第225話舞台袖
「…………」
気が付けば彼女はそこに居た。
「熱い……」
時々陽炎のように揺らめいていたが、そこは何処かの都市の一角のようであった。
だが、そこら中から火の手が上がっており、彼女の視界が赤く染め上げられるのと同時に、大量の熱を彼女の身体に与えていた。
「……」
彼女はゆっくりと、当ても無く歩き出す。
「私はどうして此処に居る?そもそも此処は何処?」
何かを火種として燃え盛っている炎は、何故か彼女の身体に触れても燃え移る事は無く、ただ熱のみを彼女に伝えてきていた。
その熱はまるで母の温もりの様であり、彼女は一瞬このまま炎に包まれ続けてしまってもいいかもしれないと思った。
「っつ!?」
だが、そんな時だった。
炎に包まれかけていた彼女は不意に身体が痛みを訴えたのを感じると、彼女は本能的に炎の中から飛び退いていた。
「あ、あ……、ああっ!?」
その痛みを引き金として彼女は……穂乃オオリは思い出す。
自分が誰なのかを、自分がどうして死んだのかを、自分が最後に抱いた願いを。
「くっ……アキラ様。ソラさん」
そして、思い出したが故に穂乃オオリは不安になる。
自分は命を賭けて『軍』の足止めを行ったが、果たしてそうやって自分が稼いだ時間は田鹿ソラたち……自分の仲間たちがあの場から逃げ出すのに十分な時間だったのだろうかと。
自分の想い人であるアキラたちが今どうしているのだろうかと。
「随分と力の強い魂が来ていると思いましたが……」
「!?」
と、この場に穂乃オオリではない別の誰かの声が響き、その声に反応して穂乃オオリは腰から儀礼剣を抜き放ち、臨戦態勢を整えながら声がした方を向く。
それは彼女にしては珍しく、純粋な敵意を最初から見せるような行動だった。
だがそれもしょうがない事だろう。
穂乃オオリの耳が正しければ、今響いた声は穂乃オオリを殺した張本人の声にそっくりだったのだから。
「なるほど。私たちの領域に半分入りかけているのですね」
「……」
そして、穂乃オオリが向いた先には一人の女性が立っていた。
その女性はとても『軍』に似ていると穂乃オオリは感じていた。
確かに身に纏っている雰囲気や、一部の身体特徴、それに華美な服装と言った『軍』とは違う点もある。
だが、その顔立ちや力の気配は『軍』と非常に似通っていたし、それ以上にもっと根本的な部分において、『軍』と目の前の女性は同じであると穂乃オオリは感じていた。
「それにこの領域……思い残した事の内容も考えると、私の世界に入る必要は無いかもしれませんね」
「(『軍』の分体?確かに『軍』程の神ならば、分体を作り出せないと考える方がおかしいのかもしれませんけど。でも、それにしては……)」
この時穂乃オオリの頭の中に浮かんだのは、『分体』と言う強大な力を持つ一部の神だけが行う事の出来る、自分の身体を複数に増やす技術であった。
実際、力の量だけを考えるならば『軍』は分体を作れて当然な量の力を保持していた。
ただ、そうして思考している間に自然と穂乃オオリの目は、目の前の女性のとある部位に向けられる。
そこには同性である穂乃オオリの目から見ても立派な物が実っていた。
「しかしそうなると……ん?ああ、そう言う事ですか。全くあの子は……」
「(確実に私よりも大きいですわよね。と言いますか、アキラ様よりも多分大きいですわよね)」
穂乃オオリは自分の中に在るそれに関する記憶を探り、目の前の女性のそれと比較していく。
なお、分体とは言い換えればもう一人の自分を作り出す技術である。
故に、多少ならばともかく、大きく身体的特徴が異なる体を作り出す事は、自分と認識して操るにあたって不具合を発生させる可能性が大きく、神々の間でも技術的に著しく難しい技術とされるのである。
この事を穂乃オオリは知識としては知らないが、本能的に直感していた。
そして、『軍』と目の前の女性の間に存在しているそれの差は、『軍』の分体として成立させられない程離れているものであると感じた。
「(『軍』と関わりが有る可能性は高い。けれど、繋がっている可能性は低い。何となくですけどそんな気がしますわね)貴女は一体何者ですの?そして、此処は何処ですの?」
故に穂乃オオリは剣を下ろし、目の前の女性に問いかける。
少しでも有益な情報を得るために。
「と、すみません。自己紹介がまだでしたね。迎えが来るまでの間に説明できることは説明しておきましょうか」
穂乃オオリの質問に応じる形で、目の前の女性は柔和な笑みを浮かべて語り始める。
己の名を。
此処が世界と世界の間に存在している虚無の領域の一部であると同時に、目の前の女性が管理している傷ついた魂を癒すために存在している世界の入り口にほど近い領域であると言う事を。
そして、仮初かつ不安定ではあるものの、この領域を作り出したのは穂乃オオリである事を。
そのような事を行える領域が何と呼ばれるのかを。
「…………」
「信じられませんか?ですが、これから貴方が向かう先において、今の自分の状態を理解しておくのは非常に重要な事になるはずです」
女性の質問を穂乃オオリは呆然とした様子で聞いていた。
その内容があまりにも突拍子も無い物であった為に。
「さて、そろそろ迎えが来るようですね」
「えっ、えっ?ちょっとお待ちなさいな!一体どういう事ですの!?まるで訳が……」
だが、穂乃オオリの様子など知った事ではないと言わんばかりに女性は穂乃オオリに背を向けると、その身体を蜃気楼のように霞ませていき、
「そうですね。とりあえず貴女が覚えておくべき事としては、貴女は、貴女が望んだままに、願ったままに振る舞えばいいのです。無限に等しき虚無すら思い一つでねじ伏せて見せたのですから、それぐらいは出来るはずです」
「意味が……」
その姿を消した。
「分からないですわよ!!」
その光景に、穂乃オオリにはただ叫ぶ事しか出来なかった。
穂乃さんが出会った彼女については、私の前作「南瓜の魔法使い」をご覧くださいませ。