魔法手帖四十九頁 可愛い皇帝陛下と、迷える悪役令嬢
生死に関わる表現があります。
不愉快な方は読み飛ばしてください。
あのあと、皇帝陛下となんちゃって執事は仲良く(?)言い争いをしている。
小さな声だが嫁がどう、とか地味でこう、とか言っている台詞が聞こえたから、きっとさっきの「正妃として」のやり取りのことだろう。
…くそう。地味っていうなよ!
わかってても凹むだろう?!
師匠その可哀想に…って、視線、止めてください。
余計凹むから。
とりあえずルクサナ様を探しに行こうとした私達を呼び止めたのは、皇帝陛下だった。
多分あそこにいると思うよ、そう言って指差した先にあったのは、ルクサナ様とうっかり転移してしまった丘の上。
「彼女は辛いことがあると、いつもあそこにいたから。」
「いつもって…なんで知っ…まさかストーカーですか?」
「すとーかー?って、絶対いい意味じゃないよね、それって。」
おお、鋭いですね!
そして優しさを表現するのが苦手な弟を彷彿とさせる彼の姿に、わずかばかり情が湧いた。
ついでに余計なお世話をひとつ、しておこうかな。
「皇帝陛下、私も若輩者ですが一応二つほど年上なんで助言を。」
「ふーん、いいけど?」
見た目は鬱陶しい素振りをしているが、かまってもらえるのは、ちょっと嬉しい。
そんな気配がチラチラ見え隠れする。
可愛いなー、もう。
「何を諦めようとしているのか想像はついてますが、諦めようと努力している時点で、すでに逃げられないほど、どっぷりハマっているもんなんですよ。…それなら、足掻くかいっそ突き抜けてしまった方が」
「突き抜けてしまった方が?」
強くなれますよ。
「それがルクサナ様を突き放してまで手に入れたい貴方の望みなんでしょう?」
はっと目を見開く皇帝陛下に、余り宜しくはないだろうが、ニンマリとした笑顔を向ける。
「それでは、もうお会いすることはないと思いますが、お元気で!」
私は軽く一礼する。
挨拶は大事ですよ!人間関係の基本です!
それからガッと師匠の腕を掴む。
「なんだ、いきなり?」
「転移します。」
「は?どこへ?」
「着いてからのお楽しみです!」
「待て!お前、まだ転移先指定してないだろう!?」
「あ。」
何事か叫んだエマを包むように魔紋様が発動すると、スッと空間が歪み、吸い込まれるように二人は姿を消した。
二人の姿が消えたあと。
「ふん、転移の魔紋様に無駄が多いな。まだ魔力を一定の出力に調整できる実力はないようだ。戦闘になれば、余裕で俺の勝ちだな。」
「…気に入った。」
「は?」
「さっきまでは、どちらでもいいと思っていたけれど、今は違う。本気であの少女が欲しくなったよ。」
親しみやすく可愛らしい様子は消え、ファルク瞳に冷たい熱がこもる。
深くため息をついたシャミールに対してファルクは目も合わせない。
「ああ、本気になっちゃったのか…。これはこれで面倒なことになりそう。」
「お前にもご褒美をやらないとな。彼女をここに呼んできて欲しい。多分もう終わった頃だろう。だからこのあと依頼する仕事が終わったら二人で出掛けていいぞ。」
「仕事?」
「ああ、先ずはあの二人の関係を壊そう。なるべく修復が難しいレベルでな。彼女はそういう事が得意なんだよ。今後五年間、王国とは友好関係でいられるんだ。ゆるゆると女王と関係を深めていけばいい。うまくいけば数ヵ月後にはこちらの国の民だ。」
楽しみだねえ、そういうとファルクはぼんやりと見える丘の上に目を向ける。
膝を抱え、静かに佇んでいるだろう、幼馴染みの姿を思い浮かべながら。
「さようなら、ルクサナ。どうか…幸せに、ね。」
シャミールにすら聞こえないほど小さく呟いた言葉は誰に届くこともなく。
空気にとけて、消えた。
ーーーーー
「楽しかったですね!師匠!」
「楽しくないわ!お前のせいで一瞬見たことない世界の扉が開いたぞ?!」
現在地はルクサナ様と、うっかり転移してしまったあの丘の上です。
いやー。まさか神秘の世界を体験できるとは。
皆様、覚えていらっしゃるでしょうか?
以前ゲイルさんから教えていただいた、駄々っ子な異世界から呼ばれた人を神託によってランダムに選択された別の世界に転移させる鬼畜なチャレンジ制度があることを。
そう、同じような状況を数秒ほど疑似体験しました。
ぱっくりと開いた空間の先に、銀河系宇宙が見えて青やらピンクやら緑の軟体生物が「ピピポ…ププ」とか言いながらこちらに突進してくるんですよ。
終点の指定、間に合って本当に良かった。
指定しないとああなるんですね…勉強になります。
師匠、弟子の成長を喜んでくださいね!
