魔法手帖百五十頁 弟子と奪われた意思、魔素欠乏症と乙女ゲームのような
チンチンチン。
アサの五の鐘を知らせるように、時計の鐘が鳴る。
今朝は少し早めに目覚めた。
身支度を整えたところでシロにねだられたお菓子を渡しながら、馴染んだ部屋の中を見回す。
空調がないにも関わらず、蒸し暑くもなければ寒くもない部屋は未知なる魔法の力に守られて今日も快適だ。
急ですが、本日はお休みをいただきました。
理由はシルヴィ様の魔法手帖を開くから。
あと半月足らずで収穫祭が王都で開かれるこの時期にわざわざ魔法手帖を開かなくても、とは思われそうだが、そもそも私が心配症なだけで、大した問題もなく変化も起きないかもしれないしね。
そんな訳で、迷った時はこの人頼み。
「そんなこんなで初代女王の魔法手帖開きます!!」
「端折りすぎだ、バカ娘。無駄に元気一杯のお前と違ってこっちは徹夜明けだ。」
「もしかして寝入りばなを叩き起こしましたか!!空気読めなくて、すみません。」
ただ今、寝不足で無駄に色気だだ漏れの師匠と会話しています。
色々下準備をしてから城に転移してきたので時刻はすでに八の鐘を打ったところだ。
師匠が気だるげに扉へ寄りかかり、乱れた髪をかき上げる仕草に廊下を守る衛兵さんがあんぐりと口を開けていますね。
いつもきっちりとした格好の師匠からは想像つきませんか、わかりますよ!!
ちらりと見えた部屋の中で乱雑に積まれた書類の束からお仕事をしていた状況は伺えました。
夜、遅くまで仕事に取り組んでいたんですね。
すみません、お時間を取らせてしまって。
「いや、報告だけなので。あと一箇所に伝えたらダンジョンの部屋で開きます。」
「…開くとすれば、昼頃か?」
「そうですね。とはいえ念のため結界張りますからダンジョン内に魔力を無意識のままに垂れ流しはないと思いますよ。室内にはシロとグレースもいますし、管理者のオリビアさん経由で主様にも伝えてありますからダンジョンに限れば問題なしです!!」
「そういう問題ではないだろう。」
指折り数えながら報告する私を眺め、師匠は深くため息をつく。
「ダンジョンの外側が問題あるだろうが。オリビアはダンジョンと店から離れられないぞ?」
「そのために、事前にルイスさんの家へ報告に行きます。」
「…一箇所はそこか。」
「はい。ルイスさん経由でディノさんとゲイルさんにも伝えていただこうと思いまして。」
その言葉に、師匠が眉を撥ね上げる。
「…お前は、今の彼の仕事を知っているのか?」
「ええ、ロイトのお仕事の傍ら、冒険者のお手伝いを…。って違うのですか?」
「いや、ならいい。少し寝ぼけたみたいだ、気にするな。」
その一言を聞いて衛兵さんが目を見開いたまま震えている。
口の動きから推察するに、師匠が寝ぼけるという状況が余程に意外らしい。
超人扱いですか?もしくは珍獣?
「うわ、その発想ウケる…」
「配慮に欠けたお目出度い脳味噌がどんな退化への道をたどっているか、検証してみようか?」
「あだだだだだイタイです。頭を鷲掴みするの止めてくださいー!!」
中身出ちゃうじゃないですか。
そのまま師匠は私の頭をポンポンと叩く。
「昼前にはダンジョンの部屋に向かう。それまで勝手に開くなよ。」
「神様、仏様、師匠様。よろしくお願いします!!」
「意味がわからん。」
そう言った後、パタリと扉が閉じた。
師匠の部屋の前から移動したところで、衛兵さんと視線が合う。
会釈してから通り過ぎようとしたところで話し掛けられた。
「…もしかして貴女が謎に包まれたリアン様の弟子、ですか?」
聞かれたこちらが固まる。
『ハイそうですよ!!』が正解なのか、『いいえ、違います。』が正解なのか?
