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エル・カダルシアの魔法手帖  作者: ゆうひかんな


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魔法手帖八十九頁 魔人と匂い、負の感情と反旗を翻した者

ダンジョンの修繕は順調に進むと思われた。

それなのに。


言葉の応酬の果て、沈黙が支配する。

その沈黙に区切りをつけたのは魔人さんの言葉だった。


「その通りだ。彼女のせいじゃない。君が何について語っているのか、何に対して憤っているのか想像はつく。だからもう一度言っておこう。…彼女のせいではない。彼女とアレとは別人だ。」

「別人だろうが、関係ない!!こいつはあの女と同じ異世界から呼ばれたやつだ!!同じことを仕出かさないと、そんなこと…簡単に受け入れることができるわけないじゃないか!!」

溜め息をつくと魔人さんはファーガルさんと向かい合う。

そして噛みつくように答えるファーガルさんを一瞥し、視線を外すと今度は棟梁の方へ向く。


「貴方の孫は随分と未熟なようだな。このダンジョンに立ち入るのは早すぎると思うが?」

「…申し訳ない、即刻立ち退かせよう。お嬢ちゃん、侍女さんに入り口まで連れて行ってもらえるようにお願いできるかな?」

「ええ、勿論です。グレース、お願い。」

「かしこまりました。」

グレースが問答無用とばかりにファーガルさんを視界に収め転移を発動させる。

『施しは受けねえ、一人でかえ…』という彼の台詞をぶったぎって、いい笑顔で転移していった。

ええと、命だけは助けてやって?グレース。

そしてオリビアさんが魔道具でお店の従業員に連絡を入れている。

どうやら扉の向こう側でファーガルさんを回収するように指示しているようだ。

確かに頭に血が上った状態でお店で暴れられても困るしね。

棟梁はファーガルさんが転移するのを見届けて深く頭を下げた。


「お嬢ちゃん、それから先生にも。不愉快な思いをさせてしまって申し訳ない。」

「私、詳しい事情はわからないのですが…恐らく五年前の…?」

「ああ、五年前の騒動でな、あいつと仲の良かった商人の息子が巻き込まれて…命を絶った。そいつは元々責任感の強いやつでな、自分が少女に囚われたために犯した罪で家が取り潰され、思い詰めたのだろう。しかもそいつが亡くなった後でわかったことなんだが、随分と店の金を持ち出していたようでな。このままでは、まともに次の商売も出来ないということで、家族は一人を除いて皆他国へと出て行ってしまった。残った一人は今も城に勤めているらしいが、簡単に会いに行ける場所ではない。あいつは親しくしていた者達を、あの件で一度に失った。ただ騒動から五年も経ったし、もうそろそろ気持ちに折り合いがついたと思っていたのだが。」

「むしろ、嫌な方向へ拗らしたようだな。」

魔人さんの言葉に棟梁は表情を曇らせる。


「時が来れば自力で立ち直ると信じていたのが良くなかったのか…最近はたちの悪い仲間と付き合うようになってしまって。正直、扱いに困っているんだ…申し訳ない、こんな騒動を起こしてしまって。お嬢ちゃんは、何も悪くないのに。」

「いえ、それよりも…私も事情を知らないとはいえ声を荒げてしまって、すみませんでした。」

冷静になって、ちょっと考えれば簡単に五年前の騒動と結びつけられることなのに。

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「そう、それだよ!!」

「はい?っと、それとは?」

突然声を上げた魔人さんに驚いて振り向くと思ったより近くに顔があった。

ちょっと、この距離でその表情は恐怖感倍増だから!


「ダンジョンという場所は負の魔素に満ちている。だから負の感情に囚われているものが迂闊に近づくとその感情は増幅され、益々闇に囚われていくものなのだ。だから暗黙の了解として己を律することの出来ない未熟なものを連れてきてはいけないとされている。」

