逸話.世界のどこかで6
いーなー。
上はなんかお祭り騒ぎかよー。
人がたくさん集まってて楽しそうだよなー。
俺、誰か来ないかずっと待ってるんですけどー。
なーんで誰も来ないんだよ。
あの魔族の幼女はどうしたんだよ。
人の邪力を勝手に持って行ったんだから、封印解きにこいよなー。
もういい加減飽きたんだって。
というか、寂しいんだって。
ずっと封印されてるから時間の感覚がいまいち分からないんだけど、もう1万年って過ぎてんじゃないのか?
いい加減反省したから出して下さい、マジで。
シンー、本当にお前の足元にいるから早く来て、お願い。
お前に渡した力でここの封印、簡単に開いちゃうから。
だからね、早くここから出して?
パパね、天界で仕事が溜まっている気がしてしょうがないんだ。
1万年は封印しているから仕事免除って言われてるんだけど、1万年過ぎてたら仕事命な天使たちは遠慮なく仕事回してくるからな。
確実に溜まっていってると思うんだ。
元から仕事なんて対してしてないんだけど、溜まり過ぎると神王様直属の仕事命な天使たちに仕事部屋に閉じ込められて、終わるまで監禁されるんだぞ。
無表情に『仕事しろよ』のオーラを漂わされて周りを囲まれるんだぞ!
めちゃくちゃ怖いんだからな!?
あんまり溜め過ぎるのが多かったら、あの馬鹿親神みたいに仕事命の天使を監視につけられるんだからな!
こっっえぇえんだぞ!!
だからシン!!
早く迎えに来てぇえええ!!
◇◇◇◇
「プリン、うまうまなのじゃー」
「ダリル、もっと作って」
テーブルに座ってプリンをひたすら食べまくる幼女と母親。
その様子を見ながら、卵に温めたミルクを淹れながら混ぜる父親と手伝わされている魔物使いの弟。
二人の視線の先には、テーブルに山ずみになった空のプリン容器が積み重なっている。
「……もう材料が底をつくぞ。輸入の準備はもうできたのか?」
「あちらで大掛かりな大会があるみたいなんで、それが終わり次第開始する予定ですね。……早くしないと、今度は材料を求めて人間たちに喧嘩売りますよ」
「一応、ユンジュにお使いを頼んだんだが……あの子は、まだ戻らないのか」
父親はため息交じりに窓から外を眺めた。
窓から見える景色に、変わりはない。
「あー……ユンジュ君、最近見ないと思ったらお使いだったんですねー。一人でお使いって初めてですけど、大丈夫なんですか?」
「……たぶん」
男の言葉に、自信なさげに目を逸らす父親。
その足元は、そわそわとせわしなく動いている。
「へー。初めてのお使いで人間大陸まで行かせるなんて、ダリルさんも結構やりますねー。ユンジュ君はリディちゃんと違ってしっかりしているから、大丈夫だとは思いますけど。ちゃんと人間大陸の通貨も教えたんですよね?」
「ああ。……あ」
頷いた瞬間、父親は何かを思い出したのか愕然とした表情になって、手に持っていたボールを床に落とした。
中に入っていたプリン液が、無残にも零れ落ちる。
「わっ……ちょ、これ最後だったんじゃないんですか!?……って、どーしたんですか」
「通貨を教えたはいいが、肝心の金を渡すのを忘れていた……」
「……」
父親の台詞に、男の頬が引きつった。
二人の脳裏には、お店の前で泣きそうになりながら途方に暮れている少年の姿が浮かんでいる。
「今すぐ探してくる」
「さっさと行ってあげてください。僕は体を張ってあの二人を止めるんで」
背中から黒い翼をはやすなり窓から飛び去った父親を見送り、男は喉を鳴らして恐る恐る幼女と母親に近づき……
「最近プリンばっかり食べて太りましぐわぁっ!!?」
最後まで言い切ることなく両方から腹パンチをもらい、一瞬でその場に崩れ落ちた。
「ママ殿、儂はちょっと運動してくるのじゃ」
「リディ、ママも一緒にやるわ」
文字通り体を張った男の行動で、二人はダイエットのためプリンを諦めるのであった。
◇◇◇◇
ところかわって、王国の帝国領事館の中庭では。
「ふぅ……今夜のランニングは、これくらいにしておきましょう。明日に響いてはいけませんしね」
額に浮かんだ汗をタオルでぬぐいながら、元豚皇子改めぽっちゃりイケメン皇子は満足げな笑みを浮かべていた。
その後ろでは、ランニングに付き合わされたらしい豚犬が全身から汗を垂れ流して倒れている。
見苦しい事この上ない。
「伯父上ー?そんなところで寝ていたら風邪をひきますよ?」
「で、殿下……ぜはーぜはー……わ、私の話、を……ごほっ、げほっ……聞いて、ください!!」
実は豚犬、決してランニングに付き合うつもりではなかったのだが、皇子が話を聞かずにランニングを始めてしまったため、話を聞いてもらおうとついて行っていたのである。
そして皇子はそれに気づいていながら、ついでに豚犬も運動させてやろうと無視して走っていた。
完全なる確信犯である。
「話と言っても、どうせリーンやアイラのことでしょう?あの子たちは、私の可愛い妹弟になったのです。手を出すことは許しませんよ」
「ぜぇぜぇ……しかし!あんなどこの馬の骨ともしれない小娘などを…………殿下、何をしていらっしゃるんですか?」
なんとか息を整え、感情的になって怒鳴りつけようとした豚犬だが、皇子の方をみるなり呆気にとられたように口を開いた。