「この部屋の斜め向かいの部屋はその人物の部屋だと伺っています。先程あの部屋から出てきましたよね?」
その台詞とともに、キラキラと輝くような瞳で見つめられた。
そうなのか、弟子設定になっているのか。
口を開きかけた、その時。
「…ああ、こちらにいたのですね。お探ししていました。」
ハイ?
振り向いた先にいたのは、いつぞや王様の執務室で給仕をしてくれた執事見習いの男の子。
衛兵さんへ一礼すると私の方へと向きを変える。
「皆さん、お待ちですよ。」
「っと、はいわかりました。」
名残り惜しい様子の衛兵さんを残して、案内されるがままに彼の後ろへついていく。
その先にいたのは森の熊さ…もといベルナードさんでした。
たまたま廊下を歩いていたら衛兵さんに話しかけられている私を見つけて、執事見習いの彼を差し向け、速やかに回収して下さったようです。
ありがとうございます。
「どうした?今日来るなんて事は聞いていないが?」
「すみません驚かせて。師匠に用事がありまして。」
「そうか、用は済んだのか?」
「済んだといえば、済んだのですが。」
「…歯切れが悪いな?」
「本当は、師匠に許可を得てから会いたい人達がいたのですよ。」
「人達ってことは…君が棟梁と呼ぶ人物と"四つ葉"を持つ彼か。」
「わかります?」
「君がこの城で知り合いといえはそれぐらいだろう。何故会いたいのか、その理由を聞いていいか?」
「棟梁については症状を確認したいから。もう一人の方は…諸事情を伺いたいと思いまして。」
聖国から戻り、しばらくは忙しいだろうと遠慮していたから詳しい話を聞いていない。
ふむ、と暫し思案したベルナードさん。
ちょっと頭をかいて困った顔をしながらも頷いてくれた。
「四つ葉の彼は今、王の客人扱いだ。彼については王の許可を得られたらな。」
「もちろんです。お手数をお掛けしてすみません。」
ベルナードさんが目配せすると執事見習いの男の子が走っていく。
きっと王様に会わせてよいか、聞きに行ってくれているに違いない。
「じゃあ、先に棟梁のところへ行くか。」
「はい、お願いします。」
転移の魔紋様を乗り継ぎ、別の階へと向かう。
その部屋は厳重に結界が張られ外界と隔絶されていた。
扉をうっすらと開けた隙間から部屋の様子を伺う。
ベッドから上体を起こし、ぼんやりと部屋の隅を眺めるその人は、生き生きと働いていた頃の名残もなく、ずいぶん痩せて小さくなったようだ。
原因は身体に施されたのだろう魔紋様の効果。
それはわかっているけれど感染しないとも限らないので、念のため、感染防止にと結界を張っている。
「棟梁、お久しぶりです。」
当然、返事はない。
あれだけ親切にしてくれた人と、結界越しに話さなくてはならない事が悲しい。
ステータスを確認しても症状を表わす文字はやはり読めなかった。
せめてこれだけは知っておきたかったけど、残念。
そう思って隣のベッドに視線を向ける。
ファーガスさんも同じような症状のようだ。
ただ若い分、体力があるから肉体的な回復は早いらしい。
彼の方は、ずいぶんと血色は良くなったようだ。
だが以前と変わったことといえば、それだけ。
「今すぐに死ぬわけではない。だが意思がないということは生きたいという思いがないことと同じ。」
「病に掛かれば死に直結するかも、ということですか?」
「可能性の話だがな。」
難しい表情のまま、ベルナードさんはそう語る。
その顔が横を向くと、廊下の奥からパタパタと足音が聞こえ、執事見習いの男の子が走ってくる。
「お待たせしてすみません。それで王に確認したのですが、まだ彼の体調が思わしくないようです。」
本日会うのは難しいと。
それなら仕方ない。
男の子にお礼を言ったら恐縮された。
なんとも初々しいですね!!
