魔法手帖七十七頁 書籍の魔物と、職人さん
この世界は何でもありなんだな。
魔法という不可思議な力を当たり前のように振るう異世界。
今、目の前で繰り広げられているのはそんな光景。
「棟梁!こっちどうしやすか?」
「おう、それはこれ使っておけ!」
空中を移動する黄色と茶色の珠は、石と土と鋼の持つ魔素の証。
軽快なリズムを刻む魔法の鎚の音。
刷毛が自力で壁に塗装するってどう思います?
呆気に取られる私の前では。
一冊の書籍の魔物(人間に変化出来るそうなのでそうしてもらいました)と、10人近くの小人…ドワーフというのかな?が互いに声を掛け合いながらどんどん床と壁の修繕を進めていく。
ええと、先ずは状況を整理しよう。
シロとオリビアさんを残して先に帰還した私とグレースの元に、程なくして一冊の書籍が歩いてきた。
比喩ではありませんよ。
人化して、物理的に、歩いてきたんです。
"書籍の魔物"というと今までダンジョン内で見てきたものは、どちらかといえば書籍から動物の体の一部(足だったり、手だったり)が生えているという、おもちゃみたいな作りだったが、彼曰く、位の高い魔物になると知恵が育ち、長い時間をかけ意思を持ち、全身を望むままの姿に変化させる"変化の術"を使えるようになるという。
彼らのような高位の魔物をこの国の人は"魔人"と呼ぶらしい。
さて、その魔人の専門家さんは私に不機嫌そうな顔を向けると言った。
『お前は何がしたいのか』と。
非常にピンポイントで答えるのが難しい質問ですね。
ちょっと考えて私が言ったのは。
『ダンジョン内の安全を確保したい』という言葉だった。
先日のディノさんの一件があったとき感じた嫌な予感。
それは設置された魔紋様から感じる悪意だけではない。
あの"揺り返し"。
師匠が古い建物は崩れ落ちる場合があると言っていた。
まさにその前兆となる光景が目の前に広がっている。
「一階層のこの部分、床のここと、あちらの壁のあの部分。剥がれ落ちているというよりも大きく亀裂が入っている、という方が正しいような気がするのです。」
オリビアさんもダンジョン内に入る冒険者達に注意を促しているようだが、あの時と同じ規模の揺れがあったときに、あと何回、この地下迷宮は耐えることができるのだろう。
もし崩れたら…真っ先に被害にあうのは書籍の魔物達。
そして下層に行くに従ってひび割れなどの被害が大きくなっているように見受けられる。
このダンジョンの建物自体、随分と古いからな。
魔物にとっては住みやすいのかもしれないが、崩れてしまっては意味がない。
「女王陛下の書架にあった『魔紋様入門〈応用編〉』に魔紋様を媒体に物体や建造物へ魔力を注ぎ補強する、という手法が載っていました。今回、これを使ってダンジョン全体の強度を上げようと思うのですよ。」
「このダンジョンは見た目よりも規模が大きい。壁も厚いし一定の強度を上げるとなると注ぐ魔力の量は並大抵の量では足りない。その対策は?」
「補足の説明に、『魔力の量よりも濃度が重要となる』と書いてあります。確かに、私の魔力の量は常人より多いという程度ですが、濃度については光の大精霊のお墨付きです。ちなみに、その大精霊はこの魔紋様を実際に使用したところを見たことあるそうで、現状の魔力量と魔法手帖に貯めてある分を使えば何とか足りるだろうと言われました。」
収納から本を取り出して該当箇所を示すと、彼は不機嫌そうな顔から、ちょっと考え込むような表情へと変わる。
「初め聞いたときはこの時期にバカが湧いた…と悲観したが、まあそこそこ考えて言ったことだけは理解した。」
悲観するほどバカが嫌いですか。
いや確かにそこまで思慮深くはないがバカまで言わなくても。
私の方が悲観しそうですよ?
