魔法手帖百三十五頁 食事会と魔法手帖の行方、お給料日!
「…注文は?」
「チーズの乗ったパンと日替わりスープください!!」
「…。」
返答はないものの、慣れた手付きでパンとスープがカウンターにある配膳用のトレーに並べられた。
とろけたチーズの香りとよく煮込まれた肉の芳ばしい香りが漂う。
このところ上質な魔物の肉が安価で手に入るいるそうで、頼まなくても大盛りだ。
香りと食感に癖のある魔物の肉は、このように煮込んで食べるのが一番美味しいらしい。
ふと店の外へ視線を向ければ、数日前までただならぬ気配が漂っていた市場に繋がる通りの屋台は再び活気を取り戻していた。
破目を外したような心踊る光景に、笑みが浮かぶ。
寝て起きて、オリビアの店へ顔を出すと、あれよと言う間もなく金貨の部屋へ回収された。
オリビアさんだけでなく、サリィちゃんとリィナちゃんも交互に顔を出す。
やがて連絡が入ったようでディノさんとカロンさん、そしてゲイルさんもやってきた。
この時点で、わりと広さのある金貨の部屋が手狭になってしまう。
そこでディノさん達が行きつけにしているというお店の一室に場所を移して報告会をすることとなった。お酒と簡単な食事を出す店で、食べ物は前にある屋台のお店から購入したものを持ち込んでもいいそうだ。
繁盛しているようなのに、店内を見渡せば、会話は少なく皆大人しくお酒を飲み、食べ終わるとそそくさと出ていく。
雰囲気のいいお店なのに、なんで?
「店主が強面な上に無愛想。あと飲んで乱れる奴を見るのが嫌いでな、速やかに叩き出される。」
ゲイルさんがそっと教えてくれた。
ちなみにこの店主さん、かつては名の知られた冒険者だったそうだ。
店主は恐いが、変に絡む輩もいないし安くて美味しいからと利用する人は多いらしい。
振り向いた店主さんと視線が合う。
…あれ?あのテイストの顔を最近見たな。
「エマちゃん、今『あの人岩っぽいな』とか思ったでしょう〜。」
ディノさんの台詞が静かな店内へ響く。
土の大精霊様寄りの濃い顔立ちと全体的に角張った骨格。
確かにね、そう思ったよ。
でもね、ディノさん、それ明らかに口から出ちゃだめなやつ。
私も口から出した身だから強く言えないけど、やっぱりだめだと思うのよ。
ピシッという音がして空気が揺れる。
なんだろう。
そう思った瞬間、目の前からディノさんが消えた。
思わず目を擦り、辺りを見回す。
ディノさん消えた?!
今まで目の前にいたディノさんが消えたよね?!
「エマ。あの小部屋を借りたから、飲み物と食べ物買ったら集合な。」
「えと、ディノさんは?あ、あれ?」
「さあ、どうしたんだろうな?」
ゲイルさんが飲み物の入った器を片手に奥にある小部屋を指差す。
オリビアさんはお店を閉めたらリィナちゃんと共に合流するそうだ。
そんな会話をカロンさんとサリィちゃんが普通に交わしている。
誰もディノさんの事を口にしない。
ちょっと待て、これってもしかして。
「まさか死」
「生きてるからね?!誰も探さないよね!!皆ひどくない?」
このボロッボロになったこの人だれ?と思ったらディノさんだった。
殺気を感じて、すごい速さで振り向くと店主さんが市場で売られている虫取り用のハタキを布で拭いている。
…あれ、普通に売られてるやつだよね。
「エマちゃん、注文の仕方わからんの?なら一緒に頼もか?」
「あ、えっと、大丈夫。それよりもアレ」
「ああ、虫取り用のハタキ。便利だよね!!どんな虫も一撃で倒せるんだって!!昔異世界から呼ばれた人が開発したらしいよ。きっとカウンターの近くに、美味しい匂いにつられた虫でもいたんじゃないかな、…虫けらが。」
ニコッと可愛い笑顔を浮かべるサリィちゃん。
あ、いやそのハタキの先で魂出てるのはディノさんなんだけど?
