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第六話

 20××年12月24日



 イヴの朝は、昨日から続く冷たい雨に覆われていた。

 だが、俺の心は快晴、ある意味日本晴れと言ってもいいだろう。

 クリスマスイヴに女の子とデート。文字にするとたったこれだけのこと。

 たったそれだけのことが、自分自身をこの世界という物語の主役に押し上げてくれると錯覚させられる。そこまで言っても過言ではないと思うのだ。

 もちろん当初は五十嵐さんとデートできればいいなと思っていた。だが、今はそんなことはどうでもいいと思うくらいに気分が浮かれている。誰だって良いのかと言われるとそれは違う。出会いが最悪だったせいであまり意識してこなかったが、高槻は正直、俺が過去に出会った女性の中でも群を抜いて美人なのだ。

 とは言っても。電車から吐き出される人の波から抜け出して腕時計を見る。11時の待ち合わせに、9時に来るというのは浮かれすぎというものだ。もちろん、時間が余ればまわりをあらかじめリサーチしておくつもりだ。完璧なプラン。やはり初心者にデーマニ先生(くどいようだが【デート完全攻略マニュアル!】の略ね!)は欠かせないなあ。


「あっ……先輩っ!」


 なんかすでに、待ち合わせ場所によく知った顔がいるんだが? こういう場合はどうしたらいいんですか、デーマニ先生?


「高槻……いつからここに?」

「今来たとこです」


 俺が言いたかったのに、その台詞。


「先輩こそ、なんでこんな時間に? あ、早めに来て、このへんのデートスポットの下見をしておこうとか、そんな魂胆ですね?」

「いや馬鹿お前……うん、その通り。未来の俺から聞いたのか? ああ、だから俺に合わせて早めに来たのか」

「違いますよ。私、先輩とデートするの、これが初めてなんです。だから正直、とっても緊張しています」


 冗談のような話だった。昨日の真面目なカミングアウトは何だったのか、と言いたくなる。だが、まるで別人のように上目遣いをしながら「信じてもらえないかもしれませんけど……」なんて言われたら、信じるしかない。いや、正直どっちでもいいのだ。高槻の顔を見て俺は悟った。今日の俺は、高槻とデートを楽しみたいのだ。いやもうぶっちゃけ、彼女に惹かれていたと思う。俺の好みはあくまでも妹系でありそこは変わってないってのに、節操のない話だ。

 もし彼女が死んで、そしてどこかの時点からやり直すとしても、その時の俺は彼女のこんな反応は楽しめないことになる。彼女の初めては今この瞬間の俺のものなのだ。そう考えると興奮してくる。

 ……自分相手に張り合ってどうすんだ。馬鹿馬鹿しい。

 それ以上に思うべきこと。

 高槻は今日、死ぬ。生きて明日を迎えることはできない。彼女にとっては違うのかもしれない。何度も何度も繰り返す中の、ただの一幕かもしれない。何か違うことをして未来が変わらないかを少しずつ探っているのだろう。だが、俺にとっては、今ここにいるこの俺にとっては、これが最初で最後のデートとなる。大事にしなければならない。


「じゃあとりあえず、その辺のコーヒーショップで朝飯でも食おうか」

「あ、その前にひとつだけいいですか」


 高槻は顔の前で指を立てた。彼女らしいシックな色のマフラーが肩からフワリと垂れ下がる。


「デートなんですから、私のことは名前で呼んでください」

「あの、それはいきなりハードルが高くない?」

「高くないです」


 さあ、とばかりに体を寄せてくる。

 俺達の頭の上で二人の傘の縁がおしくらまんじゅうを始めている。人の気も知らず、のんきなものだ。


「アリス……さん」


 うわあ……アタマ痒くなってきた……


「なぜ敬語なのです? 男らしく、呼び捨てでいきましょう」

「うるさいなあ。あ、アリスっ。ほら、もういいだろ。行くぞ!」

「はい、ユウキ先輩!」


 おお、いま俺は、まぼろしの生物【バカップル】の誕生の瞬間に立ち会っているのだなあ……と、彼女──アリスの満面の笑みを見ながらぼんやりと考えた。



   *****



 森岡のヤツはなんて言ってたっけか。

 細かいところに気がつく。優しい。陰口も言わない。男女問わずウケがいい。それになにより、笑顔が素敵なんだよ。

 うん、そうだ。よく覚えているぞ。なにしろ昨日のことだからな。

 今日のアリスはまさにそれだった。文学部ではいつもこうなのだとしたら、そりゃアイドル的存在になるのも頷ける気がした。こんな子を放っとくなんて文学部の男連中はどうなってんだ。

