魔法手帖六十五頁 白い毛玉と、もう一人の少女
足元に纏わり付く白い塊。
犬種でいうと柴犬、よりは小さいから豆柴…かなあ。
表情も体の大きさもそれくらいで。
くるんと巻いた尻尾がピコピコと左右に揺れている。
体毛は真っ白、そしてその毛並みが…。
恐る恐る手を伸ばしてみると、噛まれることもなく体を刷り寄せてくる。
「おー!極上の手触りですね!」
程よいモフモフ感に撫でながら癒された。
ゴロゴロ喉がなる…もしかして猫なのか?
時折見せる体のしなやかな動きは猫や狐とかそういう生き物の特長。
でも、タレ目だ…。
キリッとした表情ではなく、どことなく抜けている感じがするのはこの目のせいだろう。
鼻も低めで、今流行りのブサカワ、と言えなくもない。
しかし体毛の手触りが本当に素晴らしい。
されるがまま、の様子にちょっと調子に乗った私は、ぽふと毛の中に顔をうずめる。
「ちょっと埃っぽいかな。…ダンジョンにいたっていうことは、やっぱり魔物なんだろう。」
試しに名前を呼んでみる。
先ずは先程失敗したアレから。
「エル!」
「わふ!」
「おお、反応があった!じゃあ念のため?…シア!」
「わふ!」
「…ポチ!」
「わふ!」
「タマ。」
「わふ!」
「…大福餅。」
「わふーん!」
うん、これはダメだな。
元々名前がないか、どうでもいいから適当に返事しているか。
もっと撫でて!かまって!感はビシビシと伝わってくるが。
大福餅に大きく反応したってことは、食いしん坊だ。
…誰ですか?
同類だね、って言ったのは?!
「じゃあ、シロね。」
「わふ!」
日本昔話にも出てくる由緒正しい名前ですよ!
センス?そんな高尚なもの私に求めないでください。
「一緒に来る?」
「わふーん!!!」
可愛いなー!だんだん愛嬌のある顔に思えてきましたよ!
シロは私の足にすりっと体を擦り付ける。
「取り合えず、ご飯にしようか。シロ。」
「わん!!」
お座りをしておとなしく待つシロを見て、私は彼(彼女?)を飼うことに決めた。
ご飯を食べたらシロを洗って、それから転移の魔紋様をどうするか考えよう。
ーーーーー
王城、執務室。
アンドリーニは執務室の机の上に置かれた一冊の書籍を取り上げる。
飾りを一切排除した代わりに頑丈で重厚な作りの机にも負けない、しっかりとした作りの装丁。
「この書籍が『女王陛下の書架』にあったそうです。」
「…初代女王の部屋が開いたのか。だとすれば彼女が後継者で間違いないようだな。ところで書籍を持ってきたのは管理者だろう?直接報告を受けていないが。」
「それが彼女を送ってダンジョンから戻ってきて以来、自室に籠りきりのようでして。なんでも体調を崩したようで、本人曰く話し方がおかしいとか?」
「…声ではなく?戻ってきたのは別人ということはないのか?」
「ベールを被って部屋から出てきたそうで、店の従業員が二人、無理矢理顔を覗いたので本人であることは確認済みだそうです。ただ、確認した二人が真っ青な顔で『酷い風邪を引いたようだ』と言っていたので、現在も部屋に引きこもっているそうですよ。書籍は従業員のうち一人が持参してきました。」
「そうか、なら詳しい話は体調が戻ってからでいい。…それから喉にいいと言われる薬湯が私の部屋にある。後で届けるよう手配してもらえないか?」
「かしこまりました。」
少年は口元を緩める。
アンドリーニは興味のない振りをしながらも気遣いを忘れない。
普段の厳しい態度に隠れがちだが、本来の彼の気質は気さくで分け隔てなく細やかな気配りの出来る人柄である。
ことにオリビアは表立って知られてはいないが数少ない身内の一人。
少年も"王家の鎖"を身に付けるにあたって知らされた秘密。
彼女のことは表立って可愛がることは出来なくても、機会さえあれば世話を焼いている。
そんな温かさを持つ彼の性格を知ったからこそ、少年は彼を支えここまでやってこれたのだと思う。
まるで数々の罠の上を細い綱だけを頼りに少しずつ渡るような、そんな日々。
あの五年前の事件を境に大きく二人の関係は変わった。
「しかし魔法紡ぎの女王をダンジョンに住まわせる、など彼女の怒りを買うことはないのか?」
「まあ最初は怒るでしょうね。だが彼女は力をつけようと努力している。その努力にはダンジョンにある書籍が助けとなるでしょう。そこに気が付けば、怒りを納めると思いますよ。」
散々彼を振り回した、初代女王の後継者たる彼女を思い浮かべる。
「随分楽しそうじゃないか。」
一瞬緩んだ表情を見たのか、アンドリーニは片肘を机について興味深そうにこちらを見上げる。
