魔法手帖百十二頁 毛玉取りと二十五階層、幻と化けの皮
『はー…寛ぐの。』
膝の上に寝転ぶ黒い毛玉を一生懸命ブラシで解かす。
「ホントだよね~。湯船も最高だよ!!」
ちらりと横目で桶の湯に浸かる白い毛玉。
うん、お湯の温度は丁度いいみたいだな。
確認して、深々と溜め息をついた。
皆様、おはようございます。
一夜明け、早朝の十五階層にある部屋の実況生中継です。
今なら白黒毛玉のほっこり動画が堪能できます。
…かわいいだけに腹立たしいが。
真夜中の作業部屋で繰り広げられた、束の間のじゃれ合い。
結果、オリビアさんに纏めて怒られた。
『真夜中の店で叫ぶんじゃない、近所迷惑だ!!』と。
…私は叫んでないと返事する前にハリセーンでダンジョンに放り込まれた。
白い毛玉と残念侍女と共に。
師匠はオリビアさんに伴われ、普通にダンジョン内の通路から城へと帰っていった。
いくら取引先とはいえ、随分と扱い違うと思いますよ!!オリビアさん!!
そんなこんなで時刻はもう明け方…アサの二の鐘が鳴る頃。
鳴ると言っても実際には寝ている人に配慮して鐘は鳴らしませんが、イメージの問題ですね。
当然皆さんは寝ている時間帯ですが、私は先程まで寝てい…んんっ失礼、意識を失っていたので全く眠くないのですよ。
なので体を拭ってから着替えて、ダンジョンで朝御飯を食べようと準備していたところ、部屋にお客様がいらっしゃいました。
ええ、ご想像通り、主様です。
来るなり『毛玉取れ』とかどういうことでしょうね?
断ろうと思ったら耳元で黒い毛玉が囁きました。
『本日の業務を終了しようとしたとき、いきなり魔力が押し寄せてきた。その原因となる話を白い毛玉にしようか?』と。
更に『知ったら奴が物騒なことをするな』といい笑顔で昔シロがヤンチャだった頃(笑)の武勇伝を聞かされました。
シロ、アナタ、そんなことしたの?
正直言ってドン引きよ?
私が悪いことしたわけではないのに、何故か申し訳ない気がして、主様の毛の絡まった所を取ることになりました。
…なんでかな?
そしたらシロが『我もお風呂入りたい』と言い出して、当然突っぱねようとしたら潤んだ瞳で足下に縋り付いてきた。
しかも器用に耳の先が垂れ下がって、しゅん…と落ち込む仕草付きで。
…嘘つけ。
でも超絶かわいい。
かわいいは正義だな、うん。
直ぐに風呂桶に湯を溜めてお風呂の準備をしたことは否定しない。
そんなわけで気が付けばアサの六の鐘が鳴る頃には白黒毛玉は夢の世界へと仲良く旅立っていった。
主様、夜勤明けとはいえ、あっさり寝過ぎですよ?
ダンジョンの防衛はどうするんですか?
任せる?いや、ええっと…任されましたか。
「今日はダンジョンの修繕だから、このままシロと主様寝かせておこうか。」
「そうですね。お目覚めになれば声が掛かるでしょう。」
たまに様子を見に来ればいいかな。
朝食を食べた後、グレースを伴って一階層から十五階層までを視察する。
うん、素人目だけど、ここまでは随分と作業が進んだみたいだな。
私が不在にしている間も、暇を見て棟梁達が修繕を進めておいてくれたらしい。
助かりますね!!
お礼にお菓子を用意しました。
今回はパウンドケーキ…レシピがうろ覚えなのでモドキですが、ドライフルーツも入れて彩りよく仕上げてみました。
喜んでもらえるといいな。
さて、今日は二十五階層…"崩壊の階層"を見に行く予定。
棟梁を迎えに行かないとね。十五階層から一階層に転移しようとしたところで師匠と合流する。
おはようございます~。
「これから工匠ギルドに属する『雷神の鎚』の皆さんを迎えに行きますが、師匠は面識あります?」
「いや、初対面だな。紹介してくれ。」
「はい。じゃあ、転移した先でご紹介しますね。」
グレースにお願いして一階層の出入り口まで転移してもらう。
今日も棟梁以下『雷神の鎚』の皆さんは扉の手前で待機していた。
「棟梁、おはようございます!!今日もよろしくお願いいたしますね。」
「おう、よろしくな!!お嬢ちゃん。おや、そちらさんは?見ない顔だね?」
「あ、私の魔法紡ぎの師匠です。」
「彼女が面倒を掛けているようですね。よろしくお願いします。」
にこやかに笑みを浮かべる師匠。
あれ?随分と愛想がいいな。
「身分の高い方のようだが、わしらに礼儀は期待しないでくださいよ?そういう教育は受けてませんから。」
棟梁は表情を若干固くして師匠と握手を交わす。
この国の人には身分の壁は高いのが普通。
師匠の愛想の良さはその部分に配慮したものということか。
いい人設定の筈なのに、何か企んでいるようにしか見えないのは何でだろう?