皇子は、美味しそうに黄色くてプルプルと震えている何かを口に運んでいたのである。
「ん?運動の後にプリンを食べているんです。伯父上も食べます?おいしいですよ?」
豚犬の視線に気づいた皇子は新しいプリンの器とスプーンを差し出し、自分は残りのプリンを口に入れる。
その様子に、豚犬は恐る恐るプリンを口にした。
「……うまいですな。このようなものは、初めて食べます」
「でしょう?アイラが作ったそうですよ。こんなに美味しいお菓子を作れるなんて、あの子はすごいですよね」
「む……皇子、もう一ついただけますかな?」
ほのぼのと笑みを浮かべる皇子に、あっという間に完食した豚犬がさっそく催促する……が。
「ああ、すいません。もうないんですよ」
「な、ないんですか……」
「ええ、残念ながら。でもアイラと仲良くなれば、もらえるかもしれませんねー」
ピクリ。
そんな音を立てて動いた豚犬の耳。
「アイラと仲良くしていたほうが、いいと思いますよ?」
「はい!皇女様にも誠心誠意お仕えさせていただきます!!」
尻尾があれば、ブンブン振っているのではないかという勢いで宣言する豚犬。
食べ物への執着が強い豚犬なら、必ずこちらの思い通りになるであろうと予想していた皇子の作戦勝ちだ。
プリンのおかげで、不穏分子たちの動きは収まりそうである。
「では、伯父上。アイラは父上のようなダンディーな男性が好みだそうなので、一緒にダイエットを頑張りましょうね。プリンは3日に1つだけですから」
「はい……」
◇◇◇◇
その頃、天界では。
「ぐす……ぐす……僕の、僕の愛良ちゃんが……養子、なんて……ぐすぐす」
変態神が床に倒れ伏せながら号泣していた。
涙でできた水たまりがどんどん範囲を広めており、部屋の隅で避難しているセラフィムがドン引きしている。
「神様ー。三つ子様が決めたんですから、しょうがないじゃないですか。いい加減、泣きやんで下さいよ。これ以上は三つ子様でも抑えきれなくて、世界に大洪水が起きちゃいますから」
「だ、だってぇえ……ぼ、僕がいるのに、愛良ちゃんがぁ……ひっく……」
「いやいや、神様が神様だからこそ三つ子様もまともな父親をお嬢様に経験させておこうと考えたんじゃないですか」
セラフィム、無意識に世界神を変態扱いしているが、本人に悪気はない。
そして変態扱いしていることにも気づく様子はない。
「ぐじゅ……みんなが優しくない……ひっく……もう、こんな世界放っておいて奥さんの所に帰ってやる!!」
「あれ、もう代替わりするんですか?まぁ、この世界をお継ぎになるのは三つ子様のうちの誰かですし、問題ないですね。個人的に三男様でお願いします!」
「……」
涙ながらの世界神の冗談半分の宣言を真に受けるセラフィム。
何度でも言おう。
セラフィムに決して悪気はない。
「ま、まだ引退しないもん……。お仕事放り出して奥さんの所に帰ったら、愛想つかされちゃうし……」
「え?まだ愛想つかされてなかったんですか?」
信じられない、という様子で聞き返すセラフィム。
彼に悪気は……(略)
「ぼ、ぼくだって息子夫婦たちみたいに、まだラブラブなんだからね!」
「へ?あ、すいません。ちょっとこっちの書類見ていて、今の聞いていませんでした。神様、なんて言ったんですか?」
なけなしの自尊心を奮い立たせたのに、肝心のセラフィムはミカエルさんに渡された仕事の方を意識して聞いていなかったらしい。
ワザとにしか見えないんだが、彼に決して悪……(略)
「も、もういいです……ぐすぐす……」
「あ、そうですか?というか、神様ー。もういい加減泣き止んでくださいよー」
「今泣いているのはセラフィムのせいだからね!?」
「え!?何かしましたか!?」
自分の何が変態神を泣かしたのか理解できないセラフィムは慌てるが、天然には一生理解できないだろう。
「うん……もういいよ。仕事に戻っていいから」
何か色々と疲れた様子で変態神はため息をつくと、泣くのをやめて仕事机に座った。
天然の相手をして、泣くのも馬鹿らしくなった様子である。
「あ、そうですか?じゃあ神様、仕事に戻りますねー。ちゃんとお仕事しないと、ミカエルに怒られちゃいますからねー」
「分かったから」
「じゃあ失礼しまーす」
変態神が泣き止んだためか軽い足取りで部屋から出て行ったセラフィムを見送り、重たいため息を吐いた。
「はぁ……天然の言葉が、一番辛い……なんであんな天然になったんだろ……」
頭を抱えながら自問自答する変態神。
その疑問に答えが出る日はない。
「邪魔するよ」
「こんばんはー」
そんな中、転移で部屋に現れたのは次男と時神。
「父さん、自分で泣きやむなんて偉いね。そろそろ僕らの力で大洪水を抑えるのがしんどくなってたから、意識落とそうかと思って来たのに」
「世界神様ー、チョコちょーだーい」
「はい、来るなり怖い脅しと自由な要求は止めようね!?」
笑みを浮かべたまま意識落とす宣言をする次男と自由過ぎる時神の要求に、落ち込む暇なく突っ込む変態神。
しかし、時神はそんなの気にしない。
「ねーねー。チョコはー?今ならお嬢ちゃんの振袖写真とメイド写真付きー」
