かなのかと警戒したけれど、一緒に仕事をしてみればわかる。彼女は我々と同じ生粋の研究者気質。建前として外面を取り繕う習性のある貴族社会では実直すぎて弾かれるだろうね。裏を返せば、研究所で雇うのに問題はなさそうだね。」

「一瞬、幼馴染みである皇帝陛下の命を受けてエマを勧誘しにきていると思ったのだがな。」

「まあ、帝国に誘う意図は多少あったかもしれないよ?」

「そうなのか?!」

「エマがもし守られることを是としたら選択肢の一つとして提示しただろうね。たとえば…アントリム帝国の皇帝陛下の元に匿われることを。」

「まさか!彼女は帝国を追われてきたのだろう?伝もないだろうに、今さらどうやって?」

「外側だけ見ると、そうなんだけどね。ゲイルも気付いているでしょう?ルクサナ嬢を密かに見守る間者の存在に。」

「ああ。目的がルクサナ嬢とはっきりしている上に直接こちらの領域に手を出さないから放っておいてはいるが。」

「ルクサナ嬢は彼らが指示がなくとも動ける事を知っている。帝国はそのように躾けているらしいからね。彼女はただエマの意向を確認するだけで、後は何もしなくとも彼らがエマへの接触から出国までの段取りを整えてくれる。貴族社会に向かない資質を持っていても、さすが王族に連なるものだな。教えられなくとも人の使い方を心得ているね。」

「ディノ、お前はそれをわかっていて放っておいたのか?」

「この国の民に対して同じことをしたのなら罪に問うだろうけどね。エマは異世界から呼ばれた人だ。どんな呪いが降りかかるかもわからないのに、彼女の行動に対して国として強制することは出来ないよ。それに…恐らくだけどこの程度の干渉はあの人()も想定していたと思うよ。」

「もしかして『彼女が提案してきたら受け入れるように』というのは。」

「アントリム帝国についてはともかく、エマがルクサナ嬢へ就職先として研究所を斡旋しようとすることは想定していたと思うよ。だから上の反対もなくあっさり彼女は就職できた。あと間者がルクサナ嬢に付けられる事を情報として拾って来たのもあの人だし、その後のエマの選択についてもこの国に残ると確信を持っていたのも、彼だ。他にも我々の知らない情報を掴んでいるかもしれないね。」

一体どこから帝国の情報を掴んでくるのやら。

ディノルゾは、うっすらと笑顔を浮かべながら嬉々として帝国の城に魔道具を仕込む少年の姿を思い浮かべる。

うん、どこに仕込んだとかは決して触れないでおこう。


「だがルクサナ嬢が王国を裏切るような行動をとるということは考えなかったのか?」


ディノルゾの思考を遮るようにゲイルが問うた。

ディノルゾは皮肉げに唇を歪め、首を傾げる。

確かに里心がついて、ということも環境によってはあり得たかもしれない。


「ねえ、ゲイル。君は"自分の全てを奪った故郷"を慈しむことはできるかい?」

「それは…、それもそうだな。」

「賢い彼女のことだ。誰よりも自分に戻る場所がない事を知っている。それに、それらの背景を含めてあの人が彼女と取引したのじゃないかな。」

「取引?」

「そう。間接的に知らされた我々とは違い、あの人はルクサナ嬢が帝国の出身で身分を偽っていることを知っている。だからそれらの裏事情引っくるめて秘密を守り生活の基盤を整える手助けをするという提案をした。彼女にしてみれば自分にも利があるんだ。無理やり帝国へ戻るという危険を選択する旨味がない。」

「対価か…王の盾は対価として何を求めたんだろうな?」

「推測だけどエマの情報提供を依頼したんだろうな。あの人はエマに直接の接触を禁じられたからね。」

そこでゲイルはハッとした表情を浮かべる。


「ルクサナ嬢は扉の外で我々が聞いていると知りながら、情報を聞き出したというわけか。」

「そういうこと。」


それにね。

そう言ってからディノルゾは扉越しに眩しいものを見るように目を細める。


「エマは命懸けで自分を帝国から連れ出してくれたんだ。その彼女に、ルクサナ嬢の心が動かないはずはない。」


尊い生まれであるはずなのに父親のせいで蔑まれ、毒姫とまで呼ばれて。

最終的には国に存在を消された『悪役令嬢』。

その彼女を必要とし、側にいて欲しいと願う希有な存在を、彼女もまた命懸けで守ろうとした。

例えそこに政治的な思惑が重なろうとも互いの根本にあるのは純粋な願い。


貴女が生きて幸せでありますように。


「なんかそういう彼女達の姿を見ると、もっと頑張ろうという気になるよね。」

ディノルゾは小さく笑いながら呟く。

王の耳としての煩わしい身分もしがらみも。

彼女達のような存在を、未来を守るために必要だというのなら…。

それも悪くないと思えるほどに。


「お前が真面目なことを言うと気持ちが悪いな。」

「その言葉は心外だよ、ゲイル。私はいつも真面目でいるための努力はしているよ!」

「いつも努力だけな。」

好き放題引っ掻き回した後のフォローを任されるゲイルに、じっとりとした視線を向けられ、ディノルゾは居心地悪そうに視線を逸らす。


「そう言えばそろそろルイスを回収しに行った方がいいんじゃないの?」

「あいつも苦労人だからな。エマに孤児だった頃の自分の境遇を重ねてしまう。」

「これが同情なのか…別の何かか。線引き出来ないから深く思い悩む。」

まるで歌劇のようだね、そう言ってディノルゾは口ずさむ。

王国でも有名な劇の一幕を。



『思い悩むのは貴女を求める証拠。

ならばいっそ認めてしまえ。


これは恋だと。』



「お前と違ってルイスは真面目なんだ。あいつなら自力で答えに辿り着ける。」

「それなら悩ませておこう。それも人生経験の一つだ。さて、そろそろ女子会とやらもお開きにしてもらおう。あんまり帰すのが遅くなるとオリビアに怒られる。」

上司であるゲイルが、ルイスの様子を見に行くためと水場へと向かう背中を見送って、ディノルゾはドアノブに手をかけた。

扉越しに響く弾けるような二人の笑い声に、思い悩むといった気配は微塵も伺えない。


「これは前途多難のようだね。」






長くなりそうな前話をぶったぎった残り半分です。

これ以上膨らませるとまた長くなりそうでしたので修正のみで投稿しました。


今週はこの後多忙のため更新できなさそうです。

また週明けから頑張ります。

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