魔法手帖百三十頁 ハイデミリアと、彼女に何をしたのか
「私のいた世界では、陰謀や悪事が企まれている場所を"伏魔殿"と呼ぶことがあるのですよ。ネタ元は魔物や魔王や悪と称されるものが寄り集まった場所のことらしいのですけど、これだけ騒ぎを起こすのだから、この館では陰謀だけでなく本当に魔物とか湧いてるんじゃないですかね。」
「そういうものなら、この世界にもあるぞ。"ハイデミリア"と呼ばれている。とはいっても古い文献にしか記されていないような伝説伝承の類とされていて、例えば大流行した病や大規模な災害のような凶事を当時の人がそう呼んだのではないか、などと研究者は考えているみたいだな。」
「なんとまあ物騒なことがあったんですね。」
「俺のように日常的に魔物と関わっていれば、そんなものかと思えてくるぞ?」
「…それ比喩ですか?もしくは冗談?わかりにくいですね。」
「見極めの巧さは、そのまま経験の差だ。それよりも…。」
師匠はひとつため息をついた。
私の頭を軽く叩く。
「いい加減、現実に戻ってこい。」
「いや〜なんというか、本気で関わりたくないなと。」
目の前にある館で木霊する絶叫。
混乱は地下から上層階へと拡大している様子。
助けてあげないのかって?
聖女様ではないので無限の優しさは持ち合わせておりません。
「グレース戻ったら帰りませんか?この国に関わるとろくなことないですし。」
「だが、これをまた王国のせいとされたら面倒だ。」
「タイミングが悪かったですね。なら棟梁達だけでも先に帰しましょうか?」
「そうだな、この状況でも動かせるか聞いてこよう。」
師匠と入れ違いになるように、グレースが向かい合わせに立ち、優雅に礼の姿勢をとった。
「お嬢様、只今戻りました。」
「おかえり。無事でよかった!!怪我とかしてない?」
「大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ございません。」
「グレースが館に入って間もなく騒ぎが起きたからね、驚いちゃって。それで何かわかった?」
「それが最近になって使用人が減らされたそうで話ができたのは一人だけでした。それでも彼女がずいぶんとおしゃべりな方で助かりましたわ。」
彼女曰く、前領主が引退してからソルの領地経営は一気に悪い方へと傾き、赤字続きであったらしい。
経験を積み、やる気のある使用人から辞めていき、今では領館で働くのは数名の使用人のみで、話をしてくれた彼女は他へ行くあてがないから残っているのだという。
領主は相変わらず信者の言いなりになって暮らしており、その他に領館に住むのは部屋に籠もりきりの次男、別館で暮らす前領主と奥方、そして…。
「直系のお嬢様がお一人いらしたそうですが、成人すると同時に家を出られ現在は行方知れずとのことです。それにもう一人、養女として引き取られたお嬢様がいらっしゃるということですが…。」
事務的に話すグレースが珍しく口籠る。
口にするのを躊躇うという行為は人間だからこそのものと思っていたが、そうでもないみたいだ。
「あくまでも推測ですが、地下に幽閉されているのがどうやらそのお嬢様のようなのです。」
「養女として引き取られた方のお嬢様ってこと?」
「はい。起点の魔紋様は"豊穣の礎"、その方自身が豊穣の女神とも、神の贈り物とも呼ばれたとてもお美しくて優秀なお嬢様だったそうですわ。」
「だった?」
「…侍女曰く『お嬢様はひどい病にかかり、かつて美しかった容姿は病み衰え見る影もない』そうです。病気とはいえ、急に暴れ出すこともあったようで、人目を避けるために地下へ閉じ込めたそうですわ。そこから詳しく話を聞こうと思ったところで騒ぎが起きたので、それ以上の情報はありません。」
「そうなんだ。それにしても"病気"で、"幽閉"ね。」
普通の病気なら治療のためにと清潔な部屋へ収容し療養させるだろう。
それがよりにもよって地下牢へ幽閉とは。
それが何を意味するのかは推察するしかないけれど、症状が手に余る状況であるのは間違いないだろう。
