魔法手帖百二十三頁 嫌な空気と明細書、お誘いと言わなかった噂
市場で買い物をしつつ、オリビアの店へ戻る。
夕刻の活気ある時間のはずなのに、どことなく陰鬱な空気が流れていた。
きっとサナの話にあった王国を中傷する噂が流れてきたからだろう。
皆、口数少なく家路へと急ぐ。
「嫌な空気だね。」
サリィちゃんの言葉に頷く。
"また国の上層部が何かをやったのかもしれない。"
五年前の件、対外的には終わったこととされていても人の心はそう単純ではない。
この国の民の、国に対する信頼はまだ十分に回復していないのだ。
このままだと現在の上層部を排斥する動きへ繋がってしまうかもしれない。
二人無言のまま店に戻ると、金貨の部屋から出てきたラシムさんと目が合う。
「いらっしゃいませ、ラシムさん。ええと、蒼の獅子の皆さんの意向を確認にいらしたのですよね。それについては皆さん異存はなくて、紹介所経由で商会へ費用の明細書を送付することになりました。」
「ほう、その手配は貴女がされたのですか?」
「あ、いえ。冒険者の方にそういう方面に詳しい方がいて、その方が手配してくれました。…もしかしてこの手順だと困りますか?」
「いえ、大丈夫ですよ。そういう手順を踏まれる方がいらっしゃるのが意外で。」
冒険者は一般的には書類仕事が苦手な人が多いそうだからね。
確かにロイさんは不思議な人だ。
実は彼はフリーの冒険者で蒼の獅子だけでなく他のグループの仕事を掛け持ちしているそうだ。だから常に蒼の獅子と共に活動しているというわけではないらしい。五年くらい前に『他国で仕事をしてくる』と言い置き、それ以降はしばらく見かけなかったそうだが突然戻ってきて活動を再開し、今に至るという。
一人で国外に渡り、経験が豊富だから書類仕事にも慣れているのかな?
「そういうことなら届き次第、明細書に目を通します。問題ないようでしたら速やかにお支払い出来るように手配しましょう。」
「よろしくお願いいたします。」
ラシムさんがにこりと微笑む。
私もにこりと笑い返す。
今回は裏はなさそうだ。
だいぶこういうやり取りに慣れてきたのか、それなりには表情が読めるようになってきたな。
「エマさん、良かったらちょっと世間話でもしませんか?」
「っと、ここでいいですか?」
「ええ、構いませんよ?伝言を承ってきただけですから。」
ラシムさんが伝言を預かる相手といえば…あの人か。
「『いつでも遊びにおいで、急でも構わないから予定は開けておくよ』とのことです。もしよろしければ返事をお伝えしますよ?」
「素敵なお誘いありがとうございます、とだけお伝えください。」
にこりと笑って答える。
昨日までだったら伝言の意味には気がつかなかっただろう。
今日でもサナの情報を得るまでなら、たぶん気付かない。
"争いが起きて逃げる場所がなければいつでもおいで。"
急でも構わない、のあたりで察するものがあった。
さて、ラシムさんはどう判断する?
「承りました。"遊びに"行きたいと思ったら、いつでも私にお伝えくださいね。」
ラシムさんは笑みを浮かべ、再び挨拶をして立ち去る。
当たらずとも、遠からずといったところか。
「お帰りなさい、エマさん。」
オリビアさんの声に我に帰る。入り口に立ち、夕闇にのまれて表情は伺えないけれど、決して明るいとは言えない声だった。
覚悟を決めて、オリビアさんの方を向く。
「オリビアさん、明日棟梁に修繕はお休みするって伝えてください。片付けないといけないことが出来ました。」
この状況じゃ、のんびりダンジョンの修繕など進められない。
「伝えておきましょう。それ以外に手伝うことはあって?」
「今はまだ何も。これから必要があればお願いするかも知れません。」
気が付けば、いつの間にか背後にグレースが付き従う。
今日は店の窓辺で光合成するように言っておいたのだけど、日も落ち、いつもとは違う空気を感じて勝手に人化したようだ。
ちょうどいい。
彼女にも聞きたいことがある。
先ずは部屋に戻って事情聴取だ。
首に巻きついた白い毛玉を軽く撫でる。
わずかに震えているようだが、知らん。
いくら可愛いといっても、躾は必要だよね。
禍々しい扉を抜け転移する。
行き先はシルヴィ様の部屋…今では私の部屋になりつつあるダンジョンの一室。
机を挟んで向かいに座るシロとグレースが居心地悪そうに身じろぎをした。
