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第四話


「ご注文はお決まりですか」


 その言葉で我に返った。泣きぼくろが特徴的なウエイトレスの姿があった。ドリンクバーだけを頼もうとしたが、当店では取り扱っておりませんなどと言われ愕然とした。今時ドリンクバーのないファミレスなど存在するのかとも思ったが、無いものは仕方がないのでお替わり無料のドリップコーヒーを注文した。腕時計はすでに12時を過ぎていることを確認し、オムライスも追加で注文する。


「好きなの頼んだら。俺が持つよ」


 一度言ってみたかった言葉だ、他意は無い。相手は後輩なのだし、一食の奢りをケチるほどの貧乏人ではないつもりだ。

 先輩なんかに借りは作りたくありません。そう冷たくあしらわれることを覚悟しての問いかけだったのだが、意外にも彼女は「それなら、ご馳走になります」と素直に応じ、コーヒーとリングイネなるものを注文した。コイツは最初からマジでたかるつもりで俺を呼び出したのだろうかという疑念に囚われてしまう。

 メニューの写真を覗き見た。リングイネなるものとスパゲッテイの違いが分からない。彼女に聞けば説明してくれるだろうか。あるいはそうかもしれないが、とてもそういう会話をする雰囲気ではない。これが五十嵐さんとのデートであれば、そんな話題でも盛り上がれたのだろうな、とぼんやりと考えていると、


「先輩が考えていること、当ててみせましょうか」


 無表情ながらも挑発的な面持ちで、真正面に座る高槻が言った。


「それが、例の【タネ明かし】と関係あるのか」

「あるともいえますし、ないともいえます」

「つまり、俺が何を考えているかを言い当てるのも、【占い】の一種だってわけだ」


 俺は吐き捨てるようにそう言った。厳密に言えば違うんですけど、うんたらかんたら。何か面倒な説明をしているようだが、まともに相手をする気にはなれなかった。



  *****



 先刻、高槻が俺に電話をしてきた時の情景を思い出す。あれはまかり間違ってもデートのお誘いなんて華やかな話じゃない。あれは、挑戦だ。俺への。あるいは、現代科学に対しての。


『先輩、いまの時間だと、駅前のファミレスのあたりにいらっしゃるんじゃないですか』


 高槻です、と名乗ると、俺が何かを言う前に彼女はそう続けてきた。首をすくめながら周りを見渡すが、どこかから監視しているようには見えなかった。盗聴、もしくは盗撮? スパイ映画じゃないんだから。つい一昨日知り合った相手からそのようなことをされる筋合いがない。まさか、本当に超能力……? 

 落ち着こう、どうやら突然のことに俺が混乱しているようだ。

 この時間に駅前にいるのを知ってるのは、さきほど送っていった森岡たちと、直前までアプリでやりとりしていた五十嵐さんだけだ。五十嵐さんと高槻が知り合いだという可能性はなきにしもあらずだが、単純に考えれば森岡あたりに聞いたのだろう。

 俺が黙っているのをどう解釈したのか、高槻は電話の向こうでこう続ける。


『電話番号は森岡君から聞きました』


 やっぱりな、という安堵と同時に、それ以上の寒気が背筋を這うのが感じられた。森岡は俺がファミレスの駐車場にいることまでは知らないはずだ。

 いや、思い出せ。高槻はなんと言った? 「ファミレスのあたり」にいるのではないかと言ったのだ。すでに昼近いこの時間、この駅の周囲で、大きな駐車場があってそこそこ入りやすい店は限られている。もし俺が隣のバーガーショップのドライブスルーに並んでいたとしても、場所としては「ファミレスのあたり」なのだ。つまりはハッタリ、もしくは、恐ろしい考えだが……俺の携帯のGPS機能をどこかから監視している?

 とにかく、誤魔化しても意味が無いことは間違いない。


『今からそちらに向かっても構いませんか。もし先輩が望むのであれば、私の占いのタネ明かしをしたいと思います。先輩はきっと興味を持ってくれると思います』


 そして、今に至る。



 *****



「先輩は、なぜ私が先輩の位置を特定できたか疑っている。違いますか?」


 突然何のことだろうかと思ったが、そういえば、俺の考えを当ててみせると大見得を切っていたのを思い出す。俺はそれを聞いて思わず鼻で笑った。


「違ったみたいですね」


 意外にも、高槻は俺の言葉をまるで意に介した様子がなかった。その顔に困ったような笑みを貼り付けたのだ。元来無表情なところに、無理矢理表情筋を総動員したかのような不自然な笑みに、俺は思わず頭をかきむしった。


「おちょくってんのか」

「違います。私の占いの限界を知っていただきたかったからです」

「人の考えまでは分からないと、そう言いたいのか?」

「厳密に言えば違います」

「俺はお前が何を言ってるのかさっぱり分からない」

「私が持っている能力自体は、実は全ての人間に備わっている能力なのです。宗教の勧誘ではありませんから、どうかこのまま聞いてください」


 俺は席を立とうとした。だが、高槻はそれを見越したように釘を刺す。立て板に水だ。まるで俺が席を立つことが、あらかじめ分かっていたかのようだった。


「昨日も言いましたが、私は予言をすることができます」

「それが【占い】」

「厳密に言えば……」


 それはもういい、と俺は首を振る。限界だった。


「俺は何のために呼ばれたんだ。お前の長い話を聞くためじゃない。お前が占いだのなんだの言う手品のトリックを聞きに来ただけだ。お前の家が駅に近いというから来てもらっただけで、俺は電話で話だけ聞いても良かったんだ」


