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エル・カダルシアの魔法手帖  作者: ゆうひかんな


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魔法手帖五十九頁 ブレストタリア聖国領地ソルと白い魔石、ルブレスト家

不愉快な表現を含みます。

「あの噂、聞きました?」

「あれはただの噂ではないみたいですよ?

実際、仕入れ業者が良い品が手に入らないと嘆いていましたし。」

「あの地域は穀物だけでなく、生花や生糸の一大産地なのに。

特に優秀な魔法紡ぎを養子にされて利益も相当上げていたと聞いてるけど?」

「それが、その地域だけ植物の病気が流行っているそうよ。

養子も優秀な魔法紡ぎのようだけど、その力を上回る勢いなんですって。」

「まあ!でもあの国には『聖女』と呼ばれる、力ある方がいるって言うでしょう?」

「そう!伝説にもなったアリアドネ様の再来とも言われているそうね!」

「天使のように美しい方だそうだよ。」


市場には、色々な噂話が飛び交う。


「おじさん、そのチーズと、そっちのチーズもください!」

「お、エマちゃん、今日はいつもより買い物に来る時間が遅いね~。お気に入りの牛乳は売り切れちゃったよ。」

「あら、残念…。ちょっと忙しくしてまして!」

「忙しいのはいいことだよ!儲かっている証拠だ。」

「だといいんですけどね~。」


楽しく会話をしつつも、耳はちょこちょこ人の噂を拾っておく。

市場に集まる情報を侮ってはいけません。

インターネットや電話の普及していない世界ではもっとも新鮮な情報だったりするのだ。

その情報を元にしたゲイルさんの即席地理の授業。

勉強になります!


「今の会話に出てきたのはブレストタリア聖国の領地ソルのことだ。聖国はロソ、ソル、ルオと呼ばれる三領地があって、その領地に小さな町や村が点在しているんだが、主たる産業は領地毎に異なる。古語で「知」を意味するロソと呼ばれる領地に聖国の首都ディーラオルタがあり、経済と学問の中心地だ。有名な『シリス大聖堂』という建造物があるのもここだな。ルオは「美」を意味し風光明媚な観光都市、ソルは「豊穣」を意味し聖国の食糧庫だ。そうか、ソルが不作だと…危険だな。」

「危険…ですか?」

私の言葉に、ハッとしたような表情を見せるゲイルさん。

「何でもない、こちらのことだ。」

私の頭をポンポンと叩く。

くっ、上司部下揃ってこう…。


それにしても。

「聖国って言うからには、やっぱり宗教国家なんですか?」

「そうだな。元々教義の根底となる教えがあって、それを広めていた宗教団体が国家と結び付きを強くしたことで今の聖国になった。聖国では教義の中で創世神の望みは『統一された世界の調和』で、その担い手となるのが"魔法手帖"を持つ聖女だとされている。ちなみに宗教国家だけに民族性としては真面目で朴訥な人柄だが、余所者を嫌い他国の文化を認めない、そういう一面も持っている。」

「宗教って、他者に対しては寛容で、わりと間口は広いと思ってましたけど。」

「国の政治が関わってくるとそう簡単にはいかないところがある。どうしても、政治的な意図が絡んでくるからな。そこに国民感情が絡めばなおさらだ。」

まあ確かに、同じ国の人間同士なら簡単に理解できることでも、他国から来た人には『は、ナニソレ?』的なルールとかあったりするものね。

調和、を目指しているなら余計にそういう不穏分子は抱え込みたくないだろう。

「聖国に、『聖女』ね。」

「なにか思い当たることでもあったのか?」

「いや、まあ…アントリム帝国で熱烈な勧誘を受けまして。

詳しくは師匠に聞いてください。」

「…聖女にか?」

「師匠が聖女と呼び掛けていたのでそうかなと。…随分親しそうでしたよ。」

再びなんとも言えない怒りが込み上げてくる。


「ど、どうした?表情がおっかないことになってるが?」

「イエイエ、オキニナサラズ。」

言われっぱなしだったよなー。

あの黒天使に。

次回は絶対言い返して一矢報いてやろう。

…次回いつ会えるかわからないけどね!

私にだってノビシロはあるはずだ。

志だけは高く持ちますよ!


そんな気合いと共に高めた志は、買い物終わって商店黒龍の息吹(こくりゅうのいぶき)の入り口を開けた瞬間に一蹴されました。





ーーーーーーー



「申し訳ありません!」

こちら、エマです。

ただいま、絶賛土下座中。

隣で何故かゲイルさんも土下座しているのが笑えますね!

「エマちゃん?…まだ余裕がありそうね。」

「はいいー!?」

いつもの時間より遅かったせいか、市場で思わぬ掘り出し物をゲットしてホクホク顔で帰った私とゲイルさん(荷物持ち)が目にしたものは。


怒れる閻魔大王(オリビアさん)降臨。

ご丁寧に二体の小鬼(双子)を背後に従えているところが、さらに恐怖を煽ります!


