魔法手帖五十一頁 黒天使降臨
不快な表現含みます。
天使は、重力を感じさせないほどゆっくりと下降し。
私の目の前に降り立つ。
まるで彼女の周りだけ、光に満ちあふれているかのようだ。
「私、とうとう死んだか。」
短い間お世話になりました、異世界の皆様。
お父さん、お母さん、先立つ娘の不孝をお許しください。
呆然とした私のこぼした一言に目の前の天使が笑う。
その笑い声は鈴を鳴らすようで美しい。
…異世界の神様、どこまで差をつけるんだ?
どう考えても不公平だろう!!
どうせなら、絶世の美女に加工されてから転移したかった。
「お嬢さんはまだ生きていると思いますよ?ここはまだ現世のようですから。」
「貴女はどこの天使さんですか?」
「まあ!そんな風に言われたの、初めてよ。」
嬉しいわ、そう言いながら見せた笑顔。
眼福です。
「で、なんの御用ですか?天使さん。」
「私の名前はクリスタ。そう呼んで下さらない?」
「はい、エマです。それで御用があるんでしょう?偶然を装ってこんなところに現れたわけですから。」
「気付いておいででしたの?先程は随分と余裕がなさそうにお見受けしましたけど。」
「やっぱり見ていたんですね。さっきのアレを。」
はい、敵認定。
この子が天使なのは皮だけだ。
多分中身は違う。
ルクサナ様とは逆のパターンだな。
「ふふ、そんなに警戒なさらないで。初めまして、『魔法紡ぎの女王』様。私一度お会いしたいと思ってたのよ。同じ魔法紡ぎとして頂点を競う存在ですもの、気になるのも仕方ないと思いませんこと?」
ふんわりとした白いドレスを揺らし、片側に流した髪を三つ編みにして、いかにも清楚なお嬢様の格好をしたクリスタと名乗る少女。
「偽名って、すぐわかるような名前を名乗るのは良くないと思いますよ?特に初対面の人間には。」
名前を口にしたときの違和感というものは、初対面である方が良く分かるもの。
この少女は特に顕著だ。
はっきり肌で感じるほど敵意を隠そうともしない。
雰囲気ががらりと変わった。
「…どうしてわかっちゃうのかしら。皆よく騙されてくれるのに。それも女王の恩恵ってやつかしら?」
「知るわけがないし、知ってても言う訳がないでしょう。」
「まあいいわ、今日はただ会いに来ただけではないもの。」
するり、と私に向かって手を差し出す。
白魚のように美しい手…というわけではなかった。
きれいにはしているけれど、思いの外、関節が張っていて小さな傷もある。
苦労知らずのお嬢様というわけではないようだ。
「私はブレストタリア聖国からの使者です。貴女を聖国へお誘いに来ました。王国は貴女を信用していない。国からの使者をロイトやゲルターといった身分の低いものに任せきりなのがよい証拠。貴女、王にお会いしたことが御座いまして?」
「ないですけど?」
「あら不思議。二ヶ月近くも王国にいて、一度もお会いしたことがないなんて!!貴女は『魔法紡ぎの女王』でいらっしゃるのに?しかも、ダンジョンで起きた事件を貴女が協力して解決したのに、お礼も褒美もないなんて。扱き使うだけで庇護してももらえないなんて、名ばかりの哀れな女王様ですこと。」
一瞬、言葉に詰まった。
悪意に満ちた言葉に含まれた一片の事実が重くのしかかる。
そして放たれる決定的な一言。
「貴女、切り捨てる前に有効活用されているだけではなくて?あの少年に。」
国が保護して生活費を与え、優しい言葉で懐柔して。
与えられたもの以上の恩恵を受けながらも庇護しないのは、失っても惜しくはないから。
使えなければ、ただ切り捨てるだけで済む。
異世界から迷い込んだ人間は、この世界にとってその程度の存在なのだと。
そう分析した彼女の表情はとても慈愛に満ちていた。
その顔を端からみれば、本当に相手を心配している心優しい少女に見えるだろう。
だが口にする言葉は悪意に満ち、刺だらけだ。
堪えきれず時折口元にうっすら浮かぶ笑みは、様々な長さの刺がエマに刺さることを喜んでいるようにしか見えない。
だが見えないはずの棘のいくつかは確かに私を傷付けていた。
「少なくとも…師匠は、そんな人ではないよ。」
図らずも、段々小さくなっていく声。
わずかでもそう思わなかったわけではない。
ただほど高くつくものはないのだ。
どこまで私を利用する気なのか、と。
「ずいぶんと信頼されているのね。では、あの方のお名前は?」
「…。」
「貴女が師匠と呼ぶ、あの少年のお名前をご存じかしら?名前を明かすのは信頼の証とも言われていますのよ。…ええっ、なんてこと!!まさか、あれだけ親しげにされて、お名前もご存じないなんて。あの方はなんて残酷なことをなさるのかしら…。本当に貴女、お可哀想。」
舞台役者が繰り広げる、断罪。
なぜか私が罪を明らかにされているような気がするのはなぜだろうね。
うつむいた私に、彼女の口角が一気に上がる。
「良ければ、あの方のお名前くらい、私が教えて差し上げましょうか?あの方ご自身が私の手をとって、手の甲に口づけながら、自ら教えてくださったの。ですから、万が一にも間違いはありませんわよ?」
そして、視線をそらす私の手を構わず握り、軽く引き寄せると私の耳元に近づく。
吐息がかかり、毒を含んだ甘い声が注ぎ込まれる。
「彼が仰っていたわ。貴女は"駒のひとつ"なんですって。」
自分でも血の気が引いていくのがわかった。
