魔法手帖百五十三頁
今年もよろしくお願いいたします!!
忘れられるわけがない。
闇に包まれようとするヨドルの森で、揺れながらも強さを滲ませた黒い瞳。
表情に出やすく、思考が読みやすいからこそ意外にも感じる意志の強さ。
意志の力と行動力は別物だ。
彼女が手のひらに大人しく収まるような、そんな思考をしていない事は初めから承知の上。
承知の上で、好きになった。
彼女なら、いつしか自分の力で、自身を守ることができるようになるかもしれない。
それでも守りたいと願うのは、たぶん俺の欲なのだろう。
「それに彼女が一筋縄ではいかない性格をしていることは、リアン様もご存知なのでしょう。」
知らないとは言わせない。
リアン様は僅かに視線を逸した。
彼は何事か小さな声で呟く。
「…しぶといな。」
「何が、でしょう?」
「いや何でもない。だが組織に対する商人の目があることは承知しておいて欲しい。それからそのことは両組織の人間にも、それとなく匂わせておくように。」
「それは我々に知らしめるためですね。」
自分達を見張る他者の視線があると。
「上層部は商人と猟師の確執を放置していた。組織の自浄作用が弱いことはわかったからね、もし同じような過ちがあれば次はないよ。」
すでに商人は国が選定している。
猟師についてはルイスが選ばれたものの、それは彼を通じ国が両組織を試すため。
初代女王と約したように、独立性を保ちつつ国と共にあるか。
それとも国が新たな組織を立ち上げ、両組織の代わりとするか。
「そこまでするというのですか?」
「もちろん。それがこの国のためとなるならね。本当にエマには感謝しているよ。ダングレイブ商会の時もそうだけど、それとなく介入できる切っ掛けをもたらしてくれた。」
本人は気づいていないだろうけどね。
利用できるものは、とことん利用する。
リアン様は、そう言いながら僅かに唇の端を歪めた。
「聖国はたぶん次の舞台を収穫祭に合わせて用意するだろう。混乱を招き、国の威信を貶めるために。せっかく仕掛けてきてくれるんだ。思い切りやり返してよいよ?ただし、跡は残さないように。」
「疑わしい者は、どう処理しましょう?」
「内容にもよるが、この大切な時期に他国との密通を疑わせるような行動をする者がいるとしたら、それは自業自得だとは思わないか?」
リアン様は笑みを深める。
疑わしきは全て狩れ、ということか。
だから証拠もいらないし、痕跡すら残すなと。
こういう人であるのは聞いていたけれど、これが自分より歳下だとは思いたくない。
時折覗かせる、冷酷な性質。
師匠と呼んで信頼するエマには悪いが、何枚も皮を被り本性を隠しているのだろう。
無関係の人間を誤って狩らないように気をつけないと。
下調べは商人の管轄とはいえ、裏付けの調査は自分がすべきこと。
商人は…三女神の泉商店の店主は、親しみを込めた笑顔とは裏腹に善意など期待するなと言った。
『貴方や国から依頼された事はこなします。だが見返りがなければ手を貸しませんよ。』
さすが商人の名を継ぐだけあるというもの。
彼といい、なんでこう年齢のわりに癖の強い人間ばかりが、この国に集うのか。
「今、なんで面倒な人間ばかり、とでも思っているのではないかな。」
「…っそんなことは…。」
「君の思考は読みやすい。それはきっと現状この国を支えることのできる人間がそういう人物だったからだろう。たぶん、そういう者だけが残された結果。」
「リアン様、それは一体…。」
「さあ?つまり、優しいだけでは務まらないということだ。他でもない貴方の役目もね。」
…何が言いたい?
何を知っているのか?
