魔法手帖四十七頁 皇帝陛下と、帝国の剣
ルクサナ様を遮るように立ち塞がったのは闇のように深い黒髪、黒い瞳を持つ少年。
そのやや褐色がかった肌の色や品のある顔立ちがルクサナ様に似ていると、そう思った。
「へい、か…。」
なぜ、こんな場所に。
ルクサナ様の瞳が、驚愕に見開かれる。
「どういうことでしょうか?」
「君の父上はたった今、息を引き取った。」
「…!」
声にならない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちそうになったルクサナ様の手首を軽くつかんで引き寄せる。
冷静さを保っていた彼女の体が震えていた。
「…貴方が殺したの!?ファルク!」
「いや、殺したのは僕じゃない。」
「なら、何で助けてくれなかったの!」
「君の父上に制裁を与えたのは僕だ。こうなることも想定できた僕が、なぜ助けにはいると思う?」
「貴方って、…貴方って人は…!!」
ルクサナ様の表情が歪む。
瞳には涙を浮かべ、口元には嘲笑するような笑みが浮かんだ。
「貴方にとって、手のひらで踊る私達は何と滑稽で、無様に見えたことでしょうね!」
「…そうだね。純粋で愚かな君は、…とても良く踊ってくれたよ。」
表情を消し、ただ淡々と告げる少年の姿からそれが事実と思い至ったらしい。
涙を隠すことなく、まっすぐに前を向いて彼を睨みつける。
「貴方を、一生許さないわ!」
そう叫んだ後、ルクサナ様は路地から大通りへ向け走り去った。
っと、追いかけないと!
「待って!!」
ルクサナ様の突然の動きについていけず、一拍置いて動き出した私に声が掛かる。
振り返って確認すれば、それはルクサナ様を追い詰めた少年のものだった。
「ちょっと待ってもらえるかな?『魔法紡ぎの女王』。」
「待つかい!ルクサナ様の方が大事ですもの!!」
かまわず追いかけようとした私の手をするりと少年が掴む。
魔紋様が弾かなっかたことに驚いて手首を見ると、わずかに血がついていた。
驚いて振り払おうとするも、強い力がそれを許さない。
「大丈夫、彼女のことは私の手の者が護衛している。少しだけ君と話がしたい。君と、彼女のこれからのことについてを。」
「情報に価値なしと判断したら、すぐに追いかけますからね。」
「もちろん。それに君が話を最後まで聞いてくれたらルクサナの行き先を教えよう。」
仕方なく立ち止まり、そっと彼の手のひらを覗く。
どうやら強い力で握りしめていたため、爪が手のひらを傷つけていたらしい。
無意識のうちについた血は、そのせいか。
「ちなみに、この血は彼女の父上のものではないよ。不愉快な思いをさせてすまなかったね。」
「謝罪は不要です。それで、何の用ですか?」
「我が国の者が君と君の大切に思う人達を傷つけた。大変遺憾に思っている。」
「それで?」
「我が名において謝罪したい。ファルク・アントリムの名のもとに、アントリム帝国を代表して君に謝罪を。すまなかった。」
無駄のない、美しい動きで私の足下に膝を付くと頭を垂れる少年。
一連の動きの意味を知り、体に染み込むほど馴染んだ人物。
ルクサナ様が『へいか』と呼んだことからも、この人が『皇帝陛下』ということか。
きっとこの人にとって、この謝罪もひとつのパフォーマンスなんだろう。
それでもここで止めておかなければルクサナ様の大切な人にもっと不幸を与えてしまう。
彼は不幸の連鎖を止めるやり方の一つが謝罪である事を、正しく知っているらしい。
「わかりました。その謝罪を受け入れます。」
女王様に教わったように、「もう気にしてないよ!」的なニュアンスの言葉を口にする。
これで今回の宰相様を中心とした不幸は終わりだ。
さて、ルクサナ様を探さないと。
「じゃあ、これで…。」
「もうひとつ、私の願いを聞いてもらえるかな?」
ゆっくりと立ち上がり、真剣な表情で見つめてくる皇帝陛下。
その表情に、なんとなく彼の言いたいことが理解できた。
「これはあくまでも私のお願いだ、叶えるかは君次第で構わないよ。」
「なんでしょうか?」
「ルクサナを君に託したい。君のせいで彼女は全てを失ったのだから。」
ああ、やっぱり。
この人はきっと相手の感情の揺れを想像する能力が高いのだろう。
「…それは私の彼女に対する負い目を利用して、といったところですか?」
確かに私にはルクサナ様に対する負い目がある。
宰相様の不幸の連鎖に彼女を巻き込んでしまったことだ。
でも、そんなの今更。
全てが私の思いどおりに上手くいくなんて思ってもいない。
「私に、これ以上の優しさを期待しないでくださいね。私は、全てを受け入れるような優しさを持ち合わせてはいないのです。だから貴方がこの世界の常識を説いて私に働きかけても願いを叶えさせることはできません。自分や大切なものを守るために犠牲を出さないなんて甘い夢はもう見てませんから。事実を知ったルクサナ様に恨まれても、負の感情を向けられても受け止める覚悟は出来てます。」
拐われて、宰相様に言われるまま安易な選択をしていたら私は手酷く扱われていただろう。
一年後に帰るどころか、もしかしたら命さえ危ういことになっていたかもしれない。
