憎しみの枷 sideクリスティーナ
ちょっと歪んだ思考が出てくる章です。
得意でないかたは読み飛ばしてください。
※クリスティーナの現在名を「クリスタ」に変更しました。
迷っていたのですが、この方が話が膨らみそうなので。
いきなりの変更申し訳ありません。
なぜ、人はこんなにも愚かなのかしら。
魔紋様に身を投じたクリスティーナの転移した先は同じ地下、二人からは随分と距離をとった場所。
身を隠し、魔法手帖から姿隠しの魔紋様を発動する。
合わせて盗聴、透視の効果を付与した魔紋様を追加し、二人の会話に耳を傾ける。
「他愛ないこと。」
口元が緩むのを感じる。
二人の関係に亀裂が入った瞬間を見届けると、手元の魔法手帖に視線を落とす。
「本当、アリアドネ様に感謝だわ。」
アリアドネ=ルブレスト。
長いこと、嫉妬や憎しみをぶつけてきた相手。
教会に保護という名目で軟禁されていた彼女の趣味は、魔紋様の収集。
膨大な数の魔紋様は全て複写され、彼女の魔法手帖に記されているという。
クリスティーナは、現在、大司教レイモンド=ロウェイルの養女としてクリスタ=ロウェイルと名乗っているが、元の姓は違う。
クリスティーナ=ルブレスト。
魔法紡ぎの名門といわれるルブレスト家。
アリアドネ死去後、全く女児に恵まれなかったルブレスト家に数百年の時を経て、やっと生まれた期待の星。
その期待は、集める魔素の量が常人を上回り、研究者から一桁は違うと太鼓判を押されたことで最高潮に達し、七歳の時に受けた『開眼の儀』で生活魔法程度しか紡げないありふれた起点の魔紋様を発現したその瞬間に一気に地へと落ちた。
その後、十五歳の時に完全に縁を切るまで、彼女は家族から使用人以下の扱いを受けてきた。
ただただ働かされ、満足な食事も与えられず、使用人からも蔑まれ苛められた。
何度思ったことだろう。
ルブレスト家に生まれなければ。
起点の魔紋様がもっと高位のものだったら。
愛されるということがこんなにも困難でなかったら、と。
特別であることを望んだ訳じゃない。
ただ、皆と同じでありたかっただけなのに。
それでも、途中まではまだ、努力すれば未来は開けると健気に耐えていたクリスティーナだったが、ある時を境に、その努力すら放棄した。
ルブレスト家に養女が貰われてきたのだ。
奇しくも彼女の誕生日の当日に。
養女はルブレスト家の誇る聖女に準え、古語で『聖女』を意味するルメリと名乗った。
その当時彼女よりひとつしたの十二歳だったルメリ。
一般的な平民家庭の出身で、容姿はクリスティーナほどの美しさはないものの、整った顔立ちに翡翠のような瞳、そして実った稲穂を思わせる豊かな黄金色の髪を持ち、十分に美しい。
そして彼女のもつ「豊穣の礎」と名付けられた起点の魔紋様は、その名の通り農地を富ませ、収穫量を増やし、相乗効果で人々を救った。
まさに聖女に相応しいということで、ルブレスト家に迎え入れられた彼女。
彼女は、悪魔のような少女だった。
「父様、クリスティーナお姉様が『お前は貰われっ子なんだから、偉そうにするな』って言うの。」
「言ってないわ!」
彼女は何が気に入らなかったのか、クリスティーナを苛めぬいた。
それこそ、益々クリスティーナを疎んだ家族が彼女を追い出すことに決めるまで。
十五歳になり、クリスティーナが成人すると、今まで呼ばれたことのない応接間に彼女は呼び出される。
そこで両親から彼女に提示された未来は二つ。
身分を平民に落とし家と縁を切るか。
この家の娘として、五十歳以上も歳上の男性の元に嫁ぐか。
「嫁ぎ先の相手の方は、おおらかな方で、意地の悪い貴女でも可愛がってくれるそうよ。」
「良かったですね、お姉様!」
実の母親と、嘲笑ともとれる満面の笑みで答えるルメリを見て、彼女は悟った。
この人たちにちょっとでも情があると期待した自分がバカであったと。
すでに彼らのなかではクリスティーナは人ではなかったのだ。
クリスティーナはその場で家を出て平民になる事を決めた。
部屋を出ていこうとするクリスティーナに対して、ルメリは両親に聞こえないように囁く。
「早く出ていきなさいよ、役立たず。これでやっと清々したわ。」
ニヤリと笑った顔を見て、自分が苛めぬかれた理由も理解した。
半ば追い出されるように家を出たクリスティーナは、自宅から離れたところに止めてある馬車に目を止める。
