魔法手帖百五十二頁 炎を抱く氷と共存共栄、異世界から呼ばれた人とは
俺もそんなわけはないと、何度疑ったことか。
フォーサイス様はルイスの気持ちがよくわかる、と応じた。
あれだけの騒動を引き起こした存在が、記憶の片隅にすら残らないなど。
「私はミノリを避けていた。だから元から彼らの容姿に関する記憶が残っていないということもあるだろう。だが貴方は違う。接触があったにも関わらず記憶にないのなら初めから情報を与えないようにしていたのではないだろうか?何ならロイトの仲間に聞いてみるといい。たぶん誰も彼らの容姿を覚えていないだろう。」
フォーサイス様の台詞がルイスにさらなる追い打ちをかけた。
五年前、他国の支部へと追われる彼らを自業自得と割り切って見送ったことを覚えている。
王国に与えた影響を考えればむしろ甘い処罰であり、色恋で道を踏み外し、貧民街へと流れ着く者もいたから彼らに比べれば職を失わなかっただけマシだと思った。
皆が醒めた視線で支部を出ていく彼の後ろ姿を見送った…はずだったのだが。
印象に残りやすい出来事であったにも関わらず、その時の記憶が薄い。
まさかそれすらも何らかの力が働いた結果だというのか?
「エマ曰く、国外追放とは合法的に他国へ脱出する手段なのだそうだ。」
罰ではなく逃走手段のひとつ。
エマはそんなふうに捉えていたのか。
そして自身の知らないところで二人が情報を共有していたことに苛立つ。
普段ならどうでもよいと流せる事が妙に気に掛かった。
「ずいぶんエマと親しいのですね。」
「彼女の言葉が全て正しいわけではないが、この件に限れば彼女は嘘をつく理由がない。」
「そうですが、失礼ながら彼女の盾として積極的に守護しているようには見えません。」
「ルイス、貴方に助言を。エマを守りたいのなら中途半端に干渉しないことだ。彼女のためにならない。」
「彼女も今は王国の民、そして優秀な魔法紡ぎです。ロイトの立場でなくとも私が守るべき対象では?」
俺の言葉に何かを察し、フォーサイス様は真っ直ぐに視線を合わせる。
柔らかい物腰とは裏腹に氷のようと評されるその瞳。
だがその比喩は正確ではないと、そう思った。
まるで燃え盛る炎を宿した氷だ。
炎を抱く氷。
矛盾するような比喩だが彼を表すには相応しいと思った。
「ひとつ例え話をしよう。もし彼女が貴方を頼りに逃げてきたとする。その時貴方はすでに猟師の任務中で別の人間を守っていたとしよう。貴方はどちらか一人しか守れない。ではエマを守るために王国の民を犠牲にできるのか?」
「それは…。」
「その時彼女は『自分は大丈夫だから』と貴方の選択を尊重するだろう。その選択の結果としてエマに自己犠牲を強いるなら彼女を守るとは言い難いのではないだろうか。」
「だから彼女を、王国を守るために力を尽くした彼女を放置してもよいと?貴方の態度はそう見えます。出会った頃は干渉しない事を選択し、今度は距離を置く。守りたいのか、突き放したいのか曖昧で…理解し難い。」
真っ直ぐに注がれた視線を受け止める。
言い過ぎたかと自分でも思う。
従順ではないと猟師の任を解かれるかもしれない。
だがエマのことは一例に過ぎないのだ。
忠誠を求めるなら、その対価が必要。
力ある者が力をふるい国に益をもたらすとすれば、それに見合うだけの支援をすべきだ。
その与え合う関係こそが、一層国へ尽くす理由となる。
この程度のこと、彼ならわかりそうなものなのに…。
フォーサイス様はわずかに眉を顰め、小さくため息をついた。
着任早々に反論するなど御し難い人間であると思われているだろうな。
言いたい事は言えたし、それならそれで任を外されても仕方ない。
そう覚悟を決めたところで、思いがけず彼が笑みを浮かべた
そして意外にも小さな笑い声を立てる。
「確かにディノルゾとゲイルが推すだけある。」
「フォーサイス様?」
「彼らから聞いていたのだよ、普段は温厚だが自身が決めた事は成す男だ、と。大丈夫、この程度の反論で貴方を解任するほど私は狭量ではない。それから私を呼ぶ時は家名でなく名で呼んでいい。ついでに面倒だから私の質問に答えるときは、いちいち伺いを立てずとも直接答えて構わないよ。互いに時間が惜しい身だ。」
笑いを収め、先程までの厳しい態度が軟化した。
巷の噂とは違い随分とざっくばらんな話し方を好まれるようだ。
「もしかして試されたのですか。」
「怒りはその人物の持つ価値観が顕著に現れる。何に重きを置くのかは猟師を務める者にとって重要な資質。例えば先代の猟師は自分の地位や名誉を高めることに執着していた。その高い自尊心が付け込まれる隙となっている。そして自分に損害がないならどうでもいいと放置した結果、排除された。だから見極めが必要だったのだよ。それを腹立たしいと感じるかな?」
「別に構いません。貴方のような立場の方には必要なことですから。」
