魔法手帖九十六頁 太陽の欠片と懺悔、そして己が名を
アンドリーニは手のひらに転がる石を見つめる。
光にかざせば万華鏡のように色を変えつつ揺れる魔力が石の内側を揺蕩う。金とも琥珀とも思える色合いは複雑に絡み合い肌を明るい光で照す。そっと握れば石から心地よい温かさを感じるから不思議だ。
「まるで太陽の欠片を握っているようだな。」
ぽろりと溢れた言葉を、書類に目を通していた少年の耳が拾う。
「…気になりますか?」
「珍しい物だしな。」
苦笑いを浮かべる少年にばつの悪い表情を見せた後、アンドリーニは石を仕舞う。二人とも何事もなかったかのように暫し黙々と書類の束を整理していると、半分程度終わったところで思い出したかのように少年が声をかける。
「式典に『魔法紡ぎの女王』を招待すると決めたそうですね。」
「ああ。この国のために尽くそうとする姿勢が確認できた。国としてもその努力に報いないわけにはいかないだろう。それに重鎮からも特に異論はでなかったしな。…まあ、彼奴らからしてみれば"盾"だけでなく"魔法紡ぎの女王"も手持ちの札として使える、という計算があったからだろうが。」
「そうでしょうね。」
「お前は反対だったな。何でだ?」
「彼女は穏やかな暮らしを望んでおります。どのような形であれ、自身の姿が広まることを良しとはしないと思います。」
「だから招待するんだよ。断られても致し方ない。…本来、王からの招待を断るなどあり得ないがな。そこは異世界から呼ばれた少女であるから譲歩した。招待状にも、その旨を書き添えておくように指示してある。」
「本気なのですね。"魔法紡ぎの女王"を…異世界の少女を側に置くことは、新たな懸念を他国に抱かせるかもしれません。説明と根回しが必要となる。もう後戻りは出来ませんよ?」
「もちろん、その覚悟は出来ている。いや…やっと覚悟ができたというところか。」
まさか異世界から呼ばれた少女を魔法紡ぎの女王として迎え入れることになるとは思っても見なかった。二度と関わりたくもないと思っていた存在が、国を支え、国を支えるもの達を助けようとしてくれる。その事をずっと信じられなかった…いや、信じたくなかったから。
「五年前、ミノリをジェイス様と会わせたこと今でも悔いていらっしゃるのですか?」
真剣な声に、思わずアンドリーニが書類から顔を上げれば少年の眼差しと視線がぶつかる。
…答えを言うまで逃がしてはもらえなさそうだな。
「悔いているよ。恐らく一生抱えていくだろうな。」
「でも彼女に囚われたのは、あの方自身の選択であって…。」
「…怖かったんだよ。」
「…アンドリーニ?」
「言っただろう。俺も囚われかけていたんだ。だがお前が側に居てくれたから正気を保っていられた。裏を返せば、お前が側にいたら兄上だって正気でいられたのかもしれない。わかっていたのに…私が怖くて手放せなかったんだ、お前のことを。兄が正気を失っていくのを一番近くで見ていた筈なのにな。」
手のひらに、視線を落とす。
守りたいものが二つあった。一つは国、そしてもう一つは兄。
『たくさん勉強して兄上のことを私が支えます。国をしっかりと守れるように!』
『はは、頼りにしているよ。アンドリーニ。』
アンドリーニの頭を優しく撫で穏やかに笑った兄が、会話を交わしてから数ヶ月後にミノリと出会い豹変する。優しく穏やかであった気性が、荒く傲慢なものに。兄が他愛もない失敗で側近達を罵る姿を見て呆然となった。そしてミノリのいない時間帯はぼんやりと遠くを眺めているだけの兄が、ミノリの側で急に生き生きと動き出すのを見て益々怖くなった。
「守りたいものは国と次期王となる兄で、これ以外ならいくらでも切り捨てられる、そう思っていたんだ、あの時までは。でも実際は国よりも兄よりも大切なものがあったんだな。」
それは"自分”。
本当に国のためと、兄のためと言うのなら自分を切り捨てることが出来ただろうに。混乱を招いたのが王族とはいえ当時未成年であった自分という存在ならこんなに他国から侮られることもなかったかもしれない、それなのに。
今でもまだわからない。この後悔の理由が不用意に異世界の少女を兄に会わせたことなのか、自身の偽善や未熟さを呻くものなのか。
数多く巻き込まれたものがいる。
そしてここにもそのうち一人が。
もっとも騒動の近くにいて少年から脱しようとする多感な時期に、ひたすら国の為に尽くすことを強いられた者が。
「…あの時からずっと、俺の弱さに付き合わせることになって…ごめんな。」
自分でも驚くほど幼い言葉で、五年間ずっと口に出来なかった思いが零れ落ちる。
