魔法手帖九十九頁 朝のお散歩と、ダングレイブ商会再び
この世界に呼ばれたときと同じ色、同じ景色。
真っ白な霧の波に呑み込まれて今にも溺れてしまいそう。
必死にもがく腕を掴むのは温かい手。
導かれた先、霧の奥に見えるのは…。
チンチンチン…。
「おはようございます、エマ様。」
「…おはよう、グレース。今何時?」
「おはようございます。今アサ六の鐘を打ったところですわ。」
「ん…じゃあ、結界を解除しに行きましょうか。」
「かしこまりました。」
私の掛けた結界は魔紋様に再び魔力を流すことで解ける。
昨日と同様に十五階層を突っ切って魔紋様の前まで移動し、同じ手順で結界を解除する。違うのは鍵となる言葉として「解除」と唱えるというところだけ。
「あ、たぶん理解していると思うけど、グレースが自分で魔力を流すのは無しだからね。光属性の魔力とダンジョンの魔力が反発して揺り返しとかあると困るから。」
「…そうですよね。かしこまりましたわ。」
一瞬の間から『やっぱりダメか!!』という副音声が聞こえたような気がする。そりゃあダメですよ、グレース。建物全体が貴女の熱い思いを受け止めるにはボロすぎます。だから彼女には信用できる人にこの秘密を教えてもいい、と言ったんですよ。彼女独特の判断基準でバカスカ結界を連発されたらどんな副反応があるか分からないから恐すぎるもの。あくまでも運用は計画的にね、計画的に。
とはいえ、この場合は外部の人間には頼みにくいだろうからダンジョン内の魔物…例えば先生とか先生とか先生とかに頼むだろう。魔力の量も彼なら足りるものね。
侍女への嫌がらせ?
とんでもございません。
私は喧嘩出来るほど仲良いとは素晴らしいと思っておりますわ!
決して面白そうだからではございませんことよ?
オホホ。
さて部屋に戻りますか。
グレースを連れて戻ると相変わらずウトウトしているシロの横で、主様がぼんやりと座っていた。
おはようございまーす。
『…エマ?何かしてきたのか?』
「ちょっとお散歩です。起き抜けで喉乾きませんか?お水飲みます?」
『…そうだな。貰おうか。』
さすが主様です。このやり取りだけで何かを察したようですね。
グレースが水差しに満たした水をコップに注いで渡す。
飲み干したのちに辺りを見渡して苦笑いを浮かべる主様。
『昨日はあのまま寝てしまったようだな。手を掛けさせたようで、すまない。』
「もしかして色々バレてます?」
『一応我も主と呼ばれる存在だからな。自身の結界に内側から干渉するものがあって気付かぬなど有り得ない。』
「ですよね。失礼しました。」
たぶんバレるよなとは思っていたので、ここは笑ってごまかしておこう。
苦笑いを浮かべたままに主様は、ゆるりと首を降る。
『我もこの居心地のよさは想定外だったからな…初代女王が生きていた頃からまるで変わらぬ。このままの姿でダンジョンに取り込まれておるとは想定していなかった。』
「この部屋がダンジョンに取り込まれた後、主様でも入れなかったんですか?」
『何かの折りに試してはいたが弾かれていたな。』
主様ですら入れなかったこの部屋。
何かの意味でもあるのだろうか。
考えに嵌まりかけて緩く首を降る。
今はまだ、行動することの方が先だ。
「それで主様。昼間のうちに色々準備しておこうと思うんです。先ず一番にどうにかする必要があるのはあれの行き先ですよね。」
棚に収まっている翡翠色の書籍を指差す。
グレースがちょこちょこ魔力を流しているから今すぐ魔力切れを起こすことはないけれど、フル充電には程遠い状態のようで一度精霊体の姿を見せてからずっと眠ったままらしい。
一度何処かで魔力の元となる大量の魔素を吸収させてあげないといけないらしい。
「どんな場所が最適なんです?」
『こういう街中でなく自然の多い場所の近くがいいだろう。林や森の近くとかな。』
「一応書籍だから屋根のあるところがいいですよね。」
『初めのうちはそうだな。精霊体になれれば、本体が無事なら多少雨に濡れようが、槍が刺さろうが大丈夫だがな。』
「槍が刺さっ!!」
『喩えだ。一々驚くでない。』
で、ですよね!!主様の冗談分かりにく…。
「意外と大丈夫ですよ。」
…グレース!刺さったことがあるのかい?!
