魔法手帖百三十八頁 第三手は奇襲、今季の新製品
ご注意ください。
人の死が描かれています。全力でぼかしていますが、夏の夜に涼しくなれるホラー的な表現もあります。
苦手な方は読まずにふっ飛ばしてください。
なぜ、こんなことに。
目が覚めると日は暮れ、夜になっていた。
客人扱いのはずなのに、使用人が呼んでも来ないのはなぜか。
人数は揃っているようだが躾は全くなっていないようだ。
彼はベッドから起き上がる。
高熱を出した後のように身体の節々にひどい痛みを感じた。
養子であるラシムに謀られたとわかり、オリビアの店を飛び出した彼は、なんとか挽回しようと、特に親しかった商会の取引先へと向かったのだが、彼らはラシムに言い含められていたようで聞く耳すら持ってくれない。それどころか失脚を自業自得と冷たくあしらい、揶揄する者さえいたほど。
…今まで散々おいしい思いをさせてきたのに。
そう憤る彼は、実際のところ気付いていなかっただけなのだ。
かつて自分が潰した商家の人々に対して、自身が取っていた態度と同じであるということに。
とにかく一度自宅へ帰ろうと家のある方角へと足を向けた彼を呼び止める声がした。
『我が主が貴方の苦境に心を痛め、力を貸して差し上げたいと申しております。』
ダングレイブ商会の頭取であった頃のように、男が恭しく導いたのは貴族街にある古びた館。
見た目は古くとも内装は豪華、それが隅々まで磨かれており埃一つ見当たらない。
そしてきらびやかなホールの端から端まで、ずらりと並ぶ使用人達。
どこぞの金持ち貴族の別邸か?
彼らを招いた主とやらの目的が気にはなるが、おそらくはダングレイブ商会の頭取まで務めた自分の人脈や、商才が必要なのだろう。
王国内で新たな商売を始めたい貴族の道楽か。
もしくはダングレイブ商会を潰して王国の商売を牛耳りたい他国の商家の招きか。
どちらでも構わない。
あの忌々しいラシムを排除し、再び権力を手に入れることができるなら。
この国の経済を他国が支配するような結果になろうとも構わぬ。
利権は腐りかけた場所ほど豊かで、もたらす利益は甘く美味しいものだ。
「…この導きは、王女殿下のご慈悲かもしれぬな。」
優雅な仕草で椅子に座り、笑みを浮かべながら、終始王族らしい態度を崩さなかった王女殿下。
そういえば、久しくお顔を拝見していないが。
侍女から彼の苦境を伝え聞いて手を差し伸べてくださったに違いない。
彼の強引な行いを許し、咎めぬ彼女なら、より良く取り計らってくださる。
腐っても王家の人間だ。
彼女の権力さえあれば、自身の罪など簡単に揉み消せるだろう。
国のためなら善悪に拘らず使える手は何でも使う。
それが権力の正しい使い方であり、国を統べる王族としての務めであるというのに。
「清廉潔白であろうとする現王の志は確かに気高い。だがそんなもの、虚しい理想だ。」
綺麗事を並べたとしても、それだけで物事が上手くいくはずはない。
清らかであろうとも川の流れには必ずどこかに淀みが生まれるように、物事が動くときは思わぬ弊害が発生する場合がある。
それが"お綺麗な"手段だけで改善されるとは限らない。
もし表立って公表できぬような手段でしか解決できない事態が起きた場合に、彼は国のためとそれを実行した部下を許せるというのか?
それすら許さぬようなら早晩周りの人間は、物事の綺麗な面しか報告しなくなるだろう。
人は易きに流れるもの。
その場しのぎでも、その方が面倒がないからだ。
本来は淀みや汚れこそ、王が権力を使ってでも改善すべき物事であるはずなのに。
「今は人気が高かろうとも、奴が愚王と呼ばれるのは時間の問題だ。」
それならばもう一人の王位継承者に恩を売っておいて、彼女が王位を得た後に取り立てて貰う方が何倍も安全だ。
現に彼女は魔法手帖を手に入れることを条件として彼に騎士爵を与えると約束してくださった。
利に敏い方が上に立つことは大変に好ましい。
だからその王女殿下のため、次代の魔法紡ぎの女王を従え、力を振るわせようとしたのだが。
なぜ、私はこんな目に合わねばならぬ。
扉を開け、這うようにして外へ出ると絨毯から鼻につくような土や埃の匂いがした。
それは最近までこの場所が使われていなかった証。
では彼を出迎えた大勢の使用人達は一体何者なのだろう?