ちょ、師匠、「そんな脳みそ要らないな?」とか笑顔で言わないでください?!
「貴女達、何やってるの?」
見晴らしの良い丘の上の大樹の下。
ルクサナ様があっけにとられた表情でこちらを見ている。
「あ、はい、ルクサナ様を迎えに来たんですがその前にちょっと銀河系宇宙が。」
「は?」
「いえ、こちらの話です。」
思ったより落ち着いているように見えるルクサナ様。
うん、ここは遠回しじゃなくて、単刀直入に言おう。
「ルクサナ様、今は混乱している貴女に、こんなこと聞くのはとも思うのですが。…今後どうするつもりですか?」
「確かに父親を亡くしたばかりの人間に聞くのは酷よね。」
「本当にすみません。でもルクサナ様なら想像がつくと思いますが、色々時間がないんですよ。」
それは彼女の身の安全含め、私達の帰り道も含めてのこと。
彼女をなのか、それとも派閥の貴族の誰かを探しているのか。
先程から騎士の格好をした人が帝都を走り回っているのが、どうも気に入らない。
「正直なところ私は異世界から呼ばれた人間なんで、この大陸の政治には興味がないんです。だからルクサナ様個人に今後の生き方を決めてほしいと思っています。この国に残ってお父様の生存を確かめるもよし、自分を騙した皇帝陛下に復讐をされるもよし、全て忘れて別の国へ移住されるもよし。確かに色々託されてきたものはありますが、今のところはまだ、ただの紙切れです。こんなものよりも、今大事なのはルクサナ様の気持ちですよね。」
そう言ってから皇帝陛下に託された身分証明書を含む数通の書類を軽く振って見せる。
ルクサナ様は揺れる紙を無言で見つめた。
「…お父様をもう一度探しましょうか?」
「それは不要よ。」
思いの外、強い口調で遮った。
内心の葛藤など伺うことのできない強い眼差しで、揺れる紙を睨みつける。
「…父が、いろんなところで恨みを買っているのは薄々気付いていたの。それに、悪事に手を染めていることも、何となく感じていたわ。第一…彼がこんなことで嘘をつくとは思えないもの。」
残念だけどね。
そう言ってから彼女は大きくため息をついた。
「ねえ、エマ。私は、このまま何事もなかったように生きていいのかしら?」
ルクサナ様の表情は見えないけれど、その声はやけにはっきりと響いた。
「私は確かに詳細は知らなかったけど、薄々父が後ろ暗いことで資産を増やしているのに気が付いていた。それこそ、何も知らないなんて言えないくらいにはね。それでも父の言いつけを守り、陛下の意向のまま華美に飾り立て、日々を必死に生きようとする人々を踏みつけてきた。
そんな私に、生きる価値なんてあると思う?」
本当に真面目な人だな。
罪の重さに、生きる意味を失いかけるほどに。
おそらく彼女の思い描く選択肢のなかには、自分が罰として死を賜る、という事も含まれているのだろう。
それでも…。
「少なくとも、あの皇帝陛下は生きて欲しいと願ってましたよ。」
「私の父を見殺しにした男よ?なんでそう思うの?」
「こうやって自ら私に身分証を託したってことや、国の今後が関わるのに、やけに王国が有利な条件を提示したってこともありますけどね。」
本当に憎んでいるのならば容赦なく命を奪うだろう。
偽名の身分証と共に他国へ押しつけるなど面倒なことはしない。
それが発覚すれば面倒事だけでは済まないだろう。
そんなリスクに、あの皇帝陛下が気付かぬはずはない。
「そもそも、最初に引っ掛かったのはルクサナ様の話から皇帝陛下の対応を聞いたときです。第二王子の好みでないドレスをわざわざルクサナ様に送り付け、更に逢瀬を邪魔するように毎回拙い侍女を付けた。それって違う方向から見ると好きな女の子を取られまいとした男の子が邪魔をしたようにしか思えませんよ。」
「な!」
顔が赤いよ、ルクサナ様。
なんだ、気付いてなかったのか。
「極めつけは、華美なドレスに合わせた派手な化粧です。正直言って今のルクサナ様、別人にしか見えませんよ。ねえ?師匠。」
「合流しようとしたとき、誰かわからなくて警戒した。」
そう言って話を振ると師匠も頷く。
ほらね。
衣装部屋で第二王子の好みの女性の話を聞いた後、化粧を落としたルクサナ様を見て「おやっ?」て思ったんですよ。そしてその後彼女と話してて確信しました。
「ルクサナ様、第二王子の好みのタイプだったのではないですかね、ホントは。」
「え、でも…あ、れ?もしかしてあのとき…。」
どうやら心当たりもあるようですね。
「侍女さん達の話ぶりからすると、第二王子様って随分と情熱的なタイプのようですね。今は障害があるから燃え上がってますけど、手にはいればそういうタイプは簡単に別の人を好きになります。もちろん、情熱的で一途な人もいますが、第二王子様の巷に流れる噂からすると、どうも気が多いタイプみたいですね。」
曰く、夜会で見かけたデビュタントに一目惚れして随分と社交界を騒がしてみたり。
曰く、国にやって来た踊り子に手をつけて既に隠し子がいるとか。
これらは噂だから証拠はないけれど、もしそれが事実であると知っている人がいたら。
「さて、師匠に質問です。もし好きな女の子がいて、本人が望まぬお見合いさせられ、しかも相手が女好きで浮気する未来しか見えてこなかったら?」
「好きな相手なんかいないが…まあ、そうだな。知り合いがみすみす不幸になると分かっていたら、やっぱり心からは賛成しないだろうな。王の決定は覆せないから、決定する前に邪魔くらいはするかもしれない。」
「という訳ですよ。」
師匠、ボッチか。
お腹の中、真っ黒けだもんな。
原因は絶対それしかあるまい。
「…何を考えている?」
「いえ、何一つ。」
師匠、なにやら第六感が研ぎ澄まされていってますね!
