魔法手帖七十六頁 十六階層以下の主と、修復作業とお酒
チリンチリン。
「…お待たせいたしました、お嬢様。」
鈴を鳴らして程なくグレースが姿を現す。
あの後オリビアさんとの話し合いは進み、とりあえず魔紋様をどうするかは一時棚上げされた。
そして、もうひとつの問題点を話し合うのには実際に見てもらう方が早かろう、ということで廊下を歩いてダンジョンの入り口まで移動する。
オリビアさんの管理者権限である転移を使えばすぐにダンジョン内に移動できるけど、今回はオリビアさんにグレースを紹介したいのと、お使いを頼みたいので入り口で彼女を呼び出すことにした。
「オリビアさん、彼女がポンコ…んっ、女王様の書架にいた精霊体、グレースです。」
「貴女が書籍の精霊体…はじめまして、私がダンジョンの管理者であるオリビアよ。」
「…。」
ん?グレースが視線を下げたまま挨拶しない?
「…ああ、エマさん。彼女に挨拶する許可を出して?侍女は主人の許可なく身分が上の方に挨拶してはいけないのよ。」
ええ?!
「…グレース。オリビアさんは私の雇用主に当たる方なの。ご挨拶をして?」
最後に疑問符がついたのは許してほしい。
そんな言い回し、習ってないもん。
覚える気もないし!
「はい。お初に御目にかかります。私、お嬢様の専属侍女を拝命しております、グレーステレジア・ロザリンド・ウィンザ・オーロスティファールでございます。とうぞグレースとお呼びくださいませ。」
「よろしくね、グレース。私のことは名前で呼んでもらっていいわ。」
「はい。オリビア様。」
優雅に膝を折り、流れるような完璧な所作で挨拶をするグレースと、それを堂々と受けるオリビアさん。
さすがシルヴィさまの血縁。完璧な女主人と侍女の図じゃないか…しめしめ。
「グレース、このままオリビアさんの専属侍女になったら?すごくぴったりなお仕事だと思うよ?」
瞬間に。
くわっと目を見開き、笑顔のまま固まるグレース。
美人さんが台無しですよ?
「スゴいわね…。」
「よろしければ引き取っていただけないでしょうか?私には勿体無い逸材です。」
「侍女の躾も主人の勤めよ。いい経験だと思って頑張りなさい。」
「…その本心は?」
「彼女、めんどくさそう。」
固まるグレースを余所にちっさい声でオリビアさんと交渉するが、見事に振られた。
さすがオリビアさん、見抜いてましたか。
「グレース、聞きたいことがあるんだけど。」
「はい。お嬢様。」
おお、何事もなかったかのように復活した。
侍女スキルってすごいね!
「女王様の部屋からダンジョン内へ自由に出入り出来るんだよね?」
「はい、部屋の入り口にかかっていた鍵が開きましたので、現在各階層への出入りは基本自由です。」
「じゃあ、オリビアさんが怪我をしたり、危険な目に遭ってたら手を貸してくれる?」
「それがお嬢様の望みであれば。」
よし、これで多少はオリビアさんの安全が確保できた。
心配性ねえ、とは言っているが、オリビアさんもほんのり嬉しそうだ。
うん、嫌がっていないならこれでいい。
「出入りは基本自由って言ってたけど制限かかる場所があるの?」
「はい。管理者権限により、十六階層以下は立ち入りが制限される区画がございます。」
すかさずオリビアさんの方を向いて確認すると彼女は頷く。
「十六階層以下は各階層に主がいるの。」
「おお、ボスキャラですか!!」
「ぼすきゃら?言ってることがよくわからないけれど、十六階層以下は主が好きなように階層内を模様替えして使っているのよ。基本グレースはこのダンジョン内の書籍の扱いだから各階層の出入りは自由なんだけど、唯一立ち入りを制限している区画というのが主の間ね。これは、各階層の主が許可を出せば入れるわ。
主様とちがって、気むずかしい人が多いからこういう仕組みにしているの。」
ちなみにそういった個性的な主達をまとめているのが主様だとか。
なるほど、ボスキャラの上にラスボスとして主様がいるわけか。
各階層の主は、こういうダンジョンの生き物だからやっぱり禍々しくて強いのかな?