曖昧な笑みを浮かべ、リアン様は魔石を砕く。
そして呆気に取られたままの彼を残し、瞬く間に姿を消した。
ルイスは思考を切り替えるように、小さく頭を振る。
あの日、リアン様とのやり取りは、全てが雲を掴むような話ばかり。
課題はたくさんあるけれど何から取り掛かればよいのか。
誰もいない部屋の先にある扉へと目を向ける。
もうエマは店に戻った頃か。
彼女のためにと沸かした湯はすでに冷たい。
もうすぐ昼時にも関わらず、曇り空ゆえに外は薄暗い。
ふと、彼女と二人、窓の外を移りゆく空の色を眺めたことを思い出す。
彼女は鮮やかな夕焼けが夜の色に変わるのをぼんやりと眺めていた。
ルイスが彼女を迎えに行ったあの日。
彼女は学校に行こうと玄関から踏み出しただけなのに気がついたらあの場所にいたのだ、という。
『元の世界で迷子になっていたから、この世界に紛れ込んだわけじゃないんですよ。』
迷い人と、そう呼ばれたことに傷付き、笑みを浮かべながらも瞳だけが揺れていた。
彼女のような人間こそ"異世界から呼ばれた人"と、呼ぶに相応しい。
リアン様の台詞が蘇る。
理由があるからこその、召喚。
彼女はただ、この世界へ迷い込んだわけではなかったのか?
『…帰れるなら、今すぐにでも帰りたいです。』
悲しそうに呟く彼女の声が、消えない。
窓から見える空の色は、灰色。
今にも雨が降り出しそうな気配は彼女を取り巻く複雑な環境そのままにも思えた。
「今の君からは、この世界はどう見えるのかな?」
望まずして、この世界の醜い側面を見てしまった彼女。
命を守るなど、当然。
でもせめてひとつくらいは優しい思い出を残してあげたい。
いつか君は手の届かない異世界へ帰ってしまうから。
ルイスは手元に残された身分証明書を取り出す。
そこには『この者について問うことを禁ず』という文言が記されていた。
国外でも有効なこの身分証明書は限られた場所を除き、主要な施設へ立ち入ることができる。
何かの役に立つかもしれない。
可能な限り、ロイト、ゲルター両組織について調べておくべきだろう。
それが守ると定めたものを助ける術となるならば。
ーーーーーー
エマは市場の雑踏を早足で抜けていく。
「エマ、大丈夫?」
「…ん、元気一杯よ。」
「全然ダメじゃない。」
わかっているなら聞くな、毛玉。
ルイスさんの家からの帰り道、首に巻く白い毛玉が遠慮なく話しかけてくる。
私の気持ちに気付いていて、あえて踏み込むところがシロらしい。
彼の背を軽く叩く。
「自己嫌悪に陥っているのよ。ちょっとだけ放っておいて。」
「だから頼るのは我だけにしておけばいいのに。」
首に巻き付いた毛玉が、いきなり人の形をとる。
見慣れた麗しい顔に、よく響く美しい声。
「シロ、いきなり人に変身するのやめて。」
「ひと目につかない場所を選んだから平気。それに昼は我が領域。誤魔化す技は心得ている。」
人化する瞬間、彼の姿は揺れ歪んで正しく捉えられないそうだ。
僅かな水と、光が必要。
陽炎のようなものかしら。
「ねえ、エマ。我は優しいよ。それにエマしか見ないし、そういう意味ではとても誠実だ。」
シロはするりと私の腕を捉える。
非常に魅力的で、危険な香りのするお誘いだ。
「それって言い換えれば独占欲ではないの?」
「感じ方は個人差があるからね。少なくとも中途半端な優しさなんかで君を翻弄したりはしない。」
「そんなことはないよ。」
「なら、なぜそんなに傷付いたような顔をしている?」
顔に出ていたのか。
本当に私は未熟だ。
勝手に優しさを期待して、裏切られた。
ただそれだけ。
シロは私の顔を覗き込み、綺麗な顔を少し歪めると澄んだ歌声を響かせた。
