魔法手帖百四十一頁 風の大精霊様と厄災の双子
サミュエルさんのお店を出た後、サナのお祝いの料理を下ごしらえしておこうと一旦店に戻った。
「ただいま戻りました!!」
「あ、おかえりなさい。エマちゃん、お客様が来てるわよ。」
カウンターで作業する副店長兼販売員であるメアリさんが教えてくれた。
なんでも偉い方のためオリビアさんでも断れなかったとか。
今はオリビアさんと共に銅貨の部屋で待っているとのこと。
「どんな方でしたか?」
「なんというか…綺麗で人当たりはいいけど油断ならない、そんな雰囲気の人よ。」
メアリさんは不在がちなオリビアさんに代わって店の表を仕切る人だ。
だから経験も豊富で、人をよく見ている。
彼女がそういうのなら注意が必要な相手なのだろう。
お茶を持って銅貨の部屋へと向かう。
ノックは三回、と。
「失礼します。お茶をお持ちいたしました。」
「ああ、戻ったようですわね。」
中からオリビアさんの声がして扉が開く。
ソファから立ち上がる女性の姿が視界に映る。
『はじめまして。貴女のことはいつも噂で聞いているから初めて会った気がしないわね。』
心と身体にじんわりと染み込むような声だった。
いつまでも聞いていたいと思わせる、独特の響きを伴った少し低めの声。
個性的ではあるが品の良い装いに、肩くらいで切り揃えた髪。
内面から滲むのは溢れんばかりの活力と知性。
第一印象は確かに綺麗な人だと思った。
ただ顔のパーツの中で口の比重が僅かに大きいせいか、笑うとどこか子供っぽい印象を与える。
そのアンバランスさが、なんともいえず可愛らしい。
「はじめまして、エマと申します。」
『ああ、私のことは貴女の好きに呼んで。皆そうしてるから。』
「はい?」
斬新な自己紹介だな。
聞き間違いかと再度確認しようとしたところで、突然、首元に巻かれた毛玉が姿を変えた。
「…風の、我を訪ねてくる約束だったよね?」
人化し、するりと私の首元に腕を回す。
頭上から聞こえる声はとても不機嫌そうだ。
彼女は目を見開くと弾けるような笑い声を立てる。
思い切りよく笑う様子は、大人の女性というよりは女の子と呼ぶ方が相応しい気がした。
なんとも不可思議な存在感。
『本当に溺愛ね!!この目で見るまで信じられなかったけど。』
「じゃ、もう帰って。」
『ええ、いいわ。私の用事を済ませたらね。』
「なら用事は我が聞く。」
『それは困るの。だって彼女にもお願いしたいことがあるのよ。』
そういうと、彼女は収納から取り出したと思われる包を机の上に置く。
結構数があるな。
それから、いくつかの包を開いた。
『お近づきの印に。これはお土産で対価ではないから遠慮なく受け取って。』
そしてにっこりと笑う。
加工されたお肉…パテみたいなものかな。
ハーブの香り漂う鳥の姿焼き。
見たことない形のパンに、木の実や果物を加えたジャム。
そして繊細な細工と鮮やかな色彩に彩られたお菓子。
そう、卓上に並べられたのは見た目も美味しそうなお料理とデザートの数々だった。
「…は、話くらいは聞いてもいいかな?!」
「ちょろすぎだよエマ!!」
「だって、遠方から来ていただいたようだし、食べ物をムダにするわけにはいかない!!」
「完全に丸め込まれてる!!時には立ち止まる勇気を持つことも必要なときがあるよ!!」
そういうものなのかしら。
しかし、目の前にこれだけ料理が並ぶとね…。
私の様子を観察した後、彼女はニンマリとした笑みを浮かべた。
新たに包から取り出されたのは見慣れた容姿をしたアレ。
『…ねぇ、貴女、お魚も食べたいのではなくて?』
そう、私の熱愛するホッケ…に似たサイズ感の白身魚の干物だった。
しかも見るからにふっくらしていて脂がたっぷりのっている。
彼女曰く、異世界人がこよなく愛したという魚の干物からは、ほのかに磯の香りがした。
『お願いといっても命を取ろうという訳ではないし、ただ貴女の力を貸してほしいだけのよ。』
困った表情がまた可愛らしいですね。
シロの知り合いのようだし、風の、って呼ぶなら風の大精霊様かな?
彼に視線を向ければ嫌そうに頷き肯定する。
なるほど、オリビアさんが私との面会を断れないわけだ。
それなら大精霊様に失礼があってはいけませんね。
表情を改め、極力威厳を保ちつつ答える。
「なんなりと。」
「受けたし!?」
毛玉よ、狼狽えるな。
こんな展開今更じゃないか。
それに命懸けじゃないって言うし、いいじゃない。
ちなみに魚の干物くれたから受けたのではないよ?
断じて、そうではありません!!
