魔法手帖七十一頁 診療所の先生と、ルイスさんの色
「おはよう、エマ。」
麗しい声が耳元でささやく。
ああほんとに、耳が幸せ。
ん?
一気に覚醒して隣に目を向けると、そこには優しい恋人の姿…ではなくシロがいた。
相変わらずのタレ目。
「詐欺だ。」
「何か言った?」
「いえ、全く。」
結局あの後、魔法手帖に関するあれこれで女子会は延期になった。
オリビアさんが白目向いて倒れたので慌ててグレースを召喚し一先ずシルヴィ様の部屋まで運んだ。
ぎりぎりで支えたから床に頭を打ってはなかったと思うのだけど呼び掛けても返事がない。
なので一階に転移して禍々しい扉を開け、私の呼ぶ声に何事かと飛び出してきたサリィちゃんとリィナちゃんをピックアップ、再び部屋に戻る。
二人ともベッドで意識を失っているオリビアさんを見て、取り乱すことはなくとも顔面蒼白になって立ち尽くしていた。
その気持ち、わかります。心配だよね。
とりあえず目が覚めるかもしれないのでオリビアさんには二人についてもらって、私はルイスさん家に置いてきた転移の魔紋様を発動させる。
ルイスさんに聞かなくちゃならないことがあるんですよ!
「エマ?遅かったね?大丈夫だった?」
「ルイスさん!!腕のいいお医者様知りませんか!!」
「ええ!え、エマ?オリビアに何かされたの?!」
ルイスさんの斜め上なコメントは、まるっと無視してオリビアさんがダンジョンで倒れた事だけを伝えた。
魔法手帖の事を省いたのは、正直どう処理したらいいか対応を先送りしている状態なので、それが決まるまでは存在自体を黙っておこうと思っているから。
魔法手帖?
そっと収納に仕舞っておりますよ!
「状況はわかったけど、ダンジョン内に医者は連れていけない。皆でお店まで運べる?」
「はい。じゃあお店で待ってます。」
「うん、わかった。」
「…あら、エマ?ずいぶん遅かったじゃないの?」
「サナごめん!ちょっと問題があったので女子会は延期して!」
「…いいわよ?人手はいる?」
「何かあったら頼むね!」
ルイスさんはサナに留守番を頼むとお医者さんを呼ぶために出ていった。
で、私は再びお店へ。
ダンジョンの入り口でグレースを召喚。
シルヴィ様の部屋に戻ると状況を説明して、意識の戻らないオリビアさんを三人で運び、私は入り口でお医者様を連れたルイスさんを待つ。
うーん。
こういうときに限って言えば管理者レベルでダンジョン内外を自由に転移出来れば効率がいいのにな。
正直な話、グレースの転移スキルがなかったらもっと大変でしたよ。
そこのところも含め、今度会えたら主様に交渉してみよう。
ちなみに彼女の転移スキルはダンジョン内という限られた空間でしか使用できない代わりに、運べる人数に制限がないそうだ。
これは使えるかも。
「エマ!お待たせ!」
「あ、ルイスさん!すみません、ありがとうございます!」
玄関の扉が開いて、ルイスさんとお医者さん…お爺ちゃん先生ですね!が入ってきた。
「ほほう。さて、患者はどこかな?」
内装が珍しかったのか、店内を見回してちょっと目を丸くしたあと、お爺ちゃん先生は私に目を向ける。
茶色の髪に白髪混じりで結構お歳を召した方のようです。
笑うと浮かぶ目尻のシワと、醸し出す柔らかい雰囲気が素敵ですね!