やがてオリビアさんが姿を現すと、師匠は彼女と打ち合わせを始める。
「お嬢ちゃん。余計なことかも知れないが、大丈夫かい?」
「ええと?何がです?」
「相手は身分の高い方なんだろう?」
師匠に聞こえないような音量で声を掛けてくる。
表情がとっても心配そうだ。
「…懸念されているような状況はありませんよ?むしろ振り回している方ですから。」
身分を振りかざして無理矢理言うことをきかせている、そういう状況を想像しているのだろう。今のところそれはない。異世界から呼ばれた人の恩恵(呪い)があるからかな。まあ、師匠のことだ、私の知らないところで利用しているということはあるかもしれないが。
「待たせたな、準備が出来たなら行こうか。」
師匠の一声に私が頷くとグレースが転移を発動する。
いざ、二十五階層へ!!
ーーーーーー
二十五階層、崩壊の階層はまさに崩れようとしていた。
比喩ではなく、一部現実を伴って。
「すでに階層と呼んでいいのか迷うな。」
「…足を下ろす場所、ありますかね?」
「状況によっては足場を作るところから作業を始めないといけないな。」
まさか床と天井の隙間から上下の階層が透けて見えるとは思わなかった。
現在地は階層の入口の手前。
手前の階層のセーフゾーンから開いた扉の中を覗き込んでいる。
正直なところ、崩れ方が足を踏み込むことを躊躇わせるようなそんな雰囲気です。
「これが全部"幻覚"ですかね?」
「だがそれなら修繕を依頼する意味がないだろう。」
「うーん、そうなんですけれど。」
幻覚で崩れている部分と、本当に崩れている部分の差が全くわからない。
「主と話をしてきたわよ。」
オリビアさんが戻ってくる。
ちらりと影のようなものが見えたけど、あれが二十五階層の主さんかな?オリビアさんの表情から察するにあまり状況は芳しくないようだな。
「大まかな箇所は教えてくれたわ。」
取り出した二十五階層の見取り図の何ヵ所かを指で押さえる。
「なるほど。実際に見てみないと何とも言えませんが、修繕の必要な箇所から作業量は想定できましたね。」
棟梁以下小人さん達は見取り図を覗き込みながら打ち合わせをしている。
「あとは幻覚を解除して被害の全体像を見せてもらえれば」
「それが…幻覚を解除する気はないそうよ。」
深々と溜め息をつくオリビアさんの言葉に、全員が固まる。
視覚からの情報の効果は絶大だ。
そこにひび割れがなくとも、ひび割れの状況を見せられただけで体の反応に影響を与えることもある。
幻覚のひび割れを避けようとして、もし運悪く本当に足場の崩れそうな恐れのある箇所に足が乗れば。
最悪、崩れることもあるだろう。
棟梁はじっと見取り図を眺めていたが、小さく首を振りつつ溜め息をつく。
「お嬢ちゃん、悪いが現状のままならこの階層の修繕は手伝えないよ。わしには仲間を守る義務がある。」
「そうですよね。怪我をさせる恐れがあるのに手伝えとは言えません。」
しばし考え込む。
たぶん、試されているのだろう。
階層が崩れれば自分達が一番困るのだから速やかに修繕を進めてもらう方がいいだろうに、誇りが邪魔をするといったところか。
「管理者権限で何とかならないのか?」
師匠の言葉にオリビアさんが首を振る。
「国に納める品を受けとる代わりに各階層を自由に使っていいというのが約定。現状のままを主が望むのなら、それ以上は強く言えないわね。」
かといって修繕を後回しにすればこの階層が崩れてしまう恐れがある。
主様にお願いして主さんを説得してもらえばいいかもしれないが、その程度の器量と判断されるのは悔しい。
必要ならそうするけれどね、今はまだ修繕を始めたばかりだ。
いくらなんでも最高権力者を頼るには早すぎる。
出来ることを探っているとると、突然師匠が結界を張った。
おや、どうしたのでしょう?
