魔法手帖百七頁 三回まわって、ニャン!!
オリビアさん達が部屋から出ていった後。
暫し無言のまま周囲の気配を探る。
やがて足音が聞こえ、部屋に戻ってきた彼女の入室を許可した。
そして…二人揃って深々と溜め息をつく。
「お疲れさま。」
「お疲れさまでした。」
それから黒猫の置物に近付いて鍵となる言葉を唱える。
「三回まわって、ニャン!!」
間違えたら困るし、うっかり鍵となる言葉を誰かが唱えたらもっと困る。
忘れなくて、誰も口にしなさそうな呪文を設定してみました。
「…もう一回聞くが、ほんっとうに、それ以外解除の言葉はないんだな?!」
「疑り深いですね、師匠。遊び心を忘れるとあっという間に老けますよ?」
置物の場所と向かい合うように、何もない空間から師匠が姿を現す。
この置物、師匠の変身した化けね…失礼、愛らしい猫姿をイメージしました。
そしてこの置物は魔道具。
収納の魔法を応用し、指定した人間を隠すための空間を造る。
なんちゃって執事…どうやらサルヴァ=トルアの剣という最上位の魔紋様のひとつを持つ人らしい…が転移の入り口として使っていた黒い空間を見たときに思い付いた。オリビアさんが組み立ててくれた同じ部屋に見えない空間を造り出す事が出来るという優れものだ。
そしてもうひとつ。
魔紋様で人間の気配を遮断する効果を付与した。
空間を透明な壁で区切り単純に見えなくするだけでなく内部の気配も消す。
衣擦れの音や人間の癖…例えば足を組む等、無意識のうちに出てしまう気配というものはあるからね。師匠の持つローブには姿を隠す効果はあっても気配を消すことは出来ない。
特にこういった閉ざされた狭い空間のなかでは人の気配というものは余程感覚の鈍い人でない限りは結構気がついてしまうものだ。
ポイントは空間の存在を認識させないこと。
魔紋様の効果で、そこに空間があるけれどもないと錯覚させるこの魔紋様は元々ダンジョンでの検証のために作りだしたものだった。
色々悪さをした人…侍女さん達を囮に使い、直接手を下さないで悪さのネタを仕掛けた人間がダンジョンに立ち入るためにどんな手を使ったか。
感覚が鋭い魔物達に気付かれる事なく各階層を進む手段を考える参考とするために。
実は今回の面会を利用して、室内にいる師匠の存在に気付くかの実験をしていました。
なぜなら全く状況を知らない人に試してもらいたかったのですよ。
人が気付くようなら魔物には確実に気付かれる。
気付かれないようなら…ダンジョンでも使えるかなと。
もちろん理由はそれだけではなく、師匠には護衛もかねて同席してもらったのだけど。
カロンさんのありがたい申し出に『手が足りている』と答えたのはこれが理由。
殺り合う気に満ちたオリビアさんに、手加減という単語を知らない師匠。
ここにカロンさんまで加わったら規模に対して過剰戦力だ。
店を焼け野原にするわけにはいかない。
「この仕掛け、お前は使わないのか?」
「私はダンジョンに正々堂々と乗り込みますよ。」
「問題のある階層は、か?」
「それ以外の階層でも、です。現状二十七階層が一番心配ですけどね。未だ眠ったままで起きないらしいですから、主も、書籍達も。ただ、こうなってくると問題がないとされているその他の階層の状況が逆に気になりますし、今後の信頼関係にも影響しますから出来れば騙すような真似はしたくないのですよ。」
「ならば十五階層以下に降りるときは俺も行こう。」
「それは助かりますけど…いいのですか?」
なんかこう、師匠の私を避けているような気配が消えているのですが。
そんなにあっさり信用していいのかな?
「ここの管理を管理者に任せきりだった事が今回の原因でもあるからな。」
師匠なりに責任を感じての行動ということか。
「仕事や、警護は大丈夫なんですか?」
ダンジョン内部で転移が使えない以上、移動は人の足だ。
偉い人や城に何かあってから駆けつけるのでは間に合わない時もあるだろう。
「警護の方は心配いらない。魔法師団と騎士団から人を回してもらうことにした。仕事の方は補佐官が着任したから彼に任せて問題ないだろう。」
「ああ、優秀な方のようですね。オリビアさんが驚いてましたよ。急いでるって言ったら案件が最速で決裁されたって。」
「…させられたんだがな。」
「ん、どうしたんです?」
「いや、何でもない。」
師匠、疲れてるのか?
視線の先が随分と遠いですけど?