「はい、こちらです!」
オリビアさんの部屋まで案内すると、丁度彼女が目を覚ましたところだった。
「あら、私は…。」
「おお、そのままで。動かないように。」
起き上がろうとする彼女を押し留め、お爺ちゃん先生は診察していく。
さっきまでのほんわかした雰囲気からガラッと変わって、今はむしろ恐いくらいだ。
診察時間は体感で三十分くらいだろうか。
空はすでに夕方から夜の色へと変わっている。
「ふむ、頭は打ってないようだし記憶の混乱や体に目立つ外傷もない。問題はないだろう。」
「ありがとうございます。」
オリビアさんも双子も揃ってホッとしたような表情を見せた。
私はといえば、あっさりと終わった診察に拍子抜けする。
「君は異世界から呼ばれた人、かな?もしかして、最近迷い込んだ人?」
私の微妙な表情から心中を察したのか、お爺ちゃん先生はリィナちゃんへ経過観察を指示した後、くるりとこちらを向いて言った。
「あ、はい。」
「"あっさり終わったけど大丈夫なのか"とでも思ったのかな?」
「…すみません。考えることが顔に出るタイプのようで。」
「正直であることはとても優れた資質の一つだよ。診察の時に意地を張って平気なふりをするような困った患者もいるからね。」
おどけたように言って微笑んだ後、再び真剣な表情を見せる。
「例えば…そうだなちょっとした日常生活で偶然頭部に衝撃を受けたとしよう。確かに見た目で損傷がないからといって頭の内部に損傷を受けていないとは限らない。異世界から呼ばれた人の中には医療の知識を持つ人もいてね、『内部を治癒魔法で治療しないのか』と聞かれることがよくあるんだよ。でも私は"必要がなければ使わない"と答えている。何でだかわかるかい?」
「…たぶんですけど…効きすぎることがあるから?」
例えば薬でも分量が多すぎれば毒となるように。
「うん、近いね。想像してごらん。怪我をしていない健康な部位に治癒魔法を充てる。不要な魔力を充てられた部位にはどんな影響がでるのか。また、人によって治癒魔法の効きのいい人と悪い人がいる。なぜ効果に差が出るのか。それに効きのいい人へ必要以上の治癒を施すとどうなるのか。そして…魔法を使うことは生物の体に元々備わっている回復力を損なうことはないのか。」
一つ挙げる度に指を折る、お爺ちゃん先生は真剣な表情を崩さない。
「覚えておきなさい。医者は治癒魔法を必要な分しか使わない。過剰な治癒魔法は人によって攻撃にもなりうるからだ。だから医者ならば患者に出た症状を可能な限り調べあげ、適切な治療を施して治す。もちろん場合によっては治癒魔法を使うがそれはあくまでも補助であるべきだ。そして程度によっては本来備わっている回復力で治すべきだと私は思っているのだよ。だから君も大量に集められる魔素の力を治癒魔法につぎ込むのではなく、自身の持てる力を向上させ、身を守る為の努力の方に使うよう心掛けなさい。」
とは言っても怪我したら内緒にしないで医者にちゃんと見せるんだよ?
そう言ってお爺ちゃん先生は表情を和らげた。
「…はい、そうですね。ありがとうございます!」
治癒魔法の副作用について、なんて考えたこともなかったな。
確かにいくらでも治癒魔法が使えるのならお医者さんなんて職業、要らないものね。
お爺ちゃん先生が指折り挙げた疑問は至極真っ当な考え方だと私には思えた。
その一方で。
この魔法が当たり前に使える世界に、魔法を使わない治療方法が確立しているということでもある。…その考え方はこの世界においては異端じゃないだろうか?
あれ、もしかしてお爺ちゃん先生って。
「ルイスさん。あの先生…。」
「ああ、そう。君と同じ異世界から呼ばれた人だよ。俺の命の恩人でもある。」
オリビアさんと世間話をしながら医療機具の後片付けをしている先生を見つめる。
命の恩人か。
さらっと言ったけど、そう口にするルイスさんにも色々あったのだろう。
そっと覗き込んだ彼の瞳には、憂いを含んだ暗い陰はなく、ただ先生に対する感謝の気持ちだけが見えた。
その事に少しだけ安堵する。
折り合いをつけたんだろうな、過去の自分に。
先生の動きを嬉しそうに目で追うルイスさんがそんな私の視線に気づくことはなかったけれど。
「先生は組織に保護されてからずっとロイトの専属医師であり、その業務の傍ら一軒家を借りて診療所を開いているんだ。この辺りだと一番有名で頼りになる医者なんだよ。」
「ずっと、ということは…先生は帰ることを選択しなかったんですね。」
「…葛藤はあったみたいだけどね。
ただキッパリ『残る』と宣言したことはよく覚えているよ。」
今度一度お話ししてみたいな。
話してくれるなら、その辺のことも含めて。
そんなことを考えていたら、リィナちゃんから声がかかる。
「あ、エマちゃん。洗面器のお水捨ててきてくれる?」
「はーい。」
「俺も一緒にいこう。」
診察に使用した水を捨てにキッチンへ向かう。
ルイスさんが洗面器を持ってくれたので、私は使った布等をついでに回収して運ぶ。
暫くして、先生はサリィちゃんを伴ってキッチンに顔を出した。
「じゃあ、帰るよ。ルイス。」
「扉で送っていきますよ。」
「そうしてくれるか?患者がまだ待ってるんだよ。」
あら、随分と忙しいみたいですね!