「くぅちゃん!その取引するから、おじいちゃんに愛良ちゃんの写真頂戴!」
扇のように写真を手の中で広げて見せつける時神に、娘激LOVEな変態神が食いつかないはずがない。
尻尾が生えていたら全力で振りまくっているであろうテンションである。
「わーい。あとねー、リーンとしぃちゃんにもチョコあげるから、いっぱい欲しいのー」
「うんうん、いっぱい上げるから写真頂戴!」
「その前に、クロノス。変態使い魔ズを触ったんだから、手を洗ってきなさい」
「はーい」
次男に言われて素直に手を洗うために出ていく時神。
もちろん、写真を持ったままだ。
「ちょ、くぅちゃん!おじいちゃんに写真渡してからに……」
「その前に、父さんは考えなしに泣きまくった結果、世界に大洪水おこすところだったことに反省しようか」
「はい、すいません。お父さんが悪かったです」
にっこりと微笑んだ次男の言葉に、一瞬で土下座する変態神。
この父に元からプライドというものは存在していない。
「世界を管理する神は感情のコントロールを極めないといけないというのに、子どもが関わると全く出来ないのって世界神としてどうなの?いっそ父さんが次の邪神になったら?」
「……え?中ちゃん?」
次男の言葉に、呆気にとられつつも変態神は口元を引きつらせた。
「父さんからは、邪神のおじさんの封印が解けたら世界が大変なことになるから、ずっと封印してなくちゃダメって教えられていたから気にしなかったんだけど、色々腑に落ちなかったから調べたんだよねー」
穏やかに笑みを浮かべているはずなのに、嫌な予感が止まらない変態神。
父親として神族のことについて教えたのは自分なのだが、実は一部説明を省いたりしていることもあるのだ。
……それを、次男は調べた?
「……邪神って誰もやりたがらないから、邪神になっても耐えれる上級神の中でペナルティ溜まった人から順番にローテーションしているんでしょ?」
「うわ、バレた!?」
「全く……バレた、じゃないでしょ?何説明省いているのさ?僕らも昔は邪神のおじさんも普通に天界にいたし、その時の邪神は別の人だったから普通に代替わりしただけだと思っていたけどさ。ペナルティのこと知ってなかったら、後々僕らが苦労するハメになるんだからね?本当に、もっと後に知っていたらどう落とし前をつけてくれるのさ」
ガシッと正座のまま逃げ腰になった変態神の頭を鷲塚む次男。
表情は笑ったままだが、背後は真っ黒である。
「今の邪神のおじさんが順番になったのだって、父さんと喧嘩してペナルティがパンパンに溜まったからって聞いてるんだからね。いいでしょ、次の邪神は父さんで」
名案だと言わんばかりに笑みを浮かべる次男。
口元は笑っているが、目は本気だ。
父親を邪神に仕立てあげて封印する気満々である。
「い、いや、それはヤダよ!封印中って、お仕事免除だけど超暇なんだよ!?全世界の邪力を集めるぐらいしかすることないんだよ!?暇つぶしでゲームとかマンガとか本とかいっぱい持ち込んだのに、せいぜい100年くらいしか暇潰せないんだからね!封印が解かれるかしないと、ペナルティ期間の残り9900年をずっと一人でゴロゴロするしかないんだよ!?超暇で可笑しくなりそうなんだから!!」
力拳を握ってまで封印中がいかに暇かを力説する変態神。
内容が具体的過ぎて、過去に邪神をやったことがあると宣言したようなものである。
「……」
無言のまま絶対零度の視線で変態神を見据える次男。
その視線は、何でこいつが父親なんだと言っているようにしか見えない。
だが、肝心の変態神はそんなことに気づかずに机を掌で叩くと立ち上がった。
「それに何より、僕の可愛い子どもたちに会えなくなるじゃないか!!産まれてすぐの愛良ちゃんに会うの禁止令が1万年ってのだって嫌だったんだからね!もちろん、1万年経ってから時間を遡って産まれたばっかの愛良ちゃんの所に帰ったけど!」
本当に、なぜこんなのが世界神を名乗れるのだ。
「ということは、邪神のおじさんの封印も本来なら16年前には解けているはずなんだ?まぁ、僕らにとって100年ぐらいは感覚的に誤差が生じても気づかないから、上も実は邪神のおじさんのペナルティ期間が過ぎているって気づいていないんだろうなぁ」
こめかみを指先で揉み解しながら、次男はため息をついた。
自分たちよりもさらに長生きしている上の存在は、時間の感覚がルーズ過ぎるのだ。
とりあえずは上にペナルティ期間が過ぎている旨を伝えておいた方がいいだろう。
ついでに父親を次の邪神に仕立て上げるためのペナルティの数々も、恐らく今ある分だけでも十分なはずだから、ついでに報告しておこう。
子ども激ラブな馬鹿親は、ちょっとしばらく封印して反省してもらったほうがいい。
「ただいまー。手、洗ってきたからチョコちょーだーい」
手洗いから帰ってくるなり、空気を読まずに相変わらず自分の要求を訴えている時神。
自由な子である。
「あ、くぅちゃん!ちゃんと手洗いしたんだね!偉い偉い!おじいちゃんがハグしたげるからね!」
「え、気持ち悪いから絶対やだー。チョコだけでいいー。むしろ、チョコくれる以外何もしないでー」