「なんだ、そんな風に思っていたのか。」
少年は苦笑いしながら彼の選んだ口調に合わせ、自ら選んだ言葉を返す。
「魔力を持つ者は鍛練を通じて自身の魔力が得意とする傾向を学んでいく。そしてその力を向ける先は魔力を操る者自身の意思によって決まるんだ。俺の魔力は守ることに長ける。そして昔も今も己の意思で守ると決めたのはアンドリーニ、お前だけなんだよ。」
それから彼が守ると決めたこの国。
首にかけた鎖がしゃらりと音を立てる。
「例えお前がジェイス様を守るように命じたとしても、俺が心の底からあの方を守ろうとしたとは思えない。そしてそんな状態で、俺の力がまともに働いたとは考えられないだろう?だからお前は正しい選択をしたんだよ。国にとって、王家にとっても最善の選択を。」
「そうなのだろうか。」
「それにお前は俺のことも守ってくれたんだぞ?」
「…記憶にはないが。」
「あの状況で、お前がジェイス様に俺を守るように命じたとしよう。それで騒動が収まればいいが。…もし、騒動が終息しない、もしくは拡大したらどうなる?」
「…それは。」
「当然のように俺も責任を取らされただろうな。」
坂道を石が転がり落ちるように。
あの時は、まるで既に終着点が決まっているかのように物事が悪い方へと向かっていった。あの勢いは誰にも止められなかったのだと今になってみればわかる。そして下手に手を出せば巻き込まれていただろうことも。だから当時アンドリーニが静観を決めたことは賢明であったのだ、それなのに。
…アンドリーニ自身はその事をずっと悔いてきたのだな。
そして彼は人を信じられなくなった。
信じれば、再び大切なものを失うと。
「お前が俺の側にいるために『王家の鎖』を選んだと聞いて、俺は止めるどころか安堵したんだ。これでお前だけは信じられる、と。」
「『王家の鎖』はゲンゾウ氏が王家の依頼を受けて製作したゲンゾウモデルと呼ばれる魔道具のひとつ。差し出す対価によって使用者に様々な恩恵を与え、さらにその対価が王家に対して有利で、且つ拘束力が重く厳しいほど大きな効果をもたらしてくれる。」
「お前は俺に対して"嘘偽りを言うことなく、この命身を捧げる"と儀式の場で約した。そして対価として差し出したのは。」
自らの命。
嘘をつけば、命を惜しめば。
全てを失うかもしれない。
「当時の状況でお前の側近として仕えるためには、このくらいの対価を差し出さねば難しいと判断したからな。それにお前は意外と常識人で理不尽な我が儘を言わないから、この五年間命の危機を覚えたことはない。」
胸元を軽く押さえながら答える少年の顔に憂いの表情は浮かんでいなかった。何事もなかったかのように残った書類を片付け、横に新しく積み上がった書類の束へと手を伸ばす。
「この際だから、ひとつ聞いておきたいんだが。」
遠慮がちなアンドリーニの声に書類から視線を上げることなく少年は答える。
「答えられることなら何でも。でも嘘をつけないからな。」
「答えないこともあるということか。」
「今のお前の精神状況ならこの程度は許容範囲内だろう?」
アンドリーニと視線が合うとふわりと笑って少年は答え、その表情につられて思わず彼も苦笑いを浮かべる。…五年前に比べ、僅かでもこんな時間を持てるようになった事に感謝すべきなんだろうな。
本当は聞きたいけれど、今更聞けない。
…何故彼が命まで差し出して自分を支えてくれるのか。
「ああ、もういい!今は止めておく。無理に聞き出すのは俺の主義に反するからな。だから話したいと思ったなら話せ。」
アンドリーニは、ひらりとひとつ手を降って話を終わらせる。それからふと思いついたような表情を浮かべて執務室の机の引き出しを開けると白い封筒を一通取り出した。
「その代わり、ひとつお使いを頼まれてくれないか?」
「何でしょう?」
言葉遣いを部下である立場のものに変えて少年は答える。王であり幼馴染みでもある相手の顔に浮かぶ表情は完全に面白がっていた。
…何故だろう、面倒事を押し付けられそうな予感がするのだが。
「これを私の代わりに渡してきてほしい。」
「これは招待状…ですか?」
「来月行われる収穫祭の招待状だ。宛先は…"次代の魔法紡ぎの女王"。」
少年が息を飲む。
「本来は私の口から伝えるべきであることはわかっている。だが、盾と魔法紡ぎの女王が疎遠であることはこの国の為にならない。だからこれを切っ掛けとして関係を修復してこい。それに彼女は随分と拘っていたそうだな。私の指示とはいえ、お前には随分と辛い思いをさせたと思う。