「無理しなくても大丈夫ですよ?忙しい事は想定出来ますから。」
「国の在り方に係わる問題だ。他人事と放置しておく訳にもいかないだろう。」
さっさと片付けてしまいたい心境ですか。
確かにこちらとしてもどういう状況かわからない以上、手伝ってもらえるのはありがたい。
「棟梁に相談して決めますが、先ずは二十五階層の修繕を進めていくつもりです。」
二十七階層の状況について気になるところだが、出来るところから先に進めておきたい。
一旦修繕が始まってしまえば、この階層の闇の眷属と棟梁以下小人族は親しく付き合いがあるそうだから揉めることもないだろうしね。
「二十五階層か。"崩壊"の階層。こういう状況だと嫌な呼び名だ。」
「"崩壊"の階層?」
「先代の管理者が残した文書に書いてあった。各階層は主の好みで装飾されていると。」
「書棚がある…というだけではないということですね。」
「ダンジョンでは意思の強さが力の強さと比例する。闇は原初から存在する万物を生み出す力の源のひとつ。始まりに近いものほど力は純粋で強いもの。そう、覚えておくといい。見せられるものは…幻想か、幻覚か…それとも本物の何かか。やはり実際に見てみないとわからないな。」
「オリビアさんは見たことがあるのですよね?」
先程から思案する様相を見せる彼女へ声を掛けると面白そうに口元を緩めた。
「ええ、知っているわ。だからこそ、あるがままの力を感じて欲しいの。このダンジョンの、闇の力の強さと美しさを。」
まるで少女のよう。
夢見るように、歌うように。
愛するものを語るとき、人は最も美しく輝く。
彼女が本当にこのダンジョンを、収蔵された書籍を愛していることがわかる。
やっぱりオリビアさんに管理者でいて欲しいな。
彼女なら、どんな姿になっても彼らを守り、大切にしてくれるくれるはず。
「そういえば師匠。ラシムさんが黒猫がどうとか言ってましたけど、あの姿でも帝国へ情報収集に行っているのですか?」
「ああ、あの姿なら上手いこと城に潜り込めたからな。…幾つか潰されたが、幾つかはまだ残っているんだよ。」
何が潰されたか、なんて聞きませんよ?
巻き込まれたくないから。
「師匠、腹黒いこと考えてるときが一番楽しそうですね。」
「そうだな、じゃあ今何考えてるか言ってみろ。」
「ろくでもないことじゃないでしょうか?」
「お前にとっては幸せなことだぞ。さあ、作業部屋に案内しろ。今まで苦労させた詫びに直接技術指導してやる。」
「お詫びというわりに上から目線な理由を聞いてもいいですか!?」
「あら、エマさん良かったじゃないの!!技術の向上は雇用主としても大歓迎だわ。さ、こちらへどうぞ?作業部屋に案内いたしますから。エマさんも急いでね、今日の仕事が溜まっていてよ?」
「へ?今日これから仕事があ」
「あるに決まってるでしょう?最近私も甘やかしてた自覚があるから、この際ビシッと扱いていただきなさいね。」
オホホホと笑うオリビアさんの影が悪魔的なアレに見える。
そして師匠が淑女の皆様を骨抜きにしそうなほど麗しい笑みを浮かべているのが、私には不吉な予感しかしない。
ほう、そうですか。
その禍々しい笑みを浮かべていつも獲物を仕留めているのですか。
うっわ獲物認定された人かわいそう。
もしかして、今回の獲物は私か?!
私なのか?!
「いやーっ!!師匠なんて、師匠なんて…黒猫から真っ白にゃんこになってしまえ!」
あ、しまった。
うっかり呪ってしまった。
その瞬間、師匠の笑顔が一際輝く。
耳元で甘い声が囁いた。
「残念だったな。黒猫はもう使っていない。その情報は古いぞ。」
異世界人の恩恵、不発。
ひいいいい!!
「すみませんでした!もう呪いません!!」
「技術が向上してるといいな。してなければ寝る間はないと思え?」
「あら、夜通しなんて艶っぽい話じゃない。可愛いからって、うちの職人に間違っても手は出さないでくださいね!!それに、そうねえ。それだけ元気なら今日の分と言わずたくさん紡いで構わないわよ?練習用でも出来が良ければ買い取るから。」
…雇用主が完全に寝返った。
師匠、『間違える相手は選ぶ』って喧嘩売ってます?
もう一回本気で呪いますよ?
あら?口から思いが漏れてましたか!!
助けは来ないか!!光合成連合、飼い主の危機だぞ!!