「とはいえ、表層部分の亀裂や剥落は被害の状態が異なるので、様子を見ながら一つずつ魔紋様を紡いで埋めていくしかないかな、と。なのでこれは建物全体の強度を上げたあと一箇所ずつ作業を進めていこうと思ってます。」
とっても効率悪いと思うのですが、一度にこれらの亀裂や剥落まで埋めようとすると魔力量は浄化の魔紋様をダンジョン内で使用したのと同じくらい必要になる。
だからと言って師匠を引っ張り出すのもね、厚かましいにも程がある。
「…やっぱりバカだったか。」
「いや、そこまではっきり言われると。自力で何とかする、となるとこの方法しかないんですよ!」
「ああ、こういう生き物を見ると心が痛む…。」
「じゃあ素敵な考えのひとつも披露してくださいよ!」
「それは私の役目じゃない。」
ええと、そんなドヤ顔されても迷惑なだけなんですが。
やっぱり帰ってもらおうか…。
「おう、お嬢ちゃんかい?ワシらに頼みがあるってのは」
突然聞こえた声。
視界には誰も写らないが、足元から人の気配がする。
視線を下げるとそこには。
「…小人さん…?」
すごい…ファンタジーの映画や絵本で見たことあるような、背が低く頑丈な体躯、とがった
耳にシワの寄る肌。
見方によっては醜悪にも見える容姿は、内面から溢れる自信と澄んだ瞳のおかげか、とても生き生きと輝いて見える。
何よりも表情がくるくる変わって、失礼かもしれませんがなんだか可愛らしいですね!
私に声を掛けたリーダーと思われる小人さんと、それを取り巻くように十人ほどの同じような容姿の小人さんがいる。
「まあ、なんとでも好きに呼んでくれや。ワシは闇の旦那に頼まれてな。何か建物への修繕が必要だとか聞いたが。どうなんだい?」
「あ、はい!そうなんです。丁度その話をしていました。」
そう言って再び同じ説明を繰り返す。
ウンウン、と聞いていた小人さん達は修繕が必要な箇所と内容を聞くと、いっそう真剣な顔をして時折小声で互いに話ながら打ち合わせる。
そして。
「お嬢ちゃん、その修繕の部分はわしらが手を貸そう。」
「え、いいんですか!ありがとうございます。助かります!でもその…。」
「ああ、対価は必要ないぞ。闇の旦那には世話になっていてな。
それを一括返済する代わりにダンジョンの修繕を請け負う話になった。
いやー、やっぱりここの管理者は代々やり手だなあ。
色々条件つけようと思ってたのに、気がついたらすんなり承諾してたよ!」
がはは、と笑う小人さん達。
…オリビアさん、絶対何かやりましたね。
後で聞いたところによると、渋る主様から土属性(修繕には必須スキルだそうですです!)の魔法に長けた小人さん達に貸しがある事を聞き出し、急いで呼び出してもらうと、彼らと交渉してダンジョン内の修繕を手伝うよう手配したとか。
頼りになります、オリビアさん!
ちなみに後日『小人さん達に何かしましたか?』と聞いたときには、それはもう妖艶な微笑みを浮かべ『秘密♪』と唇に指を当ててウインクしながら答えたため、好奇心だけで踏み込んではいけない領域があることを学びました。
もう二度と聞きません。
とはいえ、小人さん達が納得して協力してくれるなら今後に支障はございませんね!