十五階層以下の魔物を手懐けてほしい、というシルヴィ様の願いはなかなか叶えるのが難しそうだ。
でもどうしよう、もしもシロみたいに、ふわっふわモコモコだったら。
…いい!それいいですよ!!
「夢が膨らんでいるところ悪いけど、見せたいものってなにかしら?」
オリビアさんの冷静な突っ込みに我に帰る。
っと、ふわもこ世界の扉が開きそうでしたよ。
「オリビアさんには各階層の整備を先に進めるお話をしたと思うのですが、その作業工程を実際に見て確認してもらおうと思うんです。出来れば相談にのってもらいたいこともあるんですけど。」
でも、その前に。
「主様へ、ちゃんとご挨拶と管理のお手伝いのお話しをしたいのですが?」
とりあえず、ダンジョン内をウロウロするわけなのだから、先ずは一番偉い人に許しを得なくては。
前回のアレコレはオリビアさんにドナドナされただけだから、ちゃんと挨拶したとは言いにくいよね。
一応オリビアさんの口から前もって管理のお手伝いがシルヴィ様の要望だと伝えてもらっていたのだけれど、実際の作業は私がするのだから挨拶は必須だろう。
というわけで事前に主様の予定をグレースに聞いておいてもらったのだ。
「主様は本日は午後からリフレッシュ休暇を取得されるとのことなので、午前中に来るように、とのことでした。」
リフレッシュ休暇を取得…なんかこう、会社みたいだな…。
ここダンジョンだよね?
オリビアさん、普通に流してるけどこれが普通…そうですか。
「グレース、このまま主様のところに連れていってもらえる?」
「はい、かしこまりました。」
グレースの転移魔法は転移させる人間を目で確認して対象に定める。
侍女として主人を運ぶことを前提に作られた古くからある魔法なので、ざっくりとした仕様になっているうえに、誰でも何人でも運べ、さらにタイムラグなく瞬時に移動ができる。
魔紋様の転移は魔力を流す分ちょっと時間がかかるんだよね。
うん、こういうスキル持ってると便利だ。
ただリィナちゃんの時のように、転移する直前に対象者へ触れた者が一緒に転移することができてしまうから安全面は注意が必要だな。
なんて考えてる間に主様のいる王座の間へ到着。
お邪魔しまーす。
『…いくらなんでも気軽に来すぎだと思うぞ、お前達。』
おや、主様御機嫌ななめですね?
本日午後から取得予定だったリフレッシュ休暇が多忙のため延期になったと。
なんかこう、本当に会社勤めのお父さんみたいですね。
さてそれでは許可を得る前に手土産を。
「主様、先日は大変お騒がせいたしました。私からお詫びと感謝の気持ちです。シロからこういったものがお好きだと聞きました。ご挨拶が遅れましたが、どうぞお納めください。」
ささっと、収納から出して並べると、瓶のなかで赤や白、琥珀色の液体が揺れる。
お酒、というものですね。
帝国の市場で普通の赤ワイン、白ワインが売られていたんですよ。
料理酒として使いたかったんですが、さすがに未成年だし売ってくれるのか甚だ心配だったのだが、サナもいたので問題なく購入できました。
ちなみにシロからも秘蔵酒を提供されましたよ。
いいのか聞いたら、どうせ酒盛りするときは呼ばれるんだから一緒、という返事。
なるほど、飲み仲間でしたか。
ついでにと、おつまみならぬ菓子類がきれいに盛られた籠を差し出す。
精霊は基本魔素が食べ物なので食事に興味はないそうなのだが趣向品は別なんだとか。
おまけとして手作りしたクッキーも一緒に渡す。
次はマドレーヌに挑戦しよう。
主様の不機嫌そうな表情は、手土産を見た瞬間に瞳がキラリと光り、尻尾がちょこちょこ動きだした。
興味持っていただいたようですね!良かったです。