来ないな…二体とも仲良く光合成中だ。
「師匠、襟首つかまないで下さい!!一応私女性!!女性は優しくエスコートされるはず!!」
「余裕だな?よし手加減なしでいこう。」
「あああああたーすけー…。」
作業部屋まで廊下を引きずられていく。
オリビアさん、優雅に手を振ってないで助けて?!
おかしい、どこで選択肢間違えた?!
ーーーーー
アントリム帝国、城内の一角で。
「皇帝陛下、本当に動物がお好きなのね!」
「仕事中の厳しい表情が猫を前にされると年相応の愛らしい表情に変わられるの。その格差がまた魅力的なのよ!!」
侍女達の熱狂的な視線の先にいるのは、政治的な手腕だけでなく、最近は益々男性らしい色気を増し、帝国内に留まらず他国の淑女の皆様を虜にしていると言われるアントリム帝国皇帝ファルク・アントリム。
"サルヴァ=トルアの剣"という稀有な魔紋様を持つとされるシャミールを傍らに、自らせっせと猫に餌をやっている。
しかも相手は黒猫ばかりが十匹近く。
最近は彼らも随分と人に慣れてきたようで、餌をもらうために城内を彷徨くようになっていた。
「うーん、これ以上増えると手に余るな。これ以上増えないように敷地内を魔法で囲っておこう。」
「…ファルク様。発言をお許しいただけますか?」
「ん?今は自由時間だから別に断りはいらないよ。あと、敬語もいらない。」
「じゃあ、言うけど…本当にこの姿で間者が紛れ込んでいると思うわけ?」
「どうだろうね。情報の行き先を辿ると黒猫の姿が目につくという程度かな。」
「俺にはどう見てもただの猫のように見えるのだけど?」
尻尾を出させるどころか、『撫でて』とばかりに腹をさらけ出す猫もいる。
緊張感の欠片もない光景にファルクも眉を寄せる。
「やっぱり気のせいかな?そうだったら面白いとは思ってたのだけど。」
「間者のいた可能性を『面白い』って表現するのはファルクくらいだよね。」
ファルクは側近の言葉に口元を緩める。
本当に面白いのはこれからだというのに。
「情報といえば…女王は元気なの?」
「そうみたいだよ。相変わらず意味不明な行動をとってるって聞いたけど。」
ダンジョンの修繕に、狩りの練習。
そして魔法紡ぎの仕事。
彼女は気づいているだろうか?
彼女の紡いだ魔紋様が帝国内で高い評価を得ていることを。
軍部でも需要に供給が追い付いていないと言っていた。
残念ながら彼女の評価は他国の方が高い。
「まあ、それも式典までかな。」
"収穫祭における式典の客人として魔法紡ぎの女王を招待する。"
王国が国外だけでなく国内へ向けて彼女を披露する場としては最善だろう。
後はそれに彼女が応じるかどうか。
「女王は収穫祭へ参加するのかな?」
「ああ、するだろうね。彼女ならそう考える。」
側近の呟きに応じる。
渡した情報を正しく理解すればこのチャンスを逃すわけはない。
「じゃあ、ファルクも参加するんだね。」
「楽しみだよ。再び女王に会えることが。」
「ねえ、ファルク。それ以外に会いたい人はいないの?」
シャミールの視線が言外に語る。
あの国には、彼女がいるだろう?