「ちなみに彼はどんな症状なのです?」
「器に何らかの問題が生じていて魔素を吸収する力が弱い。つまり魔素の欠乏だ。」
魔素欠乏症、とも呼ばれるらしい。
本来は魔力が失われると器自体が魔素を得ようと働く。
だがこの器に欠損があったり体質的に働きが弱い場合は魔力を作るための魔素が常に少ない状態が続く。
その一方で、身体は生命維持のためと少ない魔素を使い、魔力を無理やり作り出そうとするわけだ。
その結果、普通以上に身体に負荷がかかり、日常生活に支障をきたすようになると。
「そうだな、体調の良し悪しによっても度合いは違うが、日常のちょっとした動作が、我々が全力で走り続けているのと同じ負荷がかかると想像したらわかりやすいか?」
器に魔素を貯めようと過剰に働き続けている身体。
そのせいで呼吸が続かず、時に意識を失う事もあるらしい。
「治療方法はないのですか?」
「ある。」
「あるのですか?!」
「日常生活に支障をきたさない程度の魔力を足してやればいい。我が国にはその技術もある。」
「技術、ですか?」
「魔力の循環だ。あれは魔力を供給する効果もあるから。」
つまり魔力を補う事で身体が過剰に働き続けるのを抑えればいいと。
「当然それを試してみたのですよね?」
「うーん、そうなんだが。」
ここでベルナードさんは困ったような表情を浮かべる。
彼の場合、一筋縄ではいかないらしい。
「例えば身体が弱いなど体質的な問題が原因で器が未熟であるのであれば、子供の頃から魔力の循環で魔力を足せば成長するに従って器の力が安定し、日常生活に支障をきたさない程度に回復する。欠損がある場合も、余程ひどいものでない限りは魔力の供給を得て負荷をかけないように過ごせば、それ以上酷くはならないし、むしろ研究の結果、年齢を重ねるごとに症状は改善するらしい。だがそれは器が完成するまでの話なんだ。」
「彼はもう、器ができてしまっているのですね。」
「そういうこと。今の彼にとっては治療自体が苦痛を覚えるものなんだ。」
負荷がかかる状態を普通と認識してしまったとでもいうべきだろうか。
治療のためなのに、他人の魔力が大量に入ってくると違和感を覚えてしまう。
その違和感が積み重なって、やがてその行為自体が苦痛となる。
本人は治したい一心で治療を受けるのだが、受けた後は決まって体調を崩してしまうらしい。
彼のような違和感を和らげるには魔力の質が彼らに近い者の方がそういう副作用は少ないようなのだが。
「彼の場合は無理ですね。」
一応身内はいるが今更会わせる訳にはいかない。
それに。
「彼の親族は皆、領地を追われたそうですね。」
「そうだ。一連の騒動の責任を全て負わされた格好だな。」
聖女アリアドネ=ルブレストを輩出した魔法紡ぎの名家の最後は、なんともあっけなかった。
あの騒動以後、順調に土地は回復し、最終的な収穫量も前年より少し少ないくらいだったという。
そうなると当然あの不作騒動は何だったんだ、という話になる。
他国から少なくない額の見舞金や資金援助を受けていた手前、今度は他国からそれらの使い道を追求する声が上がった。
そこでその責任を全て押し付けられたのがルブレスト家、という訳だ。
ルブレスト家に連なる者は皆、家名剥奪の上、平民として聖国内にある貧しい土地へ追放された。
その上で聖国は一連の不作騒動は彼らの"自作自演"で、"彼らが不当に資金を得て"いたとし、謝罪。
つまり聖国は『我々も被害者なんです!!』という立場を主張した訳だ。
そして彼らの財産を整理し、見舞金の一部を返還する事で周辺国の上層部を説得したらしい。
その交渉役を担うのが、周辺国で聖女と認識されている黒天使。
王国は聖国に対して個別に謝罪と賠償を要求しているから、交渉の場に彼女が姿を見せることはない。
