先輩のポーカーフェイスを剥ぐ1の方法
「ほんとせんぱいってあれですね、男子だけじゃなくて女子からももてるんですね。噂じゃ週間平均3人には告白されてるらしいじゃないですか。いや あすごいなあそんな大人気なせんぱいを先輩にもてるわたしはほんとに幸せだなあ、頭もいいし美人だし運動もできるしまさに絵に描いたような才色兼備眉目秀 麗、高1の4月時点ですでにファンクラブまで発足して今じゃ会員も200人を超えたとか、さすが、せんぱいさすがです。尊敬してます」
「なんなのさっきから気持ち悪い」
「…………」
わたしの渾身の褒め言葉はせんぱいのその一言で見事に玉砕する。
はあ、とため息をついてせんぱいの向かいの席に座り、唇をとがらせながら頬杖をついた。
「もっとかわいい反応できないんですか、照れるとか謙遜するとか」
「なにかしてほしいことがあるならはっきり言って頂戴」
「別にそういう目論見があっておだててるわけじゃないです!」
放課後。
残った委員会の仕事を片づけるため、普段あまり使用されない空き教室で、わたしとせんぱいは机を合わせて向かい合っていた。
せんぱいはさっきからがりがりノートに文字を書いていて、なにをしていいかいまいちわからないわたしは特になにもせずに仕事中のせんぱいを見つめる。
「せんぱいのそのポーカーフェイスを剥がしたいなって」
「はあ?」
呆れたような声を出してようやくせんぱいが顔を上げる。うふふ、と微笑みかけると睨まれた。うーんぞくぞくする。
「わたしせんぱいが笑ってるところとか泣いてるところとか見たことないんですもん」
「それはあなたがたまたまいつも私の無表情しか見ていないだけよ」
「もう1年も一緒にいるのに?」
「まだ1年しか一緒にいないじゃない」
せんぱいのその冷めきった台詞に、わたしはむっと唇を尖らせる。
わたしのせんぱいは美人である。
それはもう校内でダントツと言わしめるほど圧倒的なまでに美人である。
しかし彼女はいつでも無表情なのだ。なにが起きてもそのポーカーフェイスは変わらない。クールビューティーという言葉がぴたりと当てはまるせんぱいの表情が変化するところを、私はまだ一度も見たことがないのである。
せんぱいの髪はとても綺麗だ。女子なら誰もが羨むほど黒く艶やかなそれは腰まで届くほど長く伸びていて、柔らかな風が吹くたびにさらさらと揺れている。揺れるたびにシャンプーの甘い香りが鼻をくすぐって、なぜかいつもどきりとさせられるのだ。
そんな、どことなく古風な雰囲気を纏うせんぱいはセーラー服がとてもよく似合う。夏服から伸びる手足は折れてしまうんじゃないかと思うほど細く、ただ でさえ白磁のように真っ白なその肌は、窓から差し込むはちみつ色の淡い陽ざしに照らされて、より一層その白さを際立たせる。うっかり見惚れてしまうほどに。
なんの化粧水使ってるんだろう、なんてぼんやり思いながらせんぱいのことを見つめていると、突然ふっと彼女が顔を上げた。慌てて目線をそらすわたし。
「私だってあなたが知らないだけで笑ったり泣いたりするわ。面白い漫画を読めばそれなりに笑うし、感動する映画を見ればそれなりに泣くし」
「あれですか、フランダースの犬とか見て泣いちゃうクチですか」
「あのアニメの一体どこに泣ける要素があるのよ」
しれっと言い放つせんぱいにわたしは開いた口がふさがらなくなる。あの超感動アニメに涙腺を刺激されないだなんてさすが鉄の女、この人の心には琴線というものがないのかもしれない。
「フランダースの犬で泣けないならむしろなに見て泣いてるんですか……」
「ドラえもん」
「ドラえもん!?」
「がんばれジャイアン」
「しかもマイナー!」
てっきり大長編の方だと思ってたのに!