「さて、二人とも。私が頼んだお使いは主に情報収集、『私に関係しそうなことがあったら、些細なことでもいいから伝えて』とお願いした。そのついでにソルへ行って現場視察、もし傷付いた者がいたら癒してきていいよと、魔紋様を渡した。そして結果として精霊の道を通って、精霊達を癒した事は聞いたよ。それからソルで岩に刻まれていた魔紋様が禁忌と呼ばれる種のものであることも聞いた。それから聖女の祭壇と儀式での出来事もね。…でも、"ソルの不作が王国の仕業という噂がある"ということは聞いてないのだけど?」
「たぶん最近流れてきた噂なのじゃないかな?」
とぼけた表情を浮かべたシロが目を細め、首をかしげる。
かわいいけど今はそれどころではない。
「聖国内で開戦やむ無しの空気を作り、且つ周辺国にも蔓延した上で王国内へ数日で届く噂、がね?」
平坦な口調のまま、二人を見つめる。
二人が移動に使った精霊の道は空間魔法の一種で現実世界とは別の空間と認識されるものだという。
だから滞在時間の感覚も違えば、移動にかかる時間も異なる。
実際、シロとグレースは出掛けて一日程度でソルから戻ってきていた。
まさに『ちょっといってくるね!』といったお手軽な感覚で。
ソルに滞在した時間は現実の時間軸だが、精霊の道を通っている分、移動にかかる時間は大幅に短縮される。
本来、聖国からの旅人が王国内に入るには帝国を経由し、例の砦から入国審査を経て入国するしかない。
商人で他国に支店があれば、その支店経由で他国から入国するという別ルートがあるそうだが、聖国から真っ直ぐに入国する訳ではないのでどちらにしても時間がかかる。
最短でも、移動に一週間。
人伝に噂は広まるものだから、人の移動速度を遥かに越えるとは思えない。
もし意図的に噂を拡散させたということなら聖国内ではもっと以前から噂は流れていただろう。
十分に広まったところで王国にまで流れ込んだといったところか。
つまり、聖女の浄化の儀式に参加した二人がこの噂を知らないわけはない。
会場ではこの噂の真偽を巡って大いに盛り上がったことだろうから。
「王国の状況は、王国が招いたものだ。エマには関係ないことだろう?」
だから言わなかった、と。
そのシロの言葉に、ため息をつく。
「王国で戦争が起きると私は困るよ。元いた世界に帰れなくなるもの。」
誰だって自国の存亡が最優先だ。
そして自分の命もまた同じ。
異世界の迷子の存在など後回しにされることが目に見えている。
それにね。
「元いた世界に戻る仕組みがあるとわかっているのは、現状ここだけ。本当に戻れるのかは別として、その可能性があるのはこの王国のこの場所だけなの。少なくとも起点となった場所の情報と、転移させるために一年かけて溜められるという魔素の話は理にかなっていると私は判断した。だからこの国がなくなると困るっていうことを二人には伝えてきたのだけどね。」
言わないけど察しろ、というのは傲慢だと思う。
だから折々に口にしてきた私の思い。
だけど伝えるにあたっては、もうひとつ必要なことがあった。
それは伝えるだけなく理解させること。
「わざと言わなかったね、二人とも。」
二人が揃って視線をそらす。
その点に気付かなかったのは、飼い主として、雇用主としての私の落ち度だ。
「だって、この国はエマのことを大切にしていないと思わない?エマはこれだけの力を持ち、それを駆使してこんなにも尽くしているのに、それを受けとるだけで何も与えようとしないじゃないか。君の実力があれば、もっと自由に自在に世界へ羽ばたいて行けるのに、こんな薄暗い場所に閉じ込めて、逃げないように常に見張らせて。そんなの罪人の扱いと同じじゃないか!!」
シロの怒りは一部正しい。
納得いかないと憤ることだってあるもの。
「でもね開き直ってみると意外と楽しいよ。この国の生活は。」
結局私の与えられた能力が特異過ぎたのだ。
要はどう扱うのが正解か、彼らにもわからなかっただけ。
「ねえ、二人とも。このまま噂が変化し続ければ"魔法紡ぎの女王"という名にも傷がつく。そうなれば、この国であってもそれこそ罪人のように見張られ、搾取されるだけの存在になってしまうかもしれない。」
「そうならないように我がエマを守る!!」
「どうやって?」
「君と、グレースを連れて他国に逃げるんだ。」
「忘れたの?他国にもすでに噂が広まっているんだよ。その噂が私に不利な方向へ変化しないとは限らない。そしてそんな状況の中、魔法紡ぎの女王が逃げたと噂が流れる。そこに魔法手帖を持つ私が現れたときに、彼らはどんな反応を見せるのかな?」
「それは…。」
「追われ、捕まれば監禁か…殺されるかもね。」
「そんなこと、我が許さない!!」
白く塗りつぶしてやる。
一瞬にして膨れ上がる魔力。
それはグレースが思わず後ずさるほど。