だが他国では遺憾なくその存在感を発揮し、魔法手帖で人々の病を癒やす傍ら、"裁きの鎚"と呼ばれる媒体を駆使して強力な魔物を退けていると聞く。
その慈悲深い言動と無欲な行いから、各国の態度はずいぶんと和らいで許す方向へと傾いているらしい。
「これはまだ公にはされていないが、聖国は彼女へ"ルブレスト"の姓を与える事にしたらしい。」
「本家から奪った姓を彼女へ与える、ということですか?」
「『聖女を輩出した、名誉ある姓は彼女にこそ相応しい』ということらしいな。」
これにより、彼女の名はクリスタ=ロウェルからクリスタ=ルブレストとなる。
表向きは各国を慰問し聖国の窮地を救った褒美とされているが、その裏には彼女の虜となった第二王子や上位貴族の子弟の積極的な働きかけがあったらしい。
これにより名家の姓を得た彼女と第二王子との婚約は秒読みではないかと噂されているようだ。
師匠が教えてくれたのだけど、彼女は元々身寄りのない孤児であったのを統一正国教会という教団の大司教様が、その類まれなる神性に気付き、養女に迎えたのだという。
やがてどこからか魔法手帖を手に入れた彼女は、膨大な魔力を生かし、高難度の魔紋様の力を発現させるようになると人々から聖女と呼ばれ敬われるようになったということらしい。
そして彼女と知り合った第二王子は他国の婚約者との婚約を破棄し、彼女へ愛を乞うた。
ちなみにこの第二王子は政略結婚の相手であるサナを嫌い、彼女のお父さんが失脚した途端、堂々と婚約者を乗り換えたという過去を持つ、あの人だ。
孤児から聖女となり、ついには聖国の第二王子の婚約者へ。
黒天使の生い立ちが本当なら、まるで乙女ゲームの主人公みたいな成り上がりぶりだ。
一見、順風満帆にも思える彼女の人生。
だが意外にも教団の、養父である大司教様は彼女が王族の婚約者となることに難色を示しているらしい。
彼女が意図的に聖国と王国の対立を煽ったおかげで、不安定な状況の中、聖国内で教団の影響力は日に日に増していると聞く。
教団としては彼女の婚約は喜ばしいことであるだろうに、現実はそうではないのかな?
「とにかくだ、君が彼に会いたがっていたことは王に伝えておこう。」
「すみません、わがままを言ってしまって。」
機会があれば会えるように手配してくれるとのこと。
できればシルヴィ様の魔法手帖を開く前に、何か情報があればと思ったのだけど仕方がない。
これからルイスさんのところに行かなくてはならないしね。
お礼を言ってから部屋まで案内してもらい、魔道具でダンジョンの部屋へ転移、今度はルイスさんの家へ。
だけど不在のようで呼びかけても誰も出てこない。
ドアには鍵が掛かっていて開かない。
慌ててサナへ確認したら、たぶんルイスさんは家にいないとのこと。
このところ出掛けることの方が多く、どこにいるかもよくわからないらしい。
しまった、事前に連絡しておくべきだった。
気持ちばかり焦っていて肝心なところが抜けていたことに気付く。
扉を背に玄関先に座り、人通りを眺めながら、そっと首元に下がるネックレスの石に触れた。
ルイスさんと同じ瞳の色。
ディノさんがくれた魔石の効果と同じように相手の居場所がわかるものではないかと淡い期待を抱いて石に軽く触れ、魔力を流してみたけれど目の前の景色は変わらない。
…都合が良すぎるよね。
利用されるのを拒んだ私が師匠やルイスさんの力を当てにするなんて間違ってる。
そう言われているような、気がした。
何も起こらないのはそういうことなのだろうと諦めて扉に寄りかかれば、扉に下がるノッカーがコトンと音を立てる。
途端に。
カチリと鍵が開き、玄関の扉が開いた。
遅くなりました。
様々なご意見をいただいて、試行錯誤しましたが、やはり当初予定していたとおりの展開としました。
進行がのんびりですみません。
お楽しみいただけるとうれしいです!!




