序の章 はじめに
この物語は、『古事記・上巻』の神々や時代をモデルとしており、神々の名前や地名、エピソードなどをモチーフとしている場面がありますが、実際の『古事記』とは一切の関係を持ちません。
――『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
近代の偉人は言った。
その時代、我が国を治める人は、人に近づいた神だった。
天は人の上にも、人の下にも人を造らない。
では、人の上に、下に人を造ったのは誰なのか――。
これは、天が――神が治めるくにの語りごと。
まるで人間のような我が国の「神々」。
草のように、大地に等しく芽吹いた「人間」。
神の世の不平等。
人の世の平等。
その国では、平和で心穏やかに、人間が暮らしていた。
我が国最古の古文書といわれる古事記からインスパイアした、かみのくに。
天と地と、その下にも神々がいて、まるで草のように形容される人間がいる。
そんな、かみのくにの語りごと。
モデルは我が国、日本の八百万の神たちと、その時代に草のように語られる人間たち。
しかしこのくにの語りごとにおける登場人物たち、ことに人間は、太古の時代に大陸から渡ってきて定着した、縄文人ではありません。文字通り大地――古事記で言う葦原の中つ国に芽吹いた命です。
このくにでは、国つ神をモデルとする神が大地を治め、天つ神をモデルとする神々が天上にいて、黄泉の国にも神がいる。
そして神々がドラマを繰り広げる中で、人間はひっそりと穏やかに、気候や土壌に恵まれた国土に集落をつくり、原始水田を耕し、狩りをして、命をいただきながら暮らしています。
そんな、神と人間とのやさしい語りごと。
『古事記』と、歴史書とも文学書ともいわれる不思議な古文書を初めて読んだときの衝撃を、今でも覚えています。
それは読み物として。さらに言えば、これは古い時代には語り部によって語り継がれてきた(語り継がれてきた各地の神話を天皇家の神道に寄り添い合わせて編纂したという説もある)物語が、無言で時をこえて送り続けてきたメッセージ。
この現代に至っても、どこかしらに根付いている日本人の心。
そんなものを、『古事記』における神の世をモデルとした「かみのくに」で表せたらいいな、と、静かにのんびり、執筆していきます。