「随分と難航しているようだな。」
後ろを振り返ると、棟梁の手元にある見取り図を覗き混む魔人さんの姿があった。
師匠は見知らぬ気配に反応したというところか。
「師匠、この方は大丈夫ですよ。主様が寄越してくれた建築の専門家で二十階層の主だそうです。」
「そんな者も参加しているのか?」
「協力してくださるなら来るものは拒みません。」
助かってる部分もありますからね。
若干命の危機を感じましたが。
「それで、どう対応する気なのか?」
「実際にやってみないと、上手くいくかわかりませんけど。」
「方法はあるのか?」
「単純に考えようかと思いまして。」
「単純に?」
魔人さんの言葉に小さく頷く。
「ダンジョンの壁と同じように補強、そのついでに破損箇所も埋めてしまいます。」
ついに禁断の手法に手を出します。
大量の魔力が必要なため躊躇っていた、アレですよ。
強行手段…実力を示して言うことを聞かせるという手は、先々のことを考えると取るべきではないと思う。シルヴィ様の願いは彼らの安全を確保すること。危害を加えることではない。
「自分の魔力量の限界を測る良い機会ですしね。」
「だがお前の魔力で書棚や書籍まで修繕されるということはないのか?」
そこはほら、いい手があるじゃないですか。
ぽん、と師匠の肩を叩く。
「俺か…いきなり手伝わせる気満々だな?!」
「しょうがないじゃないですか。手段と魔力量が備わってるのですから。」
師匠は溜め息をつく。
「わかったよ。結界で囲うんだな?ただし俺の結界は目視で範囲を指定する。壁や床が幻で偽装されている状態だとそれらを基準とすることは出来ないぞ?」
どうする、とばかりに目線で問いかけてくる。
「ああ、師匠が守るのは壁や床じゃないですよ?」
指差す先にあるのはこの階層にある装飾の方。
この階層の主は随分と創造力豊かな方のようだ。
崩れかけた様相の塔。
砕かれ宙を舞う岩、逆さまに生える樹木と毒々しい色合いの花。
それらは全て階層内を流動的に移動している。
「グレース、あれらを一時的にでいいから一ヶ所に纏めること出来る?」
「はい、可能です。」
この階層にあるこれらの装飾は幻覚を纏っているから、どれがどれやらわからないけど、元の姿は書棚と書籍なんだそうだ。
ダンジョンでも力が強いと言われる主はこんな事が出来てしまうのか。
「私は壁を伝わせて魔力を流し、補強と修繕をします。使う魔紋様はこれですね。」
作業のために用意した重ね紡ぎ。
一段目で補強、魔力で階層全体の壁を満たす。
二段目で補修、ひび割れや欠けを埋める。
「だが階層内に入る訳にはいかない…そうか、この場所で作業するのかい。」
棟梁がセーフゾーンの二十五階層側の壁を軽く叩く。
「ええ、この場所の壁から魔力を流します。」
「天井や床はどうするんだい?」
「壁と天井や床は繋がってますからね。見えなくても伝って魔力を満たすことは出来ますから。」
ダンジョンの外壁をぐるっと一周、魔力で満たし補強するということを経験して良かった。
感覚というものは経験があるとないとでは全然違う。
目視で確認出来ないことは不安だけど、ひび割れや欠けが埋まればある程度の安全性は確保できる。
細部まできれいには出来ないが、そこはこの階層の主の望むところなのだから問題ないだろう。
「というわけで、こういう方針で作業します。ああ、もし、書棚や書籍で床や天井と繋がっているものがあったら避けておいてくださいね?うっかり直しちゃうかも知れませんから。あと不測の事態が起きた時は方針を転換することもありますからそれは承知しておいてください。」
オリビアさんに、そう伝えておく。
修復して欲しい箇所があるという意向を伝えてきたのはこの階層の主。
その意向に沿って修繕をする以上は彼らにも最低限協力する義務があるんじゃないだろうか?
ちゃんと伝えたのですから、苦情や文句は受け付けませんよ?