どうにも上手く考えが纏まらない。
思考は過去の記憶を手繰り寄せる。
『オリビアの店の浄化や回復の魔紋様は素晴らしい。』
彼女に目をつけたのは、そんな噂が流れたからだ。
取り寄せてみれば、なんと起点の魔紋様が"アリアの花冠"だった。
最高峰のひとつとされる紋様を持つ人間がオリビアの店に雇われている。
ダングレイブ商会の十分の一程度の商圏しか持たない商家が生意気な。
彼女を手に入れようとオリビアの店に圧力をかけたが、あの店は妙に顔が広く、高位の家と繋がりがあって簡単に圧力には屈しなかった。
そうしているうちに『紡ぎ手は聖女の生まれ変わり』、『魔法紡ぎの女王の再来』などと、にわかには信じ難い噂が囁かれ、他国でも魔紋様に高い値が付き飛ぶように売れていく。
オリビアの店にばかり利益を独占させるわけにはいかない。
何度か交渉したものの、店主は『紡ぐ枚数に限りがあるから』と勿体ぶって横流ししないばかりか、紡ぎ手から出来が落ちると評価された商品を、二級品として通常より値引いて販売するようになった。
糸の太さにバラツキがあり、多少魔力の消費が多いというだけで、効果は一級品と同じ。
しかも巷で販売される浄化や回復の魔紋様より値は張るが、安定した稼ぎのある冒険者なら手が届く価格に設定されていた。
元々、浄化や回復の効果を持つ魔紋様は需要に対して出荷数が少ないのだから、多少値がはろうとも売れない訳がない。
大した宣伝などしなくても冒険者の間に二級品という存在が知れ渡るのに、そう時間はかからなかった。
彼女は、まさに金の卵を産む鳥だ。
「職人を甘やかすから需要を満たせないのだ。オリビアが上手く使いこなせないのなら、高い給金を支払ってでも魔法紡ぎの女王を引き抜けばよい。その利益だけで新たな商売ができる。」
そのためにはどんな手を使ってでも新たな商会を立てる必要があった。
由緒あるダングレイブ商会であっても、私の役に立たぬなら潰してやる。
契約書を交わしてしまえばこちらのもの、魔法紡ぎの女王は死なぬ程度に使い倒せばいい。
金の卵を産む鳥を、あっさりと失うのは惜しいからな。
階段を軽やかに降りる。
だいぶ身体が解れてきたようで、動きが滑らかになってきたと感じる。
なぜかいつも以上に身体が軽い。
少し跳躍しただけで腰より高い階段の手摺りを軽々と飛び越えた。
なんだ、この力は。
「!!!!」
ふと目に付いた扉の向こう側から声にならぬ悲鳴が聞こえる。
芳しい香りに誘われ躊躇うことなく扉を開ければ広がるのは赤黒い海。
血だ。
そしてあちこちに散らばるのは何かの残骸。
血溜まりに落ちた着物の切れ端は、色や素材が使用人達が揃いで着ていた制服の一部に見える。
その赤黒い海の真ん中で、ゆらりと揺れながら立ち上がった者がいた。
「お前は…。」
「おはよう、父さん。ずいぶんとのんびりだったね。全部食べ終わっちゃったよ。」
背を向けたままなのに見慣れた背格好で我が子とわかる。
朝食の席で何気なく交わされた会話のような内容だが他人の持ち家で交わすとなれば不自然だ。
なぜ他人の持ち家に、自分と息子が揃っているのか。
それを調べるのが先だろう。
この場で優先順位をつけるなら状況を確認するのが先で食事は二の次だ。
だから問われるがまま、別に食事は要らないと、そう答えようとして充満する血の匂いに思わず喉が鳴る。
…なぜ私はこんなに飢えているんだ?
そう思った瞬間、唐突に息子がこちらへ振り向く。
瞳が真っ黒に塗りつぶされていた。
黒い眼は魔性を持つ証とされるもの。
今も何かを咀嚼する口元に覗く鋭い歯と、刃物のように鋭利な爪。
そして呼吸する度に吐き出されるのは毒を含んだ息。
「魔物になったというのか、お前は。」
「うん。というか、父さんもだね。」
「なんだと?」
「あそこに姿見があるよ。」
慌てて視線を巡らせると、息子と同じような特徴を持つ自分の姿が鏡に写っていた。
「なぜ、こんなことに。」
「わからないよ。父さんがなんでここに来たか知らないけど、俺は綺麗な女の人に誘われてここに来た。服装も小綺麗だったし、楽しませてくれるというからね。だけど馬車の中で急に眠くなって、次に目が覚めたらこうなってたよ。」
首をすくめ、他人事のように話す息子の様子に唖然とする。
思わず声を荒げた。
「自分が化け物にされたというのに、何を寝ぼけているんだ?!」
「だって腹が減って仕方がないんだよ。」
「腹が減った、だと?」
そんな子供みたいな理由でと怒りを顕にしようとしたところで気付く。
私も気がおかしくなりそうなほど腹が減っている。
今も目の前に落ちている何かわからないような欠片ですら口にしたいと思ってしまうほどに。
飢えていた。
「腹が減って、腹が減って、それ以外のことなんて何にも考えられないんだ。だからこの空腹感が満たされたら、どうするか考えるよ。」
食べれば食べるほどお腹がすくんだ。
そう言いながら彼の何も写さない瞳が忙しなく食べ物を探す。
「この血溜まりはなんだ?」
「ああ、腹がへったと言ったら使用人が料理を出してくれたんだ。だけど足りなくて。もっと持ってくるように言いつけたのに、食材がありませんと言うからさ。」
彼らを食べたんだ。
「…。」
「いいよね?使用人ならまた雇えばいいし。」
今、こいつは何を言った?