腕を広げて満面の笑みで迎える変態神と、ものごっつい口をへの字にしながらストレートに拒否る時神。
素直すぎる拒否に、変態神の心はボッキリ音を立てて折られた。
「ふふふ……うちの子に、あんまり変なことをしないでくれる?愛良に父さんの色々な変態行動を全部教えるよ?ふふふ、楽しみだね?怒りを通り越した愛良に存在を無視される父さんを眺めるのは」
「ひっ……!?」
そして次男に頭を鷲掴みされてニコニコ笑いかけられ、折られた心がグシャっと音をたてて砕け散った。
そのまま肉体も潰れても、大した問題はないのではないだろうか。
意識をなくすほど父親の心を木端微塵に砕いた後、次男は興味を失ったように手を離して時神を手招きした。
「クロノス。父さんのチョコ菓子を出すから、自分のボックスに移動させるんだよ」
本人でしか開くことができないはずの変態神のボックスに手を突っ込み、次々とチョコレート菓子を取り出す次男。
……三つ子がやることに疑問を抱いてはいけない。
「分かったー!変態だけど世界神様のチョコのお菓子が一番おいしーから不思議だよねー?」
次々と現れるチョコレート菓子を自分のボックスに移動させながら、時神は首を傾げた。
チョコレート菓子に関しては、三つ子よりも美味しいらしい。
「甘いものでしか僕らや愛良を釣れなかったから、チョコ菓子作りを極めるしかなかっただけだよ」
「あー、なるほどー!」
次男、どこまでも爽やかな笑顔である。
そして時神はリアルに想像できたからこそ、純粋に納得ができたのであろう。
「さて、これくらいでいいかな。クロノスとシリウスは問題ないけど、リーンは人間だから食べさせ過ぎたらだめだよ?ダイエット前の実兄みたいになっちゃうからね」
「リーンがプクプクになるのは嫌だから、ちょっとずつにするー」
ちょっとくらいぽっちゃりしているぐらいなら可愛いものであるが、体を動かすたびに余った肉がブヨンブヨン上下に動いて一人で立てないレベルになるとアウトだ。
可愛い甥っ子でも、恐らくダイエット調教の対象となるだろう。
「よし、じゃあ父さんも泣き止んで大洪水の心配はなくなったから、帰ろうか。泣いてないなら愛良を連れてくる必要はないし」
「帰るー。今日はリーンに一緒に寝ようねって言われてるんだー」
リーンの可愛さにメロメロ、といった様子でニコニコ笑う時神。
君の可愛さにメロメロである。
「おや、それはよかったね。というより、僕はいつも一緒に寝ていると思っていたよ」
「違うー。俺はいっつも変態たちとゲーム部屋で寝てるし、リーンはパパママと川の字で寝るのがお気に入りだもん」
「……は?パパママで川の字?」
時神の言葉に、次男のこめかみがピクリと動いた。
お兄ちゃんズの中でも、それは初耳である。
「あ、でもしぃちゃんも足元で寝てるから川の字じゃないかー。俺も小動物バージョンで今日は寝よー」
「……愛良とカイン君は、リーンを挟んで一緒に寝ているの?」
「そうだよー。あ、でも大丈夫ー。カインだから手なんか出せないよー?」
「あー……」
カインと書いて、ヘタレと読む。
そう自分に言い聞かせつつも、後でカインと話をしようと思った次男なのであった。
◇◇◇◇
その頃、ヘタレ……もとい、カインは。
「はぁ……」
リビングの椅子に座ったまま、重たい溜め息を吐いていた。
浴室のある方からは、愛良とリーン、シリウスの楽しそうな笑い声が響いている。
それとは対照的に、カインが纏う空気は重い。
重すぎてキノコがにょきにょきこんにちは状態である。
「ゴミ捨て場から帰って来たぜ!……おおう。リビングがキノコだらけって、帰ってきてそうそう掃除をしろってことですね、はい」
「うっす、ただいまー!!……って、カイン暗っ!?なんだ!?何があったんだ!?またお嬢に弄られたのか!?」
そんな重たい空気を背負ったカインがいるリビングに、派手な音をたてて入って来たのは堕天使と冥界神。
リビングの状態にドン引きした堕天使は顔を引きつらせながら手短な所から掃除を始め、冥界神は項垂れている鬱帝の肩を掴んで揺さぶった。
「いや……また、試練の時間が迫って来たと思うと気が重くなっただけだ……」
「へ?試練?……ああ、お嬢とリーンと川の字か。いいじゃねーか、お嬢の寝顔が見放題!」
「いやいや、冥界神。お前は馬鹿か?嬢ちゃんが無防備に目の前で寝てるから寝れないんだろ」
「あー……まぁ、あれだ。リーンのため。諦めろ」
「幼等部に通わせるんじゃなかった……」
川の字で寝るそもそもの原因は、幼等部でリーンが友達に両親と川の字になって寝ていると自慢されたのが原因らしい。
そんな自慢をされて、リーンが黙っているはずがないのだ。
「まぁ、いいんじゃねぇの?今だけだぞ、甘えて一緒に寝ようって言ってくるのは。あと4,5年したら、『一人で寝れるから、パパはあっち行って!』とか言われるんだぞ。もう号泣するしかないんだぞ」
なぜか涙ぐみながらやけに実感がこもっている堕天使の言葉。
「「……」」
カインは冥界神と顔を見合わせると、お互い何も聞かないでいようと頷いた。
幼女大好きを公言する彼だから、もしかすると長い人生の中で何度か子育てをした事があるのかもしれない。
