第223話舞台袖
そこには無限の暗闇が広がっていた。
上も無く、下も無く、当然のように方角も無かった。
「ぐっ……此処は……?」
そんな普通の人間ならばあっという間に精神が摩耗してしまうであろう空間に一人の男……アキラたちに負けて、封印されたはずのツクヨミは、封印を解除された状態で居た。
「くそっ、あの畜生共め……よくも僕をあんな目に……」
ツクヨミは自分の足が向いている方を下だと定義して立つと、頭を手で抑えながら軽く振る。
そして、当然のようにその口から出て来たのは、自分を打ち倒したアキラたちに対する恨み言であり、この恨み言がツクヨミの運命を決した。
「遭わ……せっ!?」
「どうやら、今まで散々馬鹿にしてきた人間によっていいようにあしらわれた程度では懲りなかったようだな」
ツクヨミの背後から、その首筋に一振りの剣が押し当てられる。
「ツクヨミ」
「ね、姉さん……」
剣を握っているのは完全武装をしたアマテラスだった。
その威圧感と剣から発せられる神威にツクヨミの顔に焦りの色が浮かぶ。
「さて、私がどうして此処に居るのか分かるな。そして、私が何に怒っているのかは……さっきの口ぶりからして分かっているはずがないか」
「僕を殺す気かい?」
「まさか。我々程の存在になれば、殺した程度ではいずれ復活するだけだ」
「じゃあ、滅ぼす気かい?」
「それこそまさかだな。残念な話ではあるが、貴様の代わりとなると流石に早々見つかるものでは無い」
「封印……なら、あの人間上がりが掛けた封印をわざわざ解く筈がないか」
「よく分かっているじゃないか。つまりそれ以外の選択肢を私は選ぼうとしているわけだ」
姉弟とは思えない程に淡々とした会話が、お互いに身動き一つせずに進められていく。
「何をする気だい?」
「なに、ちょっとした御方を呼んだだけだ」
「呼んだ?」
「ああそうだ。お前がイダテン殿にも幻術を掛けてくれていたおかげだ」
「っつ!?まさ……」
「動くな」
アマテラスの言葉の意味を理解したツクヨミがこの場から逃げ出す為に動き出そうとする。
が、その前に首筋に当てられていた剣がツクヨミの首の皮を薄皮一枚分だけ切り裂き、その動きを強制的に止めさせる。
「ふむ。来られたようだな」
「!?」
やがて、アマテラスとツクヨミの二人しか居なかった空間に新たな気配が生じ、それと同時に一切の光が存在しなかった世界に強い光が射し込み始める。
「その者が私に頼みたいと言う?」
「ええそうですわ。大日如来殿」
「…………」
自身の背後から聞こえてくる声に対して、ツクヨミは明らかに怯え、震えていた。
「後はお願いしても?」
「ええ、問題ありません。どれほどの時間がかかるかは本人次第ですが、まあ、一劫はかからないでしょうから、安心してください」
「ま、待ってくれ!姉さ……」
「では、私はこれにて失礼させてもらいます」
ツクヨミは自分の首筋に刃が有る事も忘れて、アマテラスに向けて乞い願った。
だが、ツクヨミが振り向いた時。
そこには既にアマテラスの姿は無く、強い後光によって細部は分からず、輪郭だけが分かる人影が一人分立っているだけだった。
「それではツクヨミ。行きましょうか」
「い、嫌だ!絶対に嫌だ!誰がお前らなんかと……」
人影が一歩ツクヨミに近づくと同時に、ツクヨミが人影から一歩遠ざかる。
「安心しなさい。別に帰依をしろ。悟りを開け。などとは言いません」
「う……あ……」
人影が一歩踏み出す。
ツクヨミが一歩後ずさる。
なのに、二者の距離は確実に狭まっていた。
「ただ貴方には学んでもらうだけです」
「あ、あ……」
少しずつ少しずつ、けれど確実に二人の距離が縮んでいく。
「生命の尊さと言うものを」
「うわああああぁぁぁぁ!?」
そして人影が自身の目の前にまで来たところでツクヨミは踵を返し、全速力で逃げ出すべく駆け出そうとし……、
「では行きましょうか」
「助け……助けてくれえええぇぇぇ!!」
その直後に首根っこを掴まれ、問答無用でいずこかに向かって引きずられていった。
と言うわけでツクヨミはお釈迦様預かりとなりました。
甘く見えるかもしれませんが、実際には本気で根っこから変わらないと許されない状態でございます。