考え方もすでに魔性に支配されているとでもいうのか?
「父さんこそ他人事の振りしてるけど腹が減って気が狂いそうでしょう?」
確かに腹は減っている。
だが肯定すれば、自身が魔物である証のように思われるのが我慢ならない。
ところが否定しようとした口が思わぬ言葉を紡ぐ。
「なんで私の分も残しておかなかったんだ!!」
腹が減って、腹が減って。
食べたいという欲求を満たすことの他には何も考えられなくなっていく。
やがて彼は自分の中に新たな思考回路が組み上がったことに気が付いた。
食べたい。
食べられるものなら、なんでも。
食べることが何よりも優先される。
…この空腹感が和らぐのなら、何をしてもかまわない。
「そうだよ、父さん。受け入れてしまえば楽になる。それじゃあ、食べ物を探しに行こうか。」
鋭い歯を見せ笑いながら、息子が扉を指差す。
この館を出れば食べ物が満ちあふれている。
我々にとって歓喜と欲望を満たすためのものが満ちあふれた世界。
生唾を飲み込んだ。
「ああ、行こう。」
今は扉の外にある食べ物のことしか考えられない。
自分の容姿や思考がなぜ魔性に支配されているのかなど、考えることは二度とないだろう。
自分の中では、すでにこれらの変化を当たり前のことと受け入れてしまっているから。
息子の言うとおりだ。
受け入れてしまえば一線を踏み越えるなど簡単なことであった。
今まで囚われていた窮屈な柵から開放された、そんな気がする。
ああ、身体が軽く、心も軽い。
扉を開け、出口となる玄関へと跳躍する。
ああ、肉と血の匂いが私を呼んでいる。
「私は、自由だ!!」
「…ずいぶんと容姿も中身も変わられましたわね。」
新たな旅立ちは玄関の扉の前に立つ人物の冷ややかな声に迎えられた。
誰だ、この浮き立つような気持ちに水を指すような輩は。
相手を確認して思わず笑みを浮かべる。
憎い相手からわざわざ出向いてくれるとは、なんと都合のいい。
「これは、これは。オリビア嬢にリィナ嬢、オリビアの店の看板娘さん達ではないですか。」
我々の容姿の違いに気付いているのだ。
すでに人間ではないことにも気付いているのだろう。
迫りくる、恐怖。
その状況で我々が近付いているにも関わらず、二人は全く動じる素振りも見せない。
無表情のまま、ただ静かにこちらを見つめているだけ。
しかし、なぜこの二人がここにいるのか。
探りを入れるため、あえて強気な態度で話しかける。
「こんな遅い時間に連絡もなく他家を訪問するのは、ずいぶんと礼を失しているではないかな?」
「ここは貴方の持ち家ではございませんでしょう?他人の家で主人の如き振る舞いの方が無礼ですわ。そう考えるなら、無礼はお互い様です。それよりもお二人の服が派手に汚れてますわよ?何をしていらしたの?」
オリビアは血で黒く汚れた服を指差す。
途端に息子は口元を歪めた。
彼女達をいたぶるような、そんな光景を想像したのか喜びに満ちた表情を浮かべる。
「気になるかな?若い女性には刺激が強い話ですが…。」
「ええ気になりますわね。」
「ではひとつ謎掛けを。数時間前まで、この館には使用人が働いていた。だが今は誰もこの場に来ない。貴女達という来客があるにも関わらず、だ。それはなんででしょう?」
「想像がつかないわね。」
「それは、来られないからですよ。…私に食べられて!!」
二人はどんな表情をして私達を楽しませてくれるのか。
悲鳴を上げ、逃げようとするか。
怯えた表情を浮かべながらも抗おうとするのか。
想像するだけで気分が高揚する。
だが二人は表情を変えることすらなかった。
それどころか顔を見合わせ、緊張感の欠片もなく話し始める。
「もう少し、という感じね。補助するから二人をしばらくお願いできるかしら?」
「どのくらいの強度にしますか?」
「死なない程度にしてくれれば何をしてもいいわ。ああ、火はダメよ?運良く生き残っている人がいるかもしれないから、この館を燃やしたくはないの。」
「はい、かしこまりました。」
彼女達はこちらへと視線を戻す。
ゆったりと笑みを浮かべるオリビア。
なぜか背筋に悪寒が走る。
何をする気か。
「…なぜ笑っている…ああ、恐怖が勝って現実逃避をしているのか、それはすまなかった。だが我々もそろそろ限界なんだよ。腹が空き過ぎてな!!」
「父さん、まずは若い方から食べよう。あの女は今までの分を含めて痛めつけてからだ。」
「失礼ね!!私だって充分若いわよ!!」
息子の台詞にオリビアは顔を顰めた。
そんな余裕を見せていられるのも今だけだ。
やっと食べ物にありつけると、息子と二人、使用人の少女へと飛び掛かる。
そして引き裂こうと手を伸ばした、その瞬間。
パーン!!
