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エル・カダルシアの魔法手帖  作者: ゆうひかんな


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魔法手帖八十六頁 魘された夢と、女王の意志

不快な表現を含みます。


『エマと二人きりで話したいことがあるんです。』


一瞬の沈黙の後。

ディノさんが口を開く。

「誤解しないように聞いて欲しいんだ。私は君のことを職場の後輩として信頼しているし、人間としても君のことを素晴らしい人だと思っている。ただ、その事と今の君からのお願いを受け入れるかどうかは別の問題なんだ。」

サナが一つ頷いたことを確認してディノさんは話を続ける。

「君は他国からの移民で、まだこの国に来て日が浅い。その君が次代の魔法紡ぎの女王と二人きりになることを望んだ。昨晩のようにエマが望んだ友人としての付き合いとは訳が違うんだよ。国からすれば他国の人間が次代の魔法紡ぎの女王と二人きりになるという状況は好ましくない。色々な憶測を呼んでしまうからね。そしてその憶測は君達にとって不愉快なものも含まれる。この事を理解した上で、どうしてもというのならその理由を教えてくれないかな?」

「人が少なければ彼女が話しやすいかなと思っただけなんです、いけませんか?」

「彼女が私達に話さないことを君には話すというのか?」

「誤解させるような、もったいぶった言い方をしてすみません。ただ次にいつ会えるかわからないので今のうち確認しておきたいことがあるのです。彼女の…友人として。」

ルイスさんの厳しい言葉と視線をサナは臆することなく真正面から受け止める。

彼は一つ呼吸をすると首を振ってその場に留まる意思を見せる。

ディノさん、ゲイルさんは何も言わないけど動く気はなさそうだ。

サナは彼らから私の方へと視線を向ける。

「聡い貴女の事だもの、私が何を聞きたいと思っているのか察しているんでしょう?貴女はどうしたいのかしら?」

「…ありがとう、サナ。でも大丈夫だよ。」

"きっと大したことではないから"

続きそうになった言葉をぐっと飲み込む。

そう、たぶん大したことではないのだ。

私がまだ未熟で世間を、この世界をよく知らないだけ。

魔物の跋扈するこの世界では突然命の危機に晒されることもあり得ることだろうから。

サナは私の表情を見て一つため息をつく。


「やっぱり昨晩叩き起こしてでも聞いておくべきだったわ。」

「もしかして寝ちゃった後何かしたの?私。」

「その記憶もないなんて相当ね。…貴女、ひどく魘されてて寝言を言ったのよ。『こわい、来ないで』って。そして『死にたくない』ってね。」

ざっと血の気が引いて口元を押さえる。

そんなことを、私は。

「最初はダンジョンで襲われたのかとも思ったけど、籠もるって言えるくらいなのだから魘されるほどの恐怖や抵抗感は無さそうだ、と思った。」

淡々と話す彼女の視線にはこちらを気遣う以外に何の色も浮かんでいなくて。

その事に安堵する。

「確かに私はエマと出会ってから日が浅いけれど、おおよそ性格を測れる程度に過ごした時間は濃いと思うわよ。貴女は基本平和主義、争う事を好まない性格。当然狩りなんて好むような人間ではないわ。その貴女を狩りという危険の伴う行為に駆り立てるモノは何?今思うと何だか貴女の態度がおかしかったような気もするし。…アントリム帝国で何があったの?」

話さないと決めたのだ。

オリビアさん達にもあたり障らない程度に濁して詳細は語っていない。

あの件は終わったことなのだから。

大丈夫何もなかった、そう言おうと顔を上げたところで。

ふわりとサナに抱き締められる。

「何もなかったなんて言わないで。そんなこと信じないから。」

「魘されたのを見たから?」

「それもあるけど貴女は表情に出やすいのよ。今も泣いてしまいそうな、そんな顔をしているもの。」

…そうか私、泣いてしまいそうだったのか。

そう思った瞬間に、ぽろぽろと涙が溢れた。

しまった、これは暫く止まらないレベルだな。

今の自分の状態を把握出来るほどに冷静ではあったけれども抱き締めてくれるサナの温もりだけは手放すことは出来なかった。


「ええと、お騒がせしてすみません。」

「で、何があったの?」

およそ三十分程度。

私はスッキリとした気分で再びサナと向かい合って座る。

ディノさん達男性陣はいつの間にか席を外していた。

…すみません、立場上してはならないことでしょうに気を使って頂いたようですね。

こうなったら腹を括ってしっかり話してしまおう。

「…アントリム帝国からの帰り道、私を残して師匠とサナ二人で国境にある砦の近くに転移したことあったでしょう?」

「あったわね。それで?」

「二人が転移してすぐに十人位の男の人達が現れて一斉に襲われた。」

瞬間にサナの表情が歪む。

「…襲われて、どうしたの?」

「怪我はなかったよ。師匠が守護結界の魔石を持たせてくれて、それが発動して剣や魔法の一斉攻撃を弾いてくれた。それがなかったら…間違いなく死んでいたと思う。その後結界は壊れてしまったけど、間一髪のところで地下の転移先に飛ばされた無事だった。」

誤解のないように慌てて答えると彼女は安心したような表情を見せる。

でも私には違う思いが甦った。

あの時の何も出来なかった自分は、あまりにも無力で無防備で…だからこそ腹立たしい。

「『転移先に飛ばされた』ということは自らの意思で発動させたわけではないのね?」

「私は…怖くて話すこともできなくて。信じてもらえないかも知れないけど初代女王が代わりに発動してくれて私を逃がしてくれた。」

「だから初代女王の残したダンジョンの修繕に手を貸しているのね。」

「今回の件がなくても協力する約束はしていたけどね。一層熱心になったのはそれがあったから。」

冷静に話さなければと一呼吸置く。


「…私の暮らしていた世界にも、国同士争っているところがあった。でも幸運なことに私の生まれた国は長いこと国同士の争い…戦争から遠ざかっていた。だからね、見たことがなかったの。」


