魔法手帖六十六頁 『チャンス到来』と、書籍の精霊体(侍女)
ご飯を食べた後、シロを丸洗いしました。
とは言っても浴槽があるわけではないから、洗面台に貯めた水を浸した布で何往復かして湿らせた後、石鹸もどき(シャボヌというらしい。)でホコリと汚れを落としました。
更に水洗いをして最後に風を発生させる魔紋様で乾燥させて出来上がり。
体毛の手触りが更にアップしました。
でも所々に毛の塊が出来ちゃったな。
今度市場で動物用のブラシ売ってたら買ってこよう。
ひとしきり背中を撫でてお腹の辺りをモフモフしてと毛の感触を堪能したところで転移の魔紋様に取りかかることにした。
とりあえず自身の持つ転移の魔紋様が使えるか、まず検証。
うん、弾かれますね。
弾かれるというか、効果が消えるといった方が正しいかな。
とはいえオリビアさんが"管理者権限"とか言ってはいるが転移出来るのだ。
何らかの方法を使えば転移が可能なんだろう。
何度か試したところで、ふと書庫の存在を思い出す。
元々の書庫はシルヴィ様が作ったもの。
そうであるなら何かのヒントが書籍にあるかもしれない。
闇雲に魔紋様を紡ぐよりは効率的かも。
そう思った私は膝の上にあるシロの頭をどかして立ち上がる。
そんなに恨めしそうな目で見ないでよ、シロ。
うたた寝用の枕じゃないんだから。
寝室から書庫へと移動する。
『女王陛下の書架』と呼ばれていた本棚は正面と両方の壁に沿うように置かれ、部屋に入る人間を圧倒するようにびっしりと書籍が納められている。
「この中から目的の書籍を探すのは至難の技だな。」
どうするか、と考えているとモソモソと足元を動き回るシロの気配がする。
「んー。シロ、どうしようか?転移の魔紋様の参考になる書籍が欲しかったのだけど、これだけあると流石に直ぐには見つけられないよね。せめてカテゴリに分けてあると助かるのだけど。」
試しに一冊本を手にとってみる。
『魔紋様入門〈応用編〉』
あ、オリビアさんが貸してくれた教本の続きだ。
ん?何でこのレベルの書籍がシルヴィ様の書架に?
「あ、そうだ!スキルの『チャンス到来』!」
そうですよ!今使わないでいつ使うんですか!
では早速。
魔力を消費する感覚と共にスキル名を呼ぶ、と。
「チャンス到来!」
アントリム帝国の時はこのあたりの手順を省略したけれど、スキルを使用するときは出来ればスキルの名を呼んだ方がいいらしい。
でないと、本人の意思とは関係ないスキルが無意識に発動され、場合によっては他人に悪影響を及ぼす場合があるのだとか。
確かに他人にとってよい影響のあるスキルばかりではないだろうし。
スキルの効果があったのか、わずかに書籍がキラキラして見える。
おお、あれとあれか。
っと、一番手前にある、この本は?
一際傷みの目立つ書籍を手に取る。
題名は『侍女としての心得(極意)』。
これを読めば侍女の道を極め、誰が見ても完璧な侍女となれることを保証します、か。
ん?
表紙の裏に見慣れない魔紋様が。
あれ!ちょっとまて?!勝手に書籍が魔力を吸収してる?!
…っそんな一気に吸いとられたら…。
『使用者を更新します。』
うおいこら、勝手に更新するんじゃない!
そう思ったのを最後に、久々に魔力が空になった私は意識を失った。
ーーーーー
「…うさま。」
あれ?
誰かの声がする。
耳障りのいい、優しい声。
こんな声で朝起こされてみたいな…。
「しっかりなさってください。お嬢様?」
「…っとあ、はいはい。…はいいーー?!」
誰よ、貴女?!
「どちら様ですか?」
「私のことはグレーステレジア・ロザリンド・ウィンザ・オーロスティファールとお呼びくださいませ。」
名前長いな!
「名前長いな、とか思いましたね!ではグレースとお呼びください。」
一気に短くなった。
「ええと、じゃあグレースさん。貴女はいったい誰ですか?」
「お嬢様。グレースと呼び捨てで呼んでいただけませんでしょうか?
主となる方に敬称を付けて呼ばせるなど、私の侍女としての矜持が許しません。」
主、侍女、矜持…。
「グレース、貴女さっき私が掴んだ書籍の。」
「はい!"精霊体"でございます!
せいれいたい?