盛大な音がして息子と二人、勢いよく壁へと叩きつけられた。
頑強な身体を手に入れていなければ骨にヒビでも入っていそうな勢いだった。
「店主、これ決まると気持ちいいですね!!」
「でしょう?だから手放せないのよ!!」
二人は満足そうな笑みを浮かべている。
少女の手元に握られた武器はといえば、白い紙でできた長細いもの…他国で流通する扇子と呼ばれる品に形状は似ているが、形はずいぶんと大きい。どこかで見たことがあると思うのだが、腹が空き過ぎて集中できず思い出せない。
ちなみにエマがこの場にいれば、『ハリセーンだ!!全員退避!!』とでも叫ぶところだろう。だがこの二人は、ふざけたビジュアルを持つこれが限られた人々に最強の武器と認識されているなど知らない。
そして知らないから頑張る。
暫くの間、襲いかかる二人を少女が壁に向かい打ち返すという単純作業が続く。
スパーーン!!
パコーーン!!
跳躍して上から襲っても、二人掛かりで襲い掛かっても打ち返される。
もちろん時間差で襲っても同じこと。
口から吐き出している毒も魔道具の効果で常時無効化されているのか、全く効かないようだ。
元気一杯の女性陣に対し、たいした攻撃を加えられない二人は一方的に体力を削られていく。
やがて、力尽きたように揃って膝をついた。
「ハァハァ、…あんなの、っ、武器なのか?!」
「っ、しかも、自己修復っ、するなんて!!」
オリビアは笑みを浮かべる。
そろそろ、良さそうだ。
リィナに目で合図を送る。
冷静さを欠いた彼らは気付かなかった。
確かに軟弱そうな見た目に反して高性能な武器だが、それよりも一人で魔物二体を相手にしているリィナの技量こそ本来は目を向けるべきなのだが。
何より苛立ちが勝り、思考力が低下している状態であることが更に二人を追い詰めていた。
「もういい、あいつらの相手をしていたらいつまで経っても食事にありつけない。」
「そうだな!!あいつらの後ろにある玄関を突破すれば餌がたんまりある。一気に跳躍してあいつらを飛び越せばいい。二人が全速力でぶつかれば、あんなちゃちな玄関の扉など一瞬で破壊できる。」
「タイミングを合わせろ。バレたらまた打ち返されるだけだ。」
「よし、今だ、いくぞ!!」
二人は息を合わせ、一気に跳躍し玄関の前に立ち塞がるオリビア達を飛び越そうとした。
その瞬間。
オリビアは待ってましたとばかりに風呂敷包みの中身…魔道具に魔力を流す。
「拡大・対象者"目視"。」
すると魔道具に刻まれた魔紋様が光を帯びる。
玄関の前をギリギリまで塞ぐように蓋が開いた状態で箱が展開した。
高さは大人の男性が立った状態で余裕をもって収まるサイズ。
正方形なので二人ならば幅にも十分余裕がある。
重力に逆らわず、飛び上がった二人は箱の中へと真っ直ぐに落ちていく。
スポン。
「「な、なんだ、コレは!!」」
「施錠。」
すかさずオリビアが魔力を流しながら蓋を閉じる言葉を唱える。
カチャンと鍵のかかる音がして僅かに箱が振動する音がした。
これは中身の素材ごと縮小し、収納する箱。
オリビアの店が自信を持ってお届けする今季の新製品である。
残虐な表現を入れるか最後まで迷いましたが勢いに任せて書いてしまいました。
ダングレイブ商会の前頭取、御曹司のその後のお話。
長くなったため、途中でぶった切りました。
残りはなるべく早く投稿します。