ていうかサリィちゃんが超絶可愛い笑顔で『虫けらが』とか言った瞬間、店内のお客さんで微妙に頬を赤らめる人とか、ちらほら居るんだけど、なぜ?!
…よし、スルーしよう。
煌めけ!!私のスルー力!!
私は何も気付かなかった。
ディノさんはいない、ディノさんはいない、ディノさんは…
「そう!ディノさんは死んだのよ!!」
「いるからね?!しっかと目の前にいるからね?!」
空気を読む私は、聞こえないふりをした。
サリィちゃんが『また虫けらが』とか言っているのを横目に、そそくさとカウンターのメニューに目を通す。
日替わりは香辛料を使って魔物の肉を煮込んだスープで、パンはチーズが乗ってとろけているのが美味しそうだ。
ピシッ。
振り向いたけど視線の先には誰もいない。
うん、やっぱりディノさんいないよね。
あれだけ寝たけど疲れてるのかな、私。
「飲み物は?」
「あ、果実水ありますか?」
「…。」
トン、とコップに汲まれた果実水がトレーに置かれた。
すごいな、まるで注文の品がわかるみたいなスピードだ。
「ありがとうございます!!」
「おう。」
店主さんは真剣な表情で煮物の鍋を見つめている。
職人さんの顔だな、邪魔しないでおこう。
トレーを持って小部屋に向かう。
扉を開けると皆美味しそうに料理を頬張っていた。
「あら、エマちゃんのパン美味しそうね!!」
「種類が違うなら半分こにして交換しますか?」
カロンさんの皿に守られたパンは少し固めに焼かれたシンプルなもの。
スープによく合いますよね!!
しばし料理を堪能する。
硬さのある肉のはずなのに口の中でホロリとほどける。
うん、癖のある香りも香辛料で消されてて、普通の煮込みよりも食べやすいかもしれない。
「本当、美味しそうに食べるな。」
ゲイルさんが苦笑いを浮かべつつ言った台詞に我に返る。
おっと、意識がとんでましたか。
「そろそろお話の続きをしましょうか。」
そう言ったところで、ちょうど扉が開く。
オリビアさんとリィナちゃんが何かを引きずりながら現れた。
「お待たせしたわ、ごめんなさいね。あとなぜかコレが入り口の辺りに落ちてたから拾ってきたわ。往来の邪魔になったらお店に申し訳ないでしょ?」
はい、ご想像のとおり、ディノさんですよ。
ディノさんてば、闇を背負って『虫です、ごめんなさい』とうわ言のように繰り返している。
背筋に悪寒が走り、振り向いた私の視界には可愛い顔に笑みを浮かべるサリィちゃんがいた。
…彼女の目が笑っていないのはなぜだろうね?!
「ああ、すまないな。ほら、ディノ。親父さんとのじゃれ合いはもう充分だろ?いい加減に戻れ。」
「うん、そうだね〜。そろそろエマちゃんの話聞かないとね。」
いきなり素に戻ったディノさんは飲み物をカウンターまで取りに行き、すぐに戻ってきた。
カロンさん曰く、このじゃれ合い、日常的によくあることなんだそうだ。
今じゃすっかり慣れて誰もディノさんの行方すら気にしないらしい。
…謎すぎる、ディノさんの日常。
「それじゃ、エマ。謁見の間での出来事の続きから頼む。」
「了解しました!!」
せっかくなので重要な場面だけ抜き出したダイジェスト版を用意しました。
謁見の間での使節団とのやり取りから始まって、魔物の出現、領館での出来事。
編集したから大した量ではないはずだが、気付けば飲み物が空になるくらいの時間が経過していた。
飲み物のお替りをもらって再び席につく。
「濃いねー、君の一日は。」
ディノさんから率直な感想をいただきました。
「向こうから厄介事を持ち込むだけで、私は自分から手出ししたことはないんですけどね。」
自分から密度を濃くしようと働きかけた事は一度もない。
それだけはちゃんと言っておきたいのです!!