そして実際に言われたのだろう。
「……とりあえずは、お嬢が出て来る前に俺様とルシファーでキノコ片付けようぜ」
「だな。カインはどうせ寝れないんだし、今のうちにソファでちょっとでも寝とけ」
「コス王、ルシファー……助かる」
ため息をつきながらソファに移動しようとしたカイン。
しかし、その動きはリビングに新しく入ってきた人物によって遮られた。
「ただいまー。カインー。次男が『理性の切れ目が縁の切れ目』だってー」
「ぐはっ」
「「カインーっ!?」」
帰ってくるなり笑顔の時神の発言に、カインの意識は崩れ落ちた。
つまり、本能に負けて愛良に手を出した瞬間、愛良と二度と関わらせないと言われたのだ。
もうソファに崩れ落ちるしかない。
「うわー……お嬢命のシスコンたち、どうにか我慢できねーのかよ。完全にカインの意識落ちたぞ」
ソファに崩れ落ちた主を見下ろしながら、冥界神は頭を抱えた。
前の主の三男と比べたら、もう本気で憐れとしか言いようがない。
「いやいや、三つ子が嬢ちゃんのことに関して我慢するとか無理。特に長男は絶対に無理。元使い魔として断言できる」
がくがく震えながら言い切ってしまう堕天使。
脳裏には妹が生まれたと聞いて喜び見に行ったのに、『ロリコンは近づくなっ!!』と顔すら見せてもらえずに長男に追い出された記憶が蘇っていることだろう。
ちゃっかりお祝いのベビー服とかおもちゃとか含むベビーグッズは受け取っていたが。
「ねーねー。とりあえずはカインの意識落ちたんだし、このまま部屋のベッドに放り込んでおこうよー」
ニコニコと笑顔を浮かべたまま、カインの襟首を掴んで今すぐにでも実行しそうな時神。
「「ちょい待て」」
余りにも主が可哀相過ぎて、冥界神と堕天使は止めに入った。
いや、もう本当に意識がない間に目を覚ましたら愛良の寝顔があったりなんてしたら、カインは絶対に叫ぶ。
叫んで煩くした結果、寝起きのキレたシリウスにお仕置きされるのが目に見えている。
それはいくらなんでも憐れすぎる。
「ほら、明日は大会なんだし?大会前に寝不足とかも可哀相だから、お嬢には今日は別々でって言ったら問題なしだって」
「そーそー。元天使な幼女様の嬢ちゃんならそれで納得してくれる。だから今日は自分の部屋で寝させてやろうぜ。な?」
冥界神と堕天使、主のために必死である。
そんな二人を見上げながら、時神は首を傾げた。
「リーンが『パーパとマーマと、いっしょねんね!』って言った瞬間から、川の字で寝るのは決定なんだよー?」
「「……」」
それが世界の真理。
そう言わんばかりの時神に、言葉が出ない二人。
「それに今日は俺も一緒に寝るんだから、逆にカインはいたほうがいいと思うしー」
「「は?」」
時神が今日は一緒にリーン達と寝るなんて知らない。
いつも通りゲーム部屋で漫画を読みながらそのまま寝落ちするんじゃないのかと言わんばかりである。
「あ、二人は誘われてないんだっけー?変態だからリーンに誘われないんだよー?ぷっ」
「「ぐはっ!!?」」
主同様、時神に心を折られた二人はリビングの床に崩れ落ちた。
カインが結局どうなったのかは、翌日の朝に聞こえた悲鳴で察してほしい。
◇◇◇◇
その頃、愛しの妻ミカエルさんの所に訪れていた三男は。
「……ちょ、ハニー?これマジ?ハニーのちょっと笑えない冗談とかでなく?」
ミカエルさんに渡された書類を片手に、顔を引きつらせていた。
「冗談でもなんでもありませんが。私も何度も確認しましたから。間違いなく、お嬢様に付きまとっていらっしゃる少年の父親は疫病神様の孫にあたりますね。つまり、あの少年は疫病神様のひ孫にあたります」
「嘘だろ……だから、人外になっていってんのかよ……」
妻の言葉に頭を抱えてしゃがみこんだ三男。
もう頭痛しか感じない。
疫病神とは天界の中級神で、関わるだけで厄を呼び寄せる神だ。
そしてこの神の最悪なのは、自分が関わると相手が不幸になるということを自覚していないところである。
この疫病神にかかると、中級神でしかないのにいろいろな厄が重なって上級神でさえもかなりのダメージを受ける。
龍雅がアレのひ孫なら納得できる。
神族に目覚める前の愛良も、苛められすぎてかなり不幸だったし。
今現在龍雅に関わっている王女は、王家を追放される。
ツンデレ娘は性格の悪さが目立ちすぎて、同じ6大貴族の風と火からも完全に煙たがれるようになった。
猪娘は大人しかった性格が、どんどんおかしな方向に行っている。
風と火の男子生徒たちは、本来龍雅が踏んだトラップに巻き込まれたり、女子の内面の汚さを見せられまくって軽い人間不信になりかけている。
疫病神のひ孫ということでその厄介な体質は薄まっているはずなのに、全然衰えているようには見えない。
「ついでに言っておきますと、彼の母親は幸運の女神様の子孫にあたります。こちらは血がだいぶ薄まっていますので、幸運なのは自分だけで周りに影響は全くないですが」
「……確かにあいつの脳内は愛良を自分の物と思い込んでておめでたい頭をしてはいるけど」
「周りに被害を及ぼして、自分だけ脳内は幸せ者って、ある意味すごいですね」
「いや、最低だろ……」