「…帰ってきたと連絡を受けてから、随分と到着がのんびりじゃないの。」

「ちょっと予定外のハプニングで遅くなりました!」

「言い訳にすらなってない。」

「はい。」

「…お、オリビア、一応彼女も遊んでいたわけでは…。」

「黙っていてください。」

「はい。」

「さあ、エマさん。向こうで何があって、何をされて何を仕返しして、何を取られて何を持ち帰ってきたのか、時系列で主語述語きちんと踏まえて包み隠さず話しなさい。」

「イエス、マム。」

はい。師匠の黒歴史、首輪の件以外は全部話しました。

地下牢でのあれこれを話したら、オリビアさんがちっこい声で『意外と図太いわね』とか言ったのしっかり聞こえましたよ!?

ちなみにサナもいましたからね!?

寧ろお仲間さんだったからね?


「それにしても彼女、なんで地下牢に閉じ込められてたのかしら?」

「タイミングとしては父親が失脚したときなんだろう?使用人から見限られたのかも知れないな。」

「そういえば館に残っていた人数が規模に対して随分少なかったですね。」

人が少ないのを幸いにサナを牢に閉じ込めて、めぼしい家財道具を物色していたとかかな?

彼女が大切なものをブレスレットに入れて身に付けていたのは正解だったのかも。

「…まあいいわ。その辺りはこれから調べていくから。」

それからオリビアさんは、私の両手を包み込んで立ち上がらせると微笑んだ。


「おかえりなさい。エマさん。…心配したのよ?」


ゆ、赦されましたか…!

ああ、閻魔様なんて失礼言ってごめんなさい!

その笑顔、本当は菩薩様でしたか!

「ただいま帰りました!ご心配お掛けしてすみません。」

「「おかえりなさい!」」

双子、かわいいなあ。

左右からぎゅうぎゅう抱きついてくる。

寂しかったのか?

そうかい、そうかい!

お姉ちゃんも寂しかったよ!

でも双子よ、さっきオリビアさんの後ろで仁王立ちしてた時は目笑ってなかったよね。


「じゃあ、俺はこれで帰るが。…エマ。」

ゲイルさんがポケットから魔石を一つ取り出す。

手のひらで握り込めるくらいのサイズのそれは、淡く白い光を放っていた。

「使うか、使わないか。決めるのはお前だ。」

そう言って私の手のひらに魔石を落とす。


「体調には気をつけてな。」

「ゲイルさんも。皆さんにもよろしくとお伝えください!」

最後に僅かな笑顔を浮かべた後、振り向くことなく店から出ていった。

それを見送ったオリビアさんの穏やかな表情が一転して私の方を向く。

「早速で申し訳ないけど、エマさん。

話があるの。荷物を片付けたら『金貨の部屋』に来て。」

「はい。オリビアさん。私からもご相談があるんです。」


私達の、これからについて。




ーーーーー



ブレストタリア聖国領ソル。


風光明媚な観光都市、ルオのきらびやかな美しさとは異なる趣を持つといわれ、それを目当てとした観光客も訪れる素朴な温もりある農村地帯。

穏やかな田園風景の真ん中に、似合わぬ重厚な煉瓦造りの壁が異彩を放つ領主館がある。

その領主館の書斎に長閑とはほど遠い、怒号が響き渡る。

「どういうことだ!この数字は!生花だけでなく、生糸も縫製部門も過去前例がないほど売上が落ち込んでいるぞ!」

「仕方ないではないですか!売れるものが育たないのです!」

目の前で繰り広げられる次期当主となる予定の長男と、領内の商業全体を統括させていた担当者のやり取りを熱の籠らぬ視線で見つめる。


テオドール=ルブレスト。

彼こそルブレスト家の現当主であり、従来から領地の特産であった穀物や生花だけでなく、異なる大陸の技術であった生糸を生産し、さらにはそれを使用した独自の絹織物を開発した。それと同時にいくつもの特許を持つ有名な縫製部門を立ち上げ、観光都市であるルオに販路を広げることで事業を鰻登りに拡大させてきたという貴族にしては珍しく商才溢れる男であった。

「生糸の原料となる生き物の、餌となる葉が育たぬのです。これでもテオドール様の"乾燥させた葉に魔素を注ぐことで質のよい生葉に戻す"という技術があるから凌げていますが、乾燥させた葉が尽きれば、それこそ生き物が育ちません。」

担当者の悲鳴にも似た叫び声に、思わず眉を顰める。

なぜ、できない理由に囚われて自由な発想が生まれない者ばかりなのか。


『魔素を、乾燥させた葉に注いでみてはいかがでしょうか?』


必死に書物を読み、足りない部分を補おうと努力していた小さな後ろ姿。

ふと、この家から追い出したあれ(・・)のことを思い出す。

テオドールが始めたこととされているが、元々このやり方はあれ(・・)が言い出したことだった。

糸を吐くのは魔物の亜種。

確かにそれが魔素を帯びた糸を吐くことから、もしやと思い試してみたところ成功した。

素材として独特の光沢を持つことで知られていた糸と技術に目をつけ、他の大陸からわざわざ技術者ごと導入したのはテオドールだが、品質を向上させたのはあれ(・・)のお陰でもある。