「お前、彼女をアントリム帝国へ迎えに行ってから、よく表情が動くようになったな。『氷の盾』と呼ばれたお前が、笑顔を溢すようになったということで、女官達が色めき立ってるそうだぞ。」
「…それは、不覚ですね。」
「いいじゃないか。」
「は?」
思わぬ王の言葉に、反応が遅れる。
「俺は別にお前が笑おうが泣こうが、場を弁えれば全く問題ないと思っているぞ。第一、俺はお前が表情を動かすことを禁じた覚えは一度もない。」
「しかし。」
「昔の俺たちは、地位を得るには若すぎた。それ故に思わぬ侮りを受けることがないよう、隙を作らぬよう己を律し、お互い以外に心を許すことなくここまで来た。そのお陰でちょっかいを掛けられながらも、味方を増やし何とか国を維持することができたから、俺は後悔なんてない。
だが、一方で俺は人を信じることが出来なくなり、お前は表情を失った。
そして舐められないようにと、あえて選んだ厳しい対応が、他国に情報を漏らすことを正義などと勘違いするような者達をのさばらせる一因であったといえるのかも知れないな。」
「…その事に、いつ気がついて…。」
「そこまで俺の視野は狭くないつもりだぞ?」
苦笑いを浮かべるアンドリーニに少年は頭を垂れる。
「俺は今以上に王国を発展させたい。そのために、今欲しいのは暫しの平和だ。平和など、戦争と戦争の間にある余暇のようなもの。残念だが人々の願いとは裏腹に、ずっと続きはしないからこそ尊いものだ。
あの聡明と名高い初代女王とて、民の暮らしを安定させ国の発展を得るため、武器を取り、たくさんの血を流したと聞く。ずっと続かぬものならば、せめて俺達の時代だけでも暫しの休息を民に与えたいと思う。…我が盾。アントリム帝国との和平条約について進捗状況は?」
「現在、草稿を基に担当者を交え協議を行っております。およそ半月の後には結果をお見せできるかと。二月後には調印の日程を決めることが出来るよう帝国側と調整し進めております。」
少年としては、一刻も早く締結したいところだが抜け漏れがあっては王国の今後に関わる。
相手にするのは若干十五才にして完全に帝国を掌握しているあの皇帝。
激しい気性を持つ国民を纏め、軍部からも文官からも絶大な支持を受ける化け物。
「せっかく、彼女が猶予を勝ち取ってきてくれたのだ。他国へ情報を流す者達の処分も進んだ。例の件も含め対策を練ろう。」
「その件については、誠に申し訳なく…。」
少年の謝罪に、アンドリーニは特に気にする素振りも見せなかった。
「そもそもお前の献上品に守護の全てを委ねる方が誤りなんだ。それを言うなら何のために騎士団がいる。魔法師団すらその守護の魔紋様の守備範囲の漏れに気付いていないんだぞ。とりあえず、危機感を煽っておいたから彼らから早急に対策案を上げてくるだろう。」
「抜け穴の方は、魔法師団とともに塞いでおきました。彼女の地図で長さと行き先がわかりましたので、王国内と帝国の手前までは完全に。古い時代の抜け穴を活用して、時間をかけ延長した物だということが調査した結果わかりましたので、念のため他国から延びている道がないかも確認いたしました。」
「結果は?」
「ブレストタリア聖国から、一本延びていました。しかも比較的堀跡の新しいものが。最近まで掘られていたような痕跡も確認しています。」
「帝国にばかり気をとられていたが。現状聖国の方が危険と言うことか。」
「どっちもどっち、でしょう。実際誓約のなっていない現状なら帝国は聖国と協力して王国に攻め込むことも可能でしょうから。」
「…改めて思うに、不思議だな。」
「不思議、とは?」
「帝国と聖国は利害が一致している。王国を攻め、政治は帝国が掌握し、精神面は宗教国家である聖国が掌握する。棲み分けが出来る以上、攻めてこない現状が不思議なんだ。」
「たぶん魔法紡ぎの女王がいるから、でしょう。彼女の力は未知数です。実際、ダンジョンの魔紋様を浄化で上書きするという力業を成功させている。その彼女がいる間に王国を攻めて対立した場合、戦況に影響を与えないとは限らない。それよりも彼女が一年後帰ることを望んでいることを知っているのなら、帰った後に仕掛けた方が勝算が上がると考えたのでしょう。」
「残念だが、彼女の存在で王国が救われている、というのが現状なら…何とも複雑な心境だな。」
決して忘れることのない、もう一人の異世界から来た少女との決定的な違い。
それは能力の差だけではなく、彼女がこの世界にもたらした影響力の差といえるのかもしれない。
その影響力は今回、王国の存続に大きく秤を傾けた。