「あれは…。」
馬車から降りてきたのは教会内部で頭角を現し、大司教になった実力者でもあるレイモンド=ロウェイル。
彼女はまだこのとき彼の事を知らなかったが、彼は普段みせる温厚な姿とは違い、冷ややかな値踏みするような視線でクリスティーナを見つめる。
そして口角をあげると、彼女に手を差しのべた。
「素晴らしい。人がここまで瞳に絶望を宿すとは。そんな瞳を持つ戦士を待っていたのだよ。君は、私のために働く気はあるかい?私は聖なる教えによる第三大陸の民の救済を掲げている。この崇高な理念を果たすために、君に力と知恵を与えよう。さあ、どうする?」
「…ら。」
「なんだい?」
「私の願い事を叶えてくださるなら。」
「家族に復讐したい、とかかな?」
君の状況は聞いているよ、そう言って少しだけ表情を緩める。
「それは不要ですわ。自分でやりますから。」
「では何がほしい?」
「魔法手帖がほしいです。出来れば、アリアドネ=ルブレストの。」
「なるほど。それを君に与えたら、君は対価に何を捧げる?」
「私の全部を神と聖国に。髪も身体も、この魂さえ何もかも。」
「素晴らしい!その覚悟を持つ戦士は男でもなかなかいない。さあ、きたまえ!先ずは戦士に十分な栄養と休養を。その後しっかり働いてもらおう。」
そして約束通り、レイモンドは魔法手帖を手に入れてきた。
そしてそのレイモンドの願いを叶えるため、彼女は魔法手帖の力を振るう。
彼が先ず手に入れたいのは王国だという。
政治的に揺らぐ王国は力ある国から見れば魅力ある獲物。
王国の弱体化を促進するため、彼は帝国と手を組んだ。
その駒のひとつがクリスティーナというわけだ。
「もうそろそろいいかしら。」
言い争う声はすでに聞こえない。
冷静になろうと互いに努めているが、関係の修復が困難であることに変わりはないだろう。
あまり長居をして怪しまれても面倒、そう思って魔紋様を破棄し、立ち上がったところで。
派手な音がして黒い空間に亀裂が入る。
「なによ、これ…。」
空間にパラパラとこぼれ落ちる黒い欠片。
やがてむき出しになる土壁。
この場所の秘密がバレたことも問題であるが、それよりも問題なのは彼女が手に握るもの。
彼女の手に握られるのは選ばれた魔法紡ぎの証である魔法手帖。
そしつ何事か呟いた少女の足元から沸き上がる美しい金色の糸。
『アリアの花冠』が魔紋様を紡ぐ様を初めてクリスティーナは見た。
かつて人々は、アリアドネ=ルブレストを語るとき、こう口にしたという。
"魔紋様を紡ぐ彼女はまるで聖母のように愛に満ち清らかで美しい"と。
そして"紡ぐ姿は見た者を虜にする"とも。
「なんて、美しいの…。」
先ほどまでそこにいたのは地味な容姿の平凡な少女であったのに。
圧倒的な魔法紡ぎとしての力の差を感じた。
まるで宝物を扱うかのように、足元から沸き上がる金の糸を大切そうに掬い上げ、糸の細さを調節し、紡ぎ上げた紋様へと優しく還す。
光の先にいたのは万物を慈しむ『聖なる母』の姿だった。
そこには、彼女が失った"愛"が溢れていた。
クリスティーナが紡ぐのと同じ手順のはずなのに、遥かに繊細で、精密な魔紋様が瞬く間に紡がれていく。
紡ぐ糸の光が反射して黒い髪を金色に染め上げ、上気した白い肌は光を浴びて輝く。
先ほど見た、地味な容姿の少女とは別人のよう。
「あれが王国の誇り、『魔法紡ぎの女王』。」
憎い。
あの魔紋様は私が受け継ぐもののはずだ。
それを…あの少女が悪しき力で奪ったに違いない。
そうよ、私が家族に愛されなかったのも、死ぬまでずっと聖国の駒として生きなくてはならないのも、全て彼女のせい。
クリスティーナの残った良心が悲鳴をあげる。
それは違でしょう?
彼女は異世界から来た者。貴女のこれまでに関わったことはないわ!
彼女は貴女の家族とは別の人間でしょう!
残念なことに、その叫びは簡単に握りつぶされた。
そうでなくては、クリスティーナは生きていけなかったから。
「逃がさないわよ、『魔法紡ぎの女王』。王国も、『アリアの花冠』も、その命さえも…全部私の物。」
奪われたものを、一つずつ私が取り返すの。
クリスティーナの唇が歪んだ弧を描く。
「そのために準備をしなくちゃ。先ずは私の元家族から、ね。」
夏の夜に読んでいただくとちょっと涼しくなれるかもしれません(汗)