『そういえば、光の、はどこに行った?気配はあるようだが。』
ああ、シロはですね…。
「ん、ここー。」
するりと私の襟巻きが外れ、シロの姿に戻る。
実はふわもこマフラーに変身してました。
手触り抜群、洗い立てで仄かに石鹸の香りがします。
そろそろ朝晩寒くなってきたから助かるんだけど、目的がね…。
「この方が移動が楽だし、魔力もらうの楽だから。」
シロのお答えに、あきれた視線を向ける主様。
そうなんです。
この状態でちょこちょこ魔力もってかれるんです。
どおりで最近よくお腹がすくと思った。
『まあいい、仕事が終わったら頂くとしよう。それで、今日から書籍の管理の手伝いを始めるのか?』
「はい、そのつもりです。書籍につける盗難防止の魔紋様については、検討をお願いしているので先に書棚と階層の修理を先に進めようかと。」
『ふむ。どのように進めるか説明してごらん。』
オリビアさん立ち会いのもと、一つづつ説明していく。
大きく段階を分けるとこんな感じだ。
各階の床板、壁の修復。
セキュリティゲートとセーフゾーンの設置。
盗難防止の魔紋様の転写。
「盗難防止の魔紋様が一番時間がかかると思うので、それ以外を出来る限り進めておきたいのです。」
『わりと大掛かりだの。それに各階の床板や壁の修復は流石に専門外だろう。
何とかなりそうなのか?』
「いくつか手は考えてあるんですが、ちょっと知識が頼りないのは確かです。」
「そうだな…。我から専門家を派遣しよう。彼らに相談してみなさい。」
「そこまでしていただいていいんですか?」
「下手な修繕をされるよりはましだ。」
しかも私が各階をうろつくかも知れないことを通達してくれるそうだ。
ありがとうございます!助かります!
手土産の力は偉大だな!
「それでは一階に戻りますね!」
お礼を言って転移しようとした私の脇からシロがスルッと居なくなる。
ん?シロ?
「これから酒盛りなんでしょう?お酒見たら飲まずにはいられないんだから。」
よいしょ、と腰をお酒の瓶の隣に腰を下ろす。
それを見た主様はさりげなく私達から視線をそらす。
「エマに有利な条件を提示したのも、下手に渋って交渉が長引くよりは今都合のつく条件を先に提示したほうがさっさと帰ると思ったんだろ。エマ、そういうところは素直だから主様いい人!とか思ってるよ。たぶん。」
「余計なことを言わんでも。」
そう言ってちらりとオリビアさんに向けた主様の視線が逸らされる。
ええと、もしかして。
「主様?お仕事が溜まっているというのに…うふふ、まだまだ余裕がおありのようですわね?!」
ああ、降臨したか…。
絶対にそちらの方は向きませんよ!?
巻き込まれたくないから。
「じゃあ戻ります!」
「バカ者!しらっと戻れると思う」
「主様。初代女王の後継者に向かってバカとは?」
「あ、はい。」
なるほど、オリビアさんがダンジョン内最強だったか。
シロは…あ、もう飲んでる。
ん?
白い毛が風もないのにふわり、ふわりと揺れる。
…踊ってるのか。
「エマさん。専門の方を直ぐに派遣するから一階に先に戻っていてもらえるかしら?
私も後から行くから。色々片付けてから、ね。」
にっこり微笑んだオリビアさんの腕の中でカタカタする黒い毛玉。
あれはあれで楽しそうだし放っておこう。
「グレース。なにも言わず速やかに撤収するよ。一階に直行して。」
「心得ました。」
さて、専門家さん、どんな人が来るんだろう?
一話で終わらなかったので次回も続きます。
お酒、未成年が買っていいのか!については料理酒としての扱いと、設定異世界だよね!と思ってスルッと流していただけると嬉しいです。