「あ、先生。じゃあこれ後で食べてください。」
そう言ってサンドイッチを紙に包んで渡す。
これは水を捨てるついでにキッチン借りて作りました。
ハムとチーズと野菜を挟んだお手軽サンドイッチだけどね。
でも味付けにお手製マヨネーズが挟んでありますよ!
「おお、サンドイッチか。これは助かる!」
先生、ほくほくした顔で紙に包んだサンドイッチを受け取ってました。
傷まないうちに早めに食べてくださいね!
「先生、ちなみにオリビアさんにも同じものを食べてもらって大丈夫ですか?」
「ああ、本人が食欲があるようなら食べて大丈夫だよ。あと付き添いの二人は怪我をした本人よりも精神的にショックを受けているようだから暫くは食が進まないかもしれないが、出来れば食べさせておきなさい。体力が落ちるとそれだけ病にかかりやすくなる。」
季節の変わり目は特に体調不良を訴える患者が増えるそうだ。
うん、そういうことは元いた世界と変わらないね。
ルイスさんにもお礼をかねてサンドイッチを渡すと嬉しそうに受け取ってくれた。
お留守番をお願いしたサナの分もあるので量はちょっと多めです!
包みを受け取ったルイスさんは、代わりにと自分のポケットに手を入れて小さな袋を一つ出す。
「これはエマに。…前に約束したから。」
「っと、ルイスさん?」
手のひらに落とされた金色の細い鎖がシャラリと音を立てる。
ネックレスだ。
繊細な意匠の鎖の先についた小さな石は淡い茶色。
それはルイスさんの色。
突然の贈り物に心拍数が上がる。
どうしよう、とっさに受け取ってしまった。
「えっと、ルイスさん、あの、ありがとうございます。」
顔が赤くなったのがわかった。
それでも精一杯、お礼の気持ちを言葉にする。
前にディノさんからもらったときは、まだこの世界に来たばかりで緊張してたから普通に受け取ってしまったけど考えてみればこんな風に男性から贈り物を貰うのは初めてかもしれない。
「どういたしまして。受け取ってもらえて嬉しいよ。」
ルイスさんが柔らかく微笑む。
「…見ましたか?奥さま?」
「ええ、もちろんバッチリ目に焼き付けましたとも!」
「どうしよう、今すぐこのネタ拡散したい。はっ、カロンのところ行ってくる!」
「ほほう…やるなあルイス!その意気だ!いっそ今すぐ押し倒して…」
「え、やだ!先生ったらもう!」
ちょっとそこの外野、柱の影からうるさいわ!
上からオリビアさん、サリィちゃん、ディノさん、先生、リィナちゃんと。
ちょっとオリビアさん、すごく元気じゃないですか!
先生、清らかな乙女になんちゅう台詞を…。
双子、貴女たち、さっきまで医者に精神的ダメージ心配されてたのよ?!
代わりに私がダメージ入ったんだけど?
そしてこの場にいちゃいけない人が一人混じってるんですが。
「ディノさん、何ちゃっかり混じってるんですか?」
「オリビアのお見舞い~。あと面白くなりそうな予感?!」
「躊躇なく呪いますよ?」
「愛らしい女性に呪われるほど思われるなら、それもまたひとつの愛のかたちだ!」
どうしよう、本気でこの人消したくなってきた。
ルイスさん、口元ひきつってますが貴方の行動がきっかけです。
その事に今更ながら気付いたのか、冷やかす先生を引きずってそそくさと帰っていきましたよ。
残された私はさんざんからかわれたので、皆のためにと作ったサンドイッチをちょこっとだけ残し後は没収してダンジョンへと帰還した。
『お腹すいた!』などと、ほざく声は一切聞こえません!
そうして一夜明け。
枕元では何故か私と会話ができるようになったシロが再び麗しい声でささやく。
『お腹すいた。お菓子食べたい。』
お前もか!
体調を崩していて随分と更新が遅れました。
遅くなってすみません。