不思議そうな顔でこちらを見ないで欲しい。
私は刺さったら死ぬからね?絶対死ぬよ?
槍が刺さった時の武勇伝を熱く語るグレースを放っておいて書籍の行き先を思案する。とは言っても一ヶ所しか思い浮かびませんが。
困ったときのあの場所です。
「グレースは今日一日お店の台所で光合成ね。…ぐぐう。」
『おい、馬鹿侍女。いい加減にせぬと主人が死ぬぞ?』
グレース!!笑顔でガクガクしないで!!首締まって…。
主様、いい仕事しましたね!
危うく違う世界の扉が開いてしまうところでしたよ。
「はっ、申し訳ございません!!聞き捨てならない戯言がほざかれましたのでつい!」
『…いつもこんな感じか?』
「…ほぼ毎日。」
主様、可哀想なものみる目で見ないで貰ってもいいですか?侍女の躾も主人の仕事って言ったのは貴方の上司…コホン、可愛い孫のような存在のオリビアさんですからね。オリビアさんに丸投げできなかった結果、私の忍耐力の限界値が大幅に成長しているところですよ。
『まあ頑張れ?我はこれから仕事に行くが出掛けるなら光のを連れていけよ。寝惚けててもそれなりには役に立つ。』
私が頷くのを確認してから主様はとことこと部屋の外に出ていくと、そのまま十五階層の状況をさらっと確認していく。すごいな、目があった魔物達から『何でここに主様が?!』みたいな副音声が木霊のように聞こえますよ。あれですよね、職場にいきなり偉い人が視察に来たみたいな感じか。おや、皆固まっているか…あ、死んだふりしたのがいる。いや、君魔物でしょうに。あ、主様が耳元で何か囁いた…おお、元気一杯に生き返りましたね。それを面白そうな表情で確認してから主様は転移していった。
一気に虚脱感が十五階層を覆う。
皆さん、日々業務お疲れさまですね。
僅かに震えているようだがあれはきっと喜びだろう。
うん、そういうことにしよう。
…今度甘味でも差し入れた方がいいかな。
「さて、グレース。朝御飯食べに行こうか。」
「はい、エマ様。」
「朝御飯の間は大人しく光合成しててね。」
「はい。ですが外出時は必ずやお連れください。」
「うんわかったよ。」
侍女の拘り、というものかな。
もしくは心配して着いてきてくれるのか。
『エマ様にお声を掛けようとする不届き者は私が鉄の拳を食らわせますのでご安心を!!』の辺りがものすごく不安なのだが本気で大人しくしてくれるといいな。
不安を抱えつつ、入り口の扉まで転移するとグレースを書籍の姿に戻す。
まだ寝惚けているシロを空いている椅子に下ろしてから、台所で朝食の準備を進めていると、不機嫌そうな表情でオリビアさんが起きてきた。
寝惚けているのかな、と思いつつ挨拶だけして無言で朝食を並べる。
本日はパンとスクランブルエッグに焼いたベーコン、ついでに野菜スープですね。野菜スープは香りのよい茸と根菜を中心に良く煮込んで、胡椒と塩だけであっさりとした味に仕上げました。そろそろ朝晩寒くなってきたし、こういう温かいものが食べたくなる時期なんですですよね。
食べるかわからないけれど、一応オリビアさんの分のお皿を並べる。
「…スープだけ、頂こうかしら。」
「はい、今用意しますね。」
オリビアさんにスープをよそってから、自分の分もお皿に盛る。
うーん、良い香りだ。
「いただきます。」
山と大地の幸に感謝を。
ついでに農家さんにも日々感謝しております。
二人とも黙々と匙を動かし、食器が軽く当たる音だけが響く。
休日の朝に相応しくゆっくりと静謐な時間が過ぎていく。
そして忘れてはいけないのが、凪いだ空気は嵐が訪れる前触れでもあるということ。
「ダングレイブ商会の頭取がエマさんに会いたいそうよ。」
「名目は『息子がちょっかい出したお詫び』ですかね?」
「そんなところ。」
苦虫を噛み潰したような表情でオリビアさんが頷く。
そろそろ来るかな、とは思っていたけれど意外と早かったですね。
謝罪というものは早ければいいというものではない。
謝罪のために足を運んでくるということは、一先ず状況が落ち着いたということか。
「ダングレイブ商会には注意だけのようね。実質的にお咎めなしよ。」
