魔法手帖七十八頁 雷神の鎚、魔人と魔性
「それじゃ、いきまーす。」
「おう、お嬢ちゃん、ゆっくりと流してくれよ!」
「かしこまりました!」
十五階層の壁に刻み付けた魔紋様に両手をかざす。
刻んでくれたのは小人さん達…彼らは工匠ギルドに属する『雷神の鎚』という集団の職人さん達なのだそうだが、今後も使用する可能性があることを配慮して、私が転記した魔紋様を丁寧に壁へと刻んでくれた。
「この溝に沿うように魔力を流していく。そうすると魔力が壁に吸い込まれていくから、後はぐるっとダンジョンの外壁を一周、最後に両手の魔力が混じり合う感覚を感じとれ。…できるか?」
「やってみますが…最後の魔力を合わせるところは、一応これを見ながらちょうどいい頃合いで合図を出してもらっていいですか?」
そう言って魔紋様を転記した紙を何枚か渡す。
「これは?」
「急遽紡いだんですけど。壁の温度を計る魔紋様です。先ずこちらの壁で魔力を流したあと温度を計り、その後反対側の壁の温度を図ります。温度が低い場合は緑色、魔力が流れ始めると黄色。そして壁に負荷が掛かるくらい温度が高くなると赤色に魔紋様の色が変化します。ぶっつけ本番なんで自信はないですが…まあ、保険ということで。」
「なるほど、魔力の温度で壁の中の魔力量を計ろうということか。」
ふむ、と頷いて反対側の壁に向かって歩き始める魔人さん。
魔人の容姿は人に近いと言われるけれど、微妙に違うんだな。
緊張からか、そんな細かいところに目がいってしまう。
血の気のない青白い肌。
白目がなく、ただ真っ黒なだけの瞳。
何も写さない瞳は魔性のものであることの証なのだという。
薄暗い中、無防備な状態で遭遇したら恐怖を感じるかもしれないな。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
心配そうな小人さんの声で我に返る。
…この方、皆さんが『棟梁』と呼んでいるので、私もそのように呼ばせてもらっているのですが、随分と知識の豊富なようで、建物の修繕について書籍の魔人さんと『アレ、コレ』で打ち合わせが出来てしまうレベルでした。
魔紋様についても知識を持っていて、壁に刻む方法を知っている職人さんは棟梁さんと、あと二三人いるかどうか、ということなのでそういう意味では非常に運が良かった。
「はい、大丈夫ですよ!柄にもなく緊張しちゃっただけで。」
「まあ、最初は誰もが怖いわな。」
「棟梁さんでもですか?」
「そら、最初は誰だってド素人だもんな!俺は特に不器用なタイプだったから、最初は必ずと言っていいほど失敗したよ。親方には毎日怒鳴られてたなあ!」
がはは、と笑う自信たっぷりな姿にはそんな過去があったとは思えない。
「…失敗したあとで次に挑戦するの、恐くなかったですか?」
「そんな風に思えるほど余裕がなかったからな。たぶん俺は恵まれていたんだよ。厳しいが的確に指導してくれる親方と、その親方を信頼して仕事を任せてくれるお客さん達。そして忙しければ俺にも仕事が回ってくる。失敗しても助けてくれる仲間や兄貴がいた。どれか一つが欠けても、今の自分はいないだろうな。」
「育った環境のおかげ、っていうことですか?」
「いや、それだけじゃないな…一番大事なのは自分に覚悟があるか、ということだ。」
「正直、それが一番難しいんですよね。」
「お、行き詰まったことがあるか!わかるぞ、結局は何事も自分に返ってくるんだ。それを受け止める覚悟がないから失敗が恐くなる。覚悟があれば失敗も経験の一つと思えるようになるさ。今回は確かに大仕事だが、あの先生もいるし、わしらもいる。まあ、なんとかなるだろうよ。」
ぽんと肩を叩いてもらえば、何となく出来るような気になってくるから不思議だ。
「それじゃ、今度こそ流します。」
「やると決めたら迷うなよ?迷いは思考を鈍らせる。」
「はい!」
一つ呼吸をしてから。
魔紋様に魔力を流す。
溝に沿って全体に魔力を満たした後は溢れないように量を調節し、ひたすら流し続ける。途中で止めてしまうと壁の内部に出来た魔力の偏りで量の薄い部分に負荷がかかり、ひび割れや崩れる恐れもあるとのこと。
魔人さんの説明を聞いて、棟梁さんが魔紋様の溝を深く掘ってくれた。
こうすることで壁の中心部に魔力が届きやすくなるらしい。
『上手くすれば魔力量の節約になるかもしれんな』とは魔人さんも言っていた。
思えばあの時は師匠という導き手がいて。
今回は棟梁さんと魔人さんという力を貸してくれる人がいる。
こういう人達に恵まれたことを私も感謝しなければ。
「お嬢ちゃん、うまいな!器用なもんだ。」
「おお、そうですか!ありがとうございます!
誉められて伸びるタイプなんでもっと言って」
「…で、調子に乗ったところで失敗するか。難儀な性格だな。」
棟梁さん、上げて落としますか!さすが玄人好みですね!
でも安心してください!