だから私はかかった火の粉を、容赦なく振り払う。
与えられた恩恵が、気付かぬうちに他人を巻き込む類のものだとしても。
この世界で異世界から呼ばれた人達に与えられた権限の範疇から逸脱することであったとしても。
心ならずも異世界に呼ばれた私にだって、生きる権利くらいあるはずだ。
「なるほど、異世界にあっても自分で生き方を選ぶか。さすが、"女王"だけある。そうでなくちゃね!」
皇帝陛下は楽しそうに笑う。
「では、言い方を変えようか。貴女と交渉したい。」
「話は聞きます。ですが受けるか決めるのは私ですよ。」
「聡明な方で何よりだ。」
「誉めなくてもいいので、さっさと話してください。」
「つれないねぇ。っとまあ、いい。そうだね、ルクサナがもし王国へ行くことに同意したら彼女にこの身分証を渡してほしい、用件はそれだけだ。」
甘い笑みを受け流し、話は終わりとばかりに走り出そうとした私の背中に、苦笑いを含んだ声が掛かる。
振り向くと彼がポケットから取り出したのは、恐らく身分を証する書類と思われるものが数通。
手際が良すぎる。
やはり彼女の言うように初めから彼女を排除するつもりだったか。
「でも、ルクサナ様は…。」
国としては、決して外に出すことのできない人物のはずだ。
その能力も、恐らくその知識も…国の闇とする領域を深く知りすぎているから。
「懸念している事については心配しなくていいよ。元々彼女は政治に興味のないひとだから。知られても問題のない内容しか知らない。どちらかといえば、研究者気質なんだよ。」
「見返りは?」
「今後五年間、王国に対し我が国が手を出すことを控えよう。」
「そこは二度と手出しをしない、と約束すべきところでないの?」
「私が在位している間はそうなるよう努力するけどね。君は王国の政府を盲信してはいないかい?あの国は腐敗はしていないものの、一枚岩でないからいつ君を他国に売るかわからないよ。実際、君の情報を漏らしたのは、君の国の上層部だ。自浄作用が働いていない以上、逆にいつ我が国が攻め込まれないとも限らない。その時に、君は我が国が手をこまねいていて攻め込まれるのを待つべきだと?
冗談じゃない、私にはこの国を守る義務がある。
だから、五年。妥当な線だと思うよ。」
政治に絡むゴタゴタは君の盾に聞けば詳しく教えてくれる、そう言ってニヤリと笑った。
やっぱり師匠か…。
政治のあれこれは良くわからないし、いくらなんでもここから先はこの国の人が決めることだ。
私には自分の生き方を決める権利があると入っても、王国に住む他の人達の今後に関わる内容にまで私が口出すところではないだろうな。
「師匠、そろそろ選手交代してください。でないとまた怒られます。」
その瞬間、ふわりと後ろの空間が揺れる気配がした。
「…お前が出てこなくてもいいと合図したんだろうが。」
パス繋げたまんまでしたからね、糸に向かって念じてました。
何となく糸から伝わる情報で察するとはさすが師匠。
今度、そのスキル教えてもらおう。
「躾がよくできているね。久しぶりと言うべきかな?サルト=バルト二ア王国の盾。名前は…。」
「この場で名を呼ぶのは遠慮してもらおう。」
すかさず師匠がスッと手をかざす。
その瞬間、わずかに目を見開いた皇帝陛下は師匠の方を向いて面白そうに笑う。
「なるほど。それが王国の魔法紡ぎの女王に対する対応か。これは興味深いね。」
「師匠、この方に会ったこと事があるんですか?」
「停戦の調印式でな。」
また殺伐とした関係ですね…。
「わざわざ君が来てくれたのなら、こちらも紹介しないと。」
そう言うと右手を軽く持ち上げる。
すると路地の間を抜けて見慣れた人物が現れた。
「あ、貴方いい加減な仕事しかしない『なんちゃって執事』!」
「うっさいわ!」
やっぱり執事じゃなかったか~。
今の服装や腰の剣から判断して完全に騎士だもの。
「ああ、彼が色々意地悪をしたみたいで、ごめんね?彼は私の指示でハサンの元に潜り込んでいたから、執事の仕事には馴れていない上に、本位でない悪事の手伝いをさせられて苛ついていたみたいなんだ。だけどそのおかげで君の安全も確保できたし、悪事を暴いて君を開放することもできたから許してあげてね?」
「…。」
本当だろうか。
なんとなく八つ当たりとか嫌がらせに近いような対応しかされなかった気がする。
視線が合うと、やはり不機嫌そうな表情で逸らされた。
皇帝陛下に睨まれ謝罪を口にするも、仕方ないからするという態度だった。
大人気ないな。
だが、私は彼よりは大人。
「わかりましたよ、許します。」
「ありがとう。それでは改めて紹介するよ。彼は調印式には参加しなかったから、。紹介しよう、彼はこの国で最高の魔法紡ぎであり最強の魔法剣士、そして『サルヴァ=トルアの剣』を起点の魔紋様に持つ彼を人々はこう呼んでいる。」
帝国の剣、と。
うんうん苦しんだ結果、こういう展開になりました。
ちょっとスローペースですが、やっぱり細かく書かないとなんだか先に進めませんでした。
次回は少しだけ明るい感じの展開になります。