一つため息をつく。
「はいはい。冷静になって、シロ。」
シロの膨らんだほっぺの皮を掴み、軽く横に引っ張る。
うに。
おお、よく伸びる。
はー…この柔らかさに癒されるわ。
たちまち霧散する魔力の気配。
「エマー、痛いよ。」
「ごめんね。でもシロは例えばの話で熱くなりすぎだよ。それに貴方達にとってその状況は決して悪い話じゃないのでしょう?」
「…。」
「この大陸に身の置き所がなくなったら…移住先の選択肢に加わるかもしれないよね、精霊界が」
本来であれば精霊界に人が身を置くことはできない。
けれど、精霊の入り口の話が伝わる位だから、生きたまま人を精霊界に住まわせる手段があるのだろうね。
人は弱いもの。
自身の身に災いが迫れば、彼らの導くままに精霊界へと身を投じるかもしれない。
二度とこの世界には戻れないとわかっていたとしても。
自分は例外だとは思わないから、もしそうなったらと考えた。
「その状況は"閉じ込めて逃げないように見張られている"のと違いがあるのかな?」
結局どの場所にあっても似たような扱いになるのなら、少しでも自由と安全が確保できる環境を選ぶし、その環境を守ろうとするよね。
視界の先に魔道具が映る。
まるで踊るような滑稽な仕草をした亀の置物。
ゆっくりと手を添えて魔力を流す。
ぽっかりと黒い空間が口を開けた。
「ちょっと城まで行ってくるね。」
「エマ様!!」
それまで黙っていたグレースの焦ったような声に少しだけ振り向く。
心細いような、不安に揺れる表情。
"置いていかないで。"
見覚えのある感情と表情。
この世界に転移した日、ヨドルの森でルイスさんに連れて帰ってもらった時の私と同じ。
『君にあんな表情をされたら、置いて帰る勇気はないかな。』
ふわりと頭をなで、柔らかい笑みを浮かべたルイスさんを思い出す。
初めて会った異世界から呼ばれた人間に対してでさえ、そう思うのだ。
それが縁の繋がった相手なら尚更だろう。
「おいで、グレース。一緒に行こう。」
彼女は花が開くような笑みを浮かべ、礼の姿勢をとると私の後ろに付き従う。
「我も行く!!」
「ダメ。シロはお留守番だよ。」
今回の件の首謀者はこの白い毛玉だ。
シロは光属性を持つものの眷属の長。
力関係で考えるとグレースが逆らえるとは思えない。
彼女が私とシロとのやり取りの中でずっと黙っていたのがその証拠だ。
シロが衝撃を受けたような表情を見せる。
相変わらずのタレ目で緊張感の欠片もありませんが。
置いてかれるの?と言わんばかりに潤んだ瞳でプルプル震えても通用しませんよ!!
項垂れても…首の後ろのモフモフとした柔らかい産毛が触ったら気持ち良さそうとか思うけど、簡単には許しませんからね!!
そのかわり。
「二十七階層の主さんが眠ったままであるという、その原因になりそうな魔法や現象、魔紋様の効果、もしくは似たような過去の事件がないか調べておいて?上手く出来たらご褒美あげるね。」
収納からお菓子を取り出す。
これは夜店で買ったパンとドーナツを足して割ったような食感の揚げ菓子。
ほんのり甘いけれど蜂蜜やジャムをつけると一味違った風味が味わえます。
そしてこれ、シロの大好物なんですよね。
「頑張るー!行ってくるー!!」
シロは満面の笑みを浮かべ揚げ菓子の袋を手から引ったくると部屋を飛び出していく。
…ご褒美、って言ったんだけど。
まあいいか。まだ同じ揚げ菓子が収納に入っているしね。
シロの後ろ姿を見送ってグレースが笑みを浮かべる。
「エマ様、シロ様の扱いが上手になられましたね。」
「うん、だいぶ学んだかな。グレースのことだって、今回の件でちょっとは反対してくれたんでしょう?」
「もちろんですわ!!絶対にバレるから、ちゃんと話しておいた方がいいって随分と説得したんですよ?」
私まで怒られてしまいましたわ、そんな表情を浮かべるグレース。
でもね、さっきの会話で他国に逃げるときはグレースも連れていくと言っていた。
『ちゃんと眷属の長である自覚はあるようだよ』と言ったらグレースはちょっと複雑な、でも嬉しそうな表情をしていた。
頑張れ、中間管理職。
「じゃ、行こうか。」
「はい、エマ様に危害を加えようとするものには私の拳で制裁を!!」
…だからなんで拳で語り合おうとするのかな。
繋いだ手の中で、グレースが書籍の姿へと戻る。
黒い空間を通り、転移した先には師匠が待っていた。
ちょっと忙しくなりそうだな。
自分の居場所を、守るために。
筆が進んだので投稿します。
次回は他者目線のお話、以降、エマが地味に頑張るお話になる予定です。




