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第二話

 20××年12月22日



 俺は占いを信じない。

 正確には、『予知能力』というものを信じていないと言い換えるべきだろう。

 俺にとって、世の中の予知能力者を称する連中はすべて詐欺師と同列であるし、占い師も似たようなものだと考えている。未来がわかるということはあり得ないのであって、それはたとえば明日が晴れそうだ、雨が降りそうだという「予報」のレベルでさえ、科学的に明白な根拠を必要とするのだから、ましてタロットだの、水晶玉だの非科学的なツールでもって、他者と共有できないような方法で──要するに『再現性の低い方法で』──未来を知ることなどできようはずもない。


 だから、いくら考えても高槻アリスが昨日言ったようなあの台詞。


 『私は三日後に死ぬ』


なんてのは、ハッタリか自殺志願者の台詞にしか思えなかったのだ。


 俺は憤慨を隠そうともせず学食を後にした。

 森岡の情報では、あの自称(他称?)占い師は毎日この時間に一人で学食に来ているという話だったではないか。


「たぶん、竹下が来ることを見越して場所を変えたんじゃないかな」

「ひっでえ……というか、お前、ほんといつもながら突然現れるよな」

「心外だな、さっきから呼んでたのに気づいてくれなかったのはそっちだろ」


 確かに集中していたのは否めない。俺はうどんをすすりながら忙しなく学食中を監視していた。あの見てくれだから目立つには違いないのだが、俺と高槻アリスとはこの学食しか接点がなく、このタイミングを逃すわけにはいかなかったのだ。

 結局、この日ついに彼女と接触するチャンスを得ることはできなかった。

 別にあのイカれた女のことが気になるってわけじゃあないんだが、会えないとなるとなんとなく変な感じになる。いつも通る橋の下に捨てられていた猫が、ある日急にいなくなった時のような焦燥感。あの猫はどこに行ったのだろう。無事に飼い主を見つけることができたのか。それとも一人で安住の地を求めて去って行ったのだろうか。もし今あの猫に出会うことがあったとしたら、ほんのわずかな交流しかしなかった俺のことを覚えているのだろうか……


 そんな願いが通じたのかもしれない。森岡と別れ、理工のキャンパスに戻る途中で、意中の女子である五十嵐さんに出会った。それほど大きなキャンパスではないにせよ、ばったり会うなんてなかなかない。運命を感じさせずにはいられない。

 予知は信じないのに、運命なんてモノを信じるのかって?

 そんなの知るか!

 都合が良ければオールオッケーなんだよ。


「あれ~っ、竹下君、今帰り? 今日は遅いね」

「あーっと、ちょっと食堂が混んでてね」森岡が居ないことを確認し適当に返す。

「そうなんだ。あ、そういえばまだ掲示板見てないでしょ? あたしらの昼イチ、休講になったみたい、ラッキーだね」


 蕩けるようなキャンディーボイスは今日も健在だ。猫なで声だのブリッ子だの揶揄する連中もいるが、ライバルは少なくて結構。

 休講となった昼からの授業は五十嵐さんと同じものを受講している。つまり、お互いに、急遽予定が空いたことになる。


「もしかしてこの後、5限まで暇だったりする?」

「まぁねえ」


 ああそうなんだ、それじゃまた後で……


 昨日までの俺はきっと流れるような口ぶりでそんなヘタレた言葉を吐いていただろう。

 だが、今日からの俺は違う。誘え、誘ってしまえともう一人の俺が耳元でささやくのがハッキリと聞こえてくる。

 森岡の言葉を思い出す。一度フラれたら次からはもっと積極的に行けるんだったか。

 いや、昨日のはフラれたわけじゃないんだけどな。

 そもそも、ナンパじゃないんだし。


「えーっと、それなら食堂でコーヒーでもどう? 一杯奢るよ」

「うっそ~? 奢りなら行く行く……あ、でもあたしコーヒー飲めないんだった。やめとく。ほいじゃまた!」


 去り際に俺の肩をぽんと叩いて、あっという間に彼女の姿は見えなくなってしまった。その身軽さと気まぐれさは本当に猫のようだ。たまに、俺が餌をやったあの捨て猫が生まれ変わって会いに来たんじゃないかと邪推してしまう。

 あれ? もしかしてこれって、いわゆるフラれた感じのやつなのか……?

 いや、そうじゃない。なぜなら五十嵐さんはコーヒーが飲めないのだ。コーヒーが飲めない女性をコーヒーに誘うとかお笑い種もいいところである。こんなんだから森岡に馬鹿にされてしまうのだ。彼女だって「またね!」って言ってたしフラれたってことはないはずだ。だよね?

