魔法手帖五十八頁 毒姫と呼ばれた人と、対価
カロンさんのご飯は、本日も安定の美味しさでした。
この国も日本よりは緩やかな四季のようなものがあり、今秋真っ盛り。
ちょこちょこ雨が降るけれど湿気はないからカラッとした空気で、あの纏わりつくような不快感はない。
そして、食卓にも秋野菜といわれるキノコ類やかぼちゃ等の野菜が並ぶようになっていた。
これが暫くすると緩やかに気温が下がり、もっと秋らしい季節がやってくる。
「茹でただけの野菜がこんなに美味しいなんて…。」
「まよねーず、っていうのかしら?確か王都でも流行ってるって聞いたけど。」
はい、王道のマヨネーズ作りました。
即席なので味の調整は出来なかったけれと、ルイスさんが護衛のお仕事で出掛けたついでに"胡椒"を買ってきてくれたので、急遽それも使い大人の味に仕上がりました。
「前にエマが欲しいっていってたからね。」
そう言って渡してくれたルイスさん。本当に料理の幅が広がって助かりましたよ!
おや、カロンさん、笑顔がニンマリしてますが、どうしました?
サナも『本人が全く気づいてないところが憐れね…。』とかどういうことですか?!
ちゃんと感謝してますよ!
「そろそろ、いいかな?」
…っと失礼しました。
「このあと、エマちゃんの予定は?」
「はい。先ずは市場に行こうかと。今回のあれこれで作りおきの惣菜を随分食べてしまったのでそれを補充するために食材を買います。それからサナの泊まる宿を探すのに街へ向かいます。あ、ちなみにおすすめの宿とかありますか?」
「あら、サナちゃん、うちに泊まればいいじゃないの。」
「え、カロンさん!そんなに親切にしていただくわけには…。」
慌てて断ろうとするサナ。
だけどルイスさんもカロンさんに同意してくれた。
「見てわかる通り、部屋は余ってるからね。それにエマが君をここに連れてきたのはそこのところも含めてだと思うよ。」
「そこまでは思ってませんでしたけど、サナのことを知ればそう言ってくれるかもっなんて期待はしてました!…特にカロンさんが!」
「期待通りだったね。」
いい笑顔で笑う私に対して苦笑いするルイスさん。
サナは元の身分も身分だしね、美人だし一人にしたら万が一があるかもしれない。
それに根が真面目なタイプだから、一人きりでいると精神衛生上悪い方向に思考が傾きそうだ。
「いいんじゃないか?彼女に連絡をとりたいときはカロンに伝言すれば済むし、美しい女性が身の回りに増えることは大歓迎だよ。」
「こちらの生活に慣れるためにも誰かがそばにいた方がいいだろう。」
…ディノさん、誠実さの欠片も見えない最後の一言はどうでしょうかね?!
ゲイルさん、ディノさんの台詞をさらっと流しましたか!
そして、流石ですサナさん。
皇帝陛下があるせいか、こちらもスルッと笑顔で流しましたね!
「ちなみにサナは何か問題あるの?」
「ないわ!全然ないわよ…ええと、ありがとうございます。もし大丈夫ならお世話になります。」
感謝の言葉とともに軽く礼をとるサナ。
相変わらず挙措に品があって美しいですね!
「うふふ、そんなに畏まらなくていいのよ。」
そう言ってカロンさんはサナを部屋へと案内していく。
二人の話し声が遠くなり、扉がしまったところで。
「さ、エマちゃん。大人の話をしようか?」
「…何でですかね?ディノさんがいうと色々誤解を生みそうですが?」
「茶化さないで。彼女は何者だい?」
「まあ、そうきますよね。」
どこまで話そうか思案する。
とはいえ、あの人がいる以上は筒抜けだろうな。
それにサナがこの国に馴染んでいくためには生活における格差も含めてサポートが不可欠だ。
そのためには元の身分も含めて説明するしかない。
そう覚悟を決めてアントリム帝国で彼女と出会ってから連れてくるまでの経緯を話す。
「そう、彼女が"毒姫"か。本当に人の噂ほど当てにならないことはないね。」
「"毒姫"?何ですか、その物騒な呼び名は。」
「彼女の噂を元にして帝国内の人間が付けた呼び名だよ。我が儘で、自分より身分の低い人を人とも思わない残忍で傲慢な性格。花のように美しいがゆえに毒を持つ…なんていうこの噂もエマちゃんの説明を聞くとあの国の意向が含まれているのだろうね。」
そういう噂を流すことでサナの奥ゆかしく真面目な性格を隠すとともに縁談を取り止めてもいいような雰囲気を作り出したわけか。
たかが噂と侮る事なかれ。
他国にとって噂は立派な情報源だ。
そして噂を利用することは悪い事ばかりではない。
ここまで噂と本人が容姿の特徴込みで違えば、同一人物とは思うまい。
そしてそのことはサナに対しても、ルクサナとして帰れる場所はない、とそう言っているようにも思える。
恐るべし、皇帝陛下…。
本当に優秀な方っているのね…死角はないのだろうか?
