回想 夢見たものは
不快な表現を含みます。
「どういうことだ!何でたどり着かぬ!!」
同じ場所を何度も巡っている。
ここは帝都。
いつも馬車の窓からみる景色はたいして興味を引くことはなかったが、大体家の並びを見れば現在地に見当がつけられる程度には見慣れている。
そのはずなのに。
二度三度、同じような造りの家の角を曲がり、坂を上った辺りでわからなくなった。
ここは帝都のはず。
それとも、すでに帝都ではないのか?
「お久しぶりです。ハサン様。」
涼やかな声が空気を震わす。
つい先程まで、男はハサン・オラ・アントリムと呼ばれていた。
だが今はただのハサン、だ。
彼は声のする方を振り返る。
「…これはこれは。聖女様ではないか。なんと都合のい…こんなところでお会いするなど奇遇ですな。見ての通り、儂は今取り込み中でな。一体なんのご用事かな?」
「まあ、失礼いたしました。お時間はとらせませんのでご安心ください。」
にっこり笑った聖女の無垢な笑顔をみて、ハサンはさて何をさせようかと思案した。
先ずはあの忌々しい小僧を亡きものにしよう、そう思ったハサンの耳に、先程とはうってかわって冷ややかな聖女の声が響く。
「『無限回廊』はいかがでしたか?」
「『無限回廊』?」
「設置した魔紋様の上を通り過ぎた者を迷宮へ閉じ込める空間魔法の一種です。同じ場所を何度も往復された感覚がございましたでしょう?」
「なん、だと?!お前、儂にむかって術を掛けるなど、無礼にもほどがあるぞ!」
「無礼ですか?平民のハサン様?聞き及んでおりますわ、姓と爵位を剥奪されたと。常々自慢されておられました帝位継承者のみに与えられるという、古語で『次の王』を意味する"オラ"の称号も剥奪されたとか。本当に…無様ですこと。」
「な!お、まえ…。」
聖女の表情のまま、紡ぎ出される悪意。
彼女の回りを渦巻く魔素の奔流に思わず後退る。
「ですがご安心ください。ハサン様に相応しい魔紋様を御用意いたしましたわ。多少痛みはございますが、一瞬で終わります。」
異変に気付き逃げようとするハサンの回りを黒い蕀が取り囲む。
やがて足元に絡み付いた蕀が逃げようともがくハサンの体に巻き付き、やがて全身を包み込むと…弾けて消えた。
彼の姿はそこにはなく、空中を黒く濁った液体が塊となって漂う。
聖女、…クリスティーナは瓶を取りだし、空に漂う液体を優しく誘導し瓶に集める。
全て集め終わると蓋を閉め、魔法手帖を取り出し辺り一帯の空気を浄める。
念のため周囲の様子を確認した後、結界を解除した。
途端に喧騒と人の行き交う気配が戻ってくる。
「さすがです。アントリム帝国の貴族階級だけが持つという血に魔力を纏わせる力。王家に近ければ近いほど効果が高いとは聞いていましたが、媒体としては最高ですね。」
瓶の中の液体を揺らして満足そうに微笑む。
それから上空を旋回するように舞う鳥の姿に目をやると、一つため息をついた。
「しかし、あまりご趣味がよろしくないようですわね。皇帝陛下。」
先程から自分とハサンのやり取りを見ていた視線。
一見すると鳥のように見える形状のそれが魔道具であることに彼女は気付いていた。
「まあ、いいでしょう。あの方には秘密にすることの方が難しいですから。今更何もできないでしょうし。」
私には魔法手帖という最高の武器がある。
これがある以上、あの方でも私の事を害することは出来まい。
本当はこのまま罠を張っておいて、ハサンを探しに来るだろう、ルクサナという娘の方の血も抜き取っておきたかったのだけれど。
親が親なら、娘の評判も最悪だ。
もう一人くらい居なくなっても誰も気にしないだろう。
とはいえ他国であまり好き勝手すると横槍が入るかもしれない。
今はそちらの方が色々面倒だ。
そう思い直して踵を返したところで。
「…クリスタ様!」
少し離れた区画から自分を探す声がする。
「あ、はい。こちらですわ!」
淑女としては、少々はしたない行いだが声を張り上げて返事をした。
今回、彼女はきちんと許可を得て、この国に入国している。
だから堂々と返事をして咎めるものはいない。
表向きの理由は国同士の交流の一環として治療と布教活動を行うためとしている。
ハサンが失脚したことで彼の娘と聖国の第二王子との婚約は白紙に戻り、その代わりに帝国の公爵令嬢との婚約が結ばれると聞いた。
帝国が一つに纏まり、更に聖国との関係が親密になれば、今は王国側へついて様子を見ている国も、こちら側へつかざるを得ないと判断するだろう。
そうなったとき、王国の歴史は終焉を迎えるのだ。
それにしても。
「まさか王国で初代女王との政争に破れた一派が流れ着き、今や聖国で権力を握っているとは思いもしないでしょうね。」
彼らは表舞台に姿を表すことなく裏で聖国を支えてきた。
その実績から政治の舞台に立たずとも着実に支持者を増やし、今王国に牙を剥こうとしている。
『統一正国教団』。
ブレストタリア聖国を拠点として活動する宗教団体。
第三大陸を統一し、かつて神の治めた正しき国へと戻す。
聖国の国教とされ、国民の精神的な支柱の一つ。
この教団は『統一神』を崇め、神のために他国を侵略することを肯定する。
では何故他国はこのような思想を持つ聖国を受け入れるのか。
それは"聖女"の存在故。
成したことの大小はあれど、彼女達は自国の民だけではなく訪れた他国の民をも癒し、別け隔てなく救済したという。
それは不治の病からであったり、恐れ迷う思考の闇からであったり。
そのあり方が、小国を纏め新たに国を興そうとした当時の指導者達の琴線に触れた。
彼らはそこに国として求める理想の姿を見たのだ。
そして他国からの不安要素を残しつつ、聖なる国"ブレストタリア聖国"が建国された。
それ故に表舞台に立たなくとも教団と政治との結び付きは強い。
今、政治的に揺らぐかつての故国の姿を見たとき、教団にひっそりと受け継がれていた郷愁の想いが、やがて政治的な思惑と絡み合い火がついた。
"我々が再び故国の栄光を取り戻すのだ。自らの力で奪い取る。初代女王が成したように!"