なるほど、オリビアさんがご機嫌ななめな理由にはこれもあったのか。
「すみません、オリビアさん。お店に迷惑かけて。」
「違うのよ、勘違いしないで。この程度は大して問題じゃないのよ。」
慌てて否定するオリビアさん。
おや、他にもあるっていうことですかね。
「以前お店でダングレイブ商会の方を見掛けた記憶があるでしょう?」
「あ、ありましたね。そんなことが…っとあのときの人。」
「弟よ。今回問題を起こしたのは兄。」
「…弟さん、優秀な方なんですか?」
「現状、兄が問題を起こしまくっているから目立たないけど、目立たないからたぶんね。」
そういえばあのとき。狩り場でちょっかい掛けられたときに何処かで見た顔だと思ったわけですよ。店で見掛けたときに何処と無く警戒心を抱かせるような雰囲気の人だったから何となく覚えていたのが効を奏した訳ですね。オリビアさんの言うように、兄の悪さに引き摺られることなく自分を律することが出来るような人だ。
そういうところから見ても優秀には違いない。
「で、その方も来ると言うことなんですか。頭取と一緒に。」
「そうよ、前回の再挑戦も兼ねてね。」
「再挑戦?」
「引き抜きよ、貴女の。」
おっと。
あの部屋でそんなやり取りが行われていたとは。
この様子だとビシッと断ってくれたんだろうな。
ありがとうございます、菩薩様。
そっと心で手を合わせる。
それでも。
再挑戦に来る、ということは何か私を手に入れる切り札を掴んだということか。
「なら会ってみましょうか。」
「エマさん?」
「勘違いしないでくださいね。引き抜きは断りますよ。そうではなくちょっと確認したいことがあるので。」
会ってしまうと思わぬ柵に囚われてしまうこともあるけれど。
心配そうなオリビアさんににっこり微笑む。ダングレイブ商会のトップに会える機会など早々ないでしょうからね。今回の試金石がどんな結果をもたらしてくれるのか。
結果を回収するタイミングは今しかないだろう。
「さて、そうと決まれば色々と片付けておかないと。」
こういうものは勢いが大事です!!
「何か手伝うことがある?」
「ええと、当日急に話を合わせてもらうと思うので心の準備をしておいてください。」
「わかったわ。そう思っておく。」
食べ終わった食器を片付けると早々に家を出る。
先ずは紹介所。今度狩りに行く時の仲間を募集するためです。
着いて早々にレベッカさんが吹っ飛んできた。
そりゃそうですよね。依頼人が自分が紹介したグループもろとも厄介事に巻き込まれたんですから。詳細はカイロスさん達から事の次第は聞いていたようで、私に対しては主に精神的なダメージ受けたことについて心配していた。
精神的なダメージか…ダメージ、どこ忘れてきたっけな?
とはいえ、心配してくれてるわけだから下手にごまかす訳にもいかず、真剣にお話を伺ってきましたよ。ちなみにこの対応の手厚さには訳があって、例のトーアさんをカイロスさん達に紹介したのがこの紹介所だったらしい。しかも濁してはいたけれど、どうやらダングレイブ商会経由での紹介だった故に安心して色々な仕事を任せていたらしい。
今後はダングレイブ商会から紹介された人物については身元の確認を厳しくするそうだ。こんなところにも影響が出たのか。これは想定外だったわ。
「紹介は出来るけど、一週くらいお休みしたら?」
「大丈夫ですよ?そこまで堪えてませんから。」
以前黒天使に言った通り、この年齢まで悪意に晒されてこなかった訳じゃない。相手の判別しにくい噂という悪意に比べれば相手がわかっている分、警戒も対策も取りやすいというもの。心配そうなレベッカさんに頼み込んで書類を用意してもらい、依頼票を掲示板に貼る。
いい人が来てくれますように。
願いを込めて依頼票の前でポンポンと軽く両手を叩く。
周りで『何やってるの?』的な空気が流れましたが気にしませんよ!!
さて、次は市場を経由しつつルイスさん家です。
長くなりそうでキリの良いところで切りました。
次はとうとう百頁…
ごめんなさい。普通の内容で書いていきます。