「それからお嬢様、ひとつお耳に入れたいことが。」
「その言い方は私に益をもたらすとグレースが判断したということだね。」
「はい。若い男性から『情報を渡す代わりに、ここから連れ出して欲しい』と頼まれました。」
なんでも情報を集めるためと部屋を物色している最中に偶然鉢合わせしたのだとか。
念のためにノックをしたそうだが返事がないからと扉を開けたところ、弱り果てて歩くこともままならない状態の男性がベッドに横たわっていたという。
その彼が開口一番にいった台詞が『貴女は館の使用人ではないね。』。
「ふだんは家人に近づかないよう厳しく指示が出されているのかも知れないね。それを知らないから入室した。それで判断したのかも。まずは師匠に聞いてからにしよう。」
師匠が向かった場所へと視線を向けた、その時。
館の内部から聞こえていた喧騒がだんだんとこちらへ近付いてくる。
出入り口から飛び出してきたのは領主様、館の使用人と思われる人々と使節団の人々。
「た、助けてくれ!!」
「地下にいた魔物が暴れている!!」
「すでに喰われた使用人もいるんだ!!何とかしてくれ!!」
…本当に魔物がいたんだ。
それを聞いた師匠が急いでこちらへと戻ってくる。
「おい、どういうことだ?」
「…体調を悪くした家人が、どうやら魔物に呪われていたようで暴れて手がつけられなくなった。だから地下に閉じ込めていたのだが、力が強くなって牢を破りそうなのだ。このままだと、この建物が崩壊する。」
領主様は真っ青な顔をして震えていた。
周りにいる取り巻き…信者達も祈りの言葉を口にしている。
彼らの祈りに含まれるのは、自身の行いを悔い、許しを乞う言葉。
「領主様、その家人とは女性ですか?」
「そんなこと今は関係ないだろう!!」
「ならば教えてください。貴方達は"彼女に何をした"のです?」
「何をって、それは…。」
一際高く破砕音が響く。
軋み、揺れる家屋。
「グレース、さっきの男の人、この中にいる?」
「おりませんわ、お嬢様。お迎えに上がりましょうか?」
避難してきた人達を見回し小さな声で尋ねる。
回答にひとつ頷いて収納から魔紋様を渡す。
「危険なことを頼んでごめんね。無理だと判断したら断念して戻ってきていいよ。」
「御意。」
…なんか最近忍者のようになってきたな。
グレースは渡された魔紋様を確認して僅かに目を見張るとたちまち姿を消す。
間に合わなかったときには…彼には残酷だが、それも運と諦めてもらおう。
「何を悠長に話している!!アレを早くなんとかしろ!!」
あ、そうか。この人達がいたか。
領主様は相変わらず震えている。
その怯え方は尋常ではなかった。
つまりアレが開放されると一番に狙われるのは自分だとわかっているということ。
「領主様、貴方の指示で彼女に何かしたのですね?」
「ち、違う!!あれは、あれはあの方が授けて下さった魔紋様が…。」
その瞬間、扉が内側から弾け飛んだ。
入り口を壊しながら姿を現したのは、美しくも、おぞましい生き物。
彼女…魔物はわずかだが人であった頃の名残を残していた。
美しい女性の上半身を持ち、下半身は蛇の尾を持つ。
豊かな金、額からは二本の角が生え、なめらかな肌には幾重もの硬い鱗が覆う。
彼女はこちらに気がつくと鋭い牙の生えた口を嬉しそうに開き、瘴気を放ちながら、凄まじいスピードで近づいてくる。
声は聞こえないけれど、彼女の口の動きだけはよく見えた
紡がれた言葉に思わず目を見張る。
「下がれ!!」
一瞬対応が遅れた私に気付き、師匠は私を庇うように立つと結界を張り直した。
魔物が加速し体当たりするも、揺らぐことのない強固な結界。
「敵地で気を抜くんじゃない。」
「っと、すみません。」
師匠ってば、さらっと聖国を敵地って言ったよ。
私以外聞いてないからいいけど、予想外の出来事が多発してよほど頭にきてるんだな…。
彼は私を含め人々を結界の中に封じると魔石に魔力を注いでひょいと私に投げる。
それは見慣れた温かい、真っ白な光を帯びた魔石だった。