サナには溺愛っていったけど、ここまでくると偏愛って言うのかな?
サナ、頑張って幸せになっておくれ。
さもないと王国は気がついたら皇帝陛下の策略で滅亡させられていそうだ。
っと、策略って言えば…。
「そういえばディノさん、"ヒュノプスの眠り"でしたっけ?あの術にかけられた原因判りました?」
「…突然どうしたの?それがどうした?」
何気ない返答にある、不自然な間、不自然な受け答え。
ああ、やっぱり。
「それがどうした、ですか。どうかした、ではないんですね。たぶん気づいている、とは思ってましたけど。ちなみに私も気づきましたよ。ディノさんが"ヒュノプスの眠り"にかけられた手段に思い当たったので。あと強いて言うならシル…女王様の『本当の主』という言葉と『二手三手先まで』という辺りから謀られたことでないかと思ったまでです。手段は、それ、ですよね。」
私が指差したのはディノさんのポケットに、いつも無造作に入れられているもの。
それは、魔石だ。
「ディノさんはいつもポケットから魔石を出す。恐らくそのポケットには収納の魔法がかけられているのかなと。例えば今回の探索の際、補充した魔石はどこに収納されるか。それはそこですよね。いつも魔石を持ち歩いているディノさんが、今回の探索に何度も補充して潜ったと聞きました。"買って"から補充して潜ったのではないんですよね。なら、補充用の魔石を買ったのは誰か。」
「…ゲルターの人間だよ。」
「嫌なことを言わせて申し訳ありません。」
魔石には色々な用途があると聞いた。
例えば普段から魔力をためておいて、必要なときに補充して使うとか。
また治癒や転移など、魔法や魔紋様をかけておいたものに魔力を流して発動させるとか。
今回の仕掛け、たぶん使われるタイミングはいつでも良かったに違いない。
"ヒュノプスの眠り"をかけた魔石をディノさんのポケットの魔石の中に紛れ込ませておく。
その魔石には自分の魔力を補充しておいて、発動するぎりぎりのところで止めておく。
ほんの一瞬でも魔石に手が触れて、触れた手から漏れた魔力で発動するように。
ディノさん、本当は運が良かったのかもしれない。
タイミングが悪ければアルカイク・ドラゴンにパクリゴクンだ。
「組織内にそういう人間が紛れ込む、そういう状況を想定していなかったわけではない。
今となっては言い訳にすぎないが。」
ゲイルさんの言葉に首を降る。
「すみません。答え合わせだけしたくて…責めるなんて私がすべきことではありません。私がすべきなのは、対策です。」
「対策?」
「こういうものを紡ぎました。」
魔紋様の転記された紙をさしだす。
人呼んで、監視カメラ(人感センサー付き)。
師匠の録画機能付き魔道具の話を聞いて、早速紡いでみました。
何度か微調整が必要で試行錯誤した結果、なんとか魔紋様としてはものになりました。
ただし。
「ほんとはサナに相談して魔道具の形にしてからお渡ししたかったのですけど、そこまで時間がなくて。」
「どんな機能をつけたいの?」
「レンズ…画像を写すガラスといったらいいでしょうか?透明な…魔道具の目になる部分が足りません。あと、記録は魔紋様本体で出来るのですが、転送先の媒体は受信機能しか設定してませんので証拠として記録を残せる媒体が別に必要になります。」
サナが魔道具の説明をしているとき、画像を転移させる、と言っていた。
なるほど、画像を送るものと受けるものを用意すればいいのか。
イメージとしては発信機と受信装置。
「人感せんさー、というのは?」
ディノさんの質問には回答としてもう一枚、魔紋様を転写した紙を取り出す。
「人の動きや会話に反応するための機能です。このセンサーに触れることで、録画用の魔紋様を自動的に起動させます。起動や送信などに必要な魔力はその場にいる人の余剰魔力を拝借するようにしました。なので本体にいちいち魔力の補充をせずとも動きますよ。これを思い当たる場所にばら蒔いてみませんか?面白いものが写るかもしれません。」
「なるほど、そういう使い方をするものなのか。」
「人の多い場所や、怪しいと思われる場所にはすでに何らかの対応をされていると思います。ですが知っていてそういうものがない場所を使う人物がいる可能性もあるでしょうし。」
身内を疑え。
生意気にも、私はそう言っているのだ。
例えばどこに監視用の魔道具を設置しているのか、そういう情報を手に入れることができる立場の人間が今回の一件に関わっているかも知れない。
今回帝国に行って感じたこと。
それはこの国の情報収集力の弱さ。
気質、なのだろうが比較的おおらかでのんびりした人が多い。
いい面が一転、悪い方向に転がると今回のようにいいように扱われてしまう。
簡単に今回の犯人が釣れるとは思わないが、これからも狙われる可能性を考えると、自分が助かる可能性の方をあげておくに越したことはないだろう。
それは人のためだけではなく、自分の身の安全のために。
利己主義と言われてもかまわない。