オリビアさんが頷き、入り口へと向かうのを確認してから魔人さんの方を向く。
「二十階層なんですけど、一応補修が必要な箇所がないかどうか、棟梁に見てもらっていいですか?」
専門家だけに見逃すとは思えないけれど、表面的な傷程度は放置しているかもしれないからね。もし、直しておきたい箇所があるというのならこの際だし見てもらった方がいいだろう。
「そうですね、先生。良ければ表面的な傷も直しておきましょう。今後そこからひび割れるかもしれませんしね。」
「そうだな。」
ふむ、と顎に手を当てて考え込んでいた魔人さんのだったが、渋々ながらも了承してくれた。
「グレース、送ってあげて?」
「かしこまりました。速やかに戻りますので。」
「早くしろ、馬鹿侍女。」
「…ホホ、命の危機も感じないような阿呆など相手にせんわ!!」
「棟梁、なんかすみません。」
「若いって言うのはいいね!!元気があって!!」
弾けるような笑顔で笑い飛ばす棟梁。
若いって…たぶん棟梁より長生きしてますよ?それ。
グレースが魔人さんと職人さんを連れて転移するのを確認する。
やがて階層の入り口からオリビアさんが戻ってきた。
「大丈夫よ。」
「では作業を始めますか。」
ここからは、根気と魔力量の勝負。
途中で止めるわけにはいかないからね。
グレースが戻ってきたので、装飾を一ヶ所に纏めてもらう。
…一瞬、粗大ごみに見えたというのは黙っておこう。
「結界で囲ったぞ。」
師匠が装飾に当たるよう魔石を砕き、魔紋様を発動させる。
装飾を囲う結界の糸は白。
まるで空中に巨大な繭が漂っているかのようだ。
師匠の言葉に一つ頷いて魔法手帖を取り出す。
オリビアさんの目が見開かれるのを横目に、魔紋様を発現する。
「補強修復 範囲"指定なし"」
壁に描かれる金色の魔紋様。
紋様に手を添えて魔力を供給する。
この魔紋様は効果の及ぶ範囲を指定しない代わりに、私の魔力の供給を受けることで補強と修復という両方の作業を行う。魔力の供給を止めれば範囲に関係なくそこで作業は終わり。
ある程度のざっくりとした設定で自由度を上げる代わりに、無駄な魔力消費があるということを前提として紡いだものだ。
今日はこの作業だけで一日に使える魔力を使い切るかもな。
もしくは一度作業が終わったところで損傷を受けている箇所に対する効果を確認してもらった方がいいかも知れない。
さすがにそのぐらいは、やってくれるだろう。
「魔力は足りそうか?」
師匠が手を伸ばす。
魔紋様から供給される魔力の流れを見ているようだ。
「今回は魔法手帖を経由させているので発動させる方の魔力は節約出来てますよ。ただ、補強はともかく修繕の方の結果によっては後日同じ作業が必要かもしれません。」
「修繕の方はどういうイメージを持って紡いだんだ?」
「内側から傷を埋めていくイメージですね。回復の効果に近いです。」
現状を最良と思われる状態まで回復させる。
時間を遡り生まれたての状態に戻すという夢のような設定も出来たかもしれないが、遡った先時間軸にあるダンジョンの状態が最良とは限らない。
それこそ過去のダンジョンに黒いアイツが住み着いていたかもしれないしね。
再び大量発生させたら主様に怒られてしまうではないか。
毛繕いだけで許してもらえるとは思えない。
「エマ様。徐々にですが階層内に輝きが広がっているように見えます。」
「今どのあたりまで?」
「まだ全体の一部ですね。ですが確実に色合いが違います。」
グレース曰く、床や天井の汚れが拭われていく、そんな感じだそうだ。
「じゃあそのまま見ていて。もしかしたら大きなひび割れのある箇所は効果が出るまで時間がかかるから、変化の出方に違いがあるかもしれない。」
「かしこまりました!!」
不思議なことに、階層内の床や天井へ魔力が行き渡ってくると見える景色に変化が出てきた。幻である景色が薄れ、通常のダンジョンの床や天井へと素材や色合いを変えていくよう。
「お前の魔力が幻を打ち消しているようだな。」
景色の一部がぼんやりと透けて、ひび割れと、ひどく欠け床が抜けそうな箇所が見える。
ああ、あれは本物だ。
「グレース、棟梁と魔人さんを連れてきてもらっていい?」
「はい。」
姿を消した彼女が二人を連れて戻ってくる。
「お嬢ちゃん、どんな感じだい?」
「あちらをご覧ください。」
魔力の供給で手一杯の私の代わりにグレースが棟梁に状況を説明してくれる。
魔人さんもぼんやりとした景色の中に浮かぶ破損箇所を見て目を見張った。
「幻を魔力が打ち消している?!そのお陰で破損した場所が確認できるが…あれは手が掛かりそうだな。」
「ええ、ですがこれだけ見えれば補強が終わり次第、作業は出来ると思いますよ?」
棟梁が二十階層の修復が終わったらこちらに取り掛かることを約束してくれた。
よかった。
「エマ、気を抜くな。」
師匠が私の腕へ添えた手に魔力を纏う。
私の流す魔力量を減らしてから、自身の魔力の供給を切った。
「すごいですね!!そんなことも出来るようになったのですか!!」
「たぶんお前の魔力に対してだけだ、干渉できるのは。」
…ですから師匠、その『不本意です!!』と言わんばかりの口調は何とかなりませんかね?
集中力を切らしたって怒られるから言わないけどさ。
「…聞こえてるぞ?」
「おや、思わず口から出ましたか!!」
そっと視線を逸らした先に見えるのは顔色を悪くして何かに耐える仕草をするオリビアさん。
そろそろ剥がれそうですね。
化けの皮が。
お楽しみいただけるとうれしいです♪