あれ(・・)ですら努力して生き延びるための道を探った、それなのにこの男は。

生糸の生産を担当させていた男にテオドールは静かに問いかける。


「それで?」

「は、い?それで…とは?」

こちらの言っている意味が解らず聞き返す男を一瞥すると、目線で退出を促す。

男が出て行ったことを確認し、テオドールは自身の長男へ指示を出す。

「あの男は降格だ。クビでもかまわん。」

「…しかし、生糸の生産に関する差配は彼が一手に引き受けておりましたので、いきなり居なくなるのは。」

「お前が代わりに采配すればよかろう。」

「…。」

「次期当主となるつもりがあるなら、その覚悟を見せてみろ。」

そう告げて、長男も部屋から退出させる。

暫し考え込んだ後、今度は呼び鈴を掴み軽く振ると、程なくして執事服に身を包んだ初老の男が現れた。

「ルメリをここへ。」

静かに退出していく男の後ろ姿を見ることもなく、領地の収支報告書に目を通す。

あまりにもひどい数字の羅列から立て直しに係る労力を思うと思わずため息がこぼれた。


『領内の作物の生育が芳しくない。』


その報を受け、早二ヶ月。

現地に駆けつけてみれば、この時期なら青く輝くはずの農地は茶色く煤け、黒々とした植物の残骸が横たわるばかり。

それが限られた種だけでなくすべての農作物に及んだとき、ただならぬものを感じて専門家を呼んでみれば。


『黒死病』。

彼らの口から出たのはそんな言葉だった。

書斎の扉を軽く叩く音がする。

「入れ。」

許可をすれば優雅な仕草でルメリが入室してくる。

彼女を養女にしたのは今から二年ほど前。

自身の努力もあり、今では令嬢に相応しい挙措を身に付けている。

「お呼びと聞きました。お父様、どうされましたの?」

わずかに首を傾げると豊かな金髪が肩からこぼれ落ちる。


「これを見てみろ。」

無造作に投げ出される書類に目を通したルメリの視線が段々と険しくなっていく。


「これは…こんな事って…。」

「ルメリ。お前の起点の魔紋様まもんようである『豊穣の礎』によってこの領地の農地は肥え、品質も、収穫量も一気に上がった。」

「はいそうです!!なのに、これはなぜ?」

「お前の持つ魔紋様まもんようには"呪い"を打ち破る力はあるのか?」

「…それは、残念ですがお役に立てないようです。」

「それは困るな。なぜならこの地は、"呪詛"を受けているとしか思えないからだ。」

実際、他領の農地に収穫量の変化は見られない。

むしろ最近の程よい暖かさのお陰で、例年以上の豊作が見込まれる地すらあるくらいだ。

「…私に新たな魔紋様まもんようを紡げと言うのですか?」

「新たにでなくともよい。持ちうる魔紋様まもんようの中で使えそうなものは?」

「何種類かありますが…この領にあるすべての農地を対象とすると、魔力の量が足りません。」

思案するルメリの表情の変化を観察したのち、テオドールは口を開く。


「今、クリスティーナ(あれ)を探させている。」

「っそんな、お父様…!」

「勘違いするなよ。代わりに、お前を今すぐどうこうするわけではない。クリスティーナは魔力の量だけなら桁違いに多い。王国の魔法紡ぎは他者の魔力と自分の魔力を循環させ、融通し合う技術を持っているという。魔力があれば、呪いを打ち破る効果のある魔紋様まもんようの選択肢も増えるだろう。今、あれ(・・)だけでなく、そのほかにも魔力の多い民を集めているところだ。それからそういうことに詳しい王国の技術者を勧誘し、こちらに向かわせている。到着次第、その技術者から他者の魔力を融通してもらう技術を学ぶとよい。」

「ありがとうございます!お父様!」

「ただし、二週間だ。」

「え?」

「技術者が到着してのち、二週間。それ以上は領内にある商品の備蓄が足りなくなる。その間に呪いを打ち破り、農地を回復させることができなければ。」

「…お父様?」

「クリスティーナの代わりとして、あの方へ嫁いでもらおう。」

「な、なんですって?!お父様、よくもそんなひどいことを!」

「同じことを私がクリスティーナに言ったとき、お前はあれに何と言った?」

「…。」

「あれよりもお前の方がチャンスがあるぞ?技術者がくれば新たな魔紋様まもんようの情報をくれるかもしれない。」

徐々に顔色が悪くなっていくルメリにテオドールは醒めた視線を送る。

親の言いつけで結婚相手が決まるなど、貴族にとっては当たり前の事だろうに。

向上心と出世欲を隠さない強気な態度が気に入って養女にしたが、しょせんは市民階級の子。

いざとなって逃げ出されるのは都合が悪いため、監視の目を増やすことにする。


それにしても。

「王国の人間は理解ができぬ。他人の魔力を自らの体に受け入れるなど、気味が悪い。

魔力とはいえ、他人のものだぞ。気持ち悪くないのか。」


自らが養女としたものに、それを強いる事の残酷さに気付くこともなく。

テオドールは呆然とするルメリを下がらせるため、侍女を呼ぶための鈴を手にした。






ルメリ、ブーメランでした。

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