反対側の壁から魔人さんの『失敗してみろ?明日はないぞ?』光線がビシバシ届いてるんで、テンションが上がりようがないです…超コワイ。
そうして魔力を流し続けて体感で三十分ほど。
そろそろ魔力が足りなくなってきたな。
「棟梁さん、魔力を補充しますね。」
「おう、集中力を切らすなよ。」
「はい。」
魔法手帖を取りだす。
「検索 充電残量充填 」
魔法手帖から虹色の光が溢れ、私を包む。
おお、一気に満タンだ。
良かった、うまくいって。
そう思って横を向くと小人の職人さん達があんぐりと口を開けている。
「皆さん、どうしま」
「魔法手帖…。そ、それ、魔法手帖か?!」
「っと、はい。そうですよ?主様から聞いてませんか?」
「聞いとらんぞ!まさか…初代女王の後継者、なのか?」
「初代女王の後継者?」
「いや、まて。まさかそんなことが…でも!」
「おめえら、うるせえぞ!今はお嬢ちゃんが大事な作業してんだ!」
棟梁さんの一喝がダンジョン内に響く。
しん…となる職人さん達。
「後で説明しますね。」
「おう頼むわ。」
棟梁さんは、にっと笑う。
その表情は好意的なもの。
だから悪いことは言われないだろう、そんな予感がした。
そしてもう一人。
「…私も聞いてないぞ。」
「ひいっ!」
すっと後ろに立った存在から地の底に響くような低い声がする。
コワイから!マジでコワイから!
涙目で振り返ると魔人さんが闇を背負って立っていた。
「先生もやめてくださいよ!お嬢ちゃんの手元が狂って困るのは貴方達でしょうに。」
「とは言ってもだな」
「お嬢ちゃんは後で話すと言ってるんですよ。待ちましょう。この状態ではさすがに彼女も逃げられませんしね。」
なあ、お嬢ちゃん、そう言って振り向いた棟梁さんがかっこよく見えましたよ!
棟梁さんの白い歯がキラリと光る。…もしかしてキャラ濃い設定なのか、この人。
一抹の不安を抱きつつ魔力を流し続けると、やがて壁全体がぼんやりと輝いてきた。
うん、感覚的にはダンジョン全体に魔力が行き渡ってきたな。
そのまま反対側の壁から合図を待つも、未だ魔人さんから合図は来ない。
おっかしいな…そろそろ反対側まで魔力の端が届いているはずなんだけど。
「棟梁さん、反対側の様子どんな感じですか?」
「まだみたいだな。輝きがない。どこかに大きな抜けでもあるか?」
「壁に穴が開いているとかですか?」
「そこまではいかないんだが、何かこう、途中で吸い込んでいるものがあるかもしれんな。おい、お前ら!ちょっと見に行くぞ!」
そう言って棟梁さんは職人さんに声をかけ、階を移動しようとする。
「あ、グレース。転移で各階層に連れて行ってあげて!」
「ですが、お嬢様のお側を離れるわけには…。」
「大丈夫だよ!魔人さんもいるし。それに魔物避けの魔紋様があるから。」
「…それがお嬢様のお望みであれば。」
心配そうなグレースを説得して職人さん達と共に送り出す。
やがて、手をかざした魔紋様から左右に分かれた魔力が再び触れあうそんな気配がした。
そろそろ反対側で魔力が混じり合う頃か。
「魔人さん、左右の魔力が…」
「…気を許しすぎだよ、次代の魔法紡ぎの女王。」
突然背後から忍び寄る気配。
するりと両腕が延び、私の体を締め付ける。
完全防御の魔紋様が発動するも一歩遅く僅かに傷をつけただけ。
「!ま、まじんさ…!」
「教えておこう。君のことを我々がどう思っているか。」
クスクスと面白そうに笑う声、気付けば先程まで確かに人の手と同じ様相をしていたものの、爪が伸び、皮膚がひび割れて。
血が流れているかと思うほど、どす黒く変色した腕が露になる。
「…!」
「声もでないほど恐ろしいかな?そうだろうね、君は忘れていたと思うけど、我々は魔性を持つ。
…魔性を持つ生き物はね、人を喰らうんだ。」
その柔らかな体を。
その無垢な魂を。
腕に込められる力は徐々に強くなり、辛うじて息が出来る程。
「さっきの魔力の色。…思わず我を忘れて襲いかかりそうになったよ。このダンジョンにいる魔物はそのほとんどが闇属性。我々にとって闇と親和性の高い魔力は美味しくないんだが。」
君の魔力はとても美味しそうだね。
魔人さんの口の端があり得ないほどに歪み、ぽっかりと開いた真っ赤な口が首に触れる。
わずかに魔力を奪われた気配がして拘束する力が緩むと、私は膝から崩れ落ちた。
見上げた先には禍々しい気配を纏う魔人の姿と、何も映さない空虚な瞳があった。
「君は我々にとって喰らいがいのある極上の獲物だ。充分に気を付けるといい。」
驚きのあまり、壁に対する魔力の供給は止めてしまったけれど、左右の魔力は既に程よく混じり合った後のようで、反対側の壁に貼られた魔紋様が黄色く発光しているのがぼんやりと見える。
混乱したせいで上手く考えがまとまらない。
何とか立ち上がろうとするが腰が抜けたようだ。
無様に座り込む私に魔人さんは一点の曇りもない笑顔で言い放つ。
油断していると、食べてしまうよ?
ああ、これが魔性の本質。
彼らが悪なのではない。
そういう生き物である、ただそれだけだ。
自分を叱り飛ばしてやりたい、本気でそう思った。
相手を知らずして解り合えると思ってしまった自分の甘さや…傲慢さを。
興味を失ったように反対側の壁へと戻っていく彼の背中を見送った後。
棟梁さん達が戻ってくるまで私はただ呆然と座り続けることしか出来なかった。
お店での過ごし方、ダンジョンでの作業の雰囲気はこんな感じです。
次回は再び紹介所へいきます!