「それなに?と思われましたでしょう!精霊体は万物に宿る魂が長い年月をかけて意思を持ち、自身の望む形に進化したものでございます。私は書籍に記された知識を元にして構成されておりますので、完璧な侍女教育を受けたも同然。ですから、侍女としての行いを極めた侍女の中の侍女!クイーン・オブ・侍女でございますわ!」
いや、あの、ドヤって顔されても。
この世界こういう人多いな。
どうしよう。キャラが濃すぎてすぐさま解雇したくなってきた。
「あの、かい…」
「解雇したい、と思いましたね!…もう解雇されるんですかあ~お嬢様あ~。」
「泣くな、すがり付くな、鬱陶しい!」
「やっと出てこれたのに~。お嬢様あ~。」
先程まで見た目クールな仕事出来る系美女だったのに、実はポンコツってどうよ。
「ハア。一体どういう経緯でこの書庫に収蔵されたの?」
「よく聞いてくださいました。私、王室の書庫で精霊化いたしまして、夜な夜な書庫を整理整頓、誠心誠意込めて清掃しておりましたらシルヴィ様が私をこちらの書庫にお連れくださいました。『ここなら夜な夜な徘徊…思いきり掃除しても皆が安心して暮らせるから』と。」
あれか。
精霊体になって侍女仕事してたら、皆が幽霊と勘違いして大騒ぎになったと。
で、シルヴィ様が致し方なくこの書庫に連れてきたと。
やっぱりポンコツか。
あれ、でも王宮の書庫で実体化したということは。
「グレースって魔物じゃないんだね。」
「ま、ま!なんという…っと失礼いたしました。思わぬ発言に取り乱しましたわ。
私は精霊体。正の意思によって実体化したもの。あのような負の意思によって作られた魔物と一緒にされるのは不本意ですわ!」
「そういうものなんだ。そういえば、さっきグレースが実体化する前、書籍に大量の魔力が吸いとられたんだけど、あれは何で?」
「ああ、あれはですね。」
グレース曰く、この書庫はシルヴィ様の魔紋様の効果により、ずっと長い間、時間を止める魔法が掛かっていたのだとか。
だが精霊化したグレースは時間の流れが人間界とは異なるため、時間を止める魔法に関係なく動き回ることができた。
そこで日々魔力を使い、この部屋の整理整頓、清掃にいそしんでいたのだとか。
道理で部屋がピカピカだったわけだよ。
そして私の存在により時間が再び流れ始め、これにともなって実体化しようとしたところ魔力が足りなくなってしまったと。
…つまり、こういうことか。
「大人しくしてればいいものを、ほいほい魔力使って掃除してたら肝心なときに魔力足りなくなって、そこにソコソコ魔力持ってる私が都合よく現れたので、これ幸いとたらふく魔力吸い取ったら、うっかり空にしちゃいました!と。
しかも掃除してました!とか言ってたけど時間止める魔法に掛かっていたんだよね?ここ。
埃たたないよね?誰もいない訳だし。」
「不覚です。」
「解雇。」
「え、解雇されるんですか?!完璧な侍女なのに!」
「するでしょう、普通に!」
うっかり間違ったら命の危機だ。
ドヤ顔で『侍女としての極意を極めた侍女の中の侍女!クイーン・オブ・侍女でございますわ!』と言った時に、へー!そうなんだとか思ってしまった私の時間を返してほしい。
「それで整理整頓と掃除のほかにどんなことが出来るの?」
「はい。光属性ですので、光魔法と治癒は最高位魔法まで一通り出来ますわ。あと、他に三種類ほどスキルを持っております。」
あら、意外に優秀だったのね。
「嫌じゃなければ、そのスキルとか見せてもらうことって出来るのかな?」
一応個人情報だ。嫌がられるようなら見ないけど。
「もちろん、問題ございませんわ。私はお嬢様の専属侍女でございます!お嬢様のご希望に沿うことが侍女としての勤め。さあ、どどんとご覧になってくださいまし!」
専属も何も、雇ったつもりは更々ないのだが。
だけど見てもいいと言ってくれるのなら、この際見ておいて損はないだろう。
うーん。でもどうやって確認するかな。
とりあえず使い捨ての紙にステータス表示の魔紋様を転写して、そこにグレースの魔力を流してもらう。
ちなみにグレースが私の魔法手帖を見ても驚かないので、おやっと思って聞いてみたらシルヴィ様も普通に魔法手帖を使っていたから、そういうものと思っていたらしい。
…なるほど。シルヴィ様の魔法手帖をリアルタイムで見たことあるんだ。
「シルヴィ様の魔法手帖はどんな装丁なの?」
「表紙の色は薄い灰色でした。大きさはここに並ぶ書籍と同じくらいでしたよ。『何かと目立たない方がうまく隠せるでしょう』と言っておられましたし。」
さすがです。シルヴィ様。
今も思惑通りダンジョン内に紛れ込んでますよ。
探しても、呼んでも出てこないレベルで、ですが…。
ちなみに念のためと思いグレースに確認したけれど、この『女王陛下の書架』にも魔法手帖は紛れ込んでいないとのことだった。
そんなやり取りをしているうちに表示が完了したようで、グレースが手を離した。
うん、精霊体が使うことを想定していないステータス表示の魔紋様だけど無事に発現出来た。
さて、どんなスキル持ってるのかな?
…思わず頬が緩む。
いいスキル持ってますね!
なるほど、シルヴィ様はこの辺りも含めて目をつけていたのか。
「グレース。」
「はい、お嬢様。」
「採用!」
「ほんとですか!ありがとうございます。」
満面の笑みを浮かべるグレースに先ずは最初のお仕事を。
ニンマリと口許が緩む。
先ずはダンジョン内の移動手段を手に入れましたよ!
「私をダンジョンの一階層に転移させて。管理者用入口の直ぐ手前まで。」
「お任せください!!」
さあ、オリビアさん!これでバッチリ紹介所行けますからね!!
心配だからってダンジョンに閉じ込めたってムダですよ!
性格はアレだが、グレースの転移魔法はスムーズに発動し問題なく転移出来た。
目の前に見慣れたあの禍々しい柄の扉が姿を現す。
「それではお嬢様。私は部屋の掃除をしております。
お帰りの際は入口でこの鈴を鳴らしてくださいませ。お迎えに上がります。それでは。」
パタン。
扉が静かに内側から閉められる。
挙措は確かに美しいが、主人の意思を確認しようよ。
一応侍女なんだからさ。
「わう、わう?」
あ、シロ連れてきちゃった。
次回、紹介所です。
もう行けないんじゃないかと思いました…泣