例えば先程の彼のようにね、そう言った後魔人さんは口元を歪め指先を私の鼻先へと突きつける。指先から伸びる長い爪と、ひび割れた皮膚が目に入り思わず顔を背けた。

「君も、何か負の感情に囚われているね。それも時間がたって自身の感情が幾重にも絡み合った類の、捻れた感情の匂いがするよ。」

魔人の言葉は、深く私に突き刺さる。

彼は私に視線を合わせた。

何も写さないはずの真っ黒な瞳に、動揺する自身の顔が映っていて更に心拍数が上がる。


「十五階層までは恐らく大丈夫だろう。だがそれより下の階層に立ち入るつもりなら…出直してくることだな。君もまだ彼と同様に未熟だ。」

「どうすればいいんでしょうか?」

「言っただろう。私は専門家として意見を述べるだけの存在だと。

どうするか決めるのは君自身だ。」

決めるのは、私自身。

俯いた視線を上げれば心配そうにこちらを見つめるいくつもの瞳に気がつく。

そうだな、今は修繕を進めないと。

「わかりました。暫くどうするか考えてみます。…あと説明も済んだので、休憩は終わりです。棟梁と他の皆さんは作業に戻って下さい。」

魔人さんが小さな声で『バカなのか』とか言ってるけど聞こえませんからね!

しょうがないじゃない、自分ではすぐに答えがでないんだもの。


自分を奮い立たせて作業の進行具合を確認する。

よし、このままのペースで修繕を進めてもらおう。

終わらなかった分は後日の作業として…。




ーーーーーーーー



軽く顎に手を当てて考え込んでいるエマの姿。

負の感情を持つことを指摘されたにしては、その表情に澱みが見られない。

意外と切り替えの早い性格なのだな。

もしくは打たれ強いのか…楽天的なのか、それとも。


「バカなのか。」

「先生、どうしたんですかい?」

棟梁がこぼれ落ちた言葉を拾ったようで、首を傾げる。

視線をエマから彼に向けると、

「何でもない、こちらの話だ。それで何かあったのか?」

「ああ、いえ、作業は順調です。お嬢ちゃんの魔力で内側の補強は済んでますから後は外側にある割れや欠けをどうするかだけなので。それよりも。」

棟梁はエマの方を複雑な表情で見詰める。

「先生はお嬢ちゃんを五年前の少女とは『別人だ』と断言された。その自信にはどんな根拠があるのかと、そちらが気になってしまって。」

「貴方もわかっているだろう。彼女とアレは全然違う。」

「そりゃ、私も棟梁として人を見てきましたからね。ただ、お嬢ちゃんと五年前の少女は容姿の特徴がよく似ているじゃないですか。黒い髪に、白い肌。黒い瞳。不出来な孫を擁護するわけではないが、一瞬五年前の騒動の記憶が甦ってしまうのも理解ができるんですよ。だけど先生はお嬢ちゃんを違う基準で判断しているような気がしましてね。その理由が…孫を闇から救うきっかけになればと思いまして。」

危険を承知で尋ねてきたのだろうな。

そうでなければいくら孫を助けたい一心でとはいえ、魔人である自分に能力の一端について話せとは言えない。

それこそ…、殺されても文句は言えないのだから。

だがダンジョンの修繕にはこの人物を欠くことはできない。

それならば多少の情報を教えておいても構わないか、そう判断した。


「匂いだよ。」

「匂い?」

「魔力の匂いだ。それが明らかに二人は違う。」

彼は書籍の魔人として目覚めてからこのダンジョンで数多の知識を手に入れた。

その中に古き魔法の一つを偶然見つけたのだ。

これを使えば五感を最大限まで強化できる。

例えば匂いだけで、個体の種族や、どの属性の魔法に長けているのかが掴めるようになった。

そして、この能力は闇の属性が強い場所ほど強化される。

この能力を得たことが、自身が二十階層の主を務める理由の一つでもあった。


ふと五年前に無謀にも十五階層以下を目指した、アレとその取り巻き達を思い出す。


あっさりと撃退したが、万が一のためとその場には各階の主も召集された。

その時、念のためと匂いを覚えていたのが今回役に立ったのだが。

確かにアレと彼女は容姿の特徴は似ている。

だがアレは見た目は極上の部類にはいるほど整ってはいたが、魔力の匂いは最悪だった。

負の感情を濃く煮詰め、さらに腐らせたような、そんな匂い。

その匂いのせいでアレの取り巻き達が称賛するほど魅力的には思えなかった。


それに対し彼女の魔力は咲き乱れる花と陽光の香りを混ぜ合わせたような芳しい香りがする。魅入られるように引き寄せられ少し味見しただけでも、くらりと酔うほど甘い。

彼女の場合、容姿が平凡であることはむしろ幸いだった。

そうでなければたちまち精霊達が殺到し、彼女の奪い合いになるだろう。


よくぞ今まで"精霊の入り口"が開かなかったものだな。


精霊が気に入った人間を連れてくるための専用通路。

導かれたものは精霊界に捕らわれ、命有る限り魔力を食われ続けるか、運が良ければ飽きたところで捨てられるか。

闇の眷属が人間に滅ぼされる一歩手前まで追い詰められたという件は、とある一族の姫が魅力的な魔力の持ち主であり、それに目をつけた闇の眷属が精霊の入り口を開いたことが発端だと聞いている。