「…エマちゃん、ひとつ気になったことがあるのだけど?」
聞きにくい事に気がついてしまったという様子のカロンさんが遠慮がちに聞いてくる。
「もしかして魔法手帖を取り上げられたままなの?」
一瞬、落ちた沈黙。
やはり言わずとも気付くものなのだな。
画像に残っていたのは聖国で使節団長に魔法手帖を武器として取り上げられた場面。
彼から返却された映像は残っていない。
「あんなに大切なものを奪われたままだというの?!」
「帰り際に返却してもらえませんでしたから。」
オリビアさんの声色に私を責める色合いが浮かぶのも無理はない。
ひとつの国を滅ぼす力を持つとされる魔法手帖だ。
奪われた本人が焦る様子を見せないというのもまた腹立たしいということだろう。
「だが魔法手帖は所有者を選ぶのではなかったのか?」
軽くオリビアさんを手で制したゲイルさんの言葉に頷く。
そう、魔法手帖は正式な所有者以外が触れると光の粒子となり消える。
つまり私が所有者である以上、要請されたとしても手渡すことなど出来ないのだ本来は。
さて、そこから導き出される答えは?
「君が渡したのは模造品だね?」
私が無言のまま笑みを浮かべると、ディノさんがニヤリと笑う。
ん?なんですか、その表情は。
「そして、わざと置いてきた。」
「…なんでそう思うんです?」
「まず魔法手帖は簡単に渡せるような価値の低いものではない。だから要請された時のために魔法手帖の模造品を用意しておいて、それを渡したとする。さて、その前提で考えれば模造品だったとしても魔法手帖を回収していくよね?渡した魔法手帖が偽物であるとバレるわけにはいかないから。君は普段そういうところは抜け目ないのに奪われたものを取り返しもせず戻ってきた。ではそれが何を意味するのか。」
「緊張のあまり、うっかり忘れてきたのかも?」
「まあ時折お茶目なうっかりやさんではあるけど、ここぞという場面では計画的に大胆な行動が取れるタイプだ。つまりその君が忘れてきたというのなら計画的に、なんだろうね〜。ね、当たりだろう?愛らしいお嬢さん?」
そういうとディノさんは私の片手を掬いあげ指先に軽く唇を寄せた。
強気な態度と色気ダダ漏れ具合に、うっかり口説かれているのかと思っちゃった。
ホント罪づくりな人だなー。
「…月明かりのない夜は外を歩けませんね。刺されますよ?」
「ディノ、無駄に色気を垂れ流すな。エマが珍しく狼狽えてる。」
「おや、そうかい。枯れているのかと思えば真っ直ぐに口説かれると弱いのか。これはいい事がわかった。」
「…実験しないでくださいね、面倒なので。」
どうも実験好きの血が騒いでいるようにしか思えないのですが。
そしてカロンさん、私の手をしっかりと握りしめている、その行動が何を意味するのか教えてください。
「それで模造品を置いてきた理由は?」
「いくつかあるんですけどね。一番の理由は魔法手帖の所在を曖昧にするため、でしょうか。」
「どういうことだい?」
「元々賭けの要素の方が強かったんですよ。例えば聖国が私を主犯として引き渡しを要求する確率、さらに魔法手帖を取り上げる確率を計上すれば、あくまでも可能性があるというレベルの話ですからね。ただゼロではなかったので保険として模造品を用意しておいた。そして運良く賭けに勝ったのでそれを渡したというだけです。」
手段としては使い古されたもの。
だが使い古されているということは、それだけの効果があるという証でもある。
「この画像、各国に渡したものは編集なしの日付を跨いだ超大作なんですよ。そんな見る方も大変な状態で渡したという理由はいくつかあるのですが、その一つがこれです。」
魔法手帖を渡した場面はばっちり映像に残っている。
だが転移の魔紋様に乗って帰国するまでの映像の中に残っていない重要な出来事がある、それは。
「使節団長から私に魔法手帖が返却されたという場面が写っていないのですよ。」
つまり私の魔法手帖はどさくさに紛れて、いまだ聖国に存在することになっているのだ。
「返却を要請しなかったの?」
「しませんよ。恥を知るなら自分達から返却しますよね。」
どうせ返すつもりなど彼らにはないのだ。
そのために用意した模造品。
魔法手帖を狙う人がいれば私ではなく聖国を目指すだろう。
それだけ本物に近い出来栄えの模造品なのだ。
模造品とはいえ芸術の域まで高められた逸品なので手放すのは惜しくはありますけれどもね!!