 よし、次は「ジュースでもどうかな?」にしよう。

 五十嵐さんは何ジュースが好きなのかな。



   *****



 悪いニュースと良いニュースなどがあった。


 順番に話す。

 まず、結論から言って、食堂にジュースはオレンジしか置いていなかった。

 いつもコーヒーしか飲まないので気にもしていなかったけど、いくらなんでも品揃え悪すぎないですかね?

 だが、そのオレンジジュースが意外に悪くないとわかったのは良いニュースと言ってもよいかもしれない。甘すぎず、酸っぱすぎず、誰にでも愛されるような味だった。150円とコーヒーの五割増しの値段だが、気軽なデート代と考えれば決して高いわけではない。


 そして、そのどっちもが一瞬で吹っ飛ぶほどインパクトあるニュースがあった。

 俺が延々探した彼女の姿がそこにあったのだ。

 俺は迷わずその正面に座った。

 彼女、高槻アリスは俺が食堂に入ってきた時から気づいていたらしく、露骨に嫌そうな顔で紙のコーヒーカップを両手で抱えていた。

 だが、昨日のように、顔を見るなりすぐに居なくなろうとすることはなかった。そして、何より、その表情には感情の色が強く見られたのだった。


「探してたんだよ、高槻さん」

「先輩に会わないために時間をずらしたのに、意味が無いじゃないですか」


 拗ねたように口をとがらせている。

 はたして、俺が昨日見た無表情な人物と同一人物なのか? 自分の記憶に自信をなくしてしまいそうだ。


「そう言うなって。別に用もなく探してたわけじゃないんだ」


 すんなりと言葉が出てきたのは意外だった。緊張でガチガチになってた昨日の俺に自慢してやりたいね。

 もっとも、最初から敵意を向けられてることがわかってるからだろうなって気はした。それはそれで寂しいけれども。


「やっぱり探してたんじゃないですか、嫌らしい。生きてて恥ずかしくないんですか」

「いいじゃないか、昨日の今日なんだし……言い過ぎじゃなくない!?」

「言い過ぎじゃないです。ナンパでないなら、何の用事ですか」

「そりゃ……」


 言いかけて、口が止まった。どんな用事があるかと正面切って問われると、なんと答えて良いのか迷ってしまったのだ。というより、実際俺は何を求めて彼女に会おうと思ったのか、自分でもよく分からなくなっていたのだ。答えは確かに手元にあったはずなのだが、どこかに置き忘れてしまったかのような喪失感を覚えた。

 占ってもらおうなんて思ってもいないし、昨日高槻アリスが言い放った去り際の台詞の真偽を確かめたいなどというのも、ほぼ初対面でかつ嫌われてる相手を探す理由としては弱い気がした。

 まさか、コイツのことが異性として気になっている?

 ──うん、ないな。

 いろんな意味で興味深い人間であることは確かだけれど、自分に対して一分の好意もない女性を好きになるなんて業の深い真似は、性癖至ってノーマルであるところの俺には無理に決まっている。


「要するにただの迷惑な暇人ですね」

「君だって授業にも出ずにこんなところにいるじゃないか」

「私は就活生ですから」へえへえそうですか。


 高槻アリスはコーヒーカップを傾けた。空調の効きは決して悪くないはずだが、熱いコーヒーを口に含んで、その息はよりいっそう白く立ち上っていくように見えた。暖かい室内だというのに一人だけコートを着て、マフラーまで付けているその姿はいささか滑稽にも思えたが、アンニュイな表情と湯気を立てる紙コップに彩られて、なぜか映画の一幕であるかのように趣のある画になっていた。


「……んですか」


 湯気の向こうで小さく唇が動いたように見えた。


「何か言った?」

「どうしてコーヒーじゃないんですか」


 意外な質問に思わず固まってしまった。

 あげく自分でも訳の分からない言い訳を試みてしまう。


「いや、俺だってたまには高級なジュースを飲みたくなる日があるだろ?」

「知りません」


 だよね。


「用がないなら行きますけど」


 彼女は静かに椅子を引く。

 確かに用事は無い。このまま一緒にここに座ってても会話は続かないだろう。

 そう思ったのだが。


(もしかして、用件を言うまで待っててくれたのか?)


「いや、用ならある」


 覚悟を決めることにした。

 俺だって、何度も何度も高槻アリスに会うために奔走するつもりはないし、彼女に付き合わせるのも悪いという気がした。もっとも、付き合ってくれることは今後二度とないのだろうけど。