本気で自分を殺そうとする者の目を。


「大丈夫だと思っていたの。命のやり取りというのかな、襲われてもかっこよく対処できると思っていた。だって戦争を目の当たりにしなくとも映像で知識はあったから。でもそんなもの所詮ただの知識だった。どこか他人事だと思っていたんだろうね。だから今こんなにも狼狽えて、戸惑っている。」

吐き出すように言葉を紡ぐ私を、サナは静かに見つめていた。

時折励ますように手を握る以外、何も言葉を発することもなく。


「運良く生き残れたときに、私はやっと気付かされた。この世界で力を持つということは選ばなければならないということ。全てを手に入れるか、もしくは全てを失うか。そして今回の件で私には全てを奪おうとする相手がいることもわかった。」

異世界から呼ばれた人を受け止める優しいこの世界。

一方で未熟な私に現実を突きつける厳しさを持つこの世界で何でか盛大に喧嘩を売られてしまった。

穏やかに、のんびりと暮らせればそれで良かったんだけどな。

「エマ、貴女はアントリム帝国で私に未来の選択を迫った。『貴女はどうしたいのか』と。だからね、私も貴女に問うわ。貴女はどうすべきだと思う?

次代の魔法紡ぎの女王である前に…一人のエマという人間として。」

どうしたいか、ではなくどうすべきか。

サナは本当に容赦ない。

でもそんな聞きにくいことを敢えて聞いてくれるサナに感謝しなければ。

それにどうすべきかは、もう決めているのよね。

後はどう伝えるか、だ。


私には過ぎた力が与えられた。

きっと喧嘩を売られたのはこの力が理由なんだろう。

この世界限定で与えられたものであるけれども、その力が私を選んだのなら。

その力に私が求めるものは。

「元凶を叩き潰す。」

「随分と物騒な言葉遣いをするわね。例えば話し合いで解決しようとは思わないの?」

「余地があれば話し合うけどね。相手はいきなり実力行使で私の物を奪い殺そうとした。むしろどこに話し合いの余地がある?」

「貴女、意外と負けず嫌い?」

「言葉は意思の現れだよ。サナ。ここまで我慢したんだからもう充分でしょう。」

勝ち負けではなく、その域を越えたところにあったのは純粋な生への欲求。

私は生きたい、死ぬわけにはいかない。

「サナが心配して、ディノさん達が止めても私はそういう技術を身に付けたいの。守られるでなく、自身で守れるように。だから協力してくれない?サナ。」

「守られる、という選択肢はないの?国に保護してもらうことも出来るわよ?」

「それが一番手間がないのはわかっているんだけどね。自由がなくなるのは困ります。」

彼女はまっすぐ前を見向いて応じる私に曇りのない笑顔を向けてくれる。

「何だかんだ言ってちゃんと乗り越えようとしてるんじゃないの。で、何からすればいいの?段取りはこっちで相談して決めるから、とりあえず現状やりたいことと欲しいもの全部話しておきなさいな。」

「欲しい物は情報かな。特に人物の評価や実績、あと今回の件で関係ある国の近況とか。やりたいことは…狩りと買い物!」

「なんかこう、やりたいことだけ聞くと欲望のままに生きてます!っていう感じね。すっごく心配したのよ、私。あら、私本当に魘されたの聞いたかしら?もしかして私の空耳?」

空耳とか言わないでください?!

夢に魘されるなんて意外と繊細かもしれないエピソードを失うわけにはいかんのです!

そう力説する私に冷たい視線を注ぐサナ。

それにしても。

帝国からの帰り道、サナとのやりとりを思い出し小さな笑いが込み上げる。

あの時は助けることばかり考えてたけど、こんな風に助けてもらえるなんて想定外だった。

「やっぱりよかったな。サナと一緒にこの国に戻ってこられて。」

「ああ、そう言えばアントリム帝国から来るときにそんなこと言ってたわね、あれは何で?」

「サナはこの国の人じゃない。だからねこの国にもたらされた情報を公平な立場で精査してくれる。それが正しいのか誤りなのか。それこそ都合よく歪曲された情報なのかもね。もちろんディノさん達を信用していない訳じゃない。だけどディノさん達って優しいじゃない。きっと耳にいれなくてもいい情報を選り分けて伝えてくれると思う。でも私には時に捨てられた情報の方に価値があるかも知れないでしょう?サナにはそれを拾い上げてもらいたいんだ。」

この国の人が捨てた情報。その砂の中に私が求める砂金が埋まっているかもしれない。

そう言うとサナは照れたように笑った。

「そんなに期待しても、私が出来ることなんて限られてるわよ。」

「うん。それでも構わない。」

「なんか本当に心配して損したわ。私の方が励まされたみたいだもの。」

「そんなことないよ?私は言われるまで落ち込んでたこと気付かなかったし。敢えていうなら『あれ、私ってば実は落ち込んでたんだー!?』って感じかな?」

「…やっぱり空耳ね。ディノさん達に謝らないと。」

「そんなバカな!」

時に真剣な態度が裏目に出ることもあるんだな。

がっくりと落ち込んだエマの頭越しにサナは閉まった扉をじっと見つめる。



私は確かに協力すると言ったわ。

それがエマにとって生死を分ける選択となる場合はという条件付きで。

さあ、貴方達()の求める情報(女王の意思)は伝えたわよ。

お手並み拝見といきましょうか。










長くなってしまったのでキリのいいところで切りました。

エマ、キレました。

次回は扉の向こうのお話です。

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