『ありがとう!!本当に親切な人でよかったわ!!』
風の大精霊様は私の手を握る。
ふわっと香水のいい香りがした。
なんかこう洗練された女性っていう感じがする方ですね。
時刻はちょうどお昼時。
彼女が詳しい説明は食べながらしましょう、と言うので収納から食器類を取り出し、並べる。
準備する傍らではシロが毒味とか言いながら早速菓子を頬張っていた。
幸せそうで何よりだが、対価ではなくとも賄賂ではあると思うよ。
貴方が熱く語った、立ち止まる勇気はどこいったのさ。
なお、オマケで進呈された魚の干物は、ありがたく受け取りました。
今は期待と共に収納にしまわれております。
醤油あるし…大根か、市場に行けばモドキが売られている。
完璧だ。
完璧な日本人の食卓が再現できますよ!!
『…なの、いいかしら?』
「はっ!!すみません、聞いてませんでした。」
風の大精霊様の声に我に返る。
何やってるのと言わんばかりのシロの表情に、呆れたようなオリビアさんの顔。
しまった、また意識が世界の果てへ行ってしまった。
『食べるのが好きなのね、本当に情報どおり。』
くすりと風の大精霊様が笑う。
情報ですか?
『私が司るのは風だけでないわ。例えば情報と嘘。両方共、私と眷属には空気みたいなものよ。』
「情報と、嘘?」
『二つは相反するように思えて根は同じなの。嘘をついた理由を分析すれば"新たな情報"となる。』
彼女は口元に指を当て、軽くトントンと叩く。
なるほど"油断ならない人"ね。
教えては貰えないかもしれないけど、一応聞いてみるか。
「ちなみに、私の各種情報は誰から得たものですか?」
『秘密。これは女性の嗜みね。』
そして、にこりと笑う。
女性の嗜み…守秘義務契約というやつですか、そうですか。
『それから交易や交通も私が司る領域。私自身、風通しの良い場所が好きだし商人と同じように変化を好む質だから、人間界の各国にある拠点を飛び回るようにして暮らしているの。今のお気に入りはバルザック公国ね。温暖な気候、食と芸術の都でもある。』
「バルザック公国!!」
『そうよ、この食卓に並ぶ料理の数々は全てあの国で作られたもの。興味あるかしら?』
そう言われてみれば、鶏肉の乗る皿には例のパスタを揚げたらしきものが添えられている。
顔を近付けると鼻先に香辛料の香ばしい香りが広がった。
アレが、これですか!!
「…美味しそう。」
『気に入ってもらって良かったわ。遠慮なく食べて。』
彼女は話上手な人でもあったらしい。
食卓に並ぶ料理を話題に話が弾む。
食べ終わる頃には、随分と打ち解けていた。
『それで、私からのお願いなんだけどね。』
空になったお皿を収納にしまいながら風の大精霊様が口を開く。
お菓子を食べ終えたシロが、不機嫌そうな顔をしているが気にしない。
賄賂を食べたのは貴方も同じ。
協力できるかはともかく、話は聞かないとね。
『ある者達を探しているの。』
「人探しですか。」
ちょうど私も人探しを頼んだところだから、お役に立てるかどうか微妙なところだ。
難しい表情になった私を見て、彼女は少々慌てた様子を見せる。
『貴女に探してもらいたい訳ではないの。それは私達が引き続き行うから協力はいらない。』
「では何をしてほしいのですか?」
『その者達が貴女に接触を図ったら、私に教えてほしい。』
「その者達、とは?」
『…聞く必要はないよ、エマ。』
隣に座るシロから圧し殺すような声が響く。
膨れ上がる魔力に風の大精霊様が僅かに表情を変えた。
「ねえ、風の。我がいつ許した?」
『…私は対価を支払うつもりでここにきた。だから正式な依頼よ。』
「そんなことは関係ない。我が契約者を、誰が利用することを許したか聞いている。」
『誰にも聞いてないわね。私の一存よ。』
さすが大精霊級ともなると格が違う。
私なんか密閉された空間を満たす膨大な魔力の密度の濃さに心拍数が上がりっぱなしだというのに、圧力がかけられているはずの風の大精霊様は平然とした顔で受け流している。
オリビアさんはと見れば…なんか遠い場所を見つめていた。
その気持ち、わかります。
こやつが暴走したら店は跡形もないでしょうね。
オリビアさんと目線が交錯する。
"飼い犬の躾は飼い主の義務"と、そう言われている気がしますね。
あんまり介入したくないのだけど致し方ない。
「シロ、落ち着いて。私は話を聞きたいの。」
「精霊界の問題に君が関与する必要はないよ。」
「本当に精霊界だけの問題なのかを判断するのは私だよ。」
それには話を聞かないとね。
ネギを背負ったカモ…失礼、情報を携えた淑女がわざわざ向こうからやって来てくださったのだ。
どれがどんな情報が繋がるかわからない以上、一通り聞いておきたい。
シロは面白くなさそうな表情で、ふいと横を向く。
…残念、大人の男性の容姿でそれをされても可愛くないからな。
そんな私とシロとのやり取りを眺めていた風の大精霊様が小さく笑いをこぼした。