否定しても、否定しても、簡単に納得してしまう自分。
特別であることを望んだ訳じゃない。
ただ、皆と同じでありたかっただけなのに。
協力すれば、いつか仲間になれる。
そう都合よく解釈して望むままに協力したのにも関わらず名前すら教えてもらえなかったのは。
都合のいい駒と同じだからなのだろう。
そんな私を嘲笑うように彼女は更に悪意を込めた言葉を浴びせてくる。
「お可哀想な女王様?私と一緒に聖国へいらっしゃいな。少なくとも、私たちは貴女をきちんと保護して正当に評価してあげるわよ?」
彼女は、私を包むように抱き締める。
清らかさは淀みを知るからこそ際立って見えるのだ。
それを知り、使いこなす彼女はとても敏い。
「全て私がいいように取り計らってあげるから、貴女は言われるままに魔法手帖を差し出して、こちらの求めに応じて新たな魔法を紡げばいい。深く考えなくていいの。ね、簡単なことでしょう?」
あやすように背中を擦りながら、甘い言葉を囁く。
そしてそのまま転移の魔紋様へと導いていく。
流されるように歩き出した足がピタリと止まった。
「どうしたの?足が止まっているわよ。大丈夫、魔紋様に乗ればすぐに聖国へ着くわ。」
「なるほど、それが目的だったんですね。」
一呼吸して私は真っ直ぐに彼女を見る。
ちょっと狼狽えたけど、大丈夫。
そこまで私は軟弱ではない。
「この年齢まで悪意のひとつにも晒されずに生きてきました、なんて自慢にもなりませんよ。現に貴女だって利用する気満々だったじゃないですか。それと王国の対応を比べてみても大きな違いはありませんよ。」
表立って堂々と利用するか、裏でコソコソ利用するかの違いだ。
言い訳は聞かないよ?
保護しては『隔離して』に聞こえたし、正当に評価しては『使い捨て』に置き換えられるな。
もしかしたら王国にいるよりも扱いが悪化するかもしれない。
その言葉に、彼女は唇を歪めた。
うん、その皮肉気な表情の方が至極彼女らしい。
たいして知らない相手のはずなのに、なぜかそう思った。
「同じ利用されるのならどこにいても同じでしょう?なら、逆に利用してあげるの。それには貴女の協力が必要なのよ。…だから一緒に来てちょうだい。」
一瞬にして清楚な少女の仮面が剥がれた。
彼女の手のひらに魔素が集中していく。
「その量…。」
「そんなことも見えるの。やっぱり異質なのね。さあ、来てちょうだい。」
「ちょっと何を?!」
「嫌とは言わせないわ。」
手首を掴もうと伸ばした彼女の手が、完全防御の魔紋様に阻まれる。
彼女の手は弾かれ傷つけられるが、それをものともしない彼女は魔紋様をすり抜けて私の手首をしっかり握る。
「反発は予想していたけど、確かに血には弱いようね。」
自身の手が傷付いたことなど、気にするそぶりも見せない。
そして、そのまま引きずられ魔紋様に放り込まれる…そう思ったとき。
私の体をふわりと包む体温。
そして彼女を弾き飛ばす白い光を放つ魔紋様。
「すまない。遅くなったな。」
息を切らす師匠を見て安堵した。
助けに来てくれたらしい。
だが先ほどまでの会話の内容を思い出し、腕の中で身じろぎする。
「…て。」
「エマ?」
「離してください!」
眉根を寄せる師匠には申し訳ないけれど、今はまだ冷静に対応する余裕がなかった。
さらに恩に着せて、もっと利用する気ではないかと抜けない棘が痛む。
「あら残念、時間切れね。」
再び清楚なお嬢様の仮面を被り直した彼女は、軽くスカートをつまみ上げると、見とれてしまうほどの優雅な礼の姿勢をとる。
生粋のお嬢様なんだろうな。
彼女の価値観からすれば、相手を利用するなんて当たり前のことでも私にはまた馴染みがない。
そしてその美しい容姿や仕草を当たり前のものと受け止め、表情すら動かさない師匠。
戸惑い、置いていかれた状態で、新たな幕を開けた舞台を眺める。
「お久しぶりですわね。侯爵子息様。」
「貴女は、もしかして『聖女』?いつものベールを外しているのか?」
「直にお顔をお見せしたのは初めてですわね。お恥ずかしいですわ。それから、その仰々しい呼び名はお止めいただきたいと、前回お会いしたときもお願いいたしましたでしょう?貴方様にとってはたいしたことはなくとも、私にとってあの日の宵の出来事はとても美しい思いでですわ。」
「…挨拶以外、何もなかったと思うが?」
「あら、本当に何もなかったでしょうか?私の勘違いでしたかしら?」
そう言って頬を僅かに赤く染め意味深な表情を師匠に向ける。
高貴な身分の人間達が操る、言葉遊びの類か。
正義も信念もない悪意で思惑を探り合うためだけに纏わせた、上辺だけの好意。
もの珍しいだけの遊び道具は飽きたら捨てられるもの、そう言いたいのか。
その瞬間。
一瞬にして全てが醒めた。
私の中にある、熱も怒りも、そういう感情のなにもかも。
「…そういうことは、他所でやってもらっていいですか?鬱陶しいので。」
自分の口から、こんな醒めた声が出ることが驚きだった。
勝手に盛り上がっていればいい、私のいないところで。
というよりも。
「これ以上、貴方達の醜い争いに巻き込まないでください。」
ただただ、虚しさだけが心を支配していく。
何かが音をたてて、崩れた。
天使のような子って、なかなか表現が難しいですね。
完全防御の魔紋様が完全ではないことが、書いている私もビックリです…。
改良しないと。