さすがです!
「それにね、ルクサナ様。化粧のことはそれだけじゃないかもしれません。」
深読みしすぎかもしれないが、ルクサナ様が他国に移住した場合、偶然知り合いに鉢合わせする可能性がある。
例え偽名を使っていても、顔は誤魔化せないからな。
でも、このレベルで顔の印象が違えば、ほぼ百パーセントの確率で気付かれないだろう。
恐るべし、お化粧の力。
「確かルクサナ様は研究者になりたかったんですよね?」
「一応、そのつもりでいたんだけど、でも婚約が…。」
「婚約が破棄されれば、研究者になれますよね?」
ルクサナ様は既に驚きを通り越して呆然とした表情になった。
「そんな、まさか…。」
「ついでにもうひとつ。素人の考え方ですけどルクサナ様ほど知識がある人のことは国が手放さないと思いますよ、普通は。それでも手放したのって、理由があると思いませんか?」
「理由?」
「原因は貴女のお父様ですよ。」
「お父様が?」
「皇帝陛下はこう考えたんだと思います。貴女にお父様がいる限り、例え無事に今回の婚約が破棄されたとしても、またすぐに誰か別の人間と婚約させられるだけだと。それなら、貴女のお父様が手が出せない場所に貴女を追いやろうとね。それが他国なら、こうして身分証もあることだし、正々堂々と研究者になれる。平民に近い身分の女性が、なりたかった研究者になって夢を叶えることができるのです。」
彼女のお父様が息を引き取ったと言ったとき、自分では「殺してはいない」と言った。
多分、彼は殺してはいないだろうなと思う。
しかも彼女の知らない誰かに依頼している可能性が高い。
彼女が知る人物が直接手を下すのは逆効果だ。
犯人を知った場合に彼女がこの国に執着してしまうかもしれない。
「本当に分かりにくい愛情表現ですよね。」
あきれるほど、複雑に絡み合った糸の先でたった独り。
恨みの全てを引き受けて、ルクサナ様をこの国から引き剥がそうとした。
あの皇帝陛下ならこのくらいの手は平気で考えそうだ。
とりあえず、今はルクサナ様が生きる方へ気持ちが傾いてくれることが大事。
そのためなら多少脚色してでも、それが生きるための支えになってくれたら。
残念ですが皇帝陛下、もし今のやりとりを耳にして「そんなことは言ってないし、やってない!」なんて今更受け付けませんよ?
貴方が腹黒すぎるのがいけないんです。
ルクサナ様は必死で混乱する頭を整理していることだろう。
彼女は少しずつ、父の死を受け入れ始めている。
親の罪のどこまでが、娘の罪なのか。
断罪され命を断たれた父と、名と地位を奪われ他国に追いやられたものの生かされた娘。
国からそのように判断されたことからも、答えは出ている。
あとは本人がどうしたいか、だけだ。
私は後ろで静かに佇んでいる師匠を振り返った。
「ありがとうございます。何も言わないでいてくれて。」
「口を挟む隙がなかっただけだ。」
「いや、師匠って間違いなく口が達者なタイプですよね。」
国の運命がかかっているのだから、無理矢理にでも連れて帰りたいだろうに。
ずっと黙ったまま、私の好きなように話をさせてくれた。
その師匠のためにも。
そして。
「ルクサナ様。もし生きるなら、私と一緒に王国へ一緒に行きませんか?」
私は彼女に手を伸ばす。
ごめんね、ルクサナ様。
この提案は、私のためでもある。
申し訳ないと思うけど、でも貴女の存在は私にとっても貴重なんだ。
そういう思いを込めてルクサナ様を見つめる。
彼女は私から視線をはずすと、じっと黙ったまま、城の方角を静かに眺めていた。
思い出をひとつひとつ拾い上げていくように。
気づけばいつのまにか夕闇が迫っていた。
又々長くなりました…
おかしい。もっと短くなる予定だったのに。