「商人に必要な資質は情報に対する嗅覚と駆け引きにおける大胆さ。管理者に求めるのは誠実さと柔軟性。そして猟師に求めるのは忍耐と胆力。私が見る限り、忍耐はあるし胆力も今はまだ物足りないが十分に資質は備わっているようだ。貴方は若いし伸びしろもある。今はそれで十分だろう。」
期待している、そう言って彼から身分証明書を手渡された。
これは商人と管理者に対して猟師の立場を表す証でもあるらしい。
「それで話は戻るが、エマに対して国は彼女を取り込む方向へと動いている。だがそれと積極的に彼女を守るかどうかについては、また別の問題だ。」
「それはどういう事です?」
「彼女が自分の力で戦うことを選んだからだよ。」
フォーサイス…リアン様の指先が小さくトンと机を叩く。
彼の言葉にルイスは扉越しに交わされたエマとサナの会話を思い出す。
『サナが心配して、ディノさん達が止めても私はそういう技術を身に付けたいの。守られるのではなく、自身の力で守れるように。だから協力してくれない?サナ。』
『守られる、という選択肢はないの?保護してもらうことも出来るわよ?』
『それが一番手間がないのはわかっているんだけどね。自由がなくなるのは困ります。』
「彼女は守られる事よりも、自由のために戦うことを選んだ。だから私は彼女が自らの意思で自らの身を守れるよう魔素を得るための器を広げ、魔力操作の基礎を叩き込んだ。そしてもし彼女が私に助けを求めた時は、理由や危険度に関係なく力を貸している。まあ、確かに彼女は無理難題を吹っかけてはくるが、それはこの国のためと心を砕くいた結果でもあるからね。」
共存共栄。
エマの望みを叶えながら守るために選んだ道。
「だから貴方の老婆心は不要のもの。」
そう言ってリアン様は柔らかい笑みを浮かべる。
意図せず浮かんだそれは、たぶん限られた者だけに見せる表情なのだろう。
例えば師匠と呼び慕うエマにだけ向けられたものであるとか。
エマも同じように自分の知らない表情に柔らかい笑みを浮かべ、彼に応えるのだろうか。
急に彼女の存在が遠くなる。
「ルイス、中途半端な優しさは同情でしかない。貴方の得た立場は不特定多数の人間を守るもの。だから自身の志のためにと今の立場を選んだ貴方が一個人であるエマを守ろうとすればその先にあるのは破滅しかない。敏い彼女のことだ、いずれそのことに気がつく。信頼した人間を追い詰めることは彼女の望みではないと思うよ。」
「彼女を深く理解されているような物言いですね。」
「共に過ごしてきた時間の密度が違うからね。」
それはきらびやかで陰謀渦巻く魔の巣窟、城の中でのことか。
それとも女王と盾として、手を携え困難を乗り越えて育てた時間か。
彼はルイスに向かい笑みを深める。
手を携えて、とかどれだけ自分は子供じみた発想をしているのか。
醜いな、この感情は。
この感情の名は、たぶん…。
「どちらにしろ、貴方には関わりのない世界での話だ。」
リアン様が浮かべた笑みは決して心からのものでないのはわかった。
視線を受け止め、彼の腹の中を探る。
裏から秘密裏に支えるのは良し。
だがそれ以上は関わるな、と。
深く息を吐き、視線を逸らす。
「わかりました。そのように取り計らいます。」
確かにまだ猟師としては半人前。
覚悟が足りないと言われてもおかしくない立場だ。
そんな自分が繊細な対処の必要な彼女の全てを引き受ける程の余力はない。
表立って堂々と守れないことが悔やまれる。
だが彼女を守ることのできる今の地位や与えられた力を簡単に捨てるわけにはいかない。
迷う理由はわかっている。
だから捨てられないし、捨てるわけにはいかないのだ。
気持ちに、そっと蓋をした。
全てはこの国の民のために。
そして邪魔にならないように裏から彼女を支えられたらと、願うのはそれだけ。
ずっとそばにいられないくせに甘やかすのは彼女にとって残酷な仕打ち。
面を上げると灰とも青とも見える瞳と視線が合う。
「早速だが貴方に情報を。聖女が我が国で媒体を手に入れ、各国を慰問しているのは知っているだろう?その目的はどうやら各国の上層部に知己を得ることだけではないらしい。慰問した国の上層部の人間のうち一部が国教を捨て、統一正国教団の教えに改宗したいと申し出、騒動になっているそうだ。」
しかも、盲目的に聖女を崇めて敬っているらしい。
どこかで聞いたような話だとルイスは思った。
もしくは教えによる侵略とでも呼ぶべきか。
それを可能にしたのが、偶像としての聖女の存在と媒体、そして常に見え隠れする別の何者かの存在。
「教団が我が国への野心を実らせるの足掛かりに他国を巻き込んだのだとすれば、もう一幕ある。それが何なのかを今、商人が探っているところだ。」
「私は国内に紛れ込んだ異分子からこの件に関係した情報を得ると。」
「得た情報は些細なものでもかまわないから双星へ報告を。それから聖女はエマに固執していた。つまり次の舞台にもエマを巻き込もうとするだろう。」