「その魔石に魔力を注いで維持しろ。魔石自体がお前自身を守る結界であると同時に、全体を覆う結界の核になっている。その核が割れると同時に結界も壊れるから注意するように。」
そう周りに聞こえるよう言い置いてから結界の外側へと出て行く。
領館や使節団の人々は居心地悪そうな表情で視線を反らす。
私を攻撃すれば魔力の供給が止まり、核が割れる可能性がある。
そうすると結界も壊れ、かなりの確率で彼女の餌食となる、と。
味方のいない場所へひとり私を残すのだ、これは敵と認定した人々への牽制なのだろう。
これは私を害させないためのお守りとして残したのだろう。
「師匠、師匠は…。」
大丈夫なんですかと聞こうとしたのだけどね。
彼の起点の魔紋様は守りに特化したもので戦闘には不向き。
そんな私の懸念を笑い飛ばすように、師匠は普段見せる事のない鮮やかな笑みを浮かべていた。
あれ?この人、殺る気満々だ。
収納から姿を現したのは一本の剣。
サリィちゃんやリィナちゃんの使う剣の中間くらいの太さと長さ。
装飾は控えめながら、厚みのある刃が鈍く光る。
「起点の魔紋様が持つ力と魔法は別物だとお前も知っているだろう?魔法紡ぎだからといって魔法が使えないわけではない。そして普段俺は王を守る、ではその俺を守るために戦うのは誰か。人に頼むと色々面倒だからな、できることは自分ですることにしているんだ。」
そう答えると、あっという間に間合いを詰めると魔物の首元に剣を叩き込む。
ちょっとだけ楽しそうなのは…溜まったストレスを発散させる気なんだろうな、うん。
私は止めないよ、止めたら私が危険だから。
魔物は後方へと派手に吹っ飛んだ。
硬い鱗が覆う部位を避け、皮膚の柔らかい部位を狙い攻撃を重ねる。
思いの外、堅実な戦い方をする人なのだな。
だけどあの絶え間なく吐き出される瘴気はどう対処するのだろう。
「武具の硬化と自身の移動速度を魔法で加速させることによる相乗効果。普段から戦い慣れているのか、自然で全く無駄のない動きですね。」
「ラシムさん。」
「大丈夫ですよ。精神を蝕む瘴気は、たぶん首にかかる魔道具が無効化してくれています。」
「私の顔に出てました?」
「そんな気がする程度ですが。貴女の表情は読みやすくて助かりますね。」
彼はくすりと笑いを零す。
王家の鎖がもたらす恩恵は手厚いようだな。
使い勝手のよい装備を使用者は外そうとは思わない。
そして使い勝手がよいからと外さなければ、ずっと王家に縛られると。
使用者を王家へ縛りつける"鎖"。
私の思考が読めたかのようにラシムさんは笑みを深める。
本当に腹の読めない不思議な人だ。
彼以外の商人さんは私から魔紋様を受け取ると、速やかにこの地を後にしていた。さすが皆、他国でも指折りの凄腕だ。撤退の機会を逃さない姿勢は学ぶべきかも知れない。
だが彼だけは、皇帝陛下から顛末を確認するように言われているからと残った。
つまり私達と同じ巻き込まれ組だ。
その割には随分と余裕たっぷりな態度はさすがです。
「恐らく程なくして勝敗は決するでしょう。」
「それもわかるものなんですか?」
「あの魔物、たぶん目覚めたばかりなのですよ。だから自分の力の使い方がわかっていない。無駄が多い分、体力の消耗も激しい。それに…何か違うのですよね。」
「違う?」
「普通の魔物は力加減を知らない。彼らは力尽きるまで全力で戦うからこそ余計に厄介なのですよ。それがあの魔物は…時折躊躇う様子をみせるのです。まるで野生のままに人を傷付けることを拒んでいるかのように。」
躊躇うなど、なんとも人間らしい感情ではないか。
それは彼女が人であった頃の残渣なのか。
あそこまで容姿が変貌してもなお、まだ人としての感情が残っているというのか。
「ああ、ルメリ…私は何ということを…。」
私達の会話が漏れ聞こえたのか、領主様が頭を抱え、膝から崩れ落ちる。
使用人達の妙に醒めたような視線が気になった。
「領主様、もう一度聞きますね。彼女に何をしたのですか?」
一度心を開けば、言葉は滑らかに紡がれるもの。
澱を吐き出すように領主様は話し出す。