「お嬢様も大変ですね。疫病神様血筋のしつこさは、天界でも随一です。あなた達が何度もやり直さないといけない理由が、ようやく分かりました」
「ハニー……感心していないで、奴を消滅させる方法を教えてください……」
あまりのショックにずるずると座り込む三男。
そんな三男と向か合うように目の前にしゃがみこんだミカエルさんは、にっこりと笑みを浮かべてその両肩に手を置いた。
「疫病神様の血を引いているなら、彼の願望をかなえない限り無理ですね」
「ぐはっ……」
愛する妻の追い討ちに、三男は溜まりに溜まったストレスで吐血した。
もう泣くしかない。
「あらあなた。大丈夫ですか?」
追い討ちをかけた張本人が、倒れ伏した三男をつつく。
夫ならばそこで優しく抱き上げてあげればいいと思うのだが、ミカエルさんだから仕方がない。
「は、ハニー……俺、もう倒れそう。泣いていい?」
「すでに倒れていますが、安心して泣いてください。あ、その書類は仕事で使うので汚さないでくださいね」
さすがは仕事命のミカエルさん。
打ちのめされている夫よりも仕事が最優先だ。
「いや、そこは抱きしめるとかして慰めて……」
「はいはい。泣きそうなあなたに朗報ですよ。さっきのは冗談です」
「どれが冗談だったんだ!?ハニーの冗談はどれもがマジっぽすぎて分からねぇえ!!」
「分かりにくい冗談ばかりで、申し訳ありませんね?」
がばっと音を立てて顔を上げた三男に、ミカエルさんはにっこり笑った。
にっこり笑っているはずなのに、背後は真っ暗である。
「ごめんなさい。すいません。ちゃんと冷静になって話を聞くので、話を聞かせてください」
それを見た瞬間、三男はそのまま土下座して頭を下げた。
この素早い土下座の仕方、さすがは変態神の息子である。
「ふふふ。では、教えた後でお願いを聞いてくださいね」
「ハニーのお願いなら、なんでも聞きます」
正座をしたまま頷く三男に、ようやくミカエルさんは黒い笑顔を引っ込めた。
「まず、あの少年には勇者としての役割を全うしていただきましょう。勇者は天界の血を引くものでしかなれませんし。付きまとわれたら最後、神王様ですら顔を引きつらせる疫病神様でも神には違いないですから。今回の彼の役割は、彼の持つ属性から考えると邪神様の封印が解かれた時にあふれ出る邪力を、破壊属性で消すことでしょうし」
「うんうん」
ミカエルさんの言葉を聞きながら、要点をメモに書きとめる三男。
ちなみに、いまだに正座である。
「次に魔力がすっからかんになった少年は、魔力でほぼ帳消し(?)にしていた(かもしれない)疫病神様特有の病や腐食、厄等を呼び寄せる可能性がとっっっっても高いので、冥界神様に魂と肉体を分離してもらいましょう」
そもそも魔力に触れることがなければ、あの少年もあそこまで疫病神特有の状態になることもなかった……はず。
地球にいたころは、今ほどひどくはなかった……と思う。
少なくとも愛良が関わらなければ……たぶん。
……やっぱり自信がなくなったミカエルさんは、知らなかったとはいえ厄介な存在を異世界に召喚して魔力に触れさせ、厄介さをグレードアップさせた馬鹿親神を次の邪神に仕立て上げて封印しようと誓うのであった。
「ふむふむ。ハゲに頼めばいいんだな」
ちゃんと愛する妻の言葉に何かが含まれているのは気づいているんだが、そこに突っ込んだら立ち直れそうにないため、三男はスルーすることにしたらしい。
変態な親を持つと、子どもはスルースキルの上達が速いのである。
しかし、ミカエルさんは三男のスルースキルよりも、その発言に美しい顔を微かにしかめた。
「……あなた。冥界神様を、相も変わらずそのように呼んでいらっしゃるのですか。使い魔になさった時にお名前をお付けになったのですから、ちゃんと呼んで差し上げればよろしいでしょうに」
頬に片手をあてながらため息をつくミカエルさん。
その内心はこの場にいない冥界神に向けての同情がたっぷりである。
「いや、だってあいつ馬鹿なのにいちいち細かい事を気にするから、将来絶対禿げると思ったんだよな。だから思わず、『禿げす』って呼んじまうんだよなぁ。本当は『ハデス』なんだけど」
全く悪びない様子で三男は朗らかに笑った。
コス王……実はちゃんと名前があったというのは、本人ですら知らない悲しい事実である。
三男の悪びない態度に、それが元主従関係にあった二人だから気にするだけ無駄と思ったのか、ミカエルさんは軽く咳払いをした。
「コホン……。あなたたちの関係に私が口を出すことではありませんね。私よりも付き合いは長いのですし」
「いやいや、ハニー?ハニーは俺の愛しの奥さんなんだから、全然口出しオッケーだぜ?」
「あなた。話を戻してもよろしいですか?」
「どーぞどーぞ」
放っておいたらいつまでも話が戻りそうにない三男を、ギロッと音を立てるようにして睨んだミカエルさん、非常に怖いです。
「……はぁ、どこまでお話ししました?」
「いや、魂と肉体を分離する、ってとこまでだぞー」