「変なことを言うね、シャミール。残念ながらいないよ、誰のことだい?」
シャミールに軽く視線を返す。
そんな甘い覚悟で彼女を送り出した訳じゃない。
彼女はもう自分には必要のない人間。
…彼女にも、もう自分は必要ない。
「ニャーオ。」
ファルクが視線を下げれば足元にいつの間にか集まってくる猫達。
彼らは動物的な勘で傷付いた仲間に寄り添うという。
捨てたはずの感情を、こんな小さな生き物を通して見せつけられるとは。
「お前達は忠実なのだな。」
「猫は気まぐれな質と聞くけど?」
「自身の感情に忠実なのだよ。人が真っ先に捨てたものを彼らは何よりも尊ぶ。」
生き物の本来あるべき姿がこれとすれば、人間という存在のなんと異質なことか。
感情を表に出さない生き方は賢明なように見えて、歪だ。
そして最も歪なのは…きっと自分。
ほの暗い、熱を帯びるような感情は昇華されなかった思いの残り火。
本当は君を閉じ込めてしまっても良かったのだよ、ルクサナ。
誰にも求められない君だ。
存在を消して誰の手も届かない場所に匿って。
君の罪悪感につけこんで、一生自身に縛り付ける。
君の存在を知るものが私しかいなければ。
君が私しか求めないのなら。
君の世界は私のもの。
「ファルク?」
「何でもないよ。ちょっと思い出したことがあっただけ。」
熱を逃がすように大きく息を吐き出す。
…そういう選択肢もなかったわけではないけどね。君の粘り強さと呆れるほどの情熱があれば、あっさり逃げ切られそうだったから諦めた。
感情に忠実だった君は"愚か"であると言われてきた。
"愚か"である君は貴族には向かない。
だからこそ君を平民として王国へと送り出した。
異国では"愚者"を、自由と新たな世界の始まりを象徴する存在とすることもあるらしい。
残念なことに、君には自由がとてもよく似合う。
自由である君は、さぞかし美しいことだろう。
それを直接見られないことが、残念で仕方がない。
「それで、まだ魔法紡ぎの女王を手に入れるつもりなの?聖国との繋がりも強まって他国への影響力を増した今、縁談が降るほど持ち込まれているじゃない。」
「ああ、欲しいな。彼女が望むなら、という条件がつくけどね。流石に呪いで国を滅ぼすわけにはいかないだろう?」
彼女の純粋な強さは、帝国という風土に良く馴染む。
この国なら彼女は力強く成長し輝き続けるだろう。
「相変わらず君は彼女が苦手なようだけどね。」
「あいつはこの世界で最高峰の魔紋様を与えられただけで、技術の習得に至るまでの工夫や苦労、努力を知らない。恩恵を享受するだけの存在に、お前や聖女の苦労がわかるわけがないだろう。だから気に入らない。本人の資質とは関係のないところで、あいつがちやほやされて大切に扱われることが。」
「確かにね。でもお前も知らないだろう?望まずとも与えられた者が、覚悟のないままにどれだけの苦難を負わされたのか。彼女はこの世界にいる間、穏やかに暮らせる日は来ないのだよ。何もしていないのに、魔法紡ぎの女王として常に求められ、大切な何かを奪われる。私や聖女は生き残るために困難な道を選んだけれど、それは自ら選び取った道だから苦労や血のにじむような努力だって耐えられる。だが彼女は本人の意思とは関係のなくこの世界に呼ばれ大いなる力に選ばれてしまった。その選択に伴う困難をも彼女の努力不足と結びつけられては彼女も堪らないだろうね。」
人の身に過ぎた力は、いつか身を滅ぼす。
その境目で彼女は辛うじて踏み留まっているというのに。
だってそうだろう。
アリアの花冠の効果は願いを叶えること。
彼女が望むなら、その力は世界を滅ぼすことだって出来るのだ。
「だから手元に置いておきたいのか?」
監視するために。
不用意に世界へ干渉することがないように。
「それもあるけれど、今は純然たる力への興味と手に入れたいという欲求かな。」
「お前こそ、過ぎた力への欲求は国を滅ぼすぞ。」
「君は誰に向かって何を言っているかわかってる?私はこの国のために全てを捨てたのだよ。その私が力の使いどころを間違えることはあり得ない。それにね、時に力は正義なんだ。力有る国は残り、無い国は滅びる。この国を外敵から守るためにも彼女とは頼り頼られるような親密な関係を築いておきたいのだよ。そして出来ればこの国を進んで守ってくれるように、この城で共に暮らして貰いたいものだよね。今はその気がなくとも近い将来彼女が地位を望むなら対価として与えられる選択肢は残しておきたいじゃないか。」
魔法手帖の発現者、偉大なる魔法紡ぎの巨星"始祖ステラ"。
彼女と同じ、正妃としての地位を。
シャミールは視線を逸らし、ひとつ溜め息をつく。
こうなったら諦めることを知らない彼を説得することは口下手な自分には無理。
「お前がそれでいいのなら、俺は何も言わないよ。」
「打った手の幾つかは潰されたけど、幾つかはまだ残ってるからね。彼女がどんな反応を示すのか楽しみで仕方がないよ。」
王国は一見落ち着いてるように見える。
でも王族は火種を抱えたままだ。
その火種がどう燃え上がるのか誰にもわからない分、可能性はある。
彼女と王国の上層部が再び対立したら。
彼女が…元の世界に戻らないことを選択したら。
打つ手は更に広がるだろう。
「君はどんな選択をするのだろうね?次代の魔法紡ぎの女王。」
最初は単純に皇帝陛下が黒猫を愛でる章を書こうと思っていたのですが、終わってみたら黒猫を通してサナを愛でる章に内容が変わっていて驚きました…。
いや、書いた本人が驚くってどうよ?と思いながらお楽しみください。




