魔法手帖十三頁 透明な涙と、八つ当たり
すれ違った男の人に何かされたのか。
カロンさんが私のただならぬ様子を見て心配そうに聞いてくる。
異世界生活なのだから、知り合いということはないと考えたのだろう。
とすれば、何か術でもかけられたのかと心配されるのも無理はない。
だから安心させるためにも、とりあえずあの時思ったことを素直に口にした。
元いた世界の友人に似てると思ったんです、と。
それを聞いたカロンさんの目には同情の色が浮かぶ。
きっとホームシックのせいで幻覚に囚われたのだ、と考えたのだろう。
気遣いとしての質問以外は特に何を聞かれることもなく黙々と歩いて家に着いた。
あの事は、自分の中では終わったはずなのに。
ふとした瞬間に狼狽えるなんて、最近なかったから油断してた。
大丈夫なつもりでも、転移に伴うあれこれのせいで疲れていたんだろうな。
カロンさんとルイスさんに断って、今夜は早々に休むことにした。
もちろん、食事はしっかり頂きましたとも。
美味しかったわ〜腸詰めって使う肉の種類や鮮度でこんなに味が違うのね!
相変わらずの食べっぷりに、カロンさんの表情が緩むのを感じる。
ご心配おかけしてすみません。
とはいえ、そろそろ一人で自分自身のことや今後のことを考えたい気持ちもある。
部屋に入り、鍵をかけると急に肩の力が抜けるのを感じた。
少しだけ。
今、少しだけなら泣いてもいいかな。
久しぶりに流した涙は、透明で、無機質で。
そうして溜まったものを吐き出すように。
一度泣き出せば、しばらく涙を止めることは出来なかった。
ーーーーーーー
「エマちゃん大丈夫かしら?」
何度目か、同じ言葉を繰り返すカロンに、ルイスは溜息をつく。
「…俺が代わりに大丈夫だなんて、言えるわけがないだろう?」
ほとんどのロイトやゲルターは、組織の仕事以外にいくつかの仕事を掛け持ちしている。
今は保護対象がいるから、組織の仕事が優先だが、普段は逆にそれ以外の仕事の方が比重が高い。
わりと器用なルイスは書類仕事も苦にならない方で、午後は受けていた仕事の報告をいくつか書いていた。
今日の帰り道での出来事はカロンから聞いていたが、例えその場に自分がいたとしても違う対応が出来たとは思えない。
こういう時に経験の浅さを思い知らされるな。
自分達が他のペアに比べて経験値が低い事はわかっている。
組んでから三年と少し。
やっと最近、なんとなく互いの行動が予測出来るようになってきたくらいだ。
ふと、やけに静かなことに気付いてカロンを見ると驚いた顔をして固まっている。
「驚いた〜。貴方が八つ当たりするなんて。」
貴方の事を癒やし系とか言っているご近所の奥様方に見せてあげたいわ〜と、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
もちろん、ルイスはカロンを責めている訳ではない。
ただ、なぜ自分もついていかなかったのか、その一点を悔いていた。
その後悔の裏にある思いにだって、ちゃんと気づいている。
自分が側にいてあげたかったと。
気まずくなって視線を反らしたルイスにカロンは追い討ちをかける。
「もしかして、エマちゃんに惚れちゃった?」
「…」
「エマちゃん、どちらかといえば容姿は綺麗というよりはかわいいタイプよね。でも弱さもあるけど芯は強そうだし。つまり魅力的な子。」
それにね〜と言葉を繋ぐカロンの声が、とてつもなく危険に聞こえた。
脳内に警報が響く。
コレは危険なヤツだ、ルイス!聞くんじゃない!
カロンの後ろにちっこい尻尾(悪魔的なアレ)が見えるぞ!
「エマちゃん、小柄だけどスタイルいいのよ。出るとこ出て、しかもウエストキュッとなってるの」
弾んだ声で、服買うときにバッチリ見てきました、とか言うなバカ。
…羨ましいとかこれっぽっちも思ってないからな!
あれ、という事は…
「カロン、エマの体にある魔紋様見てきたの?」
振り向いた先でカロンのキラキラした笑顔を見たルイスは聞いたことを激しく後悔した。
いい加減学習しようね、俺。
「どこにあったか聞きたい?うふふ、聞きたいよね〜。」
…だんだんムカついてきた。
俺は寝る!と言って雑に書類を片付け、ルイスは振り返りもせずに部屋へと向かう。
明らかに冷静さを欠いたルイスに、
「そういえば絶対防御の魔紋様とはちょっと違ったような気がするのよね〜」
というカロンの呟きが届くことはなかった。
エマの過去への思い、ルイスのエマへの思い。
一方通行な気持ちを書けたらいいなと思いまして、メインストーリーからちょっと外れたお話しにました。
次回からまたメインストーリーに戻ります。