「ああ、そうでした。少年の魂と肉体を分離したあとは、肉体の方を時神様の力で時間を止め、ルシファー様に邪神様の封印の中に入れてもらってください。封印の中に純粋な神族は入れませんが、ルシファー様なら堕天されたので問題もないです。疫病神様の力を受け継いでいるのは彼の肉体の方なので、(次は馬鹿親世界神の可能性が高い)邪神様と一緒に封印してしまったらいいです」
事もなげに言い切るミカエルさん。
確かに龍雅が病んだ原因がそもそも疫病神の血を引いているというのが理由ならば、その血から離せばいいのかもしれないが……。
「……魂の方はどうすんだ?」
残った魂をどうするのかが、全く分からない。
そんな様子で首を傾げる三男に顔を近づけて、静かに囁くミカエルさん。
妻の言葉を理解するまで時間を要した三男だが、理解ができた瞬間、勢いよく首を横に振った。
「駄目!却下!いくらハニーでもその案ボツ!!」
「それしか方法がないんですから諦めてください」
「嘘だろ……」
正座のまま項垂れてしまった三男。
いったい何を言われたのか不明だが、三男が立ち直れないくらいのことを言われたらしい。
あまりにも崩れた項垂れように哀れさを誘う。
その項垂れっぷりにさすがのミカエルさんも困ったのか、夫の頭に手を置いた。
「あなた、大丈夫ですか?」
「だいじょばない……」
三男は普通の方法じゃ、しばらく立ち直れなさそうだ。
「ふぅ……あなた。さっき私がお願いを聞いてと言ったのを覚えていますか?」
「うん……」
「じゃあ、今晩は一緒にいてくださいね」
「……」
なかなかデレることがない愛する妻の言葉に、さっきまでの項垂れようも吹っ飛んだ様子で三男は目を丸くした。
項垂れていた尻尾が、ブンブン振ってる幻覚が見えるほどだ。
「います!百年ぶりにハニーがデレたから一緒にいます!!」
「はいはい、分かりましたから。もう帰りますよ」
「はい!」
妻のおかげで、ショックから立ち直れた三男なのであった。
◇◇◇◇
いつもならメイドたちに綺麗に整えさせている部屋。
だが今は、あらゆるものが壊れて散乱している。
部屋の主が癇癪を起したかのように手短にあったものを投げまわったからだ。
今は部屋の中央にある天蓋付のベッドに俯せになっている。
「わたくしが、王家追放……?」
茫然とした様子で口を開く少女。
自分が王家を追放されるなんて、信じられない。
否定してもらいたくて父王に連絡をしてみれば、帰ってきたのはもうじき父が退位して兄が王位につくという知らせ。
あの自分を王家から追放すると言った非情な兄が、王に。
勇者と結婚するのはいい。
自分は王女なのだ。
勇者と結ばれるのは当然のことだ。
なのに、その代わりに自分が王家から追放されるというのは間違えている。
そんな間違えたことをしてしまう兄が王位になんて、ついていいはずがない。
自分を大事にしてくれる父王よりも、自分を蔑にする兄を支持する国民や貴族、全員が間違えている。
自分が正さねばならない。
間違えた方向に進んでいるこの国を、あるべき姿に。
自分を中心とする国に。
「……そう。わたくしが、次の王位につけばいいんだわ」
ならば、力が必要だ。
勇者は自分に協力してくれるだろう。
王家から追放すると言われた時、あれだけ反対してくれたのだ。
だが、勇者だけではあの兄に対抗できるか分からない。
なぜなら兄は王家の人間なのに、光属性とともに闇属性も極めている闇帝でもあるのだ。
兄と対抗するためには、自分も力を身につけなければならない。
「どうやって力を身につければ……」
「……手伝ってあげようか?」
「っ!?」
部屋に入ってきた気配に気づかなかった。
突然響いた幼い少年の声。
天蓋越しに、誰かがベッドの傍に立っている。
顔は見えないが、背は自分の半分ほどしかないのではないか。
まだ子どもだ。
だが、子どもといえど自分の部屋に無断で入ってくるなど許せない。
「無礼者!わたくしの部屋だと分かって入ってきたのかしら?」
「……はぁ」
高飛車な言い方に、少年は怒るでもなく呆れてため息をついた。
「……せっかく教えてあげようと思ったのに。力が欲しいんでしょ?」
少年のその言葉と同時に、室内に重たい魔力が充満する。
まともに息もできない。
単なる無礼者だと思っていた少女は、初めて目の前にいる少年に恐怖を覚えた。
「……何者、なの……お前、は……」
胸を押さえながら何とか言葉を絞り出すが、当の相手は軽く肩をすくめただけだ。
「こんぐらいでへばっちゃうんだ?弱いなぁ……」
あっさりと魔力を霧散させた少年。
こんなにも大きな魔力を簡単に扱えるということは……。
「お前……まさか、魔族……?」
「せいかーい」
手をぱちぱちと鳴らす音が響く。
なぜ、魔族がこんなところにいるのだ。
それも、自分の部屋に。
「おねーさん、僕と取引しない?」
「取引……?」
「そう、取引。おねーさんは、力が欲しいんでしょ?僕、力の手に入れ方知ってるよ。それを教えてあげる。だから、おねーさんは僕が欲しいものをちょうだい」
黒い肌をした小さな手が、天蓋の隙間からこちらに差し出される。
魔族が、いったい何を欲しがると言うのだ。
人間の血肉か。
それならば、自分を認めない国民達を好きにしたらいい。
「……いいわ。何が望みなの」
その答えに満足したのか、小さな手の持ち主である少年が笑みを浮かべたのが分かった。