「それにアレ、ずいぶんと質の悪い仕掛けが施されているんですよ。」
使おうとしなければ、ただの本。
では使えばどうなるのだろうね?
「それ、もしかして主様が作ったの?」
「そうですよ。だから普通の模造品なわけないです。」
オリビアさんの呆れた表情に笑みを深める。
自業自得、その言葉に相応しい仕掛けがされていた。
…ちょっと、リィナちゃん、『悪人顔だね!!高笑いが似合いそう!!』ってどういうことだい!!
「ならば本物の魔法手帖は?」
ゲイルさんの言葉に合わせ、手のひらから金の糸を紡ぐ。
現れたのは見慣れた緋色の装丁に、銀糸の蝶の柄。
「今も私の、この手に。」
引き継ぎをすませていない状況で私と魔法手帖を引き離すなど出来ようはずもない。
その事に思い至らない時点で彼らの魔法手帖に対する認識にはずいぶんと誤りがあった。
「あの国は、長らく魔法手帖の所在が不明とされてきた。その間に基礎的な知識がずいぶんと失われてしまったのかもしれないね。」
ディノさんの言葉に頷く。
そしてその空白を埋めるように現れたのが聖女の存在。
彼女の行動が魔法紡ぎと魔法手帖の在り方を示す指標とされているらしい。
故にそれらが誤った認識を意図せずとも広めている原因なのだろう。
「なんだか魔法紡ぎとしての貫禄が出てきたわね、エマさん。」
「『魔紋様を紡ぐ事ができるのが"魔法紡ぎ"。魔法手帖はあくまでも媒体、道具の一つに過ぎない』って台詞聞いたとき、男前過ぎてうっかり惚れてしまいそうだったわ〜!!」
「一応女子なので、せめて女子扱いくらいはしてください。」
最後の砦だ。
女子力向上させる魔紋様を紡ぐ前に、男前度が上がってしまうとは。
がっくり崩れ落ちた私の頭上からカロンさんとオリビアさんの会話が降ってくる。
「オリビアの店の期待の新人が無事に戻ってきて良かったですね!!」
「これでまた、稼ぎが…んっ、従業員の安全が再び確保出来そうで良かったわ。」
「…今、聞き捨てならない暴言が含まれていたような?」
「あらそう?ああ、エマさん、今日はこれを渡す日なの!!」
そっと手の上に置かれる布の袋。
硬質な何かが触れ合う音…硬貨?
ずしりと重みのあるそれにはお金が入っていることがわかる。
「これは?」
「今日はお給料日なのよ。エマさん、たくさん頑張ってくれているから上乗せしておいたわ。」
耳元で甘く囁かれるのは神の託宣か、悪魔の囁きか。
「来月もお仕事いーっぱいがんばってね!!」
普段見せないような可愛らしい仕草で、オリビアさんがぐっと両手を握る。
後ろでは小鬼達がキラキラした瞳で私を見つめている。
可愛いい…三人揃うと超可愛い。
くっ、丸め込もうとしていますね!!
うう…わかってはいますよ!!いますけれど。
オリビアさんの背後からは後光すらさしていた。
やはり菩薩様でしたか。
「来月もよろしくお願いします。」
菩薩様の頼みを断るなんて罰当たりなことはできません!!
というわけで、選択肢はこれしかなかった。