もちろん精霊の中には、連れてきた人間と情を交わし、死ぬまで契約に縛られることを選んだ純粋なものもいるとは聞くが恐らく少数派だろう。

エマの場合、光の精霊二体と契約している。

光の精霊は比較的誠実なものの多い種ではあるが、生来気まぐれな質でもある。

果してこの一方的な契約がいつまで続くのか。

感情の機微には興味がないが、研究材料としては興味深いと思われる。

注視しておこう。


「しかし、人間の魔力はなんとも不可思議なものだ。これだけ色も香りも違うとは。魅入られる気持ちもわからないでもないな。」

「先生?」

「独り言が過ぎた。…悪いが先程の話、貴方の役にはたちそうもない。」

「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。本来なら殺されても文句は言えないようなことを聞いてしまったのに。」

「一つだけ、忠告しておこう。」

「はい?」

「貴方の孫が関わりを持つものの中に、精霊と契約しているものがいる。」

「精霊と…!!」

「貴方達も精霊寄りの種だが、明らかに匂いの質が違う。もっと純粋で…邪悪なものだな。彼本人と契約を結んでいる訳ではないから種までは特定できないが、五年前の少女と近い匂いがする。」

「なんですと!!」

「あくまでも可能性の話だが、知っておくに越したことはないだろう。」

「ありがとうございます。先生。」

棟梁が頭を下げ、その頭越しにエマが見える。

グレースと会話を交わし、階層の出口を指さしていた。

どうやら階層を移動するようだ。


「行こうか。」

棟梁を促し、彼女たちの方へと移動する。

彼女の言う通り、下の階層へ行くに従って割れや欠けが大きくなっている。

そろそろ自分の知識が必要になるだろう、そんな予感がした。



ーーーーーーーーーーーーー


先生がゆっくりとエマの方へと歩いてゆく。

彼は相変わらず魔性と理性を程よく両立出来ているようだ。


「先代の管理者が『人間より人間らしい』と言っていたが、一部だけ見れば確かにそう思える。」


棟梁としてダンジョンの修繕を指揮してほしいと言われたときは、正直言って気が重かった。

だがエマと彼の存在のおかげで新たな経験を積むことができて、思いの外、やりがいのある仕事ができていると感じる。

「本人は気づいていないようだが、我々人間に対して助言を与えてくれるなど…魔人の中でも特に人間寄りの思考であるようだ。」

魔性を持つ生き物は人を助ける場合、分かりやすく対価を求める。

魔力や体の部位、時に命数であったりと。その代わり必ず願いを叶えるという。

主様から依頼を受けたとはいえ対価を要求することなく知識を与えるなど有り得ない。

「あの人がいれば何とかなるかもしれん。」

二十階層の主、彼が先生と呼んでいる魔人の背中を見つめる。

彼がエマに対して厳しい対応をとるには理由があった。


そもそも皆不思議に思っているだろう。

何故、十五階層以下は許可を得た者以外立ち入り禁止なのか?

管理者がいるにも関わらず『混沌が支配する』ほど管理が行き届いていないのは何故か?


それはダンジョンの成り立ちに関係があった。

この場所に大書庫を建てたのは初代女王。

そしてこの場所に魔素の穴がある事を知っていたのも彼女だ。

つまり自分が死んだあと、書籍の魔物が生まれる未来を彼女は知っていたということになる。

このダンジョンで十五階層以上に現れる書籍の魔物達はそれを知ってもなお初代女王の遺志を是とする者達であるとするならば、十六階層以下の書籍の魔物達はこう呼ぶべきだろう。