「…彼女は魔力の量が多くはない。だから領内の植物をもっと育てるため、彼女の魔力を底上げするような方法がないか相談したんだ。そうしたら彼女に術を施せば良いと魔紋様を与えていただいた。その未知なる力を彼女に施した結果、彼女は大量の魔素を集める力を得、使える魔力の量が格段に増えた。だが…なぜか彼女は魔紋様を紡ぐことが出来なくなっていたんだ。彼女は『魔紋様の紡ぎ方を忘れたみたい』だと言っていた。」
「そんなことがあるのですか?」
「私もそう思った。信じられなくて単に彼女が怠けているだけだと思ったんだ。だから彼女が反省するようにと地下牢へ閉じ込めた。」
「…それはいくらなんでも。魔力を無理矢理底上げしたことによる副作用かも知れないじゃないですか。」
「私だって理不尽だとは思った!!だがそんなことがある訳ないと、一日経てば気が変わって協力してくれるようになると思ったんだ!!それがどれだけ経っても魔紋様が紡げないと泣き叫ぶばかりで態度を改めることはなくて…そうして二日、三日と経過するうちに、だんだんと様子がおかしくなった。」
俯いたまま、まるで罪を懺悔するかのように言葉を紡ぐ領主様。
その彼を見る視線に複数の色が混じる事に気がついた。
後悔、侮蔑、そして…怒り。
罪の告白の場に怒りとは、また物騒な。
視線を巡らせると取り巻きの信者の中にその視線の元がある事に気が付いた。
話に耳を傾けるふりをしながら、気付かれないように視線の先を辿る。
ふと不自然に気配を消す一人の男と目があった。その不自然さが魔紋様の効果だと気付いた時にはすでに彼は身を人の群れに隠していた。
一気に心拍数が上がる。
「…ある時を境に彼女の悲鳴が絶え間なく地下牢に響くようになったんだ。呪いの言葉を吐き、血を流しながら、まるで何かが作り変えられるような不気味な音すら響くようになって。やがて気が付いた時には誰も彼女の牢に近付けなくなった。正しくは近付いた使用人達は皆、体調を崩し突然辞めていったんだ。」
領主様の懺悔は続く。
そうしているうちに恐ろしい闇が地下牢の一画を支配するようになり誰も彼女のいる牢に近付けなくなった。
彼らの体調不良の原因は瘴気に当てられたせいだろう。
そして、彼らが何を見たかは決して口を開かないのは…当然かもしれない。
地下に閉じ込めたお嬢様が魔物になっているなど、誰が言えるものか。
「だから彼女があんな事になっているなんて、本当に知らなかったんだ!!」
最後に、そんな言い訳にも似た台詞を吐き口を噤む領主様。
その間も私の意識は男の行方を気にするあまり身動きすらできない。
あの男は。
アントリム帝国で私を襲った男に似ている。
その男が、この結界という閉ざされた空間にいるかもしれない。
想像しただけで魔石を握る手が汗ばんだ。
「…大丈夫ですか?若い女性には刺激が強い話ですが。」
「ええ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。」
隣に立つラシムさんの囁く声で我に返る。
できるかぎり平静を装い、頷く。
これしきのことで狼狽えるな。
再び前を向き、呼吸を整えたところで、突然魔石を握る手に大きな手が添えられた。
注がれる、温かく優しい光。
たちまち魔石の力が失われ結界が解かれる。
「大丈夫か?」
剣を携えた師匠が荒くなった呼吸を整えながら隣に立っていた。
振り向くとすでに結界と思われる繭に魔物は封じ込められていた。
その場に人々の安堵した空気が満ち、止まったような時間が再び流れ出す。
ラシムさんと入れ替わるように再び師匠が隣に立つ。
それからさり気なく皆と私達の間にわからない程度の結界を張った。
結界の揺れで何かあったことは気づいているだろうに、あえて聞かないのが師匠らしい。
私の感情など興味がない、というのが正解なのだろうが。
表情を変えることなく、大きな手がふわりと私の頭を撫でる。
「遅くなってすまなかった。よく頑張ったな。」
そのくせ、時折無駄に優しい。
本当に…嫌になる。
遅くなりました。
お楽しみいただけると嬉しいです。