独特の節回しで懐かしいと思わせる調子の歌を口ずさむ。
"一途な想いを縦糸に、見えぬ痛みは横糸に
紡いだ願いは黄金色、やがて擦り切れ、色は褪せ
それでも消えぬ、消しもせぬ"
「何の歌?」
「さあ?この国ではないどこかで聞いた。ずいぶん昔のことで、細かい事は忘れてしまったけど。」
そう言うとシロは小さく嘲笑った。
「人は、とかく面白い生き物。翻弄され傷付くと知りながらも身を投じる。」
「仕方がないじゃないの、生きたいのだから。」
「うんそうだね。そういう君達の生への貪欲さこそ、ありのままの質だ。とはいえ、その揺らいだ精神状態で初代女王の魔法手帖を開く気なわけ?」
「後顧の憂いを絶ってという状況が望ましいのだけれど、この場合は仕方ないでしょう?体力と魔力に問題はないのだから当然このまま突き進むわ。」
「まさかヤケになってない?」
「それこそヤケになっているかの感じ方には個人差があるわよ。どれだけ入念に準備をしたとしても、想定外の事態は起こりうるもの。それを全てクリアにして進めというのは私には無理ね。だからこの状況であっても今が最善よ。」
「魔力、善意を大盤振る舞いして、ずいぶんと使ったような…。」
「大丈夫、店に帰るまでに満たせるから。あ、おじさん!!その串焼き二本ください!!」
「あいよ!」
屋台のおじさんが軽く塩を振った豚肉の塩焼きを二本手渡してくれる。
ついでに隣の店で揚げたパンに砂糖のついたお菓子を買った。
それはそのまま隣に立つシロへと渡す。
そしてにこりと微笑んだ。
「はい、これ食べて。そうすれば貴方も同類よ。」
「やっぱりヤケ食い…。」
「いらないなら食べちゃうわよ?」
「いります。」
シロは受け取ったお菓子を嬉しそうに頬張る。
食べている間は、誰しもが暫し無言になるというもの。
人々の話し声が飛び交う中、途切れた会話の隙間に思う。
結局、ルイスさんには聞けなかったな。
今、何を守っているのか。
貴方は誰を守っているのか。
「気になるなら聞けばいいのに。」
「…できるなら、そうしてるわよ。」
あんな辛そうな瞳で、哀しそうな表情で私を見る彼に何を聞けと言うのよ。
その表情を浮かべる理由なんて、こわくて聞けない。
「…やっと近づけたと思ったのにな。」
頼りない私だけど、いつしか優しく笑うルイスさんの力になりたくて。
だけどそんな彼の隣には、すでに相棒として快活で頼もしいカロンさんがいた。
そして今は同じ屋根の下、賢くて芯の強い、花のように美しいサナがいる。
その上、店主としても有能で気品溢れるオリビアさんとも知り合いなんて。
抜きん出た美しさに、実力と血筋を兼ね備えた人達。
平凡で地味な私の出る幕なんてないじゃない。
光を失い、ただの飾りに戻った魔石を軽く握る。
立ち止まり、鎖の留金を外すと、首飾りを収納に仕舞った。
拠り所がないとしても、立ち止まるわけにはいかない。
魔法紡ぎとしての恩恵以外、私を守るものはないのだ。
そのことを思い知らされたとしても、恩恵があるだけ幸いということでもある。
躊躇う必要なんてない。
私はシルヴィ様の、魔法紡ぎの女王が遺した力を手に入れる。
顔を上げれば店の壁に寄りかかる師匠の姿があった。
遅いからと、ここまで迎えに来てくれたらしい。
「お待たせしました、初代女王の魔法手帖を開きましょう。」
知識を得るために。
そして新たな選択肢を手に入れるために。
書き直しが入って、思いの外、時間がかかってしまいました。
近づいて、離れる、そんな場面が書きたくてこうなりました。
お楽しみいただけるとうれしいです。