初代女王の遺志に反旗を翻した者達、と。


勿論、初めからそうであったわけではない。

彼らは皆等しく初代女王を愛している。

だが一方で彼らは望まぬ魔物へと生まれ変わり、意志を持つようになった。

静寂と普遍を愛する書籍の魔物達にとって、魔物として扱われ、痛めつけられる日々は徐々に苦痛となっていく。

やがて愛情が怒りによって変異し、憎しみへと針が振りきったとき、それは起こった。


管理者への反乱。


この場所に限ったことではないが、ダンジョンでは意志の強さが力の強さと比例する。

それらの書籍は十五階層以下へ移動、より強力な魔物となって一切の干渉を拒絶するようになった。

それは代表となった各階の主が管理者と交渉し、今のような暗黙の規律が出来上がるまで続いたという。

十五階層より下の階に主と呼ばれる程の実力者達が存在しているのはこのため。


そして今回の修繕でエマは魔法手帖を使用する姿を見られていた。

それは彼女が魔法紡ぎの女王であることの証。

今頃ダンジョンの十六階層以下は彼女の噂で持ちきりだろう。

愛し、同じくらい憎んでいる初代女王の後継者。

彼らがすんなりと彼女を受け入れるとは思えない。

唯一の救いは二十階層の主が修繕に協力的であること。

彼は専門家でもありこのダンジョン内でずば抜けて知性が高い。

その彼を納得させることが出来ればあるいは道が開けるかもしれない。


「頑張れよ、お嬢ちゃん。ダンジョンの修繕で本当に大変なのはこれからだ。」

先生が指摘した、エマが未熟であるという言葉。

この言葉には別の意味も含まれている。

彼女が十六階層以下へと修繕を進めた場合、今度は初代女王の後継者に対する好意的でない感情を各階層でぶつけられる可能性が高い。

例えばファーガルがぶつけたような悪感情…八つ当たりをぶつけられる度に狼狽えていては心が闇に囚われる。

そういう意味で先生は出直せと言ったわけなのだが、分かりにくい優しさを向けられてもダンジョンの負の部分を知らないエマが理解出来るわけがないだろうに。


…仕方がない。

こうなったら自分だけでも最後まで修繕に付き合おうと心に決めた。

孫が彼女に対してひどい言葉を浴びせたことに対する詫びでもある。

今回ファーガルを連れてきたのはダンジョンの修繕に関する知識を受け継ぐためであった。

長生きとされる小人族であってもその命は永遠のものではない。

不肖の孫は、あの一本気で融通のきかない性格を除けば腕が良く人望も厚い。

棟梁と呼ばれるまでになった自分に似て将来が楽しみな孫であったのだが。

あの態度は、いくら何でも酷い。

あんなに思い込みの激しい質だとは思ってもいなかった。

もう暫く時間をかけて説得し、考えが変わるのを待つしかあるまい。

ただどうにも気になるのは、先生が言った言葉だ。

『貴方の孫が関わりを持つものの中に、精霊と契約しているものがいる。』

誰だろう。

孫とつきあいのある友人達の顔ぶれを思い浮かべる。

何人かの顔が浮かんで、そこで初めて気がついた。

最近ファーガルと連れ立っているという友人達の顔がどうにも思い出せない。

男で、いつも必ず二人連れだったような記憶があるが、それだけ。

なぜ今まで疑問にも思わなかったのか。

背筋に何か薄ら寒いものを感じた時、離れた場所からエマの呼ぶ声が聞こえた。

「棟梁!!移動しますけど、大丈夫そうですか?」

「お、おう!!今行く!」

慌てて歩き出すと、どこからともなく軋むような音がした。

階層の中を見回しても、特に問題となるような歪みは見られない。

一気に思考が切り替わり、長年棟梁として働いてきた勘が警鐘を鳴らす。


この安定しない感じは、気のせいなんかではない。


ダンジョンの何処かに大きな歪みがあるかもしれない。

もしくはそれ以外の要因で、何かが今もこのダンジョンを蝕み続けている。


「あまり時間は残されていないようだな。」


強度は充分でも、修繕せずに放置すればそこから崩れる恐れがある。

それをどのように伝えるか。

十六階層より下の主が納得して協力出来るような説明があると良いのだが。

「彼らは独特の世界で、偏った価値観に基づいて生きているからなぁ…。」

前の管理者の頃、遭遇した個性的な主達の存在を思い出す。

なかなかに骨が折れそうだ。


そうして思考を巡らせていたからだろう。

彼は気付いていなかった。

自身を見つめる一対の瞳があることを。


そしてそれが好意的な視線ではないことも、彼は知らない。






随分と悩みました…

修繕が進んでいく様を描ければと思ったのですが、想定外に人間(魔人含む)関係の方が盛り上がってしまった章となりました。

次回…修繕か、伏線を回収する章となるかは、筆の進む方向によって変わります。

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