私は自分のために魔紋様を紡ぐのだから。
ディノさんに魔紋様を手渡す。
それから一呼吸おいて、一言。
「これを対価として提供します。これ以上、私には用はないと思うので関わらないでください。」
「…エマ、そんな自分を苦しめるような言い方をしなくてもいいんだよ。」
わかっているから。
ルイスさんが頭をポンポンと叩く。
逸した視線を上げれば、ディノさん達の思わぬ優しい眼差しにぶつかる。
今回、拐かされたことでダンジョンに禁忌の魔紋様を設置したのは宰相様だと思っていた。
だけどそれだけでこれほどの人々が接触するのは、おかしいだろう。
サント=バルトニア王国からは師匠に、国王様。
アントリム帝国の皇帝陛下と、"帝国の剣"とも呼ばれるなんちゃって執事。
そして最後に割り込んできた聖国で聖女と呼ばれているらしい黒天使。
彼らのうち誰かが関わっていたからこそ、国を跨ぐことになったのだ。
どこからどこまでが、その人の計画のうちなのかはわからないけれど、今回に限ればディノさん達は巻き込まれただけの可能性もあったのに。
守られることを当たり前と思っていたからそんな簡単なことにも気付けなかった。
「意外に不器用なんだね。」
「そんな純粋な気持ちではありませんよ。先送りした厄介事を回収するだけですから。」
私は苦笑いを浮かべる。
対価なんて言ったけど本当はただ渡す理由がほしかっただけ。
彼らだって全てが政治的な思惑で動いてきたわけではないと思う。
そういう彼らの親切心に対して対価という言い方は失礼だと思うけれど、国に啖呵を切った以上、ディノさん達の優しさだと甘えて、いつまきこそのままには出来ない。
その一方でこの人たちが誰一人、欠けることがなければいいとそうも思った。
そのために何かしなくてはいられなかった。
せめて彼らが平穏に暮らせるように。
自分が出来ること何かを。
「もう一度、エマちゃんの信頼を得られるように精進するよ。」
そう言って笑うディノさんの言葉に思わず目頭が熱くなる。
「差し出された手を振り払うような真似をしてすみません。」
たぶんこれは私のわがままだ。
ディノさん達は限られた手段のなかで精一杯私を守ろうとしてくれている。
それでも、強くなるって決めたから。
アントリム帝国で、複数の男に囲まれて襲いかかられたときに。
自分で戦わなければいけない瞬間がこれからもあるだろう。
そのときに、あのような弱さを引きずっていては困るのだ。
「近くに寄ったら、気軽に遊びにくるといい。」
ルイスさんが頭をポンポンと叩く。
その言葉と同時に、扉の向こうからカロンさんとサナの笑い声が聞こえた。
さて、そろそろお店に戻ろうかな。
サナはこのまま置いていっても大丈夫だろう。
急がないと食材の買い物もあるし、お店…オリビアさんが怒り狂ってるだろうな…。
シルヴィ様のあれこれ説明しなきゃいけないし、納得するまで離してくれないだろう。
「うう、帰りたくないな。」
「考えていることもわかるし、同意もするけど、速やかに帰った方がいいよ。」
「ですよねー。」
「送っていこう。」
玄関までいくと、ゲイルさんが待っていた。
「買い物もしますし、近いから大丈夫ですよ?」
「一応重要人物なんだから、ここからの帰り道に命の危機があるかもしれないし。」
「そういうことなら、お言葉に甘えます。よろしくお願いします。」
「いい子だ。」
いつも無表情なゲイルさんの、綻ぶような微笑みは破壊力抜群ですね!
驚きのあまり、逆に私が無表情になっちゃいましたよ!
扉を開ける。
昼下がりの、見慣れた西市場までの道のり。
玄関にいるディノさんとルイスさんに手を降る。
さあ、久々のお買い物だ!
食材が私を待っているよ!
ーーーーーーーー
エマが帰ったあと。
ディノルゾは僅かに微笑む。
「エマの"対価"という言葉があんなに愛らしいと思わなかったよ。」
「そうですね。一生懸命これは対価、対価だからって言って、こちらがそんなことを気にしないで受け取れるように必死になって言い訳して。」
ルイスも思い出したのか一層おかしそうに笑う。
エマは異世界から呼ばれた人間なのだ。そんな彼女が会いたくないのなら、単純に『会いたくない』と言えばいい。
それなのに、あえて対価に貴重な魔紋様を提示して、惜しみなく手助けしようとしてくれる。
「サナの採用試験として、エマちゃんの魔紋様を魔道具に仕上げてもらおうか。」
「いいですね!彼女も喜ぶと思いますよ。」
食堂に入ってきたサナとカロンが彼らを呼ぶ声がする。先ずは置いていかれた格好のサナに、エマが帰ったことを説明しないと。確かにあんまり遅くなると、散々待たされたオリビアさんがおっかないことになりそうだ。
「大丈夫。君の優しさは確かに受け取ったよ。」
誰に聞こえるでもなく呟いたルイスの言葉は昼下がりの喧騒に溶けた。
保存したつもりが、いきなりタブレットの電源が落ちて真っ白に…。
一から書き直して遅くなりました…。