「僕が欲しいのはね……いっぱーいのミルクと卵だよ!」
「……はぁ?」
さっきまでのシリアスさがぐにゃんと折れ曲がった。
この空気を読まずにシリアスを潰す様子、きっとシリアスクラッシャーな魔族の子どもに違いない。
「……ミルクと卵ですって?そんなもの、店で買えばよろしいではありませんか」
自分が力を手に入れる代償が、ミルクと卵というのは微妙すぎる。
できれば他のものにしてほしいという願いは、目の前のシリアスクラッシャージュニアには届かない。
「パパにお金もらうの忘れちゃったんだもん。お店で物を買うときは、お金を使わないといけないんでしょ?ちゃんと勉強したんだよ」
天蓋越しにでも、少年が『えっへん!』と胸を張っているのが手に取るように分かる。
パパ殿の教育方針の賜物であろう。
「……ならいっそ、魔族らしく人を脅すなり殺すなりして持っていけばよろしいじゃありませんか」
「え、おねーさん知らないの?お金を払わないまま持って行っちゃうのは泥棒さんなんだよ?」
「……」
なぜ、魔族に非常識を指摘されなければならないのか。
常識を訴えてくる魔族の方がおかしいのだ。
「だからね、おねーさんに力の手に入れ方を教える代わりに、ミルクと卵いっぱいちょうだい。早くお使い終わって帰らないとママと妹が暴走しちゃうし、パパとおじちゃんの頭が後退していっちゃうよ。一回パパにお金もらいに戻るには、ちょっと時間がかかるもん」
「……それなら金銭を要求なさっては?」
とことんミルクと卵を取引材料にしたくない少女は粘る。
粘るんだが、目の前にいる少年は不思議そうに首を傾げた。
「だって、どうせミルクと卵に変わっちゃうもん。それなら、最初からそっちもらう方が早く済むよ」
魔族で子どもなのに考え方が合理的過ぎる。
怒鳴りたい気持ちを抑え、少女は深呼吸をした。
「……分かりました。好きなだけミルクと卵を用意してさしあげますわ」
「やったー!えーっと……ミルク2万リットルと、卵5千個ちょうだい!」
ポケットに入れていたらしいメモを見ながら注文してくる少年。
「……ちょっと、そのメモをお貸しなさい」
「いーよ?」
少女は少年が持っていたメモを、じっくりと読み直した。
確かに、少年が言った通りのことが書いてはある。
その通りなんだが、単位が間違えていないだろうか。
この単位、もはやお使いとは言わない。
業務用だ。
時を止め、なおかついくらでも入るボックスという魔法があるにしても、魔族の初めてのお使いのスケールがデカすぎる。
魔族に産まれなくてよかったと、全人類が思ったことであろう。
「じゃあ教えてあげるね!えとね、この学園の地下に邪神様の封印遺跡があるんだよ。その封印を解いて邪力に触ったら、おねーさんの強さもぐーんって伸びるよ!たぶん!」
何故自信たっぷりげに言っているのに、最後に『たぶん』を付け足すのだ。
信憑性が一気に急下降した少年の話に、少女の眉間に皺が寄った。
「……信用できませんわ。わたくしが力を手に入れるまで、取引材料は渡せません」
「えー!?」
せっかくお使いを終えれると思っていたのに、まさかの長期になりそうな取引。
これならば、お金をもらいにパパ殿の所に帰った方が早かったかもしれない。
「それに、封印の解き方も分からないではありませんか」
「むー。リディとパパはこの都の全住人の血と魔力を生贄にしたら解けるって言ってたけど……」
そこで少年はいったん言葉を切ると、何かを探るように黙り込んだ。
天蓋越しで見えないが、目を閉じているのかもしれない。
「……うん。この学園の中にすごい魔力を持った人たちがいるから、別にそこまでしなくていいんじゃないかな?その人達のうち、誰かの血を少しでも手に入れたら解けるんじゃない?」
「すごい魔力……」
すごい魔力を持っている人物と言われて、一番に思い浮かぶのは勇者だ。
計測水晶を溶かしてしまうほどの魔力。
まず間違いなく勇者のことだろう。
彼に頼んで、少し血を分けてもらうべきか。
「あ、ちなみに言っておくけど、勇者って呼ばれている人じゃないよ?」
「……なんですって?」
勇者以外思い浮かばなかったのに、他に誰がいるというのか。
「んーとー……邪神様の邪力が活性化しているし、最近誰か新しく来たんじゃない?」
「最近……?」
この一年で学園に編入してきたのは、勇者とその幼馴染であるあの憎たらしい女だ。
……他にもいるかもしれないが平民に等興味もないため知るはずがないし、強大な魔力を持っている人物が平民にいるはずがない。
ならば、あの女の血を手に入れたらいいのか。
確かにあの女は強い。
勇者よりも強いとは思えないが、あの女が来てから自分の思う様に行動もできない。
あの女ならば、別にどうなろうとかまわない。
幸い大会があるから、あの女の血は容易く手に入るだろう。
「わたくしが血を手に入れたら、あなたには邪神の封印まで案内してもらいますわ。それまでに取引材料を集めておきます」
「むー……早くしてよー?」
拗ねたように言った少年は、そのまま闇に解けるように消えた。
少年の顔も名前も知らないままであったが、少女はどうでもよさそうに今後の計画を考えるのであった。