 彼女はなお無表情のままだった。そのことが余計に俺を苛立たせる。

 俺はさらにまくし立てた。


「断言する。予言だの、予知だのいう能力は存在しない」

「続けてください」彼女は表情を変えずにそう言った。

「まず、お前が1分後の世界を予知できるということは、すなわち1秒後の世界も予知できていなければならない。なぜなら時間は全て連続しているからだ。1秒後の世界が分からないのに1分後が予知できるということは認識上の必然から否定される。そこまでは分かるな?」


 高槻は無言で頷いた。


「そこである数学者はこう考えた。予知能力者として全ての物理的法則が観測できる存在がいれば、すなわち一瞬後の現象も予知できるのではないかと」


 ラプラスの悪魔ですねと、高槻は呟いた。さすがの彼女もそのくらいは調べているだろう。この悪魔は量子論の登場により打ち倒されることとなる。


「量子論によると、それは不可能であると聞きました」彼女はそう続ける。

「そう。観測することによってしか状態はひとつに決定しない。観測前は、対象のとりうる全ての状態を、確率としてしか表すことができない。観測後には、観測前の状態さえも、過去に遡って決定されうる」


 これをコペンハーゲン解釈という。

 ある瞬間に全てを知ることができても、それはすなわち、一瞬の後の未来を全て確定することにはならない。ざっくり言えば、予知が不可能である科学的根拠はこういうことである。


「反証は?」

「私は文学部ですよ」


 そういう議論は門外漢だと言いたいのだろう。俺も厳密にそこを突っ込まれても困るのだ。別に専門ってワケじゃない。


「予知能力が、全く未経験の未来のことを知る能力だと仮定するなら、先輩のおっしゃるとおりなのでしょう。というか、私もラプラスの悪魔については、名前と漠然とした内容しか知りませんが」

「じゃあ、それ以外に何があるっていうんだ」


 そう言いながら、高槻が何を言おうとしているのか察してしまった。口の中がカラカラに乾いていた。コーヒーはいつやってくるのか。注文を取ってくれたあの泣きぼくろのウエイトレスの姿は見えない。休日の店内は雑然としているのに、このテーブルだけが隔離された世界にいるかのように感じた。いや、もしかしたら、高槻にとっては、すでに隔離された世界の中にいるということなのだろうか。


「私の占いは、すでに体験した未来の出来事を教えているに過ぎません」


 タイム・リーパー。今度は俺がそう呟く番だった。タイムリープ──時間跳躍を可能にするタイムマシンについては、様々な思考実験が繰り広げられているはずだが、光速度不変の原則に基づき無理そうだという推論めいたものや、パラドックスをどう処理するのかといった各論に終始して、そもそも現実的に可能かどうかの結論は出ていないというのが現状ではなかったか。興味が無いので実際にどうかはわからない。だが、目の前にいるのが未来人だとするなら、タイムマシンは実現可能であり、実際に完成していることになるが。


「お前は、未来から来たって言いたいわけか?」


 それなら、高槻が俺の居場所を知っていたことにも説明がつく。

 厳密に言えば……と言いかけて口を閉じ、しばし考える。


「おおざっぱに言って、そうだといえます」


 なんとも要領を得ない回答だった。しかし、長い話を聞きに来たんじゃないと啖呵を切った以上、詳しい説明を求めるのもシャクな話だった。


 そういえば聞いたことがある。物質のタイムリープは不可能であるが、情報のタイムリープは理論上可能であると。つまり、彼女は未来の自分自身からなんらかの方法で情報だけを受け取っているという可能性もある。未来人ではないが、未来の知識を持っている。そういうことだろうか?


 ……あれ? それって、結局【予知】の存在を認めることにならないか?


 いや、もうあれこれ考えるのはやめにしよう。そういうのは後回しでいい。


「お前のいう予知は、つまり、ただ経験を語っているに過ぎない。そこは理解した」

「! ……信じていただけるのですか?」


 彼女は今日初めてと言ってよいほどに目を見開いた。今まで生きてきた中でこれほど驚いたことはない。そういう声が聞こえてきそうなほどに。

 逆に俺が恥ずかしくなってきたほどで、慌てて心にもないことを言ってしまう。


「現象として理解はした、というだけでお前のことを全面的に信頼したわけじゃない」

「先輩……ありがとうございます」


 高槻は急にその瞳に涙を溢れさせた。泣きぼくろのウエイトレスがコーヒーを置いてそそくさと去って行く。これ、俺が泣かせたみたいに見えてる可能性? いや、別れ話とかじゃないからね、マジで。ちょっとタイミング悪すぎでしょう。


 何故俺が彼女のことを信じる気になったのか、実は自分でもよく分からなかった。ただ漠然とこの二日間で、彼女に関する色々なことが色々な場面で噛み合っておらず、その答えが提示されただけに過ぎず、それがあまりにもすんなりと心の中にハマっていっただけなのだ。それを認めた瞬間、何故か、俺は遙か昔から彼女がタイム・リーパーであると知っていたかのような思いに囚われたのだった。もちろん、そんな俺の心の中をここで吐露するわけにはいかない。


「高槻は、明日からやってきたのか? それとも、自分自身が生存するという未来から? パラドックスはどうなってる?」


 頭が混乱しているのは自分でも分かっている。

 高槻は一瞬だけ、俺が何を言っているのかわからないという顔をしたが、すぐにその意味するところを掴んだようで、


「私は、死んだからこそ、過去へと戻ってきたのです」


 そう言った。当然、まったく意味が分からなかった。だからこそ思った。もうどうにでもなれだ、と。


「全部話を聞かせてくれ。最初から、最後まで」


 どうせ時間はたっぷりあるんだ、という俺の言葉に、彼女はここ最近俺によく見せるような、どこか困惑ぎみの笑顔を再び見せたのだった。



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