 いや、そもそも、彼氏はいないのだろうか。普通こういうことを真っ先に相談するのは家族以外には彼氏であるはずだが……

 あるいは彼氏にはすでに相談したのかもしれない。それも、何回も何回もだ。だが、彼氏にはアリスを救うことはできなかった。だから、俺に近づいたという可能性もあるだろう。

 そんなことは聞けなかった。そもそも、聞いてどうするというのだ。成り行きでデートしているだけで、俺達は付き合っているのでもなんでもない。このイヴという特別な日に、付き合ってもいないのに名前で呼び合ってデートしている。なんと贅沢なんだろうと言うべきか。それとも、滑稽だというべきか?


「先輩って、ほんとコーヒー好きですよね」


 シネコン脇のカフェでの一幕だ。


「知ってますか? 私がずっとこの3日間を繰り返しをしている間、先輩は毎回欠かさずコーヒーを飲んでいたんですよ」

「まあ、嫌いじゃないし。一日4、5杯は軽くいけるよ」

「うわあ……私、一日2杯飲んだらもうカフェイン焼けしますよ」

「なにそれ」

「そんな先輩が、一回だけオレンジジュース飲んでた時がありましたよね」

「食堂でね。ああ……そういえば、なんでコーヒーじゃないんだって聞いてたよね」

「その時の私の気持ち、わかります? 先輩が神様に見えたんです。だって、その瞬間、間違いなく未来が変わったんですから」

「そういうもんかね」

「そういうもんです」


 ほほをつつかれた。不意のボディタッチはやめてほしい。心臓が止まる。


「ほんと、人が多いな」

「それに寒いですよねえ」


 夕方のアクアリウムにも行った。

 寒いなら手袋をはめればいいのに、手袋を外したままソワソワしているのが不思議だったが、人混みに押されて手と手がくっついた時に感じた冷たさで頭も冷えた。

 もしかして俺が言うのを待ってる……とか?


「アリス」

「は、はいっ! な、なんですか」


 絶対俺がこれから何を言うか分かってる反応だよね?

 逆にそこまでお膳立てされると、俺の中にも変な余裕が出てくる。


「手、繋がない?」

「……」


 アリスは真っ赤になりながらこちらをガン見している。

 あれ、何か間違えたかな……


「先輩がいきなりそんな男らしく誘ってくるとか、めちゃくちゃ意外でした」


 嬉しいのか嬉しくないのかよく分からない感想をもらった。口の端を吊り上げているところを見ると皮肉とも照れ隠しともとれるが、俺も恥ずかしいのでさっさと手を握ってやった。まるで水槽を手で触れたときのように冷たかった。

 そんな冷たい手が、俺の手の温かさでじんわりと熱を帯びていく、その感覚がたまらなくいとおしかった。


「私、家族以外の男性と手を繋ぐの、初めてなんですよ」


 そうなんだ。俺は素っ気なく答えて水槽を見た。この無様なニヤけ面をアリスの前にさらすわけにはいかなかったから。


 そんなわけで、俺は今日という一日を死ぬほど楽しんだ。

 アリスも、きっと楽しんでくれたんだと思う。


「先輩、私の家に来ませんか?」


 だから、アリスからそう誘われたとき、俺は自分がどんな顔をしていいかわからなかったのだ。


「言いましたっけ? 私、両親はもういなくて、天涯孤独なんです」


 嬉しかった。彼女はきっと、俺を信じてくれている。だからこそ一人きりの自室に招待してくれるのだ。

 それと同時に、腹の底が冷えていくのを感じている。

 アリスにとっては、超えられない地獄のイヴの夜の始まり。

 俺にとっては、夢のような一日の終わり。

 時計の針は動き続ける。いずれにとっても最悪の結末に向かって。



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