だから今こそ許そう。
己が名を明かすことを。」
アンドリーニの言葉を反芻する。
名を明かすことを許された、その事を聞いたとき全身の魔力が一気に高ぶった。この身に宿る魔力が再び女王の隣に立つことを喜んでいるような、そんな感覚。
これは…一体何なのだろう。
「おい、どうした?」
「いえ、何でもありません。」
「嫌なら無理にとは言わないぞ。…そういえばロランが彼女を嫁にしたいとか言ってたな。大義名分を与えてやれば大いに喜ぶだろう。そうしよ」
「お引き受けします。貴方を犯罪に荷担させるわけにはいきませんから。」
「犯罪って…書類上の話だろう。そうだな、この場合相手はお前だって構わないんだぞ。」
「私には『王家の鎖』があります。この身も心も王に捧げている。それに…。」
王家の鎖を纏う以上、王の命があれば相手が誰だろうと殺すことを厭わない。…例えその相手が魔法紡ぎの女王であっても。
鎖が再び音を立てる。
「…それは不実ですから。」
「お前は真面目だな。」
アンドリーニから招待状を受け取ってポケットに仕舞うと少年は残った書類の束を抱える。呼び鈴を鳴らし執務室内の警備を護衛と交代し立ち上がる。
「これは自分の部屋で片付けてきます。」
「また昼寝か?」
「そろそろ守護石に魔力を足しておかないといけませんから。一度に大量の魔力を失うので暫くは起きてこないと思ってください。」
「それだけか?」
「…少し、気分を変えてくるだけです。」
「わかった。もう行っていいぞ。」
再び書類に目を落とすアンドリーニに一礼してから執務室を出ていく。
そして扉が閉まるのを確認してから足を向けたのは…自室ではなく地下牢。
「いい加減、城内にある執務室に戻る気無いんですか?」
「残念だったな。広い意味で言えばここも城内だ。」
書類から目を逸らすことなく淡々と書類を捌いていくのは…ロラン・アンドリーニ、現在はテスラ伯爵と呼ばれている男。
「またそういう屁理屈を。」
「意外と居心地がよくてな…誰も邪魔しに来ないし。ああ、そう言えば。」
書類の束から一枚の紙とそれに付随させた紙の束を取り出す。
ちょいちょいと指差しながら軽い口調で驚くようなことを言った。
「こいつとこいつは他国からの間者だ。あと、不審な動きをしたのがこの辺り。チラチラと俺の様子を見に来てたから気になってな。探れる範囲で証拠となる物事を調べておいた。当たりだったら適当な理由をつけて解雇しろ。」
鉄格子の隙間から書類の束が差し出される。
一枚の紙には複数の使用人の名前、付随する書類には証拠となる個人的なやり取りと写真、音声の記録など。
「前から聞こうと思ってたんですが、どこでこういうものを手に入れるんです?」
少年は指先でピンと鉄格子を弾く。
…確かに鉄格子のはずなんだが。
「大人の事情ってやつだ。嘴の黄色い小僧にはまだ教えられんな。」
「じゃあいいです。知ったとしても碌なこと無さそうですし。」
「わかってるじゃないか。」
ロランは書類に目を落としたままニヤリと笑う。
それから表情を真剣なものに変えて言った。
「それから、もうひとつ。お前の目で調べてほしいことがある。」
「私自身でですか?」
「第二領、パルテナの領館にトーアという者が捕らえられている。こいつに会って読み取った情報があったら何でもいいから教えてくれ。」
「構いませんが…何が気になるんです?」
「俺にもよくわからん。ただ…よく知っている人間の気配がするんだ。」
「詳細は戻って来たら教えて下さい。」
「約束しよう。」
口調から少年も唯ならぬものを感じたらしい。
それ以上深く問うことなく頷いた。
一呼吸おいて、今度はロランが問う。
「それでお前の用事は何だ?」
「…次代の魔法紡ぎの女王に会いに行ってきます。」
弾かれたように視線を上げるロランに対して真っ直ぐ見つめ返す少年。
ロランは真剣な表情を崩すことなく問う。
「本気なんだな?」
「確認してきました。…覚悟を決めたそうです。」
「そうか。それでお前の方はどうなんだ?」
「迷っていることはありますが…名前を明かすことを許されました。
ですからきちんと伝えてこようと思います。」
彼女の困難に挫けることなく立ち向かう、勇気と覚悟に酬いるために。
その言葉を聞いてロランは表情を緩める。
「行ってこい。…ちゃんと気持ちを伝えて、後悔の無いように。」
「そうなるように努力します。」
「そうだな、戻ってくるまでは彼女を嫁にするのを待ってやろう。」
「間違いなく犯罪者ですね。」
「だから書類の上だけだと…なんだなんだ?もしかして嫉妬か?