「手短にお願いします」


 彼女はそのまま腰を下ろした。やはり、待っていてくれたのだ。

 そう思うと少しだけ目の前のふくれ面が可愛く見えてくるから不思議だ。


「これ以上付きまとわれるなら然るべき対応を取りますが、被害届を書く時間がもったいないので」


 ぶん殴ってやりたくなるから不思議だ。


「君、占いができるって聞いたんだけど」

「森岡君からですか」


 俺に聞こえるようにひとつ、大きなため息。


「占いの結果がないと、好きな女性に声もかけられないんですか」


 内容が図星過ぎて思わず声を飲み込んでしまった。確かに昨日はそんなことを考えていたような気がする。いや違う、だまされるな。いつから占いを信じる前提になってるんだ。


「森岡君から聞いてますよね。私は自発的にそういうことはしませんよ」


 それでも、顔を繋いでおいて損はないと言われたし。

 なんて言うと間違いなくキレそうなのでぐっと我慢の子。

 そんな態度をどう解釈したのか、彼女はさらに眉を吊り上げた。


「そもそも、そういうことを信じていない先輩に助言なんてしてあげませんからね」

「なんで俺が信じてないって決めつけてんの」

「それは……先輩みたいな顔の人はたいてい信じてないと相場が決まってます」


 顔は生まれつきなんだよちくしょうめ。

 叫び出したくなるのをぐっとこらえるのに数秒の時間と少なくない量のジュースを消費した。


「それならそれでいいよ。俺が聞きたかったのは、昨日言ってたこと」


 彼女の目が少しだけ大きく見開かれた気がした。その手に握りしめられた紙コップが音を立てて形を変える。どうやら、今の台詞だけで、俺が何を言いたいかを理解したようだった。


「やはり、改めてナンパするおつもりですか……!」


 理解していなかったようだった。何がやはりだよ。自意識過剰もいい加減にしてくれ。


「それは無いって言ったろ? 俺が言いたいのは、どうして三日後……今日からいうと、明後日か? 死ぬのかってことだよ」

「どうしても言われましても、先輩にとって私の発言なんか意味ありませんよね? どうかお気になさらずに」


 何故か今日一番声を荒げているように感じた。どんな地雷を踏んだのかよく分からない。こういうとき、リア充どもは気の利いた会話ができるんだろうけど……

 仕方が無い。頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出す。


「意味なんて聞いてないだろ、俺が聞いてるのは、『死ぬ原因は何なのか』ってこと」


 そう言った時、高槻アリスの表情が目に見えて変わった。この表情は、もしかしたら俺が最初に声をかけたときに見た、あのひどく狼狽する表情に似ていたかもしれない。俺の言葉のどこにそのような要素があったか分からないが、おそらく俺が初めて見るほどの、昨日とは比較にならない強烈な感情の発露だった。


「……なんで、そんなことを訊くんですか」

「いや、原因が分かれば、回避できるんじゃないかと思って」


 口に出しながら、自分がかなりおかしなことを言っていることに気づいた。原因がどうの、回避がどうのと、明後日に死ぬことを前提に話していることがおかしい。

 高槻アリスの表情が次第に怪訝なものに変わっていく。俺の表情も、もしかしたら相当に狼狽したものになっていただろう。

 気がつけば、俺のジュースのカップも半分潰れていた。


「一応聞きますけど。先輩、まさか私が自殺するとか思ってませんよね」

「……するつもりなのか?」

「さあて、どうしましょうね?」


 そう言って、薄く笑った。

 俺が見た、彼女の初めての笑顔だった。

 その表情はどこかぎこちなく、そして何故かノスタルジックに俺の胸を締め付ける。

 なんだよ、笑うとかわいいじゃん……


 ずっと笑ってりゃいいのにな。


 そんな俺の声が聞こえたかのように、彼女は突然表情を引き締めた。少しだけ表情豊かになっていたのが嘘のように、そこから感情の色が消えていく。


「あのさ、俺、もしかして、今なにか独り言でもしゃべった?」


 脇と背中に冷たいものが走る。

 もしさっきの心の声が口から出ていたとしたら……いや声には出してないはずだ大丈夫だでももし聞こえていたら恥ずかしすぎるから死のう東西線よ止まれ! 


 高槻アリスは、何の反応も示さない。

 そう見えた。

 だが、すぐにそうではないことに気づいた。

 唇がかすかに動いている。

 視線を宙に彷徨わせたまま、何かを呟いているようだった。

 失礼して、と少しだけ耳を近づける。


「……なぜ……変わったの……?」


 そう言っているように聞こえた。


「高槻……」

「竹下先輩!」


 俺が名前を呼ぼうとするのを遮るように、彼女は、これまでになく強い口調で俺の名を呼んだ。


「それでもやっぱり、私は死ぬようです。イヴの夜は超えられませんでした」


 全ての台詞を噛み締めるように吐き出すと、彼女は小さく肩を震わせた。

 一瞬、周りの音が聞こえなくなった。

 耳の奥でガラスが不愉快な音を立てている。

 耳鳴りを振り切るように首を振ると、俺は怖くなった。

 怖くなって、それでも、俺は聞かなきゃならない。何故かそれが、瞳を潤ませながらまっすぐに俺を見据える彼女に対する責任であるかのような気がしたから。


「それは……例の【占い】ってやつか?」

「違います」


 これは、【予言】です。





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