それじゃあ早速全体の強度を上げるための魔紋様を…。
「ちょっと待て。」
「出た!バカですみませんでした!ええと、もうお帰りいただ」
「場所が違う。」
「は?」
「魔紋様で建物全体の強度を上げる場合、ダンジョンの中心にあたる層から上下に魔力を分け、中心部で再び混じりあうように魔力を流す方が魔力の無駄がでない。更にそのやり方なら濃度に差が出ず均一に魔力が行き渡るぞ。濃度に差が出てしまうと薄い部分に衝撃が集まり、その部分が脆くなる可能性がある。」
「…その知識、どこから?」
「君は本当に愚かだね。私は書籍の魔人。こんな知識は生まれたときから知っている。」
「そう、ですね。ありがとうございます。」
お礼を言えばふいっと横を向く魔人さん。
口は悪いが、いい人のようだ。
「さあ、君の侍女に十五階層まで速やかに移動するように指示したまえ。」
「ええと、グレース転移し…か、顔怖いけど、体調悪い?」
「いいえ、お嬢様絶好調ですわ。
ただこの不届きものをどうしてくれようかと思うと笑顔が浮かんでしまうだけです。」
「うるさい、バカ侍女。」
「…お嬢様お下がりくださいませ。ここは今から戦場となります!」
魔力固めるな、グレース。
しかも拳で勝負とかってどうなのよ?
一応容姿は女性なんだから魔法でとか、…え、精霊体は性別ないの?
ああそう、ってそれは今はどうでもいい。
「グレース、とにかく深呼吸して。貴女が光属性の魔法ぶちかましたらまた建物壊れるでしょうが。私の仕事が増える。」
「大変失礼いたしましたお嬢様。もう大丈夫です…続きは見えない所で…んんっ、とにかく落ち着きましたわ。」
今、本音が漏れたような…もういいか、疲れたから。
「グレース、十五階層に連れていってもらえる?」
「今、疲れたと思いましたね!後程特製栄養素入り華茶をお持ちいたしますわ!」
魔人さん、憐れみを込めた視線で見ないで下さいます?
ダメージ二倍だから。
「それでは転移いたします。皆様お集まりくださいませ。」
グレースが目視で人数を確認する。
そして一気に転移の魔法が発動し十五階層へ。
この大人数に何の抵抗感も感じさせないまま十五階層へ転移させる技量はグレースが優秀な魔法の使い手であることの証明。小人さん達もキラキラした瞳で『すげえな!』と言ってグレースを誉めているから間違いないだろう。
魔人さんはといえば、興味なさそうにすたすたと壁際まで歩いていき、片手で軽く壁を叩いていく。音を確かめているような仕草だ。
「うむ。ここが丁度いいだろう。」
そう言って私を手招きする。
「この一帯の壁がこの階層で一番厚みがある。どうしても力を流す際に魔力の抵抗で摩擦が生まれるから、薄い壁だとそれが引き金になって崩れる恐れがある。」
時折収納から何冊もの書籍を取りだし、該当部分を示すと私や小人さん達に説明していく。
「本当に…。」
「専門家だったのか、とかか?」
ここに来て、初めてニヤリと笑う書籍の魔人さん。
「私には確かに知識がある。だが、彼らのように技術はない。あくまでも求められて技術的な意見を述べるだけの存在だ。今回の修繕、実際に舵をとるのは彼だろう。」
そう言って仲間達に指示を出す小人さんを見る。
そして静かな瞳で私の視線を見返す。
「この修繕の目的地を指し示す羅針盤は、君だ。」
どこまでも穏やかなその視線には、先程までの不機嫌さは見られない。
分を弁える、というのはこういう態度の事を言うのかな?
魔物とは、一段階違う存在である『魔人』。
分別と知性を持ち合わせ、人に近しい存在でありながらその性は、魔性に傾く。それ故にダンジョンでは魔物と同類として扱われる彼ら。
ぐずぐずしていた私に、さっさと方向性を示して作業に掛からせれば楽だったろうに。
こうして考える時間を与えてくれた彼は理性的な人、なんだろうな。
思わず笑顔が浮かぶ。
魔人であっても彼のような人柄であれば解り合うことは可能かもしれない、そう思った。
…この時は。
タブレットを新調しました。
いままでの不調が嘘のようですが、文字入力がまだ慣れません…。
このくらいの更新スピードになります。
ご了承ください。