『いいわね!!それぐらいしたたかじゃないと。』
「聞くだけ聞いて断ることもあり得ますけど?」
『いいわよ。私にとっては顔見知りになったついでのお願いだから。貴女の様子を聞いて知己になれば互いに利があると判断したから、お土産選んですぐここへ来たの』
そう笑って胸を張る。
さすが風の大精霊様。
フットワークが風のように軽いですね。
『それにね、貴女達がどんな関係を築いているのか、気になったからでもあるのよ。』
「どう判断しました?」
『これだけの力を持つ彼に依存するでもなく、従うでもない。彼も貴女も互いに必要だから側にいるのでしょう?そういう関係を彼が築けた事に安心したわ。孤高の存在って耳ざわりの良い言葉だけど、傍から見れば、ただのひとりぼっちだからね。彼が望んでなら仕方ないけど、そうでないから見てる方は心配になるわ。』
「うるさい!!ぼっちとか言うな。君だって自由に生き過ぎた結果、周りに眷属しか寄り付かないでしょうに。さんざ人を巻き込んでおきながら、いざとなると本人がいないとかどういうこと?!だから"台風の眼"とか呼ばれて、事情を知る皆から怒り通り越して心配されてるのにまだ気付いてないの?!」
『アハハ!!一箇所に長いこと留まると飽きちゃうのよ。広く浅く付き合いたい性分だし、それには一人きりの方が何かと都合がいいの。だからいい加減、人をぼっち仲間に引き込もうとするのは諦めなさいな!!』
「いつも引きずり込まれてるのは、こっち!!」
…内容のレベルが低い。
だがあのシロが振り回されているなんて、意外だ。
なんとすごい対人スキル。
「是非、お友達に!!」
『喜んで!!』
風の大精霊様が差し出した手をガッチリ握る。
シロが何やら騒いでいますが聞こえないふりをした。
大精霊様達の秘密とか、シロの黒歴史とか話してくれそうだもの。
『それでは本題に戻るのだけどね。』
「誰が来たら連絡すればいいですか?」
『彼ら、よ。人相や背格好、性別や設定は状況に合わせて変えてるけどね。必ず対象者の前には揃って現れるから、男でも女でも二人連れが貴女に接触してきたら教えて。』
しかも似たような容姿をして現れたら要注意だそうだ。
ちなみに似たような容姿を持つとはいえ、リィナちゃんやサリィちゃんは"彼ら"ではないとのこと。
すでに二人は確認済みなのだとか。
二人連れ、ね。
似たような容姿。
双子ってことかな。
風の大精霊様曰く、仕込の時は単独行動をとることもあるけど大抵は二人揃って姿をみせるらしい。
「何者なんです?彼らって。」
『そうね、我々は"厄災の双子"って呼んでいるわ。』
「…厄災?」
シルヴィ様が備えるようにと魔法手帖へ書き残したのは、同じく"厄災"ではなかっただろうか。
だけどそれだけで決めつけるわけにはいかないか。
私は僅かに首を傾げる。
その姿を見て、風の大精霊様はシロヘと視線を向ける。
『光の、本当に何も話していないのね?』
「当たり前だ。彼らは精霊界にとって恥となる存在。それを彼女へ明らかにする理由など何ひとつない。」
『"愛も過ぎれば光を失う"。この言葉の見本のような状況ね。彼女を守ろうと思うのなら奪うのではなく、惜しみなく与えるべきよ。貴方は力が強いから思いもしないだろうけど、生来牙も爪も持たない人間は非力なように見えて、人間らしく自身を守る武器を与えられている。それは知恵や知識と呼ばれるもの、そして情報とそれを分析し、活用する頭よ。』
風の大精霊様は自身の頭の辺りを指差す。
確かに、シロの圧倒的な力の前には万物が無に返る。
だから複雑な仕掛けなどいらないが、だからといって全てが彼の力技で片付くほど単純でもない。
『貴方が聖国を白く塗り潰さないのは、その行為だけでは何も生まない事に気付いているからでしょう?』
大陸には国があり、その国に暮らす人々がいる。問題が起きる度に、強大な力を振るい国を滅ぼして一から作り直していては折角築いた文明が失われるだけでなく、再び殺伐とした混沌の時代が訪れてしまう。
大抵の場合、現状に多少不満があろうと、世界を変える労力より現状維持するための努力を選ぶだろう。
それは人間だけどなく、精霊とて同じ。
だから未知なる力を持つものは、畏怖され遠ざけられやすいものなのだ。
『彼らがそうなの。厄災の双子は精霊でありながら、その異質さから精霊界で忌避された。』
シロも遠巻きにされていたが、それは単純な力の強さ故。
彼らのように忌み嫌われた訳ではないのだ、という。
「なぜです?ソルで見かけたときは、皆、拘りなく仲良さそうでしたけど。」
『それには、精霊とはどんな存在であるかから教える必要があるわね。』
風の大精霊様は小さくため息をつくと華茶を口に含む。
それなりに長い話になりそうな、そんな気配がした。
『これはね昔、昔のお話よ…。』
次話はご想像の通り、風の大精霊様の昔語りです。
お楽しみいただけると嬉しいです。