男の嫉妬は見苦しいぞ。」
ロランが言った、その瞬間に。
少年の顔に、いい笑顔が浮かんだ。
ロランは思った。
あ、これヤバイやつ。
「さ、さてと、書類の束を取りに来るやつがいるからな。」
いつも通りに鉄格子の前に書類を並べようとしたが。
ガチャ、ガチャン。
「開かない…。」
「ああ、牢の利用者から申告があったんですよ。『鍵が壊れている』って。だから直しておきました。新たに錠を二つ掛けて、尚且つ鍵の回りに万能結界を施しました。」
「結界なんて大したこと…。」
ない、と言おうとして気が付いた。
いつの間に結界を掛けたんだ?
少年の指が鉄格子を弾く仕草をする。
「おま、嵌めやがったな!」
「ついでにまた壊れると可哀想なので錠に自己修復機能も付けておきました。」
これで万全ですね、そう言う少年の表情は明るい、超明るい。
「決裁済みの書類はどうするんだよ!」
「一時間に一度、取りに行くように指示を出しました。鍵持参なのでそのまま牢内に積んでおいて頂いて構いませんよ。あと彼らを脅してとか買収して外に出ようとしても無駄ですから。何せ取りに行くのは貴方の部下…彼ら随分と不満が溜まっているようですね。皆異口同音に『悪に裁きを』とか言ってましたよ?一体部下にどんな教育施したんです?」
ああ、そろそろ行かないと、そう言って少年は鉄格子に背を向ける。
「ちょっと待て、ここの中のトイレ壊れてるんだよ!」
「さあ?申告されてないので。そうですね、貴方の部下に頼んでみたらどうでしょう?気分が晴れれば出してくれるかもしれませんよ?本当に日頃の行いって大事ですね。」
「いいから出せー!」
「あ、結界張り直しているので外部に声が漏れませんから!どうぞごゆっくり。」
少年は完全に後ろの声を振り切って階段を昇る。
きっと今頃ロランは逃げる算段を立てている頃だろう。
だが今回は分が悪い。
何せ周囲は敵だらけだ。
大体牢に収監されているはずの人間がホイホイ出歩く方がどうかしている。
だからこのまま、しばらく大人しくしていて貰おう。
「あ、こちらにいらしたのですね!お探ししました。」
自身に向かって走ってくる王の側付きを務める少年の姿に心音が跳ね上がる。
王の身に、何かあった?
「どうした?」
「ダンジョンの管理者が面会を求めています。問題があったのでご報告をと。」
「直ぐに行く。」
昼寝はお預けか。
ダンジョンと聞いて彼女の姿を思い浮かべる。
彼女に何かあったのか?それとも、別の何か?
不安に思う彼の脳裏に彼女の声が甦る。
『ひとつだけ、心残りがあるとすれば…師匠に信用してもらえなかった、その事だけでしょうか。』
「…赦して貰えるだろうか。」
信用していなかった訳じゃない。
ただ彼女のためだけに、この命を失うわけにはいかなかった。
しゃらり。
三度、首元で鎖が音を立てた。
先にこの内容を取り上げました。時間軸でいうと、ダンジョンで事件が起こって、書籍が修復されたあと、オリビアが城へ報告に上がった辺りでしょうか。
先に悪役令嬢もの(一度かいてみたかったんです!)の短編を投稿したために遅くなりました。
よろしくお願いします。