熱狂が理性を上回る。
誤った理屈でも通ってしまえば歯止めが効かなくなるも道理。
その戦争推進派の急先鋒が彼女の養父である大司教レイモンド=ロウェイルである。
彼がクリスティーナに指示したことはふたつ。
一つは戦争を止むなしとする情勢を加速させること。
その舞台に彼女は元実家の領地を選んだ。
食糧庫である、かの地が荒廃すれば日々の糧を求め人々は他国へ目を向けるだろう。
そしてもう一つは帝国に協力し、政に関わる者との縁を繋ぐこと。
その"結果"が、彼女をここまで探しに来たようだ。
「こちらにいらしたのですね。」
本人は誤魔化しているつもりだろうが、頬はうっすらと染まり、口元に浮かぶ喜びを隠せていない。
明らかにこちらへ好意を抱いている男。
クリスティーナはこの男が最も嫌いだ。
憎んでいるとさえ、言えるかもしれない。
シャミールと名乗るこの男は、クリスティーナの聖女然とした上部しか見ていなかった。
上部だけ見て性格も聖女に相応しいと判断している。
自身を守るためにわざとそのように振る舞ってきたけれど、それでも気付く者は気付くのだ。
彼と比べれば、寧ろ警戒心を隠さない皇帝陛下の態度の方が好感が持てるというもの。
かつて生家に居たとき、クリスティーナの容姿につられて近付いてきた男達が、家での彼女の扱いから、彼女に容姿以外何の価値もないと判断した時に、彼らが見せた蔑んだ態度。
貴方たちに見下される謂われなど何一つないわ!
聖女の仮面の下で今も彼女が心に血を流しているなど、誰も気付かないし、気付かせない。
クリスティーナはシャミールに微笑みを向ける。
「申し訳ございません。随分と探して頂いたようで。」
「あ、いいえ。こちらこそ申し訳ございません。歩き馴れた区画のはずなんですが、今日に限って何度も同じ角を曲がってしまって…。」
それはそうだろう。『無限回廊』は先程結界と共に解除したばかりだ。
しかしクリスティーナはそんなそぶりは少しも見せずに困ったように首を傾げる。
「もしかして、お探しになられていたのは急ぎの理由がありましたの?」
「そうでした。皇帝陛下からお願いしたいことがあると。ある二人の関係をなるべく修復が難しいレベルで壊したいと。ええと、その、お怒りになるかもしれませんが、貴女はそういう事が得意なんだとか、申しており…。申し訳ございません。」
語尾が小さくなっていくシャミールに構うことなくクリスティーナは問いかける。
「二人、でございますか?」
「はい。王国の"魔法紡ぎの女王"と"盾"のことです。」
盾とは言わずと知れた"マグルスマフの盾"を継承した侯爵子息のことだろう。
まだ交流があった頃、聖国で私と会っても眉一つ動かさなかった"氷の盾"。
そして。
「今一人は"魔法紡ぎの女王"…。」
異世界から呼ばれた彼女が継承した魔紋様は…。
怒りのあまり、人知れず唇を噛み締める。
ならば試してやろう。
国から聖女の護衛という名目で、その実、監視するためについてきた男達に襲わせる。
『教団の敵だ』とでもいえば簡単に動かせる純粋で…愚かな者達に。
「あの、もし、不都合がおありでしたら、そのように陛下にお伝えします。どちらかと言えば貴女は男女の縁結びの方が得意そうだ。」
クリスティーナの様子から常とは違う雰囲気を読み取ったのだろう、そう言うとシャミールは照れたように笑う。
「だいじょうぶですわ。皇帝陛下にお受けしますとお伝えくださいませ。」
「かしこまりました。それでですね…陛下からこの件が終了したらということで休暇をいただいております。…良かったら帝国内をご案内したいのですが。」
「まあ、お忙しいでしょうに。お気遣いいただいてありがとうございます。慎んでお受けいたしますわ。」
にっこり微笑んだクリスティーナに蕩けそうな笑顔を向けたシャミールは『後程宿へ迎えに行きます』と言い置いて名残惜しそうに去っていった。
「本当に、他愛ないこと。」
笑顔を消した彼女が、指示を出すために男達の滞在する宿へと足を向ける。
彼女は気付いていない。
彼女が口元に浮かべた嘲笑が、かつて自分が傷つけられたものと同じであることに。
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ハサンは夢を見ていた。
『蕀』の魔紋様の効果は、肉体を破壊し、血を凝縮した状態で抜き取るだけではない。獲物が大人しくなるよう、一種の催眠効果をかけた上で、"望みどおりの状況を夢として"見せる。
ハサンは皇帝となっていた。
彼が姿を現せば、返す波のように皆が彼の前で膝をつく。
この景色が見たかったのだ。
始祖ステラの建てた波を描く街並みを見た時からずっと。
『きれいですね!お父様!』
どこからかルクサナの声がする。
「ああ、美しいな。」
意識が急速に喪われていく。
誰に聞かせるでもなく呟いた声を最後に。
書こうと思いつつ先送りしたハサンの最後の姿です。
保存せずに消してしまって一から書き直しました。
遅くなってすみません。