たしかせんぱいは一人っ子だったはずだけど、意外と兄妹ものに弱いらしい。普段鉄仮面のせんぱいががんばれジャイアンに泣かされるという思わぬギャップに少しどきどきしながら、いつか絶対一緒にドラえもん見てやろうと心の中で決意する。
「普段生きていて笑うほど面白いことも泣くほど悲しいこともないから笑わないし泣かないだけよ」
「せんぱいにとって笑うほど面白いこととか泣くほど悲しいことってなんなんですか……」
どうせまともな答えなんて返ってこないだろうと諦めつつも一応聞いてみる。
せんぱいはしばし考えるように腕を組んで「んー、そうね」とつぶやいたあと、
「突然あなたが誘拐されて手足を縛られ口の中に割れたガラスを詰め込まれてさらに一枚一枚足の爪を剥がされつつ虫責めでもされてる映像が私の家に送られてきたら」
相変わらずの無表情で一気にべらべらまくしたてると、せんぱいは使命は果たしたと言わんばかりに小さく息を吐き出して再び仕事を始めてしまう。
「…………」
絶句するわたし。笑顔が引きつっているのが自分でもわかる。
……よくそんな残虐なことが思い浮かぶな。うーんたしかにせんぱいは頭もよくてスポーツもできて美人で完璧だけど内面には少し問題があるかもしれない。普段無表情だから全然わかんないけどもしかしてかなりストレスたまってるんじゃ。
はあ、とため息をついて机に突っ伏し、窓の方に顔を向ける。
もったいない、と思ってしまう。せんぱいは感情を表に出せばもっと美人になるはずなのに。そりゃあ一部のファンが言うように、ポーカーフェイスがせんぱい の魅力だというのも少しはわかるけど、がんばれジャイアンを見るか後輩が極限的につらく苦しい目に遭わないと泣いてくれないというのは少し問題なんじゃな いだろうか。
「……けど、突然わたしが誘拐されて手足を縛られ口の中に割れたガラスを詰め込まれてさらに一枚一枚足の爪を剥がされつつ虫責めでもされてる映像がせんぱいの家に送られてきたら、せんぱいのポーカーフェイス、崩せるんですよね」
「ええ、笑ってあげるわ」
「笑うんだ!」
「面白さのあまり思わず動画サイトに投稿してしまうかもしれないわね」
「きちく!」
性格最悪だこの人!
「なんでせんぱいそんなにつめたいんですか!」
「あなたが熱いだけよ」
「そんなことないですつめたすぎです! 愛情の裏返しってやつですか、ツンデレですか、そんなにわたしのことが好きなんですか!」
ばーんと机をたたいて立ち上がって、半泣きになりながらまくしたてる。だけどせんぱいは一切動じることなくかりかりとペンを走らせたまま。
「…………」
「…………」
……いやいやなになにこの沈黙の幕。
てっきりいつもみたいに言い返してくるもんだと思って待っているのにせんぱいは一向に口を開く気配がない。
……うーん気まずい。なんで黙ってるんだろうせんぱい。もしかしてわたしせんぱいのこと怒らせたんじゃ。
「…………」
まずい、怒らせるつもりなんて全然なかったのに。
ひんやりとした汗が背中をつたう。そうっと手を伸ばして向かい側で動かないせんぱいの細い肩をとんとんとたたいた。
「あ、あのせんぱい、わたし別に変な意味で言ったわけじゃ、」
「……そうだけど」
いつもはきはきと物を言うせんぱいにはめずらしく、小さく掠れた声。
「え、そうって」
「あなたが好きなのよ。なにか文句でもあるの?」
ばっと顔をあげてわたしを睨みつけるせんぱいの顔は火でも出るんじゃないかと思うくらい真っ赤に染まっていて、そのうるんだ大粒の瞳に浮かぶのは戸惑いや混乱や困惑で。
「へ、」
思わず固まるわたし。
「……帰る」
そう言って立ち上がり、ノートを閉じて鞄を掴んでそそくさと教室を後にしてしまうせんぱい。
一人残されたわたしは呆然とその場に立ち尽くし、開け放たれたままの扉の向こうをぼうっと見つめる。
「…………」
ゆっくりと事態を飲み込んでいく頭が、事態を飲み込んでいくにつれてどんどん混線していく。
ショート寸前の脳内。
じわじわあつくなる自分の頬。
「……え」
漏れた声は熱を帯びていて。
どうやらわたしは、せんぱいのポーカーフェイスを剥ぐことに成功してしまったらしい。