「ではエマに関わるところで何かが起きる。彼女が関わっていてもおかしくないという状況で、何かを起こすために。」
「時期については商人が情報を得てくるのを待つしかないが、狩場は貴方に任せる。」
「承知しました。」
頷いたリアン様が言葉を切る。
そしてわずかに逡巡した後、再び口を開いた。
「どのように尽くすかは、人それぞれ。献身は人の数だけ形がある。貴方が猟師として身を粉にし働いても、命を落としても、賞賛されることもなければ感謝されることもない。どれだけエマを害しようとする者達を狩ろうとも、彼女に感謝されることもないかもしれない。だがそれが貴方の欲した力に付随する役割。それをもし表立って賛辞を受けたいと、報われたいと思い、そちらに注力してしまえば…。」
坂道を石が転がりおちるように。
貴方も先代の猟師と同じ道を歩むことになるだろう。
他人事と思うなかれ。
明日は我が身ということだ。
「…肝に命じます。」
「エマは管理者の元で保護され、商人からは情報面での援護を受けている。彼女を友人として支える存在もまた、彼女を守ろうとする力のひとつだ。そしてこの国の民を守る貴方の務めの先にはエマがいる。間接的とはいえ、貴方が彼女を守ろうとする意志は叶えられているのではないかな?だから貴方は迷うことなく貴方のできる役割の中で彼女を守ればいい。それが結果的に彼女のためになると、少なくとも私はそう思うよ。」
まるで年長者から教え諭されているようだ。
リアン様の経験に裏付けられたような物言いに思わず苦笑いを浮かべる。
「…リアン様は本当に私より歳下なのでしょうか。」
「もちろん。だけど過ごしてきた時間の濃度が違うからね。」
そう言って彼は少しだけ笑った。
時間の濃度が濃いということだろうか?
権力の中枢は足の引っ張り合いなの日常茶飯事だ。
隙を見せれば喰らいつくされ引きずり下ろされる。
見目麗しい悪意の闊歩する場所。
まるでハイデミリアのよう。
もしかするとこの国を取り巻く環境は全てそうなのだろうか。
混沌と、混乱。
そして暗く沈んだこの国に射し込む、一筋の光明。
「エマのような存在こそが"異世界から呼ばれた人"だろう。」
リアン様の口からこぼれ落ちた台詞。
彼はこう言いたいらしい。
世界が望み、そのために"異世界から呼ばれた"からそう称される価値がある、と。
「そうは思わないか?ただ迷い込んだだけなのに、"異世界から呼ばれた人"となぜ呼ぶのか。彼らをこの世界に呼び込んだのは我々ではないというのに。彼らの実態にはそぐわない呼び名だとは思わないか?それならむしろ"異世界の迷子"という呼び名の方がしっくりくる。」
「…。」
「古き時代は意図的に呼び出された者をそう呼んでいた。それが時代を経て何らかの力が働き、意図せず呼び出された迷子が現れるようになる。呼ばれたのか、迷い込んだのか。判別がつかないから、結果として異世界から呼ばれた人と総称し彼らを一括にした。ああ、もしかすると本部の上層部なら知っているのではないかな?」
「そんなことは、…まさか。」
いくらなんでも飛躍しすぎだろう。
心中で否定しながらもルイスの心拍数が上がる。
もしそうなら、それはロイト、ゲルター両組織の根幹に関わる話だ。
例え聞かされても他者に告げることはできない。
歴史の古い両組織には、そういう類の闇があることをルイスも肌で感じていた。
「恐らくエマも何かの違和感を覚えたのだろうな。貴方達から聞かされていない事があると。」
「彼女が?」
「商人から連絡があった。エマが情報を欲しているらしい。」
彼女はロイトとゲルター、両組織の裏側についての情報の収集と、五年前の騒動に巻き込まれたとされる、異世界から呼ばれた少女を最初に保護したロイトとゲルターは今どこにいるのかが知りたい、と言ったそうだ。
そこには自らの知らないエマの思いがあった。
「異世界から呼ばれた人の身近にいて行動や思考に強い影響力を持つ人間、しかも常に彼女のそばにいて助言し、行動を把握していても不自然ではない人間。そんな存在はロイトやゲルターしかいない、と。エマがそう推測した事で、我々は彼らの存在を思い出し、記憶の曖昧さに疑問を抱いた。そうでなければ今だに思い出しもしなかっただろうな。」
「…エマは我々のことをそんな風に思っていたのですね。」
「怒りを覚えるか?」
「なぜです?」
「情報屋を介して貴方達の事を調べるということは、彼女は貴方達を信頼していないという事でもある。」
そうなのだろうか。
ルイスはエマの表情を思い出す。
初めから、今までの記憶を。
そして笑みを浮かべた。
「それが彼女ですから。」
長くなりましたので途中で切りました。
続きは短めですが早めに投稿したいと思います。
ずっと読んでいただいている方も、ちょこっと目を通していただいた方も、ありがとうございました。
皆様よいお歳をお迎えくださいませ。




