壊れていない朝
目が覚めたとき、窓の向こうでは小鳥が鳴いていた。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の木目を柔らかく照らしている。
「……もう、朝か」
まどろみの中でまぶたをこすりながら、黒木いばらはゆっくりと体を起こした。
天井を見上げる。この部屋にも、少しずつ慣れてきた。
木漏れ日荘――
名前の通り、木立の間から光が差すような、静かなアパート。
古いけれど清潔で、どこか懐かしい空気が流れている。
ここに引っ越してきて、もうすぐ一ヶ月。
「なんだか、時間の流れがゆっくりになったみたい……」
台所に立ち、湯を沸かす。
ポットから立ち上る湯気と、窓の外で揺れる緑の葉。
静かで、優しくて、壊れそうにない日常――
けれど、たまにふと、夢の断片が頭をかすめる。
喉元に刃が触れる感触。
誰かに見下ろされている気配。
赤い、何か――
(……変な夢)
忘れたままでも困らないことなら、それでいい。
そう思って、いばらは深く息をついた。
その日は、少し早めに部屋を出た。
エントランスでちょうど掃除をしていたのは、アパートの管理人・椎葉楓。
「おはようございます、椎葉さん」
声をかけると、彼はほうきを止めて小さく会釈した。
言葉はなかったけれど、その仕草にはどこか安心感がある。
(無口だけど……優しい人)
何か困ったことがあったとき、そっと手を差し伸べてくれるような、そんな存在。
目を合わせるたびに、不思議と落ち着く自分に気づく。
駅までの道を歩きながら、スマホを開くと、メッセージが届いていた。
職場の同僚、柊沙耶からだった。
《おはよ!白絹さん、今日もいるみたいだよ~♡ 早めに出勤したほうがいいかも?》
(白絹さん……)
いばらの胸に、ふわりとしたものが広がる。
彼は、いばらの勤める部署の上司。
落ち着いた声と温かな微笑みが印象的な、誰からも慕われる存在だった。
そしていばらもまた、彼の優しさに、少しだけ救われていた。
会社につくと、いつもの朝がそこにあった。
パソコンの起動音。コーヒーの香り。
白絹透は、穏やかに笑ってこう言った。
「今日もよろしくお願いします、黒木さん」
「……はい。よろしくお願いします」
その言葉が、なぜだかとても嬉しかった。
穏やかで、優しくて、どこか“完璧”すぎるほどの毎日。
けれど、それは――
まだ、知らなかったのだ。
この日常が、
儚く脆いものだと言うことを