「…彼女は、初代女王の後継者たる彼女の存在は、…ミノリとは全く違うのだな。兄上を堕落させた上、国にとって有用な人材を何人も失わせ、評判を貶めた彼女とは。」
「今思うと、彼女は何らかの術か、スキルを使用していたのでしょう。それこそ失われた古代魔法クラスの。
そうでなければあれだけの人間を短時間に意に沿うよう操るなど不可能です。」
「…古代魔法。だがお前は大丈夫だっただろう?」
「私は"女王の盾"だから、かもしれません。ミノリが話しかける度に何かを弾いているような、そんな感覚がありましたから。」
その感覚がより一層彼女に対する警戒心を掻き立てた。
「もしかすると、俺がミノリと会っても無事でいられたのは、お前と行動を共にしていたから、かもしれないな。」
アンドリーニは小さく息を吐いた。
あの甘い声が気味悪いと思いながらも、いつしか目で追うようになっていた自分を魔の淵から救ってくれたのはこの少年だった。
いや、もっと言うなれば…彼が"盾"となる運命を紡いだ初代女王に感謝すべきなのだろう。
兄である第一王子を助けてもらえなかったのは、非常に残念であるけれども。
「…ミノリの消息は掴めているのか?」
「いいえ。第一王子…ジェイス様と共に国を出られて直ぐに別行動をとったようです。監視役がいつの間にか見失っていたとのことなので、何らかの力が使われたのかも知れません。一応捜索はしたのですが、聖国との国境にある通称"魔物の楽園"とも呼ばれる森で、彼女の服の切れ端と少女の遺体と思われる体の一部が見つかったとのことですが、本人かどうかの確認はとれておりません。」
「兄上は…どこへ行ったのだろうな。」
「残念ですがジェイス様の消息は不明です。国を出られて直ぐに別行動をとった、その行動からやっと正気に戻られた、と信じたいですね。」
「すでに全てが終わった後、というのが悲しいが。」
「投獄された他の者達も既に正気を取り戻している、と聞きます。今まで通りの身分を与えるわけにはいきませんが、折を見て今後の身の振り方を示すのはいかがでしょう?"慈悲深き"王として。」
「そうしよう。…出来れば兄上とも話がしてみたいとは思うのだが。」
「聖国に至る道筋で片足と顔に大きく傷を負ったとの情報もあり、手を尽くしたのですがミノリと別行動をとった後の行方が知れません。継続して探すよう、ロイトに指示を出してはいますが。」
「…ロイトか。今回のディノルゾの件もあり、ゲルターとの契約を見直そうとしているところだ。ロイトも対となる組織である以上、無関係とは言えないだろう。」
「ええ、ですから試しているのです。与える情報に色を付けて。」
「なるほど。漏れた情報の種類から誰が漏らしたのか探るのか。」
「こんなことが出来る余裕が生まれたのも、エマが提供してくれた情報のお陰ですね。それがわかっていて上手く活用しなければ彼女に怒りをぶつけられます。これ以上の"祝福"は御免ですから。それに…。」
「まだあるのか?」
「我々の動きを不満に思う者達の一部はやがて気づくはずです。エマが我々の協力者だっだということに。それも初代女王の後継者である、その事についても漏れるのは時間の問題でしょう。」
「…何だと!?お前、気づいていて彼女を危険にさらすつもりか!魔紋様の対価は"政治的な"身の安全の保証と言っていたのだろう?!」
怒りを現したアンドリーニに対して少年は曇りのない笑顔を向ける。
久方ぶりに見せた笑顔の破壊力に怒りを忘れ、思わず唖然とした。
「保険をかけてあります。それにその程度の接触で黒幕に繋がる情報を得られるならば、不快に思うような奴じゃないですよ。むしろ力をつけた後なら、実験の手助けだとでも言っておけば、一定の理解は得られるでしょう。」
実験の出来る場を提供してほしいと相談を受けていたのは本当だ。
残念ながらその後接触を禁じられてしまったが、実験台が自らを目指して突撃してくるのなら受けて立つだろうし容赦はしないだろう。
そういう性格なのだ、あの規格外は。
「まあ、ほどほどにしておけよ。国にこれ以上の不幸をもたらされては困るからな。」
「心得ております。」
オリビアの報告によると、冒険者に狩りの仕方を教わりたいと申し出たそうだ。
彼女のことだ、下手にこちらが関与するとその事に気づいてしまうだろう。
ならば手を出さずに成り行きだけ見守ろう。
その成り行きが、あらたな騒動を生むことになろうとは。
この時、少年はまだ知らない。
お花咲かせるお爺さんの昔話に出てくるワンちゃんが「白」らしいです。
エマ、紹介所どうしよう…展開が思わぬ方向へ転がってしまいました…。




